第7話 伏見一輝の初恋

伏見一輝の初恋



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 伏見一輝がはじめて恋をしたのは中学三年生の時。相手は同じクラスのクラス委員長を務めていたしっかり者の女生徒だったという。正義感の人一倍強い彼女は車いすの伏見に対しても分け隔てなく接してくれていた。他の生徒の誰もがそのみじめたらしい男と関わりあおうとはしない中、ただ一人心優しく接してくれた女生徒だった。移動教室の時などは率先して車いすを押してくれた。自然と二人は共に過ごすことが多くなった。やがてクラスの誰かが二人は付き合っているのだとささやき始めた。別段そのことを苦に想うことはなかった。そのときすでに伏見の心には恋心が芽生え始めていたからだ。

 ある日伏見はその想いを伝えようと決心していた。いつも彼女が教室に最後まで残っていることを知っていた伏見は放課後、一度教室を離れてしばらく時間をつぶし、再び教室に舞い戻ろうとした。教室の少し手前まできたところで彼女の声が聞こえてきた。教室には彼女と、まだほかに数人の女子生徒が残っているようだった。伏見は少しばかりの時間、陰に隠れて彼女以外の生徒が帰るのを待つことにした。

 静かな放課後の教室には黄金色の日が差し込み、彼女とその友達との会話がワルツのように響いていた。必然。その会話に耳を澄ませる。


「ねえ、アンタさぁ。伏見のことが好きなわけ?」


 思わず交される自分の会話にかたずをのみ込み、さらに気をひそめて耳をそば立てた。


「えー、なんでそうなるよ。」

「だあってアンタ最近いつもあれと一緒にいるじゃない?」

「だからってなんで好きとかそうなるわけ? みんな乙女なのね。」

「アンタはそうじゃないの?」

「わたし、そんなことに気を遣ってる余裕なんてないのよ。わたしたちも今年受験でしょ? ほら、あれを大事に扱っているところ先生にアピールしてたら内申書によく書いてもらえるじゃない?」

「えー、なにそれ? 本当にそんな理由?」

「そんな理由って…… 大切な事でしょ。わたしだって生きることに必死なんだから。できれば推薦で進学決めたいしさ……」

「そう…… 何だごめん、好きとかなんとかいい加減なコト言っちゃって。」

「もう、ほんとそうだよ。だいたいあんなキモイ物体を好きになんてなるわけないじゃん。」

「あはははははー、それはいーすぎー」


 予想もしていなかったことを聞いてしまった伏見は思わずその場から逃げようとした。

 慌てて方向を変えようとしたせいで車いすの角が教室の戸にぶつかり、ちいさな音が鳴った。

 放課後の教室に、そのちいさな音は、決して小さくはない響きをもたらした。その響きは教室の彼女たちの会話に静寂をもたらした。だれかの「ちょっとみてくる」という言葉に伏見は戦慄したが、車いすの伏見は逃げることも、隠れることもできなかった。ただただ教室から廊下へと歩いて出てくる女子生徒の上履きと床とがこすれてキュッキュッと鳴るのを怯えて待つしかできなかった。

 その様子を見に来た彼女はそこにいた伏見の姿に息を呑んだ。後からついてきた女生徒の一群にいた委員長は目をうるうるとさせながら近づいてきた彼女は、謝るでもなくこう言った。

「ねえ、さっきの話誰かに言ったら階段から椅子ごと落としてやるからね」


 次の日。彼女は何事もなかったように伏見の車いすを押してくれていた。今までと何ら変わることなく、優しく微笑みかけてくれた。しかし、もうその微笑みに心をときめかせることはなかった。そのまま卒業のその日まで彼女は伏見の世話を焼き、見事に推薦で高校進学を決定した。


 おそらくこの出来事がきっかけで伏見は高校に進学することをやめたんじゃないかと僕は思っている。だが、そこは男のプライド。母親の近くにいてやるなんて言ったのだと思う。

しかしながら当時の伏見よりさらに大人になっている僕に言わせてもらえば、その委員長は本当は伏見のことが好きだったんじゃないかとも思う。思春期の女子生徒同士の会話の中で見栄を張ろうとした委員長がつい、強がって言ってしまた一言をバツ悪く伏見に聞かれてしまって、彼女は目を潤ませたのではないだろうか。

そのことを理解できなかった伏見はやはりまだまだ幼かったということだろう。あるいは僕自身、いい年しながらも未だ女の腹黒さというものを理解しきれていないだけの話なのかもしれないが……


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