3幕「架空の少女」

◇1「焦燥」

 翌日。少し目に隈を作って、商店街に向かう。

 まだ早朝と言える時間の為、街に人の影はない。商店街も閑散とした様子だ。

 今日は日曜日なんだから当然かもしれないが、それでも不安を掻き立てられるように書店に向かった。

 商店街を中ほどまで歩くが、いつも優しげに開いていた蓮甘書店の入り口は、雨戸を堅く閉ざして沈黙していた。

 呼び鈴もないので軽く戸を叩いてみるが、反応はない。大声を出しては近所迷惑だし……、とおろおろしながら書店の前を行ったり来たりする。

 裏口はないんだろうか。

 建物同士の隙間は開いていないので、裏に回り込むには大回りしなくてはならない。それに女の子の住む家に裏口から忍び込むものでもないだろう。

 帰っているのかな。

 雨戸が閉まっているという事は、一度帰ったという事だろうか? いや、誰かが戸締りをしてくれたのかもしれない。

 天虫なら、代わりに店を閉めるくらいするだろう。

 そうだ。天虫なら何か知っているかもしれない。

 僕は天虫の家でもある商店街の飲み屋に走る。当然こっちも閉まっている。

 呼び鈴があるが、指を当てた所で思いとどまった。

 同じ商店街とは言え、天虫はフィオの肉親なわけではない。僕もフィオとは何の関係もない。なのに無関係な家に朝早く押しかけるなど無礼な話だ。

 でも天虫はフィオの事を娘、孫のように気にかけてくれていたではないか。僕だってフィオの友達なんだ。フィオは友達になりたいと言ってくれたんだ。心配するのが当たり前じゃないか。

