5『下戸は酔う程面倒臭い法則』

「そういうお前はどうなんだよ。最近」


 口に物を入れながら喋っているせいで若干輪郭を怪しくした言葉で、鏑木が訊いてくる。

 金曜のアフターシックス。珍しく定時に仕事を終えた鏑木に宣言通り、そして半ば無理やりに連れ去られ、俺は駅前通りにある居酒屋にいた。中ジョッキ二杯で程よく赤くなる彼が、今日に限っては俺よりもハイペースでグラスを空にしている。

 というか、串で人を指すな人を。


「どーも何も、彼女すらいませんが」


 憮然と答え、目の間に合ったナスの浅漬けを口に運ぶ俺に、鏑木は外国のホームドラマかと思う程の過剰な身振りで応じてきた。


「んーな事ねぇだろー?俺たち花の二十代リーマンだぜー?」


(言葉使いが古いんだよ)

 祝い事が決まった彼を軽々にからかった、つい十分前の自分に叱責を送りたくなる。彼に俺の対人関係についてここまでしつこく聞かれたのは初めてだ。詮索を嫌う俺に、いつもの鏑木ならば空気を読んで会話の端緒や社交辞令以上に訪ねてくる事はないのだが。

(酔っぱらってリミッター外れたかなぁ)

 鏑木がオーバーなリアクションを取る度、飲み屋にありがちな暗めの照明を耳に付けられたピアスが反射している。それをぼんやりと眺めながら俺は溜息を吐いた。

 同期の桜ということもあって会計は常に割り勘なので、経済的な彼の肝臓にいつもならば感謝をするのだが、今日ばかりはその軟弱さを恨んだ。まさかその先にこんな面倒な人格が隠れていようとは、わかっていれば殴ってでもオーダーを止めた物を……。


「別に見た目も悪くなきゃ、稼ぎだって残業手当がないくらいで俺とトントンだろぉ?」

「出会いがないんで」


 喉の火照りにストレスを忘れようと目を逸らしながら、芋焼酎のロックを傾ける。この手の会話を切る決まり文句として放ったが、事実会社員になってからというもの異性とのロクな出会いがないので嘘はついていない。

 何よりもう一度俺が彼に対人関係を築くことを鬱陶しく思う原因を説明するのが面倒だったし、これ以上訊かれて俺が機嫌を損ねない保証もなかった。


「ほら、学生ん時のとか――」


 酩酊がブレーキを壊したか、迂闊に口を滑らせた鏑木に、反射的に眉が吊り上がり、連動して奥歯が軋みを立てた。

 静かに目を細める俺に気圧されたのか、もしくは自身の失言を口にしたことを声に出してから気づいたのか、鏑木はその勢いは途端に失って、小さく背中を丸めて俯いた。

 急に周りの喧騒が近くなったかと感じる程、俺たちのテーブルには沈黙がのしかかる。


「……すまん、軽率だった」


 血の気と一緒に酔いも引いたか、彼は律儀にもグラスを置き、深々と頭を下げてきた。こうなってしまうと俺が怒り続けるわけにもいかない。ストレスのやり場に困った結果、アルコールと一緒に溜息に混ぜて盛大に吐き出す。


「わかればよろしい。次言ったら会計お前持ちだかんな」


 それを聞いて鏑木は安堵したような表情を浮かべたが、かといってすぐに次の話題に移れるほど場の空気が戻ったわけではなかった。鏑木は迂闊な言動をした手前、俺は俺であれだけ睨んだ手前、どちらも次の一声を出しあぐねていた。

 結局しばらくの間、俺達は無言で箸とグラスを交互に口に運び続けていた。なんだって週末に居酒屋でこんな葬式みたいなムードを味わわなきゃならんのだ。


「あ、でもそういうのいないんなら――」

「なんだよ」


 互いを取り巻く重苦しい雰囲気を打開する名案でも思いついたのか、鏑木はこちらを伺いつつ、やっと口を開いた。


「お前にいい話がある」


 今度は別の意味合いを以って、俺の眉が形を変えた。こういう時は大抵、鏑木が自分の女友達を頼んでもいないのに紹介する時だ。

 しかし丁重にお断りしたい気持ちを押し殺して、黙って続きを促すことにする。いつもの様に一言で断るのは簡単だが、この気まずい空気が紛れるなら少しくらい話を聞いてやるのもやぶさかではない。

 俺が続きを聴くつもりだと分かると、先ほどまでの沈痛な面持ちはどこへ置いてきたのか、鏑木は少しばかり下種な笑いを浮かべてきた。酒のせいか表情の変化が目まぐるしい。


「聞いて驚けよ?」

「だからなんだって――」


 焦らすような奴のしぐさに先を急かす。本当に酒が入ると面倒くさいなこいつ。そのままたっぷり溜めに溜め、やっとの事で鏑木が口を開こうとした途端―― 


『次です。今月三日、H市の工業地帯で発生した死体損壊・遺棄事件について……』


(お)

 壁に備え付けられたテレビが二十二時のニュースを流し出した。聞き覚えのあるトピックスに思わず目をディスプレイに向けると、そこ映し出されたスーツ姿のキャスターの下に『犯人と思われる男、遺体で発見される』とテロップが打たれていた。


「「え」」


 俺と鏑木の声が被り、そのままシンクロの如く画面から目を離し向き合う。あれだけ勿体つけていた話を中断してまであちらを向いたということは、彼もまたこの事件には関心を寄せていたようだ。


「早くね?」

「あ?……ああ、確かに」


 興味のない話題が逸れた感謝しつつ、再び箸を動かしながら、聴覚のみをニュースに集中させる。鏑木はというと体を横に向け、ちょうど俺とテレビの両方を視界に収めたようだった。

