第19話 キャバクラデビュー

キャバクラデビュー


 

 ある時、ボランティアをしてくれていた子が就職活動に専念したいという理由でボランティアを離れた。その時のボラの人数はギリギリで回していたため、正直かなりの負担があった。


秋も深まり寒さが骨身にしみるころ。骨と皮しかない伏見さんのボランティア活動は困難を極めていた。

 僕らは新たなボランティアを確保するため、市街地に出てボランティア募集の活動を行った。伏見さん自らも車いすに乗って参加したが、なかなか新しいボランティアは見つからなかった。日々の少ない人数で回すハードなボランティア活動に加え、新規ボランティア募集のための活動でストレスと疲労は限界に近かった。これといった成果もあげられず、現地で解散することになり、僕は車いすの伏見さんを連れて自宅まで送り届けることになった。

 帰り道、すっかり日が暮れはじめ、少しでも早く帰りたい僕らはなるべく近道をするために市街地の裏路地を突っ切ることにした。そこはいわゆるネオン街で営業時間の早いお店にはぽろぽろと看板に電気が付きはじめていた。

「なあ、崇。ちょっと寄っていくか?」

 と伏見さんは言い出した。

「金のことななら心配せんでもええ。ボクがおごったるさかい、そんくらいはもうけてるがな。」

 事実。伏見さんはそれなりに稼いでいる。少なくとも僕のような貧乏学生なんかよりも羽振りのいい生活ができるまでには公演やらなんやらの稼ぎがあり、正直自腹ではなかなか行かれそうもない高級店に入りたそうにしている伏見さんの誘いは魅力的だった。

「少しだけですよ。」

 と、その言葉でまるで子供のような笑顔になった。


 まだ夕方の六時ということもあり、店内に客はだれ一人いなかった。僕は正直その状態に安堵した。人の多い中、こんなへんてこな生物を連れて回ればどうしたって目立ってしまう。中には酒に酔ったガラの悪い奴でもいれば奴らの矛先がどこに向かうかしれない。

ボックス席に通され数分したが、誰もキャストが付く様子がなかった。他に客もいなければキャストがいないわけでもないが、おおよそのことは想像がつく。扱いなれない筋ジストロフィーという珍客の突然の来店により、急きょ作戦会議が行われているのだろう。まあ、それなりの高級店ではあるようだし、追い返されるということはないだろう。ここはお手並みを拝見させていただくというのも悪くない。

僕は伏見さんを車いすからソファーに移し、上着を脱がせて二人ならんで座って待機していた。

しばらくしてテーブルに三人のキャストが付いた。二人は見るからに新人そうな様子だったが、ひとりはとてもきれいな人で、安キャバクラにいるようながさつで品のない様子は微塵も感じられない。いたるところから気品があふれ、洗練された色気があった。〝星野キララ〟というあからさまな源氏名にも引けを取らない彼女がまず、迷うことなく伏見さんの隣についた。本来ならば僕と伏見さんの間あたりに一人座るものなのかもしれないが、あいにく僕も彼の隣の席を誰かに譲るつもりはない。伏見さんを僕とキララさんが挟み、その僕の隣に新人キャストが二人並んで座った。初めのうちは戸惑っていた様子のキララさんではあったが、さすがはプロといったところだ。伏見さんの表情をくまなく伺いながら、絶妙なタイミングでグラスを両手に持ち、伏見さんの口元に運んであげる。

「おい、崇。お前も遠慮せずに飲めや。まさか未成年やからなんて遠慮してんちゃうか?」

「ちがうよ。僕が酔っぱらって帰り道でふらついてあんたをおとしたら洒落にならんだろう?」 「お前は相変わらず心配性やな。酒で落とすと書いて洒落や。そんくらいでボクは怒らんで。」

「そんなんじゃオチはつかねーよ。」

気分も乗ってきて大いに調子に乗ってきた伏見さんだったが、思えば話し相手をしてやっているのはほとんどが僕だった。みんな彼にどう接していいのか未だよく掴めていないようだった。特に伏見さん得意の〝自虐ネタ〟の評判は悪かった。いつものヘルパーさんたちなら笑ってくれるのに、誰一人ピクリとも笑わない。なんなら引きつっていた。

そしてすっかり酒が廻りいい気分になってきた伏見さんはキララさんに手を伸ばした。なにかを察知したであろうキララさんはその手をそっと両手で包み込むように握った。

「なあ、キララちゃん。」

「なんですか。」

「ボクみたいな生き物ってどう思う?」

「どうって、すてきな方だと思いますよ。」

「そうやなくってな、我慢すれば恋愛対象に見たりできるんやろか?」

「我慢しなくても恋愛対象ですよ。」

「ほんまか?」

「本当ですよ。」

「じゃ、じゃあ、いくら払ったらヤラしてくれる?」

「え?」

「キララちゃん。いくらお金払ったらボクとセックスしてくれますか!」


 ―――この色ボケジジイが何を言い出すのかと思いきや……


 僕はこの色ボケ親父になにかツッコミでも入れてやろうかと行動を起こそうとしたところで、キララさんが片手を下の方で伸ばし(それは伏見さんからは見えない位置)僕の動きに待ったをかけた。その手をもう一度伏見さんの手に戻して言った。