 僕は意を決したようにボタンを押す。

 チャイムの音が中に響き渡ったのが分かる、が反応がない。

 さすがに何度も押す事は憚(はばか)られた。書店に戻ろうかと思い始めた時、中からガタッと音がする。

 しばらくして、表の戸が開くと天虫が出てきた。

「おや、多聞くん? こんな朝早くにどうしたんだい?」

 僕は無礼を詫びた後、フィオが帰ったかどうかを聞く。

「昨日は帰っていないよ。フィオーリは身寄りがないだろう? それが面倒を起こしたんだ。このままだと施設に送られるかもしれないねぇ」

 白い顔を更に青くする僕に天虫は言葉を続ける。

「なに、大事にならないのは昨日確認したさ。今日ワシが様子を見に行ってくる。何なら身元を引き受けよう」

 その言葉に少し安心し、改めて押しかけた事を謝る。

「フィオーリの事が心配なんだね。寝てないだろう。すごい隈だぞ」

 と言って天虫は中へ入れてくれる。

「まだ時間が早い。出かけるまで少し休むといい。警察に行く前に起こしてあげるよ」

 と毛布を渡してくれる。僕は礼を言ってお言葉に甘える事にした。

 飲み屋の店内の隅で毛布に包まり、カーテンを少し開けて外を眺めた。

 もしフィオが帰って来るならここから見えるだろう。

 そのまま壁にもたれるように座ると、途端に睡魔が襲ってきた。

 昔、よく両親に連れられてこんな飲み屋さんに行ったっけ。両親は遅くまで楽しんでいたが、僕は大抵先に眠くなってこうして隅で一人寝ている事が多かったな。

 そしてそのまま抱き上げられて家に帰る……。

 そんな事を思っていると、いつの間にか寝入ってしまった。

 コンコン、と硬い物を叩く音で目を覚ますと、ぼんやりとした視界に何かが見えた。

 天虫の店で寝入ってしまったんだ、と思い出すまでの間に意識がはっきりしてくる。

 見えてきたのは丸い大きな玉が二つ、その上に人の頭のような物が乗っているように見えた。

 一向にクリアにならない視界に、眼鏡を外していた事を思い出す。

 眼鏡をかけると、外に京香が立って店内を覗き込んでいた。僕と同じようにフィオが心配で様子を見に来て、僕が寝ているのを見つけたんだろう。

 店内を見回すが天虫は居ない。時間はもう昼を過ぎている。

 僕を寝かせたまま、警察署に行ってしまったのかな。

 起こしてくれればいいのにと思うも、気を使ってくれたのに文句を言うものでもないだろう。

 僕は外に出て京香にここで寝ていた経緯を話す。

「じゃあ、あたし達も行こう」

 でも、店を開けっ放しにするわけには……、それにこの時間だともう天虫がフィオを連れて戻ってくるかもしれないし……と躊躇していると、

「じゃあ、坊やはここで待ってなさい。あたし一人で行ってくるから」

 と勝手に行ってしまう。

 こうなっては付いて行かない訳にはいかない。元々居ても立っても居られなくてここに来たんだ。

 最寄りの警察署の場所なんて分からないので京香に黙って付いていく。自称雑誌記者だけあってそういう事には詳しいようだ。

 到着すると、そびえ立つ堅牢な建物の前で一瞬躊躇してしまう。僕一人ではとても入る勇気はなかったろう。京香がさっさと中へ入ってしまうので慌てて後を追った。

「だーかーらー。保釈金を払うから彼女を釈放してくれって言ってんのよ!」

 受付に因縁をふっかけるように言う京香から少し離れる。雑誌記者だと言っていたけれど、その辺りの知識には偏りがあるようだ。

 ん? なんだ、どうした? と通りがかった年配の警官が足を止め、京香が同じように説明する。

「ああ、あの子の知り合いか」

 苦笑いする警官に僕達は詰め寄る。フィオを取り調べた人なんだろうか。

「自分をカリブから来た海賊だと言っててな。投獄など慣れてるから何でもないときた。まあ興奮しているんだろうとみて少し休ませていたはずだ」

「あんな小さな子を逮捕拘留するなんて、後で問題になっても知らないわよ」

「逮捕じゃない、保護してるんだ。ただ現場の者が言っていた凶器なんかが紛失して、色々と面倒な事もあってね」

 あんな小さな子が矢を撃ちまくったというのも俄かに信じられない話だ。証拠もないので何かの間違いにしてしまいたいのが本音だけど、一度してしまった報告をどうするかが面倒らしい。

「女の子の方は身元を引き受けてくれる人が来たから帰れるよ。今手続きしてるはずだ」

 天虫だ。やっぱり来てくれていたんだ。

 僕達は一緒にフィオを迎えるべく、警官から聞き出した場所へと向かった。

 警察署の廊下を歩いていると、向こうから天虫が歩いてくるのが見えた。

 無機質な建物の中に知った顔を見つけて安心する、が何か変だ。

 フィオが居ない。

 天虫は僕達に気付いてはっとするが、すぐ目を逸らすように泳がせた。

 その様子に京香が駆け寄る。

「どうしたんですか? フィオちゃんは? 帰してくれなかったの?」

「い……、いや。ちゃんと家に帰ったよ。もうここには居ない」

 一人で? 僕は言い知れぬ不安に駆られる。

「まさか。……施設に送られたんですか?」

 フィオのお父さんが亡くなって以来、ずっと曖昧なままだったって言うし。この事件を切っ掛けに?

「いや。それは今回の件とは無関係だしね。それに、それも解決するよ」

 と言うも、天虫はどこか煮え切らない。

「じゃあどこ行ったのよ!!」

 京香も興奮した様子で天虫の肩に手をかけて揺さぶる。彼女も恐ろしい考えが頭を過ぎっているんだろう。

 居た堪れない様子で顔をしかめる天虫の懐から封筒が落ちた。分厚い封筒はタイルの床に落ち、開いたままの口からその中身が散乱する。

 小切手サイズの派手な模様をした紙が、廊下に広がった。これは……一万円札。二十枚!? いや、三十枚以上はある。大金だ。

 それを見て、僕と京香は動きを止めた。

 保釈金!? フィオの為に、お金を用立ててくれたんだろうか。きっとそうだ。京香のように、天虫も映画かなんかを見て必要だと思って、そして突き返されたんだろう。そう思いたかった。

 そう言ってほしくて、天虫の答えを待っていたんだけど、彼はのろのろとお札を仕舞い。苦い顔で観念したように口を開く。

「ああ、そうだよ。フィオーリは神無月に引き渡した。これはその礼金だ」

 フィオが読みたがっていたメアリ・グリードの新刊を売ったのも天虫の知り合いだと言う。フィオが待ちきれずに読む事も予想して、小物屋の母子を警察に密告したのも天虫だ。商店街の住人である天虫は、フィオの性癖も行動パターンも知っている。

 ただ連れ去れば誘拐だけど、問題を起こした子を引き取るのなら保護観察の名目で手続きを踏みやすい。神無月の計らいに、天虫は手を貸したんだ。

 僕は目の前が真っ暗になった。

「不法滞在の親子も神無月が計らってくれる事になってる。町民を守る為だ、仕方ないだろ。ワシがしなくても、神無月は親子の事を密告するつもりだったんだ。ワシは会長として数の多い方を救ったんだ」

 だからって……。

 フィオの事もそうだけど、何より信頼していた天虫に裏切られた事の方が大きかった。孫娘のように気遣ってくれていたと思っていた人が、金の為に神無月に売り渡すなんて……。

「どこに!? フィオちゃんはどこに連れて行かれたの?」

「追いかけるつもりか? もう遅いよ。正式な手続きによるものだからな」

「そんなワケないでしょ! 本人の了承も無しにそんな事できるわけないわよ」

 天虫は「もう関係無い」と言わんばかりに開き直るような態度だ。

「フィオは……、あなたの事が好きだったんですよ。それこそ、親のように慕って……」

 天虫はふん、と鼻を鳴らす。

「好きなもんか。あの子は……、ワシの事を虫、虫と。何度言っても止めなかったじゃないか」

 そんな事で……。

「分かってんの? これは誘拐よ! あんな小さな子を奴らに渡して、何とも思わないワケ?」

「なら警察に届ければいいだろう。おっと丁度いいじゃないか。ここは警察署だ。そこで被害届が出せる」

 とぼけたような物言いに京香はかっとなったのか、天虫を突き放す。

「もういい。あたし達だけで探すから! 絶対フィオちゃんを取り戻して見せるからね」

「無駄な事を。今夜にも船に……」

 呟いた天虫に京香が反応し、天虫は「おっと」と口をつぐむ。

「坊や! 行くよ!」

 京香は外へと向かって歩き出す。僕はついて歩きながらも、どうしたらいいか分からずにおろおろするだけだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る