第28話 福島


 そうとなれば話は早かった。話はどんどんと進み、わたしたちは伏見さんを連れて一時帰郷をすることになった。

電車で移動するというわけにもいかなかったので、車を借りることになった。こちらの方は事情を話すと障害者センターが専用のライトバンを手配してくれた。車の運転は免許を持っていないわたしを除いて、崇さんと奈緒とが交代ですることになった。もうしわけないわたしは移動中の伏見さんのケアをずっと受け持つと言ったがやはりそんなことは許してもらえなかった。結局交代で休憩を十分にとりながら岩手へと向かうことになった。


岩手へと向かう道中、国道六号線、陸前浜街道を北上しながらここまでくればあと数時間もすれば岩手へと帰れるのかと思い始めていたころ。後部座席では長旅に疲れた伏見さんは眠りに落ち、それに寄り添うように奈緒も眠っていた。ハンドルはしばらく崇さんが握ったままだ。できることなら替わってあげたいがあいにくわたしは運転免許を持っていない。こんなことならばもっと早くにとるべきだったのかもしれない。今となっては学校とボランティアの往復で免許を取りに行く暇なんてない。せめて崇さんが眠くならないようにと何か話題を振ろうとして、その話題を捜すために窓の外の景色を眺めてみた。時間は朝の八時、本来ならば通勤時間の最中で道路がこみ合っていてもおかしくない時間だが、車のほとんどは長距離輸送のトラックが目立つ。町並みはなかなかに立派な市街地なのだが、それにしては人気が少ないなと感じた。……まあ、郊外ともなればこんなものか。と、一瞬思いもしたが、われに返りはっとした。

「ねえ、崇さん。このあたりって……」

「ああ、今、大熊町のあたりだ。」

「たしかここあたりって……」

「ああ……」

 崇さんは空返事ひとつでそれきり黙りこんでしまった。ここからほど近い場所にはあの、福島原子力発電所がある。


岩手と宮城だけで津波による死傷者は一万五千人。それに比べれば福島は津波の被害は少ない。しかし、言うまでもなく福島の悲劇はその二次災害にあった。原子力発電所の事故、それに加え、その後も不祥事が相次ぎ、原発付近は避難勧告がなされ、街は完全に無人化した。それから六年後にようやく避難勧告は解除されたが、〝一度放射能に汚染された〟という事実はなくならない。いくら現地での放射能検査がクリーンだと言ったところで皆が皆帰ってくるわけではない。多くの人は街には戻らなかったが、決して誰一人として町が嫌いになったわけではない。本来ならば戻りたいとは思いつつもすでに新しい生活があり、そして町には仕事もない。多くの農地で農業を営んだとしても、やはりイメージの問題もあり、生活は困難を極める。結局長い目で見ればこの福島こそが復興には一番時間がかかることになってしまった。

「随分前のことなんだけどな……」

 車の運転をしながらずっと当たりの景色を見ていた崇さん。なんだか怖い顔をして、その街並みを見ながら何かを考えていたのは間違いないのだろうけれど、果たしてそこに声を掛ける勇気はなく口ごもっていたが、そんな崇さんが静かに声を掛けてきた。

「随分前のことなんだけど、このあたりの避難勧告が解除され、住人達が戻ってきたころの映像であるおじさんが言っていたんだ。『早く農地を耕し直して農業を再開したい。』って……

 そしたらそれに対して報道の人が言ったんだ。『今、ここで農業を再開して作物が売れると思いますか。』って。聞いた時はなんて心のない報道をするんだとそのキャスターに腹も立ったが、すぐさまそのおじさんは答えたんだ。『そりゃあ売れるわけない。売れるわけないけどだからと言ってやらないわけにはいかないんだ。』と。もし、今畑を耕さず、作物をつくることをしなければ、もうこの土地で作物をつくることができなくなる。そしたらいつか、この土地が本当にもう大丈夫と思ってもらえるようになったとき。その時が息子の代か、孫の代かは知らないが、その時のここで農業したくてもできなくなっている。だからそのためにも今は耕し、作り続けなければならないんだって……」

「―――次の世代のため…… かぁ…… 自分達の代での完全な復興は無理かもしれないけれど、かならずいつか復興することを信じてるのね。」

「ああ、命をつなぎ、思いをつないでいくことしかできないんだよ。そう簡単に全部が元通りなんて簡単な事じゃないさ。」

「でも、せつないわよね。次の世代のために今の自分を犠牲に支えるなんて……」

「たぶん犠牲だなんて考えてないんじゃないのかな。次の世代のために何かすることって、たぶんそれが本人にとっての一番の幸せなんだと思う。何と言っても、血よりも濃いものをつくるのは難しいさ。たぶんすべての生物にとって子孫が繁栄する事こそが根本的な幸せ。言ってしまえば子孫が繁栄するために必要なのが良いパートナーを見つけるということだ。そのために人は恋をして結婚して子供をつくる。……だからその子供がまたより良い子供をつくるために今自分ができることならいとわないのが真実の愛ってやつじゃないのかな…… まあ、おれには子供がいないし、親の記憶もあいまいだから偉そうなことは言えないんだけど……」

「わたしも何となくだけどわからなくもない…… ほら、わたしたちにはもう血のつながった家族はいないから、余計に自分が早く結婚して子供を育てなきゃって思うことがある……

 なんだか愛に飢えているっていうか、早く自分の血を受け継がせたいって言うか…… そんなことを考えることがある……」

「そうだな……」

 それきりまた、崇さんは口を閉ざした。すっかりと眠りに落ちてしまっている伏見さんと奈緒は目を覚ます様子はない。結局そのまま岩手までずっと崇さんが運転を続けた。


道中を見る限りではあの津波の爪痕は一切残ってはいなかった。あれからもう十年たつのだ。おもえばこの十年、わたしたちの内の誰一人としてこの地に戻ってこなかったのはなぜだろう? わたしにしてもあれほどこの地を離れる時に涙を流したというのに……

もっと早く帰ってこようと思えば帰ってこられたはずだ。それはつらい思い出を思い出したくないから? ……いや、それは違う。

たぶんその後も困難が待ち受けているであろうにもかかわらずその地に残り続ける被災者に対して後ろめたさがあったからだ。自分を育ててくれたこの地を見捨て素知らぬ顔をしてきた自分たちが、この地に残り見事に街を再生させてくれた人たちに会った時、自分がどんな顔をすればいいのかわからなかったからかもしれない。

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