◇3「少女の真実」

「不法侵入だぞ。このまま警察に引き渡してもいいんだが……」

 ボサボサの髪でぶすっとした顔の京香と引きつった顔をした僕の前で、童顔の男リオンは比較的マトモな事を言っていた。

 僕達は黒服に連行され、城の中に通された。畳や板間があるのかと思ったけど、ここはごつごつの土の地面だ。偉い人の住む城というより城塞のようだ。

「ふざけんじゃないわよ。フィオちゃん誘拐した事は分かってんのよ!」

「誘拐とは人聞きが悪いな。ちゃんと折り合いが付いたんだ」

「そんなワケないでしょ。フィオちゃんを出しなさい」

「大人しく帰れば、太りすぎで穴に挟まってた事は黙っててやる」

「な……」

 京香は顔を真っ赤にする。怒りと羞恥心で言葉も出ないようだ。

「フィオに……、フィオに会わせてよ」

 僕は声を絞り出すように言った。

 見た目は僕と変わらなくても相手は大人だ。そんな相手に意見をぶつけるのは僕の得意とする事ではない。

「折り合いがついたんなら……、できるはずでしょ?」

 僕は少し震えながらも言葉を搾り出す。自分よりも強大な相手に正論をぶつけてもろくな事にならない。僕の人生経験はそんな事ばかりだったというのに……。

 リオンはそんな僕を冷ややかに見下ろしていたが、冷めた表情のまま言う。

「いいだろう。会わせてやろう」

「ホ、ホントに!?」

 戦争するつもりで乗り込んできた僕は、あまりに拍子抜けするその答えに唖然とする。

「何企んでるワケ?」

 京香もあからさまに疑っているようだ。

「何も。無理に追い返すより、現実を見せてやった方が手っ取り早いと思っただけだ。しつこく追ってこられてもうるさいからな」

 リオンが背後を促すと、いつぞやの弁護士が姿を現す。

「一つ約束して頂きたい。帰る帰らないは彼女の自由意志によるものとします。無理矢理連れ出すという事はしないで頂きたい」

「当然でしょ。何言ってんのよ」

 京香は何をバカな事を……と呆れ顔だけど、僕の頭には不安がよぎった。

 こいつらはフィオに何か吹き込んでいるのではないだろうか。僕らについて帰ったら、僕達に危害を加えるといった類の脅しをかけられているのではないか?

