◇5「自由へのブルース」

「ちょっと! こんなとこでいつまで待たせんのよ」

 僕の横で京香が腕を組み、あからさまにイライラした調子で男に怒鳴る。

 ここは城の敷地の端っこらしい。金網のフェンスがあり、その向こうの坂を下った所には道路が伸びている。

 ここから車にでも乗せるんだろうか。しかしフェンスには扉らしいものもない。そのフェンスを背に、黒服の男二人に囲まれている。不良に絡まれているようで居心地が悪い。

 さっさと追い出してはまた戻ってくるかもしれないから、フィオを連れ出すまでは見張っているつもりなんだろうか。

 もちろんこのまま開放されても、すんなり帰るつもりはないんだから彼らの対応は正しいのかもしれない。

 だけどこのままじゃ、フィオが連れて行かれるのに指を咥えているしかない。せめて、今フィオがどこにいるのかだけでも分かれば……。

 僕の焦りを見て取ったのか、男はニヤリとした笑いを浮かべる。

「ここで開放はしないぞ。お前達には娘とは別の船に乗ってもらう。どこかの島で降ろしてやる。運がよければそこで新しい生活ができるさ」

「はあ!? 何言ってんの?」

 京香が呆れた声を出すが、男の次の動作はそれが冗談ではない事を物語っていた。

「嫌ならそう言ってくれ。逃げられるくらいなら、ここで殺しておけと命令されてる」

 そういって内ポケットから、黒い鉄の塊を取り出した。京香が息を呑む。

 僕も執筆の為に何度も資料で見て知っている、が間近で見た事はない。拳銃……、ピストルだ。

 火薬の炸裂する力で鉛の弾を飛ばし、銃筒の内側に螺旋状に刻まれた溝に沿って飛ぶ事で回転力を生み、威力と正確性を上げる。これはロシアの軍用拳銃マカロフという型で、第二次世界大戦後、戦前からの軍制式であった大型拳銃――暴力団がよく使っていた事で有名なトカレフの後継型だ。

 八発プラス薬室に一発、計九発まで装填可能。でもこんな所で持ち歩くなら薬室には装填していないのではないか。八発撃たせれば活路はあるだろうか。

 それにこれはオートマチック拳銃。国内で発砲するには不向きだ。撃つと火薬の入っていた筒、薬莢が飛んで証拠が残り易い。リボルバーの方が、後で薬莢を回収してなくて済むから便利ですよ、と教えてあげた方がいいのかな?

 テンパったのか、作家の習性なのか、思わず場違いな分析をしてしまう。

 もう一人の男も拳銃を取り出す。

「な、何よ。こんな所でピストルなんて撃ったら、警官が来るわよ?」

「ここに?」

 男はおどけたように手を広げ、それに合わせるように僕も周囲を見る。

 海に面した開けた空間。陸は城がかなり広い面積を占めている。これは全て神無月の敷地だ。

 港の少し離れた所ではクレーンが貨物船にコンテナを積んでおり、時折大きな金属音が鳴り響く。豆鉄砲の音がした所で誰も気づきはしないだろう。

 この連中だって死体を船に乗せるより、自分の足で歩いてくれた方が楽なんだ。言う通りにしていれば撃ちはしない。でもそれじゃあ、フィオを助けられない。

 何とかできないか、と周囲を見渡す。

 道路にはジープが一台停まっている。屋根のない、オープンタイプの車だ。あれで逃げられないだろうか? でも道路に下りる道がない。フェンスは乗り越えられない事もないが、そんな事をしても黒服に引きずり落とされるだけだ。

 それに、まずフィオを見つけない事には意味がない。僕達がここで待たされているという事はフィオを先に船に乗せるつもりか。僕達の船の出航は後か、まだ着いてないんだろう。