 どうやら事件当日の早朝、現場をうろつく不審な人物が近くの店の監視カメラに複数回移り込んでいたそうだ。警察が画像を解析し特定、その足取りを追っていた最中の出来事らしい。発見された男の衣服にその血液が染み込んでいたことが決定打となったようだ。ニュースは早速論客を囲み事件の背景に潜む闇だか何だかを推し量ることに躍起になっていた。

 もういいだろう。テレビから意識を外し、グラスが空になってることに気付いて日本酒をオーダーする頃、鏑木は去っていく店員の背に「同じのもう一つ」と叫びながらこちらに向き直った。


「あれかな、ジャンキーをヤーさんが始末した、とか」

「どっから出てきたんだよヤクザ」


 突飛な推論に俺が呆れながら返すと、まるで鏑木は我確信を得たりといった面持ちで得意げに身を乗り出してきた。


「だってさ、バラした死体に歯型まで付けるなんて、常人のやる事じゃないよ」

「まぁ、確かにそうだけど……」


 何がおかしいのかふっと笑いを浮かべる彼に相槌を返す。俺――恐らく鏑木もだが――が注目するきっかけとなった「バラバラ」と「歯型」という二つのキーワード。この事件に十分すぎる程猟奇性を与えるファクターであり、鏑木の言うとおりそれがまともな人間の行動でないことは頷ける。


「あれだよ。麻薬を餌に汚いことやらせてたヤクザが、捕まって余計なこと喋って繋がりを知られたくて秘密裏に」

「いや報道されちゃってるじゃん」


 彼の中では遺体が麻薬中毒者であったことは確定事項なのだろうか。とりあえず一番大きな突っ込みどころを押さえつつ、溜め息をつく。

 正直なところ、俺はもうこの話への興味が失せ始めていた。犯人像を考えたところでこの事件の凄惨さ失われるわけでは無い。しかし幽霊の正体見たりなんとやらではないが、「異常者による犯行」という言葉に一度パッケージングされてしまうとひどく味気のないものに見え、わざわざ気に留める事が無為に思えてくる。


「なんにせよ、これで事件は幕でしょ」


 呟くと同時にグラスをコースターにたん、と置き、話の区切りを演出してみる。


「何急に覚めてんだよ」


 しかしそんな俺の思惑をまるっきり無視したかのように、まだ語り足りないとでも言いたげな鏑木が唾を飛ばしてくる。


「別に俺には関係ないし」

「出たぁ、お前の口癖」


 ならお前には関係あるのかよと思わず問いたくなるが、それが意味を成さないことはわかりきっている。鏑木の一言は別に話を区切られたことに対する皮肉ではなく、出来うる限り何かと関わりを持たない――それこそこんな言葉が口癖になる程に――今の俺のスタンスとでもいうべきか、そういったもの全体に対する問題の提起なのだ。そういう彼は俺と正反対、常にアンテナを張り廻らして、自分の世界を更に広げようと生きている。だからこそ俺なんぞとこうして酒を呑んでいるんだろう。


「お前はあっさりしすぎてるっつーか……もう少し周りに目を向けたらどーよ?」


 鏑木にとってはその生き方こそが至上のものなのだろう。彼と長い時間話して

いると対外この話題に移り変わり、そのたびに俺は決まってこう返す。


「だって、興味が湧かないんだもん。誰かさんのようにむやみやたらにモテねーし」

「むやみやたらって、お前……」


 誰にでも人当たりの良い性格、加えて同期のリーダー格で社長令嬢と並ぶ本社勤務の出世頭とくれば、周りの異性が放って置く理由がない。事実彼女持ちである事は周知の事実であるにも関わらず、奴にアタックして散っていった女子の噂を幾度も耳にしているのだから、俺の表現は的を射ている。

 否定も謙遜を返してこないのは、彼の嘘が苦手な性格故だろう。


「肩書だけで寄ってくる奴には興味ねぇよ。楓もいるし」


 明らかに酒とは異なる原因で顔を赤くする鏑木が面白くて、俺はもう少しこのイジリを続けることにした。


「いやいやその様子だと昔っから女泣かせだったんじゃないっすかね?鏑木くーん?」


 さっきのお返しと言わんばかりに捲し立てると、一瞬だが確かに彼の顔が素に戻り、僅かに暗い影を落とす。


「そう、だな……調子こいてたわ、あの時」

「そうだなって、お前……否定とかしないの?」


 しまった。今度はこっちが過去の地雷に触れたか。俯き黙り込む鏑木は果たしてそれを詳しく訊いてほしいのか、それとも退いて欲しいのか。表情が読めず心情を探りあぐねる。


「……悪かったよ。昔はもうどうにもならんべさ。手の打ちようがない事で思い悩んでもストレスにしかならないよ。酒がまずくなるだけだ」


 俺も人の事言える立場じゃないな。調子に乗り過ぎた事を謝ると、鏑木の顔色が僅かに戻る。


「そう、なのかな」

「その分今の彼女を幸せにしてやれって」


 興味が尽きないわけではなかったが、ここは深く掘り下げない方が吉と判断し、適当な一般論を重ねながら財布を取り出す。


「……だな。ありがとな。石井」


 ――礼を言われてしまった。他人の非を深く責めず、その分是を見つけ出す。鏑木の人望はこの性分から来るのだろう。

 そう感心したものの彼はまだ会計に向かう気はないらしく、ウエイターを大声で呼びつけてスプモーニを追加した。仕方なしに俺もグラスを開けておかわりを頼む。23時、まぁ終電もあるし次のオーダーはないだろう。付き合ってやるか。

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