◇8「混乱」
使い慣れた布団の上で目覚めると、のろのろと体を起こす。
僕がいつも目覚めている僕の布団だ。でもなんかしばらくぶりに熟睡したように寝入ってしまった。まだ体がだるい。
商店街に着くと京香が迎えてくれる。
番号を交換した京香から連絡があり、商店街で今後の作戦会議みたいなものをやるのだと聞いた。取材の許可を貰ったので、僕にも声を掛けてくれたのだ。
会議室のような場所でやるのかと思ったら例の広場だ。でもフィオの姿が見えない。
まだ書店にいるのかな? 迎えに行こうとすると、天虫が今は本の買い取りに行っていると教えてくれた。
「前から興味があると言っていた本の新刊を売ってくれると言う人が現れてね。喜んで引き取りに行ったよ」
戻りが遅いが、道草を食って本を読んでるんじゃないかと笑う。確かにフィオなら有り得ない話ではない。
「大体集まったかな。じゃあぼちぼち始めようか」
広場に簡単な料理と飲み物を並べ、皆に配る。
「皆も知っての通り、立ち退き抗争も厳しい状況になってきた。ワシとしてはここいらが潮時だと思うんだ」
天虫の言葉に皆神妙な面持ちになる。会議というより残念会みたいなものか。これからどう戦うかではなく、身の振り方を話し合う会だったようだ。
怪物のせいで町民の安全も保証できないとなると、会長としては辛い決断をせざるを得ないんだろう。
立ち退き条件を少しでも良くする為に団結が必要だ。皆協力してほしいと天虫は呼びかける。
花屋は貸し店舗だからか、既に店を閉めているようだ。
小物屋さんの小さな女の子は、何なのかよく分かってない様子できゃっきゃとはしゃぎ、それを母親が悲しそうに抱き締めた。
「ミーちゃん。転んで怪我をしちゃいけないよ。お母さんに心配かけないようにね」
天虫は思い詰めたように言う。
この母子は旦那さんと小物屋を始めたが、結婚前に旦那さんが亡くなり、母子だけで店を続けている。ここに来て間がないが、旦那さんの意思を継いで店を守ってきたのだそうだ。店が無くなる事は、旦那さんとの繋がりを無くす事になるんだろう。
「店が焼けたと思った時は驚いたな。大した事なかったのに、大騒ぎしちまってな」
気分を変えるように天虫が明るめの声を出し、パン屋のご主人が寄りかかって涙する奥さんにそっと手を回す。
パン屋の火事は実際には壁がコゲただけで、拭いたら元通り。滅多にない火事だった為に、必要以上に事態を大きく見ていたのだろうという事になっているようだ。今では笑い話になっているようで、その時の主人の様子を少し大げさに笑う天虫に、場の雰囲気は少しだけ和む。
「柿崎さん。せっかく真衣ちゃんと仲直りできたってのに、本当にすまん」
普段から物静かなマスターも、より一層沈んでいるように見える。
「タバコ屋のばあさんも、せっかく孫が来てくれたのになぁ」
タカシも孫じゃないです、という顔をするがわざわざ否定する事はしなかった。
皆伝統と思い出のある土地を離れるのは辛いんだろう。
天虫はこれまでの思い出を語る。過去の感謝祭の話題や、大変だった事。どこの息子が結婚して、子供が産まれて、いなくなった者もいる。皆思い思い涙を流しながら聞いた。
僕と京香は所詮部外者だ。無関係の者が一緒になって感傷に浸るのも出過ぎた事だし、かと言ってそしらぬフリもできない。
そんな微妙な空気の中、僕達は目立たないように縮こまっていた。
取材と称してここにいるんだけど、それは他人の不幸を肥やしにしようとしているようで、何だか申し訳ない気持ちになる。
フィオがいれば、もう少し違うだろうか。パン屋の夫婦のように、共に悲しむ絵になったかもしれない。
早く帰って来ないかな。こういう会だったのなら、フィオが参加できないのは些か残念だ。
本当に寄り道して、買い取ったばかりの本を読んでるのかもしれないな。
僕は天虫の話も上の空で、フィオはこれからどうなるんだろう、とぼんやりと考えていた。
突然、広場がざわつき始めたので我に返る。
近づく男達の姿に、一瞬リオンの黒服かと思ったが違った。男達の服は制服、警官だ。
なんだろう。こんな所で集会を開くなと注意に来たんだろうか?
だが警官は全体ではなく、広場にいる特定の人物に近づいていく。それは感謝祭の時にお隣だった小物屋の母子。
警官に質問された小物屋のお母さんは、子供を抱かかえて去ろうとするが、行く手を別の警官に阻まれた。
街の人々が動揺する中、お母さんは日本語でない言葉を叫び、子供が不安に駆られて泣き出す。
不法滞在者。
警官は簡単に説明し、何でもないですと人々を押し退けて親子を連行しようとする。母親は激しく抵抗するも誰も助ける事はできない。手を出せば公務執行妨害なんだ。
なぜ? 今になってこんな……。神無月の差し金だろうか、と思うも僕はどうする事もできず見ているしかなかった。
だが、風切り音と共に警官の帽子が宙を飛ぶ。
なんだ? と警官達が動揺する隙に子供が走り出し、警官が後を追う。
子供は木の後ろに隠れが、警官に追い回され、ついにはその小さな腕を掴まれた。
少し乱暴に引き寄せる警官の腕は、乾いた音と共に木に縫い付けられた。
制服の袖を貫いて木に刺さっているのは、矢? まさか……。
「その汚ねぇ手を放しな!」
どこからか可愛らしい声が飛ぶ。
警官達は何事かと腰に手をやって周囲を警戒し、街の人々は悲鳴を上げて離れる。
声の方を見ると商店街アーチの上でフィオが弓を構えていた。
買い取りに行った新刊って、メアリ・グリードだったのか。
フィオは続けて矢を放ち、警官の腰についている拳銃をホルスターごと千切り飛ばす。
警官達は、一応親子をも矢から守るように物陰に誘導する。
フィオは一回転して飛び降り、着地ざまに後ろを振り返って弓矢を構える。フィオは警官に対し、弓と拳銃を構え合う形で静止した。
警官は襲撃者の正体が子供であった事に動揺したようだったが、ギラリと光る矢尻が本物である事もあって構えた拳銃を降ろすに降ろせないようだ。
武器を捨てなさい、と言って理解できるのかどうかも分からないというように皆固まっていた。
ギリッとフィオは弓の弦を引き絞る。
「フィオ!! ダメだ!」
僕は思わず叫んだ。
フィオはそのまましばらく警官と睨み合ったが、観念したように弓を下ろす。ゆっくりと近づいた警官が弓を取り上げ、フィオを押さえる。
さすがに手錠はされないが、かなりしっかりと腕を掴まれているようで、フィオの顔が歪んだ。
言葉をかける事もできない僕の顔を見てフィオは、
「心配すんな。立派に勤めを果たして来るぜ」
二本指を立てて、ひゅっと動かす。
僕はパトカーに乗せて連れられるフィオを、黙って見送るしかなかった。
「小さな子だから、滅多な事にはならないと思うけど……」
京香も心配そうに言う。
「なに、誰も怪我しとらんのだ。すぐに帰ってくるさ」
天虫が努めて明るく言い、その日は解散したが、僕はまんじりとしない夜を過ごした。
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