 僕は城の前に広がる平原に目を凝らす。

 視力は眼鏡で補えるが、暗いのはどうにもならない。でも平原に人の塊のようなものが見える。フィオ連行御一行様だろうか。

 その黒服が集まっているような塊から、ぽんと黒い影が飛び出す。

 また一つ。まるでノミが跳ねているようだ。

 そしてその人だかりの中心にいる小さな白い影は……、

「フィオ!?」

 僕が叫ぶと、京香も男達も目を凝らす。

 明らかに暴れている。大の男達が、小さな女の子一人に次々と吹っ飛ばされている。

「どうなってんの? 本は持ってなかった筈なのに……」

 怪訝な顔をしている京香に、呟くように言う。

「僕の携帯を渡したんだ」

 ホシローはちゃんと届けてくれたようだ。

「僕の書いた……、WEB小説」

 あの子の、フィオーリの事を書き綴った、世界に一つしかない小説。

 本の中に登場する主人公に――今までに読んだ事のあるキャラクターに、自在に変身する事ができるスーパーヒロイン。

 ……若干事実より脚色してあるんだけど。

 無双少女は迫りくる黒服をなぎ倒しながら、少しずつこちらに近づいてきている。

 黒服の一人が押さえ込むようにフィオにつかみかかる。だが、黒服の体は引き剥がされるように吹っ飛んだ。ほとんど密着した状態から、物凄い打撃を叩き込んだようだ。

「それで……、いったい何になってるワケ?」

「あちゃ~~~!!」

 フィオはポーズを決めて怪鳥音を発する。

「いや、分かったわ」

 京香が納得しているとザリッとノイズ音がする。目の前の男達が無線を取り出した。

「いや、しかし……こっちも見張りが……」

『こっちが最優先だ! いいから手を貸せ!』

 無線機から、僕らにも聞こえるような声が響く。

 男達は僕らを一瞥し、納得いかない様子だけど指示に従いフィオの方に向かう。

 フィオを取り囲む男達も堪らず拳銃やらスタンガンやらの武器を取り出した。

 フィオはどこからともなく取り出したヌンチャクで、それらを全て叩き落とす。

 風を切る音を立ててヌンチャクを振り回し、脇に挟んでビシッと決める。

 男達はじりじりと周りを回るように取り囲み、フィオは体を大きく開いて全方位に注意を向ける。

 どこを見るという事もなく、右に視線をやり、ゆっくりと左に動かす。

 フィオの死角、後ろにいた男が飛び掛かる……がフィオはすかさず反応し、ヌンチャクを顎に叩き込んだ。

「あちゃっ!」

 次々と飛び掛ってくる男達を、ヌンチャクを右へ左へと華麗に振って倒していく。

 男達も単純な攻撃は続けない。フィオが何人かを倒した時、その隙を突くように前後から二人同時に飛び掛かった。

「ほぁちゃっ!!」

 フィオは脇に挟んだヌンチャクを引き抜く力で、前方の敵に居合い抜きのような最速の攻撃をぶち当てる、と同時に跳ね返った反動を利用してそのまま背後の敵を打ち倒した。

 加勢に駆けつけた二人の男は、それを見て距離を保ったまま拳銃を構える。

 手足を撃って動きを止めようとでも言うのか。怪我をさせたりしたら厳罰かもしれないが、逃がしたらそれどころではないだろう。本当に撃つかもしれない。

「フィオ!」

 僕は思わず叫ぶ。

 だが次の瞬間、風を切る音と共に男達の手から拳銃が離れた。

 更に続けざま二閃。鋭く放たれた矢は男達のズボンのベルトを千切り飛ばす。男達のズボンがズリ落ち、足をもつれさせて倒れた。

「メアリ・グリードか」

 フィオは近づきながら矢を射続け、男達を地面に張り付けにしていく。

 そこへ更に人がやって来た。黒服にしては小さい体をしたその影は惨状を見て怒鳴る。

「何をやっているんだ! お前ら」

 リオンが騒ぎを聞きつけて外へ出てきたようだ。

「あたし、あのジープを動かしてみる。坊やはフィオちゃんをお願い」

 京香が金網フェンスによじ登り始めた。

「フィオ! こっちへ!」

 フィオに向かって手を上げ、激しく振り回す。

「させるか! 神王!」

 リオンが叫ぶと城壁の向こうから巨大な獣が姿を現す。その刺々しい体毛に覆われた、ライオンとも虎ともつかない獣は、大きく弧を描いて宙を跳ぶと、石垣の前に着地した。

