第29話 奇跡の一本松


しばらくして車は幼かった頃を過ごした陸前高田市に帰って来た。知っているはずのその土地はもうすでにまったく知らない土地になっていた。道々見えるのは震災後、家を失った人たちのために作られた新興住宅地が並んでいる。地形こそはそのままにもかかわらず、そこはもう自分の知らない新しい街だ。政府やメディアはこぞって〝復興〟という言葉を使っていたが、その街が復興したとは思えなかった。修復したわけではなく、過去の街を無かったものにして新しく〝新興〟したように思えた。どこかに自分の知る陸前高田の姿はないかと探すため、車の窓を開けた時、涙がどっとあふれた。丘の上の森林を抜けてそよぐ潮の香り。それはまさしく自分の知る陸前高田のものに違いなかった。心のどこかでこの町を捨てた自分は恨まれているのではないかとさえ感じていたはずなのに、陸前高田の潮の香りはたしかに『おかえり』と言ってくれていた。暖かくわたしたちのことを包み込んでくれているようだった。


今、改めて自分の知っている町はどこに行ったのだろう? そんなことが頭をよぎった。


子供のころにニュースで瓦礫の撤去が一通り終わったことを告げる報道がなされていたのを覚えている。あの瓦礫は果たしてどこに行ってしまったのだろうか? あの瓦礫の山こそがわたしの知っている町であり、その瓦礫の中には自分のよく知っている人が多く含まれていたはずだ。果たして瓦礫の中に埋もれていたはずの(もしかしたら自分の親も含まれる)ひとたちはその後、どう処理されてしまったのだろうか?

……なぜ、今の今までそんな大事なことを考えもしなかったのだろうか?

ネットの情報や現地の報道をもとにした著書は当たり構わず散乱していたはずだ。しかしそれらの情報には積極的には触れないようにしてきた。むしろそういった情報源に対し何らかの嫌悪感まで抱いていた。

「どう奇麗な言葉を並べようが所詮他人事だと思っている。」

「こいつらは自分たちの受けた被害をネタに金儲けをしている。」

とさえ考えてしまったこともある。おそらくほとんどの情報の発信者がそんな考えなど微塵もなく、純粋に復興を支援したい、力になりたいと思っていたはずだ。

要するにあの頃のわたしは被害者面したかっただけなのかもしれない。この町を捨てておきながら被害者面をして、誰かに構ってもらいたかったのだ。だからこうしてこの地で頑張り続けた人たちに顔を合わせるのが怖かった。


「ねえ、ちょっといい? 寄りたいところがあるんだけど……」


 うしろから声を掛けられて振り返るといつの間にか目を覚ましていた奈緒が提案をしてきた。


 『奇跡の一本松』


 と呼ばれるものがある。震災後、早々にこの地を去ったわたしはその存在を報道でしか見たことがなかったが、崇さんたちはしばらく岩手に残っていたので、たびたびその場所に訪れたことがあるらしい。被災者たちにとって心の支えともいえる。

高田松原は350年にわたって植林されてきた約7万本の松の木があったが、震災に伴う津波でそれらはすべて流されたかと思われる中、奇跡的に残ったこの一本の松は人々の心に生きる希望を示した。津波による塩害で根や幹には致命的な被害が及んだが、補正を施しながらどうにかその命をつなぎ留め、今でもそこに立ち続けている。


「なんか、ボクみたいとちゃうか?」

伏見さんが自負するかのように、恍惚なまなざしで松を眺めながら言った。「奇跡的に生き残って…… それでなんやかんやいじられて、これで生きとんかって言いたくなるけど、それでもちゃんと生きている。いや、生かされ続けているんや。」

崇さんは伏見さんの細い肩に手をやり、いつになく優しい口調で言った。

「こいつが生きているってことだけでみんなには勇気が与えられるんだよ。だからどんな体になってでもこの木は生き続けなければならないんだよ。」

「おいおい、タカシ。それはボクを買いかぶりすぎやで。ボク、いくらなんでもそんなんちゃうで。ボクはまだまだ生きたいねん。どんな体になっても、どんなにみんなに無理やり生かされるような形でも、神様が生きていていいって言うてるうちはどんなになってでも生きたいねん。そんだけのことや。

 この木かて生きたいはずや。生きたいから生き続けてる。そんだけのことや。」



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