第20話 セックスボランティア


セックスボランティア


 


 それからしばらくして伏見さんの手が動かなくなった。それはつまり自慰行為ができないということだ。きっと誰かが替わりにヌイてあげることが理想なのかもしれないが、さすがに僕もそんなことまでしてあげる気にはなれなかったし、伏見さんだって誰かにそうしてほしいとも言わなかった。

 だが、男としてたまるものはたまるのだ。それは仕方のない事。 

 ボランティアの途中、特に下腹部の洗浄をするとき、伏見さんは時として射精した。女性ボランティアたちはやはりいい顔はしない。今までは定期的にヌイていたおかげでそんなことはなかったのだが、突如として起こり始めた事態に戸惑っていた。射精した伏見さんにしてもそれは〝気持ちいい〟ものなんかではなく、ただただ屈辱的な行為でしかない。


「ああ、こんなんじゃ童貞捨てるどころかもう一生エロいことなんてできんなったな…… こんなことなら体が少しでも動いていた若いうちに無理してでもセックスしとけばよかったわ。」

 ―――僕は何も言えなかった。

「なあ、タカシ知ってるか? スウェーデンやデンマークではボクみたいな体の不自由な人に対してセックスボランティアっていうのがあるらしいで。国の税金でセックスさせてくれるらしいわ。」

「税金でセックスできるのか? それは羨ましいな。それだったら僕も障害者になってもいいな。」

……なんて、無理に伏見さんを励ますように合いの手を入れて、余計に気の利かない自分がみじめになただけだ。

「ええなあ、デンマーク人。ボク、生まれ変わるならデンマーク人がええなあ。」

「……生まれ変わるなら体の自由に動く人間にに生まれ変わればいい。なにも体が動かないことを前提に考えなくても……」

「ははは、それはそうや。なあ、日本でも税金でセックスできる法律つくれんかなあ?」

「さすがにそれは無理じゃないかな。そもそもこの国では売春も公には認められてないんだ。」

「公には…… やろ。」

「まあ、法律でその線を区切るのは難しいからな。『今日は恋人が素敵なプレゼントを買ってくれました。ご褒美に今夜はHなことをしてあげよう。』というのは売春かどうかという線を引くは難しいんだよ。」

「それじゃあ、尚更セックスボランティアなんてのは無理だな。ボランティアの訪れる人も結局のところ国からお金をもらってくるわけやろ。売春婦と一体何が違うんや?」

「まあ、それは障害者に対してケアを行いながらセックスするための訓練を受けたかどうかということなんじゃないかな。」

「じゃあ、一般の売春婦でも訓練を受けたら合法か?」

「まあ、そういうことになるのかなあ。」

「まあ、なんでもええわ。セックスできれば合法も糞もないわ。なんでセックスするのに国の許可がいるんかわからん。」

 


新たに大きな問題まで抱え、ますますボランティアの心労が増えたタイミングで恐れていたことが起きた。ぎりぎりの人数で回すボランティアのメンバー、吉澤さんがインフルエンザにかかってしまった。

「ごめん。熱が39℃もあって動けそうにない。」

 心の中ではしんどいのはお前だけじゃない。と言ってしまいそうになったがそこは我慢する。無理に出てこられて伏見さんにインフルエンザでもうつしてしまったらそれこそ大変だ。他のメンバーに替わりに出てきてくれとは言いにくい。結局のところ僕が彼女の担当する時間帯を合わせ、夕方からよく明け方まで担当した。五日ほど過ぎて吉澤さんから「あしたからはもう大丈夫。」と言われた時にはホッとした。その日は状況を聞きつけた向井先輩が気を遣って早くに交代に来てくれた。

「おい、そんなことになっているならもっと早く言え。これでお前まで体調を崩したらどうするつもりだったんだ。」

 ときつめの言葉を言ってくるが、向井さんはただ単に言葉が不器用なだけで、「すぐに帰れ。」と言われて午前三時には自宅へと向かった。翌日(いや、夜明けの時間ではあるし今日?)は日曜日で大学の授業もない。家に帰ってゆっくり寝ることにしようかとも思っていたが、家の近くにある朝七時までやっている学生向けの安居酒屋に誘われるように入って行った。

 こんな時間に飲んでいるやつなんてさすがにほとんどいないかとタカをくくっていたものの店内は思いのほか大盛況だった。ひとりだった僕はカウンター席の端の方に座り、大将のお任せで何品かを見繕ってもらい、ちびちびとビールを飲んでいた。つまみの中で何なのかよく知らない、堅くてコリコリしたものがあった。あまり口に合わなくて皿の端の方に寄せて枝豆をつまみながらビールを飲んでいた時、いつの間にか隣に座っていた女性の客に

「ねえ、それ、食べないの?」

 と声を掛けられてそちらに注視すると、いかにもあたまの悪そうな茶髪頭に派手な化粧にもかかわらず不釣り合いな黒縁眼鏡のくたびれた女性客が一人でビールを煽っていた。よく見ればなかなかの美人だ。