 こいつらのやりそうな事だ。

「ではこちらへ。持ち物は全てここで預かります。部屋を出る時にお返ししますよ」

 囚人の面会じゃあるまいし……。写真や録音機などを警戒しているんだろう。明らかに怪しいじゃないか。だがここでゴネても余計に拗(こじ)れるだけだ。

 僕と京香は、弁護士の持つ箱に携帯などの持ち物を入れる。

 安心しろフィオ。こいつらがどんな脅しをかけていようと僕は必ず君を助け出す。

 帰らない……と口で言っても、本心かどうかなんてフィオの目を見れば直ぐに分かる。彼女の意思さえ確認できればいいんだ。

 意志を固めて表情を引き締める僕に、不敵な笑みで応えたリオンは重い木製の扉を開けた。

 まるで牢屋だ。こんなとこにフィオを閉じ込めておくなんて。

 軋んだ音を立ててゆっくりと開く扉の向こうに、小さな少女の姿が見えた。

「フィオ!」

 姿が見えるや否や、僕は部屋に飛び込んで彼女に駆け寄る。

 薄暗い室内の真ん中に立つ少女は、僕の呼びかけに全く反応しなかった。

「フィオ!?」

 顔を覗き込むが、フィオは真っ直ぐ前を見たまま微動だにしない。

 僕は思わずフィオの肩に手をかける。温かい、間違いなく人の感触。

「おいおい。お触りは禁止だぞ」

 入り口に立ったままのリオンが面白そうに言う。

「フィオ。僕だよ、多聞だよ。一体どうしたの?」

 フィオを正面に見据え、軽く肩を揺さぶってみる。何も言うなと言われたんだろうか。しかし、目の前の少女からは何の意思も感じられなかった。

 これは……。

「ちょっとアンタ達! 彼女に何したのよ!」

 京香がリオンに向かって怒鳴る。

 薬物か何かを使ったのかと言っているんだろう。こんな事をしてタダで済むと! と怒りを露わにする京香に、リオンは涼しい顔で答える。

「何も。オレはコイツに、『何もしなかった』だけだ」

 石壁にもたれ、ニヤニヤと僕達を見ている。

「疑うんなら血液でも何でも持って返って調べるといい。おい! 採血器を持って来い」

 と部屋の外にいる弁護士に向かって言う。

「それで納得したら、もう二度とコイツには近づくな」

「いや……」

 僕は記憶の糸を手繰り寄せる。前に一度、フィオが今の状態と同じようになったのを見た事がある。

 その時は、確か……。

「本を! 何か本を持って来て!」

 振り返ってリオンに言う。

「読書ならウチへ帰ってからやれ」

「いや、フィオに本を見せてあげたいんだ。僕はフィオが本を読んでいる所を見るのが好きなんだ。だから最後に本を読んでいる姿を見られたら、それで諦める」

 我ながらいい方法だと思ったんだけど、リオンはくっくっと笑いを噛み殺している。

「時間だ。そろそろ出てもらおうか」

「いや、待って!」

 真に受けていないのか!? それとも、こいつはフィオがこうなる事を知っていて?

「だがまあ、そうだな。オレも鬼じゃない。本は見せてやろう。……ただし、お前達にな」

 と懐から青い表紙の古びた本を取り出す。

 あれは……、フィオの本。

 お話じゃないから、あれを奪ってフィオに見せてもダメなんじゃないだろうか……と考えていると、リオンはパラパラとページをめくり、後半の方のページを開いて見せる。

 薄暗い部屋の中、僕はリオンの差し出すページに目を凝らし、そして絶句する。

「……そんな。……まさか、そんな」

「分かったか? 元々コイツは人間じゃない。ただの人形だ。中身がからっぽの抜け殻だよ」

 リオンが示したページには、フィオにそっくりの少女の絵が描かれていた。

「お前だって薄々感づいていたんだろう? この娘の行動や性質は、明らかに常軌を逸していた。もう漫画の世界だろ」

 うう……。

「コイツは本屋の店主、蓮甘が寂しさを紛らす為に作り出した存在だ。だが性格については何も考えなかったんだろうな。だから誰でもない、からっぽの存在が出てきたんだ。それでも蓮甘は娘を願って描いた。オレは地上げをやる時に当然戸籍に穴がないかも調べてるよ。だが戸籍上も間違いなく娘だった。これがどういう事か分かるか?」

 僕は歯軋りしながら、冷や汗が流れ出るのを感じていた。

「この本はただ切り絵のように物体を産み出すだけのアイテムじゃない。そんなチャチな玩具じゃないんだ。蓮甘はこれに『娘』を描いたんだ。だから世間も認める娘が出てきた。これは世界をも変える神の力だ」

 僕はリオンの陶酔したような熱弁をほとんど聞いていなかった。いや、聞きたくなかったのかもしれない。本当は彼の言う通り、僕にも分かっていたのかもしれない。だけど、ずっと頭の隅に追いやっていたんだ。

 一頻り弁を振るったリオンは、落ち着きを取り戻したのか僕の様子に目を向ける。

「なんだ? まさかお前。本気でコイツがお前に惚れていると思っていたのか? 小公女だよ。コイツが読んでいた本に、ただそう書いてあっただけだ。『誰にでも優しく、等しい愛を』ってな」

