◇6「想いの狭間で」

 学校を終え、家に帰る。

 そしてすぐ外に出ると早足に商店街に向かう。

 あれからリオンはさっさと引き上げてしまったらしい。目的の物を手に入れた彼は、僕達の事なんか忘れて意気揚々と帰って行った事だろう。

 街は騒ぎになったものの警察も動いていないし、ニュース沙汰にもなっていない。ネットで少し騒がれたようだけどよくある戯言で片付いていた。

 気球を見て駆けつけるはずの警官を追っ払ったのもリオンだ。だから僕達は叱られる事もなかったんだけど、感謝をする謂(いわ)れはない。

 フィオの本を持って行っただけでなく、本を使ってあんな恐ろしい怪物を生み出したんだ。

 そしてリオンが本の事を知っていたのは、京香が売ろうとしていたからだ。

 神無月の弁護士はよく商店街に来ては地味に圧力をかけていたが、同時に情報収集もしていた。パン屋の事件やマイちゃんの噂など、信憑性のほどはともかく、ずっと見張っていたんだ。

 そして京香から証拠を見せると持ちかけられて気球を発見し、本を試す気になったんだろう。

 京香が本を売る代わりに商店街を存続させてほしいという条件を付けたのは、僕達に対する罪悪感からだろう。

 だけどその前に本をミチルの為に使おうとして、僕達に追いつかれた。フィオのおかげでミチルは元気を取り戻したものの、待ち構えていたリオンに本を奪われた。

 京香から受け取ったわけではないから、商店街存続の約束もないだろう。

 でも京香はミチルの件の感謝と、罪悪感と、約束を反故にされた事で何としても自分で取り返すと息巻いている。

 無茶をしないかだけが心配だけど、元々僕には関係無い……とは言えないんだよね。

 フィオは僕の友達だし、本はフィオの物なんだ。彼女が困っているのならほっとくわけにはいかない。

 ……いや、分かっている。そんなのはウソだ。

 本当は、今日ミチルが退院するんだ。

 僕のいない間に、ミチルがフィオに近づいて、知らない間に事態が進んでいたらと思うと居ても立っても居られない。

 それだけの事なんだ。


 商店街のアーチを潜ると花屋があるが、商品が少なくなりすっかり目立たなくなっている。

 洋食屋maiも流通が戻ったとは言え、真衣はまだ帝王にいるから復興というには程遠い。

 小物屋は元々こぢんまりとしているからあまり変わらないが、やはり全体の雰囲気も手伝って心なし元気がないように見える。

 この商店街には住居兼のお店が多いけど、貸店舗もあるようで、そういうお店は早々に店仕舞いを始めている。

 契約が切れるまでは営業するが、後は火を落とした釜戸のようにゆるゆると冷めていくだけだ。

 でも意外と人通りは少なくない。

 もうすぐ無くなるというプレミア感と、店仕舞いの大安売りを狙っての客足だ。

 斯く言う僕も例に漏れず商店を見てしまう。

 店頭に眼鏡が並べられている店を見つけた。看板はガラス屋さんだが、窓ガラスだけでなく、今は硝子製品全般を取り扱っているようだ。

 という事はガラスレンズなのだろうか。高いイメージしかないが並んでいる物は安い。でも別段必要なわけでもないし……、でもこういう時だから買ってもいいのかな、と逡巡する。

 そうか。そういう感じで皆買ってしまうんだろうな。

 そんな感じに納得しながら、タバコ屋まで歩いた。タバコ屋が見えると商店街も端っこ。その先は民家なのか静かな町並みだ。

 戻って蓮甘書店に行こうか、と踵を返そうとすると、タバコ屋からタカシが出てきた。

 ちゃんとやってるみたいだな……と軽く挨拶を交わそうとすると、タカシは僕の背後に視線を向けたまま表情を強張らせた。

 振り返るといつぞやの不良グループが揃っていた。リーダー格を含めた六人。バイクには乗っていないし、物騒な物も持っていないが、ポケットに手を入れて胸を肌蹴けさせ、柄の悪い出で立ちで並んでいる。

 だが黒服や先日の化物を見た後ではあまりインパクトはない。この連中も別に乱暴しに来たわけでもないらしく、道行く人を威圧する事もないようだ。

 と言う事は用があるのはチームを抜けたタカシなんだろう。彼らは僕を挟むように対峙しているが、そそくさと道をあけて立ち去れば旧友を差し出して、見捨てて逃げたみたいじゃないか。