「それ、食べた方がいいよ。特に君は…… それ、ヨメナカセといって牛の心臓にある血管よ。とても精力が付くのよ。」

「よかったら食べます? どうも苦手なので。」

「え! いいの? じゃ、遠慮なく!」

 彼女は箸でつまみ、口に放り込み、追いかけるようにビールを飲み干す。

「ぷはー。アタシも仕事柄、精力つけなきゃなんないからね。」

 さっきからまるで僕のことを知っている様子だったが僕の方はあまり記憶がない。新手のナンパであってくれるならとおもいながらも聞いてみる事にした。

「どっかでお会いしましたっけ?」

「え! 気づいてなかった? あー、うん、ごめん。なんでもない、気にしないで。初対面だから。」

 初対面の人がとる行動ではない。失礼だと思いながらも彼女の顔を覗きこむ。……なんとなく記憶にある顔だと認識できた。

「あ、あの…… もしかしてティナさん?」

「あちゃー、ばれたか。気付かれてないならその方がいいと思ってたんだけどなあ。」

 ティナさんというのは僕が少し前にお世話になったデリヘル嬢だ。

「今、仕事終わりですか?」

「うん、さすがに週末ともなるとね。結構ひっきりなしに指名が入るのよ。ほら、アタシこんなに美人だしそれなりに人気ものなのよ。それよりも君の方こそこんな時間まで何してたの?」

 そういわれて、僕は何もすべてを話す必要なんてなかったのだが、不思議とお金で関係を持ったと言えども、深い関係になった相手というのはなぜか心を許してしまいがちで、僕はボランティアのことなどをすっかり話してしまった。

「ふーん、君も若いのに大変なんだね。アタシもさ、以前親の介護をずっとしていたことがあるからなんとなくわかるんだ。」

「へえ、そうなんだ。なんか意外だな。」

「こう見えても以前はふつーのOLやってたんだよ。でもね。アタシの両親は離婚してて母親とはもう連絡がつかないんだ。どこで何やってるか全然分からない。そんななか親父が事故に遭って体が不自由になっちゃってさ。その介護のために休職していたんだけど回復の見込みもなくて会社からは辞表を出してくれって言われちゃってさ。それからはもう大変。借金しながら内職で食いつないでいたから…… 親父がさ、死んじゃった時、実はホッとしちゃったんだよね。ああ、これでようやく楽になれるって…… アタシ、ヒトとして最低だよね。親父はずっとひとりでアタシのこと育ててくれてて、それで無理しすぎて事故にあっちゃったっていうのに、アタシはそんな親父が死んだ時に喜んだんだよ……

 でも、それもつかの間。親父が死んでアタシには家族も仕事も何も残されてはなかった。残ったのは膨らんだ借金だけだった。今更いい就職先なんて見つからなくて、それで風俗の世界に……」

「な、なんか大変だったんですね。すいません。なんか僕、何も知らずに……」

「ああ、やめてよそんな言い方。別にいやいやこの仕事に就くしかなかったとか、そういう話でもないんだから…… 普通の仕事だって一生懸命やれば借金ぐらいどうにかなったかもしれない。でも、アタシはてっとり早く借金を返したくてこの道を選んだわけだから。

 アタシね。別にこの仕事、そんなにいやじゃないのよ。でも、周りの目とかもあって踏み出せなかった仕事も借金とかで自由なコト言ってられないって思った時、ようやく踏み出す勇気が生まれたのよ。変なものね。お金の自由が無くなった途端、アタシは自由になれたんだよ。

それにね、この仕事って、たとえ一時的なものであっても誰かの幸せには貢献できている。そういう仕事だって思ってるから…… あと、アタシはこの仕事、結構向いているんじゃないかなと思うわけよ。ほら、アタシってこの通りなかなかかわいいじゃない?」

「……」

「そこは『はい』って言っとけよ。まあ、おかげでなかなか人気もあるし、借金も全部返せたし、今じゃしばらくは遊んで暮らせるくらいにお金もたまってきた。」

「お金をためて何かやりたいことがあるんですか?」

「……それがないのよね。お金に自由はできてきたっていうのに、そしたら今度は何をしていいかがわからなくなったの。まあ、まだしばらくはこの仕事を続けていくつもりよ。だから何かあったらまたアタシを指名してね。」

 

 僕は言おうかどうしようか迷っていた。でも、彼のことを思えばどうしても聞いておかなくてはならないと思った。

「なあ…… ティナさんの仕事って……」

「なに?」

「い、いや……」

「なによ、言ってみて。」

「あ、ああ、うん。その…… 相手が首から下の動かない患者でも可能なんだろうか……」

「あ。……ああ、なるほどね。たしかに普通の人なら無理かもしれないけれど、アタシならいけるかも…… 自分のことを特別だっていうわけではなくてアタシ、介護の経験とかあるから、普通の人よりはそういうことに関して上手くできるかもしれない…… もし、その気があるなら指名して……」



 数日後、伏見さんと僕が二人っきりになった時、伏見さんはまたあのキャバクラに行かないかと誘ってきた。

「いくらなんでもあの店、高すぎじゃないか?」

「金ならあるんや。せっかくの金、なんか有意義なことに使わんとあかんやろ。」

「あれが有意義な使い方か…… いや、そんな金があるなら……」


 ―――デリヘル呼んでセックスしないか?



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