 僕は頭を抱えるように耳を押さえる。

 リオンは詰んだと確信した棋士のような表情で本をしまう。その時、本の間から何かが落ちた。

 ハラリと落ちたその薄っぺらい物は乾燥した花。僕が前にあげたコスモスの押し花だ。

 ピク……、とフィオが僅かに反応したような気がした。それを見て僕はフィオの体を激しく揺さぶる。

「フィオ!! フィオ!!」

 だがフィオがそれ以上反応する事はなかった。

「無様だな。何なら一晩貸してやろうか?」

 キッと京香がリオンを睨み付け、僕は歯を食いしばってうな垂れる。

 そのまま崩れ落ちそうになった所で、フィオの胸元が動いた。

「ついでに言っておくと、そいつは正式にウチの養子に入る。都合のいい本を与えれば簡単な事だ」

 僕達は彼女の親族でも何でもない。誘拐なら囚われている所を見つけさえすれば何とかなると思っていたのに……。

 このままここにいても惨めになるだけだ。

 僕は頭の中が真っ白になったまま、同じく血の気の失せた顔をした京香に支えられながらよろよろと部屋の外へ出た。

 暗い城の廊下を死刑囚のように無気力に歩いていたが、外へ出て風に当たると少し落ち着きを取り戻した。

 男が二人、乱暴に僕の腕をつかむ。ご丁寧に敷地の外まで送ってくれるようだ。

 引っ立てられるように連れられ、京香が男に罵声を浴びせる。

 僕はフィオを残してきた城を振り返った。僕達が出てきた扉は既に閉ざされ、しっかりと施錠されたようだ。

 腕を引かれながら、次第にハッキリしてくる意識の中で僕は思う。

 一体何をやっているんだ。

 僕は彼女を守るのではなかったか。

 僕の事を好いてくれたのは、本の筋書きをなぞっただけかもしれない。

 でも彼女はどんな人間になっても、僕をそばに置いてくれたんだ。

 メアリ・グリードも僕に乱暴しなかったし、詐欺師も僕を騙したりしなかった。フィオは読んだ本の主人公になりきるだけなんだ。

 彼女の記憶や本質は、何も変わっていない。それなのに僕は、彼女の正体を知って動揺してしまった。

 今まで共に過ごしてきた女の子が偽者だって? ただの人形だって? そんなわけないじゃないか。

 フィオは、ほんの少し出自が特別だってだけの話だ。フィオが外国人だって構わない。どこで生まれたのかなんて関係無い。フィオは、フィオだ。

 どんな事をしてでも取り戻すと誓ったくせに、なんてザマだ。今思えばリオンはワザと僕に挑発的な言葉を投げかけていたんだろう。僕の動揺を誘う為に。

 リオンは見た目僕と同じくらいだが、やはり人生経験では僕よりも上手なんだ。

 完全にしてやられた。……だが、まだ間に合う。このまま敷地から出たら二度とフィオには会えないだろう。

 僕はさっきフィオから乗り移ってきて、懐に入っている星の頭をした不思議生物に手をやり、城の石垣を振り返る。

 石垣の地面に近い所に、格子の入った小さな穴が開いている。当時のままを再現とか言っていても、やはりこういう所は現代の技術だ。フィオのいる場所にも通じているかもしれない。

 僕は意を決し、掴まれている手を振りほどいて城へと走った。

「あ、こら!」

 男もすぐに後を追って走る。大人の足からは逃げられない。すぐ後ろに迫る男の気配を感じながら僕は走った。

 男の手が僕の体に触れる。僕は倒れ込むようにスライディングして、石垣に開いた穴の格子をつかんだ。

「フィオ! フィオ聞こえる? 必ず助ける! だから待ってて!」

 フィオに届けと言わんばかりに声を裏返らせて叫ぶ。

「いい加減にしろ!」

 と大人の力で引き剥がされ、強引に立たされる。

「世話を焼かすな。早く来い!」

 連れられながらも城を振り返り、男に聞こえないような、かすれた声で呟く。

「頼んだぞ。ホシロー」

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