第1話 幼馴染が書き残したもの
健康な体にもかかわらず、動いてはいけないというのは苦痛なことだ。
医者には「絶対安静」と言われ、その場で入院することになった。
職場に連絡を入れ、平謝りをしたら「そういうことなら仕方ない。」と、あっさり了承され、それからというもの、病院の堅いベットの上で一日中テレビを見て過ごす毎日。
わたし自身、いたって健康そのもので、動くなと言われてもそれがただの苦痛でしかありえない。
かろうじてトイレに行くことは許されている。
それを口実に、たいして我慢が出来ないというほどでもないが、いちいちトイレに立ち歩いている。
健康体にもかかわらず、体中につながれたチューブの先には点滴がぶら下がって、それを持ち歩いてのトイレ。その姿をトイレの大きな鏡で見ると、自分が病人に見えてきて、気分がげんなりする。
できることならこのままどこかに出て行きたい。
だが、それはきっと許されない。健康体だと思っているのは所詮自分だけなのだから。
「はあ―――。」
と深い溜息を吐いて、それからまたあの堅いベッドの上に帰る決心をして、今来た廊下を再び歩いていく。
途中、談話室の前には雑誌の置かれたラックがある。そこからめぼしい雑誌を暇つぶしのために病室に持って帰ることは許されている。
が、ほとんどの雑誌はもはや隅から隅へと読みつくされた。
仕方なしに、普段は全く活字に触れないはずのわたしが隅に置かれた文芸書の方に目をやった。
そこに並ぶ著書の中、聞き覚えのある本…… というよりは聞き覚えのある著者名を見つけた。
〝加藤(かとう) 崇(たかし)〟
その名はわたしの幼馴染で、そして大学時代の先輩で…… いろいろと思い出深い人物だ。
大学時代、彼は確かにいつかは本を書きたいと言っていた。
そして大学を卒業後しばらくしてから実際に出版したのだということは風のうわさでは聞いていた。当時は少し興味もあって、近所の本屋や図書館でその本を探してはみたもののついに発見することはできなかった。本気で捜していれば見つけることもできただろうけれども、当時のわたしにとって、それほどに重要なことでもなく、むしろあまり重要視すること自体、後ろめたささえ感じてしまう出来ごとだった。
しかし、こうして偶然にも、このタイミングで巡り会ってしまったのだ。
聞いたこともないような出版社。もしかすると自費出版かもしれないと思った。
彼は決して文才があるとは思えない人物。どうしてもこの話を世に出したいと、自費出版をしたということも考えられなくはない。
そんな希少な書籍がこんなところにあるというのは、やはりここが病院という場所なのだからかもしれない。
つまり、この書籍に書かれていることはやはり、あのことだということだ。
病室に帰り、堅いベットの上で本を開く。
ノンフィクションの手記。とあり、その本の書き出しは、
『この物語は私からしてみれば、美しい恋愛ストーリーである。』
となっている。その物語は確かにわたしにとっても美しい恋愛ストーリーだと言える。
彼、加藤崇と再会したころに想いを馳せる。
それは中国地方の郊外、とある大学に入学したばかりのことだった……
わたしの入学した大学は郊外の山間部に囲まれた小さな町にある。他の都市部とは離れていて、ちょっとした街に出かけるには一時間以上かかる。冬になると雪も積もる。したがってこの街はどちらかと言えば隔離されている印象を受け、それに伴い、比較的ほとんどのことが町内で賄える。小さいなりにショッピングモールもあれば図書館もある。医療施設は充実している方だし、大学もあるので比較的に居酒屋やカフェも多い。残念なことと言えば映画館がないことくらい。
そんなこの街の地理は少し過去にさかのぼるとよくわかる。元々が隔離病棟、結核患者や、らい病患者のための施設が多くあったこの土地は時代の流れと共にそれらの施設を閉鎖して、替わりにグループホーム(障害者の生活施設)や、老人ホームへと姿を替え、それを基盤に町が出来上がっていった。
そんな町に唯一ある大学がわたしたちの通う大学だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます