◇5「神の王」

 リオンは日本人の両親の元、アメリカで生を受けた。

 家では日本語、外では英語という両方の環境で育つ。だが彼の本質は日本人であり、母国語は日本語だ。

 頭を打って記憶喪失になったら、彼は日本語で「オレは一体ダレなんだ?」と言うだろう。

 リオンの父親は日本では大きな影響力を持った家柄だが、アメリカでは大した事は無い。そこで海外に事業拡大するために進出してきたのである。

 だがアメリカでは家名の影響力はほとんどなく、実情は厳しいものだった。日本にも海外進出している財閥はいくつかあるのだが、彼の家はアメリカでは出遅れていた。

 その為父は家で母国の自慢話をするのが常だった。

 リオンは生まれた時から体が小さく病弱だった為、強い力には憧れた。

 外に出ても同年代の子供と遊ぶ事もできない。ただでさえ東洋人なのだ。その中でも更に小さいリオンには、同い年の子供でさえ大人のように見えた。

 気がつくと彼は家で絵ばかり描くようになっていた。

 スケッチブックに、同じ絵ばかり描き続けた。

 小さなリオンにとって、大きな友達。

 か弱いリオンにとって、力強い友達。

 憧れた強さの象徴。雄々しく猛々しい。力強い四肢を持ち、鉄を切り裂く爪を持ち、岩をも噛み砕く牙を持つ。

 棘のような体毛を逆立て、天を切り裂くような咆哮を上げる。ライオンよりも強く大きな存在。

 彼はその空想上の生物に名前を付けた。

 いつかこんな動物を作り出したい。支配下に置きたい。

 こんな生物を連れ従えるリオンに、皆が畏怖する光景を想像してほくそ笑んだ。

 しかし少年と言える年になる頃には、彼も現実に目を向け始める。

 空想上の友達が子供の頃の思い出に変わる頃、リオンは現実に権力を持ちたいと行動するようになった。

 海外進出というのは父親の仕事だ。それに自分が付き合う事は無い。それに跡を継ぐにしても、まずは権力というか帝王学というものをその身で学んだ方がいいのではないか。

 そう父に相談して、十八才の時に日本にやってきた。

 顔見知りもいたし、父の口利きもあったので日本での生活には直ぐに慣れた。

 だがリオンは来日して直ぐに、驚愕といえるほどの戸惑いに身を震わせた。

 自分よりも大きな、年上の者達が軒並み自分にかしずく。

 日本に来て初めて、父の家の大きさに、父の地位の高さに驚いた。

 何不自由ない生活。

 彼の求めていたものがここにはあった。

 だが親の金と権力に任せて我がまま放題に行動するには彼は理知的に育ちすぎていた。

 すぐに満たされない気持ちになる。父が新たな新天地を求めたのも分かったような気がした。

 それ以上の力。

 金、権力、全てを手に入れた人間が次に求めるものはそういう物らしい。人知を超えた、科学をも越えた絶大な力。

 実際、財閥の重鎮は例外なく不老不死や延命を求めて医学に力を注いでいる。

 その中ではリオンの趣向は荒唐無稽なものに分類されたが、それでも彼に意を唱える者はいない。周りの者は給料さえ出ればそれでいい。

 リオン自身、その趣向は幼い頃の生活が根幹にある事を理解していたが、彼にとっては延命など遠い先の未来、興味の対象ではない。本当は退屈していただけかもしれない。

 彼自身、土地開発先でその片鱗を見るまでそんな事は忘れていた。

 だが見てしまった。思い出してしまった。幼い日に願った事を。この世の全てを支配する力を手にしたいという野心を……。


 なぜ、僕がそんな事を知っているのかって?

 いやいや、ほとんど僕の想像だ。僕は彼の事なんて知らない。

 でもこういう背景がある、と考える方が彼の行動も納得がいく。それに、彼の家柄については調べたし、かなり当たってるんじゃないかな。

 僕は未だに彼の事は好きではないけど、彼の行動の裏には何があるんだろうって考え始めると、少しだけ理解できたような気がする。

 確実に言える事があるとするなら、彼は孤独だっただろう。

 その長年に渡って鬱積(うっせき)した執念とも言える想いは、彼が本から抜き出した物を見れば分かるような気がする。


 そして、僕の目の前で風が渦巻いていた。顔を庇うようにしながら、その元に目を凝らす。

 風が吹く、というのとは明らかに違う。空気が噴き出す、というか流れ出すような感覚。

 穴の開いたボンベからガスが漏れ出すように、本から何かが漏れ出していた。

 リオンの手にある本の中から、巨大な物が現れようとしている。

 そこから漏れ出す空気はあまりに邪悪。禍々しい物だった。黒く、重く、寒く、悪意に満ちた空気は黒い霧のようも見えた。

 その空気に、僕の歯の根が音を立て始める。蛇に睨まれた蛙とはこんな気分なんだろうか。

 やがて、本の中からむくっと黒い塊が盛り上がる。

 その黒い塊は大きく膨らみ、突起物が飛び出し、次第に形を成していった。

 四肢が地面を踏みしめ、巨大な顎から牙を覗かせ、頭には一本の角。全身棘のような体毛に覆われた、黒いライオン。いや、狼か? とにかく現存する動物ではない。

「やっと逢えたな。『神王(じんおう)』!」

 神王と呼ばれた黒い獣は咆哮(ほうこう)を上げる。

 僕は尻餅をつき、周りに集まっていた野次馬は蜘蛛の子を散らすように逃げていった。

 本から何かを取り出す時、必要なのは画力ではない事を、この時僕は思い知った。画力も必要なんだろうけど、必要なのは想い。念を込めるように、絵に想いを塗り込める事こそが重要なんだ。

「返せよ! ボクの本だ!」

 フィオが叫ぶが、リオンは冷やかに一瞥すると、懐から札束を取り出し、足元に投げ捨てる。

「お前んとこは本屋だろう? これはオレが買う」

 厚さからして百万円くらいの札束だろうか。でも、青い本に値段なんて付けられるわけない。

 それに、こんな物を作り出す奴に本を渡したらどんな事になるか。

 僕は勇気を振り絞ってリオンに駆け寄ろうとするが、大きな獣の咆哮に勇気ごと吹き飛ばされた。

 ついでに意識も一緒に飛ばされ、そのままパッタリと倒れた。

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