 かと言って僕にタカシを庇うだけの度胸があるわけでもない。動くべきか留まるべきか、その葛藤に苛(さいな)まれる。

 遠まわしに表現してみたけど、一言で説明するなら足が竦んで動けなくなった。

「よう、タカシ。こんなとこで何やってんだ?」

 真ん中に立つ、リーダー格の鳥頭が僕を通り越してタカシに言う。

「あんたらこそ。こんなとこにいていいのか? 神無月に見つかるぞ」

 やや反抗的な態度だが、タカシは目を合わせない。

「チームを抜ける奴は、どうなるか知ってんだろ」

 鳥頭の言葉に、取り巻きが指の関節を鳴らしながら続ける。

「脱会リンチだよ。骨の二、三本は覚悟してもらわないとな」

 そうか。タカシがずっと何かを心配しているようだったのはこの事か。

「分かってんだよ。お前がチクッたんだろ?」

「証拠はあんのかよ……」

「証拠いらねぇから不良やってんだよ俺達は」

 ある意味分かりやすい。

「……またお前達か」

 澄んでいるが低く押し殺したような声がその場を通り抜け、一斉に声の主の方を見る。

 フィオ? タバコ屋の向かいにあるコーヒー屋さんから出てきたのか。

「今日は用があるのはコイツだけだ。お前らは関係無い」

 と鳥頭はタカシを親指で指すが、その軸線上には僕もいる。

 フィオは「当然だ」と言わんばかりに冷ややかに流すが、僕に目を留め、

「関係者なのか? 少年」

 え? と我に返ったように周りを見回してから首を振る、が咄嗟に首を振った事を否定するように更に大きく首を振る。

 端から見れば単にあたふたしているだけだ。

「いいよ。お前にも関係無い。行けよ」

 タカシは言うが、それでいいんだろうか。かと言って留まった所で何ができるわけでもないんだけど。

「つーか、邪魔だお前。どけよ!」

 鳥頭が僕の胸倉を掴んで投げ捨てる。派手に地面に倒れ、手を擦りむいたが彼らの間からは逃れられたようだ。

 あいたた、と立ち上がろうとする僕をフィオは冷めた目で見下ろす。

「取りあえず、ちっぽけな自尊心は維持できたという所かな? 自分の意思で退(ど)いたのではない。一応友の為に立ちはだかる素振りは精一杯やってみたから、自分は悪くないと」

 氷の短剣で心臓を刺されたような衝撃。いや、本当に一瞬心臓が止まったかもしれない。

 図星だ。動けないフリをして、ささやかな抵抗をしただけだ。

 僕は手に付いた埃を払う。その下に少し血が滲んでいた。

「これから君の友達の身に起こる事の、何分の一くらいだい? その痛みは」

 ……そうだよ。骨の二、三本だなんて、冗談じゃない。

 警察に……。いや、そんな事をしてもシラを切って、そして後日に伸びるだけだ。

 拳を握り締めるが、何をする事もできない。

「少年は間違っていない。一緒に同じ目に遭ってあげても事態は回避されるわけじゃない。でも、共に同じ目に遭う者がいれば、一人孤独に痛い目に遭うよりも、後で気持ちを共有できる者がいる事で、彼の気持ちはほんの少しだけ救われるかもしれない。そのほんの少しの救いの為にやるほどの事ではない、というのなら立ち去ればいい。決めるのは少年だ」

 フィオはいつもの愛らしい顔のまま冷やかに言う。まるで失恋でもしたかのように僕の心は重くなった。遠まわしに良い所を見せなくていいのか? と聞かれているようだ。

 確かにこのままじゃダメだ。なんとかしなきゃ。

 でも、この物言い……、とフィオが手に持っている本を見る。

『兵器の王』

 化物と戦ってこれを倒す女槍使いの異世界忌憚。

 槍も曰く付きでそれ自体が妖力を持っているんだ。要人を守るのが仕事なんだけど、よく契約を破って弱い者を助けてしまう。その為危険な目に遭う事もしばしばだけど、それでも果敢に運命に立ち向かう。