 力強く地面を踏みしめたかと思うと、天に向かって大気を震わす咆哮を上げる。

 僕は耳を押さえた。

「構わん。少しぐらい痛めつけてもいい。絶対に逃がすな!」

 まずい。たとえフィオがウサイン・ボルトの自伝を読んでいたとしても、ここまで走るよりも早く神王に追いつかれる。

 かと言って矢で対抗するのは無理だ。神王のあの巨体では針を刺すようなものだ。余計怒らせる事はあっても撃退する事はできないだろう。

 だがフィオは、臆する事無く神王を睨み返している。

 神王は伏せるように体を低くすると、その反動を使うように大きく飛び上がった。雄たけびを上げながら、爪、牙と同時に振り下ろす。引っ掻き、噛み付き、というよりはほとんど体当たりだ。体ごと、小さなフィオに向かって飛び掛かる。

 何が少しぐらいだよ。逃げて! と叫びたかったが、それよりも速く神王の胸元に、細く、鋭利な物が突き刺さった。

 その細長い物は槍。フィオの身長の三倍はあろうかという長い槍だ。

 しかしフィオの小さな体では、全体重を乗せた神王の落下は止められない。フィオは力に逆らわず、槍の刃先とは反対側、石突(いしづき)と呼ばれる槍の尻を地面に突き立てる。槍は神王と地面の間に挟まった形になり、大きくしなる。

 だがそれでも折れない槍は、その反動のままに神王の体を押し返した。

 城の方へ押し返され、地面に爪跡を残しながら踏ん張る神王は、怒りの咆哮を上げた。

 フィオは槍を振り回し、演舞のような型を披露すると、ビシッと神王に向けて構えた。

「兵器の王?」

 人の魂で鍛え上げた。邪を裂き、鬼を突く破魔の槍。多くの命と願いを糧に、長きに渡って魔物を打ち倒してきた。使う人の魂を喰らって魔を滅ぼす悲しき運命を背負った槍。

 フィオは怒りのままに襲い掛かる神王の攻撃を槍を振るって迎撃する。

 振り下ろされる爪に槍を刺し、石突を地面に立てる。とてつもない重量差の攻防なのに、フィオはまったく引けを取らない。それもそのはず、神王は地面から突き出ている槍に自らの手を突き刺しているようなものだからだ。フィオはそれに手を添えているだけだ。

 だがフィオの体が小さくて、自分が圧倒される事に納得がいかないのか、神王も攻撃の手を緩めない。右へ左へとけん制するように動きながら攻撃するが、全て槍で迎撃された。

 前方広範囲から攻撃されているというのに、フィオの手元はほとんど動いていない。

 槍のしなる力を利用して、必要最低限の動きで全て捌いている。まるで攻撃の来る方向を全て予測しているかのような、流れるような動きだった。

 大振りな神王に対して、力をほとんど使わないフィオ。次第に神王の動きが鈍くなる。フィオはその隙を逃さず槍を閃かせる。

 喉に、目に。相手の攻撃の隙を縫って攻撃を加えていく。

 神王は望まずともじりじりと後退する。

 時折怒り任せて大きく飛び込もうとするが、カウンターの格好の餌食となった。

 神王の尻尾が城の石垣に届く。

 フィオは槍の中ほどをつかんだ左手を前に突き出し、槍の後方を持った右手を大きく回す。それぞれを支点、力点にテコの原理で槍の先端が大きく円を描く。手元は小さな円運動だけど、槍の切っ先は大きく強く動き、正確に両目、両前足を凪いだ。

 堪らず大きく体を仰け反らせる神王の肩を、フィオは渾身の突きで貫く。勢いをそのままに、槍を背後の石垣に突き刺した。

 断末魔とも怒りの声とも言える咆哮を上げ、神王は暴れたが槍は抜けない。フィオは神王を石垣に縫いとめたまま、僕の方へと走ってきた。

 あまりの強さに呆然と見惚れていたが、はっとなってフィオを迎える。

 フェンスを越えさせないと……。僕が踏み台になろうか、それとも下から押し上げようか。と考えているとフィオは僕のズボンをつかんで跳躍した。

 悲鳴を上げる間もなく僕の体は宙を飛び、フェンスを越えて斜面に落ちる。

 そのまま斜面を転がるように落ちて、ジープに頭をぶつけると目の前に火花が散った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る