第30話 ただいま


 わたしたちがその場所を後にし、向かった目的地は少し高台に上ったところにある小さな民宿だ。この民宿こそがかつてわたしたち家族を失ったが子供たちが暮らしていた施設だ。施設とはいえ、元々が民宿だった建物を施設として使っていたに過ぎない。どうせ震災が原因で観光客など来なくなったのだ。もはやそこに民宿が存在する理由なんてなかったし、施設として使える建物もほとんど残されていなかった。陸前高田市では、市民会館や市民体育館などの指定避難所の多くがほぼ天井まで水没して避難者の大半が死亡し、市街地全域が壊滅的被害を受けた。高田病院で四階まで浸水し27人が亡くなるなど、1800人弱の犠牲者を出した。市職員も113人が犠牲になり、孤児たちを受け入れる場所もなかった。

 当時旅館を経営していた吉村氏は旅館を孤児院として提供し、自らも職員として働いた。吉村さんのことはよく覚えている。とても気さくで優しいおじいさんだった。孤児が全員居なくなったとき、街も少しづつではあるが再生の兆しを見せ始め、旅館としての営業を再開した。事前に予約を取った崇さんの話によると昨年亡くなったらしい。もう少し早くここにきていればと後悔してならない。

 

 旅館の駐車場に車を止め、伏見さんと奈緒を車に残し、まずわたしと崇さんが受付に向かった。

「加藤君。久しぶりだなあ。全然変わってないじゃないか。」

 崇さんのことを知っている様子の番頭。見た目はわたしたちとおそらく同世代。ずんぐりとした体格でぐりぐりとした大き目は特徴的で、過去に会ったことがあると一瞬で思い出せるような顔立ち。

「それに…… あきちゃん…… だよね?」

「や、やっぱり…… 卓ちゃん?」


―――星野卓也。たしかわたしと同い年だったと思う。やはり震災で家族を失い、この施設で一緒に過ごしていた子供のひとりだ。気が優しくて、震災でみんなが気落ちしていた時も、ぎこちないながらもはにかんで見せていた。初めのうちはみんなそのへらへらした姿にイライラするものも多かったが、いつしか彼を真似てぎこちないはにかみをする子供が増えていった。子供たちの間で〝卓ちゃんスマイル〟と呼ばれるようになったその笑い方にはきっと『だってしょうがないじゃないか』という意味が込められていたような気がする。きっとこの時の癖が残っているのだろう。大人になってからの崇さんも時々困ったときはこの、ぎこちない笑い方をして見せる。

 

「それにしてもあきちゃんまで来るとはなあ。加藤君から連絡があった時はびっくりしたけど、まさか明歩ちゃんまで来るとは思ってもみなかった。ひょっとしてふたりはつきあってるとかか?」

「あ…… もしかして妬いてる? もしかして星野君、あのころ明歩のことすきだったんじゃないのか?」

「え…… ちょ、ちょ、ななに言い出すんだよー」

「ははは、星野君は相変わらず変わらないなあ。」

「ま、まいったな。あ…… それと今、おれは星野じゃないんだよ。今は吉村、吉村卓也になってるんだ。」

「え…… 吉村ってたしか……」

 思わず声を上げたわたしの方を見て卓ちゃんははにかみながら言った。

「そうだよ。元々ここの持ち主だった吉村さん。結局おれはここの孤児院で最後まで引き取り手が見つからないまま売れ残って、結局吉村さんが引き取ることになったんだ。正式に養子縁組をしてここを引き継いだんだ。だから今、ここの旅館のオーナーはおれなんだよ。ははは、残りものには福があるってやつかな。ははは。」

「でも…… 卓ちゃんが元気そうで何より、……あ、一つだけ訂正させてもらうと、わたし、別に崇さんの恋人とかじゃないですから。崇さんにはちゃんと恋人が別にいますから……

 ねえ、卓ちゃん。奈緒のこと憶えてる? 吉澤奈緒。」

「吉澤奈緒? それってもしかしてあのクイーンのこと?」

「クイーン?」

「あ…… あきちゃん知らないのかな? 吉澤奈緒って、当時、男子たちの間ではクイーンって呼ばれていたんだよ。」

「そ…そうなの? う、うん、まあそれはともかくとして、今日も一緒に来ているよ。今、まだ車にいるのだけど……」

「へ、へー、そ、そうなんだ。で、でも意外だな…… まさかあきちゃんとクイーンがこうやって一緒につるんでいるなんて、十年前には全然想像できなかったよ。」

「え…… そ、そうなの? ひょっとしてわたしたち、昔仲が悪かったとか?」

「え…… おぼえていないの?」

「う、うん…… 憶えて……いない。」

「ははは。じゃあ、思い出さなくていいよ。きっとその方が幸せだから。」

「な、何よ。その気になる言い方! ねえ、崇さんも何か言って……」

「あ、ああ。ははは。」

「なによ、その二人そろっての卓ちゃんスマイルは…… まあ、いいわ。今晩はしっかりその話に付き合ってもらうから……」

「そ、それはどうだろう…… まあいいや。部屋の方に案内するからクイーンも呼んできなよ。なんて…… 案内なんていらないかな。部屋は楓の間…… ま、わかりやすく当時の言い方をするなら〝キングの部屋〟ははは。

 それにあれだね。今日はいらっしゃいませというより…… お帰りなさいだね。

 ……おかえりなさい。あきちゃん。」

「た、ただいま帰りました…… 卓ちゃん……」

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