帰郷

第27話 帰郷


わたしと奈緒


帰郷



 夏休みになり、崇さんと奈緒は早くも就職活動を開始した。相変わらず続く就職難は去年の向井さんを見れば一目瞭然だ。崇さんは将来的には本を執筆したいと言っており、そのためにも出版関係かジャーナリズムの仕事を希望している。それに対して奈緒はまるで将来のビジョンがわかないのだという。今まではただ単に〝生きる〟ということだけを考えてきた。幼少期に東日本大震災を経験してから、命というもののはかなさをいやというほどに目の当たりにしてきた彼女には〝将来〟という言葉の意味がいまいち理解しにくいのだという。奈緒の父親も将来を見据え、借金をして小さな町工場を建設した。両親は貧しい家庭を食いつないでいくために昼夜を問わず働き続け、ようやく将来の展望が見えてきた時に震災で全てを失った。町工場と、両親はおろか、将来のためと働きづめだったせいで両親とともに過ごすわずかな時間さえないがしろにされ続け、手に入れることはできなかった。

 その出来事が彼女の心の中で変形した成長を遂げ、〝将来を考えても無駄に終わる〟という形を生み出した。奈緒は今日まで今を生きることだけに必死で、いざ、将来という言葉を目の前に提示された時に何をすればいいかということが何もわからなかった。

「あたしは何がしたいんだろう……」

「ねえ、奈緒は小さいころ、将来何になりたいとかなかったの?」

「……うん、確かにあったんだよね。なにかあったという事だけは覚えているんだけど、それがなんだったのかどうしても思い出せないんだよね。ねえ、明歩はどうだったの?」

「……わたしも覚えてないかな。たぶん、まだ小さかったに何も考えていなかったと思う。それに…… 小さかったころの記憶ってあんまり残ってないんだ……」

「そう…だったわね。再会したときだってあたしの事覚えていなかったくらいだし……」

「ご、ごめんそれは……」

「そのくせタカシのことは覚えていたのよね…… ホントに都合のいい子……」

「もう… そのことは言わない約束。ねえ、小さいころのわたしのこと、奈緒はよく覚えているんでしょう? わたしどんな子だったのかなあ?」

「そうね…… いつもおとなしくしていた子だったよ。無口で言いたいことをはっきり言わない子…… でも、芯はしっかりしていてこれという時には何が何でも譲らない子だったわ。よく明歩とあたし、一緒にかくれんぼしてたのよ。それも覚えていない?」

「うん…… どうしてだろう。どうしても思い出せないのよね。あの頃のこと……」

「ねえ、明歩。あなたあれから岩手に帰ったことある?」

「え…… そ、そういえばないけれど……」

「じゃあ、夏休み。一度帰ってみない? そうすれば何か思い出すかも…… そりゃあ、思い出したくないこともいろいろあると思うけれど、もうあれから十年もたつんだよ。そろそろ向き合って、ちゃんと清算しなきゃいけない頃なんじゃないかな?」

「清算って何を……」

「あたしたちが引きずっている過去よ。たぶんあの時の衝撃がいつまでも忘れられなくて…… 忘れたいからこそいろいろなことが思い出せなくなってるんじゃないかな。そりゃあたしかに悲惨な出来事ではあったかもしれない。でも……生き残ったあたし達もそろそろ笑うべき……

 もう、今頃あの町だってしっかり復興しているはずよ。あたし達……今でもあの時の悲惨な映像を記憶の中で引きずっているでしょう? だからもう一度あの場所に訪れて、過去とちゃんと向き合ってから、しっかりと復興した街並みを頭の中に上書きするのよ。そうすればきっと前へ踏み出せる。」

「そ、そうよね…… でも、その間伏見さんを放っておいて大丈夫かしら?」

「きっとだいじょうぶよ。今はボランティアの人数も安定しているし、ちょっとの間くらい放っておいてもどうってことないわ。」

「で、でも……」

 ―――でも、その間柚木さんと崇さんを放っておいて大丈夫かしら? なんてことも考えたがとてもそんなことは口に出せなかった。


「いいじゃないか。せっかくの夏休みなんだから帰っておいでよ。」

 崇さんは二つ返事で了解してくれた。『後で土産話を聞かせてくれよ。実は俺もずっと岩手には帰っていないんだ。』という崇さん言葉に伏見さんは割って入った。

「たかしー。お前無理すんなやー。ほんとはお前かて帰りたいんとちゃうか? 無理せんとお前もいっぺん帰ったらええやんけー。」

「……い、いや、そしたらいくらなんでもアンタの世話をする人が足りないだろ……」

「いやいやいや、三人もおれば充分や、それにボクかてちょっとほっとかれたくらいじゃあ死なんわ。」

「いや、十分死ぬだろ。それに三人とは言っても向井さんは週末しか来られないし、白岩さんだって夏休みで子供の世話だってある。」

「いや、だからやねん。たまにはあの三人にも夏休みを上げたらどうなんってことやないか。お前ら大学生と違って社会人のあの三人には夏休みなんてないねんから。」

「あ…… 三人って、そっちの三人? えっとじゃあ……」

「あー、ホンマ察しが悪いやっちゃなあ。しゃあないから本音を言わしてもらうで……

 ボクかていっぺん岩手に帰ってみたいねん……」


 ―――そうだった。すっかり忘れかけていたが伏見さんもあの災害を経験した岩手出身者だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る