「伏見さん。こういうお店はねいくらお金を払ったとしてもセックスはしないんですよ。ココはセックスをする場所ではなくて恋愛をする場所なの。」

「そうはいっても恋愛とセックス同じもんやろ。」

「そうね。おんなじものよ。だから恋愛をつないでその先にセックスがあるの。恋愛を踏まえずにセックスしても、それはセックスとは言っても別のセックスなのよ。だから私たちは誤ったセックスをしないためにも、お金ではセックスしないの。」

「うーん、そうかぁ。ほな、ここは諦めるしかないなあ。」

 色ボケジジイもどうにか納得した様子でお会計を済まし、店を出る段になった。

 僕が伏見さんの上着を手に取ろうとした時、キララさんは素早くその上着を掴み、伏見さんに着せようとした…… が、やはり慣れていないせいもあり、袖口から上手く手が出せずにかなりの時間がかかってしまった。折りたたまれていた車いすにも手を触れようとしたが、何をどう扱っていいのかわからずじまいでオロオロとしながら僕の作業を見守るに至った。

帰り際にキララさんは

「また、いらしてくださいね。次の時までには車いすのたたみ方くらいはマスターしておきますから。」

 と言っていた。やはりプロだ。


 それなりに満足していた様子の伏見さんではあったが、帰り道の途中でこんな会話をした。

「飲み物の飲ませ方…… ありゃあダメだな。ウチのボラでもあんな下手なやつおらんで。あれならお前らほうがよっぽどええ仕事できてるわ。」

「そう言うなよ。あんな仕事は特別オプションだぜ。普通の客にはあそこまでしてくれないんだからな。」

「でも、あれだ。あのいちいちグラスの水滴を拭いてくれるのはすごいな。あれ、うちのボランティアにも採用したらどうかな?」

「その提案したらきっと殺されるぞ。」

「そうか…… ほなやっぱりああいうお店はプロなんやなー。しかしいくらなんでもあれだけ飲んだだけであの値段は高すぎんか?」

「高すぎるよ。そんな金があるなら僕らに少しぐらい回してくれても罰は当たらない。なにせ僕たちはタダでやってるんだからな。」

「ほんまやなー 感謝してるでー。」

 それきりしばらく伏見さんは黙り込んだ。てっきり僕は話したいことは全部話しただけだと思っていたのだが、どうもそうではなかったようだ。次の言葉を言うべきか言わざるべきかを考えていたのだろう。

「なあ、崇…… お前…… セックスしたことあるか?」

「あるよ。」

 当時僕は19歳だったし、今更恥ずかしがることでもないと思い、正直に答えた。

「ボクはまだないねん……」


 それは正直意外だった。それまでに僕は伏見さんが若いころ施設でそれに類する行為をしていたという話を聞いていたため、勝手に経験があると思い込んでいた。彼が言うにはやはり障害者同士で本番行為というのはかなり難易度が高いらしい。介添えでもあれば話は別だろうが、あいにく日本ではなかなかそこまでしてくれる人はいない。僕にしてもきっとそうだろう。伏見さんが障害者の恋人を連れてきて「今からコイツとセックスしたいからお前、手伝ってくれ。」なんて言われても、さすがにはいそうですかとは言えないだろう。せめて伏見さんだけならともかく、その相手の女性まで僕が手助けしなければならないのだ。だから伏見さんがセックスを経験するためには健常者の恋人が必要だということなのだろう。だが、やはりそれも正直難しいことだと言わざるを得ない…… それを考えればさっきキャバクラで言っていたあの発言もあながち冗談ではなかったのだと気が付かされてしまった。


「……ああ、ボク。一生このまま童貞なんかなあ? ああ、死ぬまでには一回でいいからセックスしたいなあ……」

 僕はそれ以上返す言葉を持ち合わせていなかった。



 きっとそんな会話をしたせいだろう。彼の家に帰り、深夜をまわった頃に吉澤さんががやってきて交代することになった。吉澤さんは僕とも少し話をしたかった様子だったが、僕はある理由から少しでも早く家に帰りたいと思ってすぐさま帰宅することにした。軽く汗を流してから電話を一本かけ、近所のラブホテルに移動した。

 

 デリヘル嬢としてやってきたのは色白のかわいらしい子だった。〝ティナ〟と名乗る彼女の名はもちろん源氏名だろうが、本人は実際クオーターらしく、ティナという名がよく似合っていた。テクニックもサービスもなかなかのもので、ぜひ次回からは指名したいと思った。

「ねえ、プラス3000円で本番してもいいよ。」

 と彼女は言った。それにしてもプラス3000円とはなんと良心的な価格だろうか。まあ、おそらくこのプラス料金は事務所に申請するものではなく、100パーセントが本人の懐に入ると考えれば割としてはいいのかもしれない。

 そしてその日はいろいろ疲れていたこともあったと前もって言い訳させてもらい、あっという間に果ててしまった。

「まだ時間あるけど、もう一回する?」

 彼女は口を使って色々頑張ってくれたが、やはりたまった疲れのせいか再び下腹部に元気を取り戻すことはなかった。これでトータル2万円以上払うのはもったいないような気がするのだが、それでもさっきのキャバクラでお話をして酒を飲んだだけでもっと高い金額を支払っていたことを考えればやはり安いものである。




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