第31話 キング


 キングの部屋は一階にあり、駐車場から中庭を通っていけば伏見さんを乗せたストレッチャーがそのまま通れる道がある。そこからキングの部屋の縁側まで進めば伏見さんを楽に運べる。これならば一人でも伏見さんを移動させられそうだった。卓ちゃんもそれに気を遣い、この部屋を確保してくれていたらしい。


「長旅で疲れたでしょう? よかったらお風呂の方も湯が入っているので、よかったらいかがですか?」

「わあー、なつかしい。あの大浴場はいるのひさしぶりっ!」

 卓ちゃんの言葉に真っ先に飛びついたのは奈緒だった。時間はまだ午後四時。さすがにお風呂には早い時間だったが、思えば昨日の夕方に岡山を出発して以来、当然お風呂にも入っていなかったわけだし、長時間の車の移動で体はもうへとへとだった。たしかにすぐにでもお湯をいただきたいところではあった。それにしても……

「ねえ、ここ、大浴場なんてあったかな。わたし、あんまり憶えてないんだけど……」

「ええ! いくら小さかったからってそんなことまで憶えてないの?」

「あ…… ほら、たしかあきちゃんってまっさきに里親が見つかって最初にここを出て行ったから……」

「ああ、そうか、そうだったわね。じゃあ、〝洗い場〟って言ったほうが解りやすい?」

「あ…… それならおぼえている。」

「でしょ。たしか震災の直後はライフラインも断絶したままで、あたしたちがここに来たころには水道はもう復旧していたけど、さすがにガスまではなくて、冷たい水しかなくて大浴場はしばらくはみんなが洗濯したり体を拭いたりするだけの場所だったのよね。まあ、夏の間は別にそれで大した問題はなかったんだけど…… そうか、たしか明歩はガスが復旧する前にもう出て行っちゃってたのね。」

「ああ…… うん、そう……みたい。」

 思えばわたしはここの施設で誰よりも早くに里親が見つかり、まっさきに出て行ったのだ。それを考えればとても恵まれていた。みんなはもっと長い間、ここで親のない生活を営み続けていたのだ。その苦労がどれほどのものだったのか、わたしは知らない。

「まあ、ともかくさ、せっかくだから、二人とも行っておいでよ。俺はここで伏見さんとゆっくりしているから。」

 そんな崇さんの言葉に甘えて、わたしと奈緒は先に大浴場に行くことにした。


 大浴場は天然の岩で積まれた立派なものだった。たしかにその光景は記憶にあるが、かつての記憶の中に残るその場所は今のように暖かいお湯も湯気もなかった。つめたい水に濡れながら、両親を失い、慣れない洗濯に必死に取り組んだつらい思い出の場所だった。多くの子供たちはその場所で泣いていた。冷たい水と慣れない労働でつらかったということもあるがそれだけではなかった。親がいなくなってしまったとい悲しみを労働という形で実感したからであるし、ここでは皆、水に濡れたと言ってごまかせるから思い切り泣けた。子供とは言えど、集団生活の中では迂闊に泣くこともできない。皆、見栄というものがあるのだ。ずっと我慢していた涙を下着に染みついた汗と一緒に洗い流していたのだ。そんなころを思い出してまた、どっと涙があふれてきた。そんな姿を奈緒に気取られないように、両手でお湯を救い、自分の顔にたっぷりとかけた。


「ねえ、明歩。どうしたのこの背中の痣。」

 そういわれて気が付いたが、こうして奈緒と一緒にお風呂に入るのなんて初めてのことだ。わたしの背中には無数の痣があり、その痣の理由はよく覚えていない。たぶん小さいころはなかったはずなのでおそらく震災の時に瓦礫に埋もれた街をさまよう中、どこかでけがをしたのだと思っている。あの頃は生きることに必死で、今からすれば記憶が定かではないことがたくさんある。

「もう、痛くはないの?」

「うん、もう昔のことだから今は何ともない。」

「そう……」

「どうかした?」

「ううん、なんでもない…… でも……」

「でも?」

「でも…… ううん、なんでもないの。でもなんだか気になるよのね……」

「奈緒が気にすることなんてないじゃない。わたしが気にしてないんだから。あの震災で負ったいろんな傷や痛みに比べれば、こんな痣なんてほんっとどうってことないんだから。」

「う…… うん、そうね。」


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