 なぜなら槍に魅入られた彼女は、強い力を得る代わりに、いつかその魂を全て槍に奪われてしまうから。

 だからこそ、富や名声の為でなく、真に世の為人の為に尽くすんだ。

 女性主人公だけど、割と歳はいってて達観した物腰をしている。それだけ多くの戦いを経験しているんだ。

 弱きを助けると言っても、それは力の弱い者であって心の弱い者ではない。

 今の僕のような……。

「あらあら、何をやってるの。道の真ん中で」

 半ば自棄(じき)になっていた所に、これまた場に似つかわしくない声が、若干その場を和ませた。

「おばあちゃん! 家に戻っててよ」

 タカシは困ったようにおばあさんを押し戻そうとする、がおばあさんの耳には届かず、彼女は飴玉を取り出して鳥頭に差し出す。

「さあさあ。お友達同士仲良くしなさい」

「うるせぇ。友達じゃねえ!」

 おばあさんの手を払いのけ、飴玉が飛ぶ。

「おい! 止めろよ! 用があるのはオレだろ!」

 タカシが激昂して詰め寄る。今にも掴み合いが始まりそうだ。通行人に助けを求めようと見回すと、建物の上にのそりと動く黒い影が見えた。

 建物に圧し掛かるように姿を現したそれは、棘のような体毛をした黒い獣。

「神王!?」

 獣は咆哮を上げた。

 通行人が悲鳴を上げて逃げ惑い。不良共も驚愕する。

「な、なんだありゃ」

 神王は足を踏みしめるように叩きつけると、建物の壁に亀裂が走る。窓ガラスが割れ、破片が地面に散らばると、さしもの不良達も我先にと踵を返した。

 だがその前には小さな少女の姿がある。

「逃げるのか?」

 鳥頭は「当たり前だろう」という顔をする。

「無法者も悪ではない。舐められまいと周囲に対立する者も平時でははみ出し者だが、他国に舐められた時には政治家よりも役に立つ事もある。お前達は弱い者にしか粋がれない役立たずか?」

 フィオは彼らの後方を指す。

「あらあら、こんなに散らかして」

 と神王の方に近づいて行くおばあさんを、タカシが必死に引き止めていた。

 神王は威嚇するように咆哮をあげる。空気がビリビリと肌を打つが、おばあさんには神王の姿も咆哮もよく分からないようだ。

 タカシはおばあさんを庇うように神王との間に割って入る。

「どうした? お前達にはできないのか?」

「じょ、冗談じゃねぇ」

 鳥頭達はフィオを押し退け、足をもつれさせながら走り去る。

 フィオはその後姿を冷やかに一瞥するとタカシ達の方に歩み寄る。

 危ないよ、と僕は腰が抜けたように足を引き摺りながらもフィオを引き止める。

「大丈夫だ。アイツは人は襲わない。人道に則っているからではなく、警察や機動隊に口実を与えてしまうからだ。奴は戦略兵器。私と同じ、意思と感情を持ちながら命令に従うしかない、悲しい生物」

 確かに神王が壊した建物は、元々店舗らしいけど今はずっと閉まっているようだ。空き店舗だろうか。

 でも建物を壊されるのも十分問題だ。

「それに、私の槍は向かって来る者と戦う技。こちらから挑む為のものではない」

 物語中では、あんな化物と戦う事もあるけれど、フィオがアレと戦っている姿なんて想像できない。

 その時、商店街に高笑いが響き渡った。

 この声……、と周りを見渡すと神王の対岸に、同じように家の屋根に立っている人影を見つける。

 その人影は僕と同じくらい、要は子供サイズだが、青い全身タイツに仮面のようなマスク。翼を象ったような大きなマントをはためかせたその格好は……、

「ブルーバードマン?」

 若干コスチュームのサイズが小さいらしく、タイツが更にパツンパツンでお腹や脛が少し見えている。

 あれは……、まさか。ミチル?

 あれが噂のいじめの原因か。こう言っては何だが、周りの反応も納得できなくもない。

 退院して早々……、大人だったら速攻で病院に逆戻りだ。

「秋の色を深めた空に赤とんぼの群れが舞う。喉かな商店街の平和を脅かす不届き者。伝統ある歴史に有終の美を飾ろうとする街の心を踏み躙るなど許せない」

 アニメと似たような口上を流暢に述べる。

 そんな事より、神王を見てから着替えたのか、始めから着ていたのかが気になった。

「全ては人々の幸せの為に!」

 とうっ! と掛け声と共に跳躍する。

 危ない! と言う間もなくベチッと地面に落ち、ミチルは足を押さえてのた打ち回った。二階くらいの高さから落ちたんだから当然だろう。

 神王も地面に降り、威嚇するように吠え掛かる。タカシ達の目の前だ。

 ぐぉぉ、とぐぐもった悲鳴を噛み殺しながらも、ミチルは腰に付けてあった飾りを取り外し、神王に向かって投げた。

 アニメでは必ず手元に戻ってくるブーメラン、ブルーバードマンの武器だ。

 ブーメランは頼りなく回転して飛んだが、神王はそれを跳んで避ける。そのまま建物の屋根伝いにジャンプしながら、どこかへと去って行った。

 効いたの!? 本当に人を襲うつもりはなかったようだ。

「見上げた根性だ」

 フィオの言葉を受け、苦痛に歪めながらも笑顔で親指を立てるミチルに、僕は居た堪れない気持ちになった。

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