◇4「機工の魔法使い」

 僕達はロビーを抜けて外へ飛び出す。

 京香が青い本を持って逃げた。

 どこかに売りつけるつもりなのか、発見の記事を書くのかは分からないが、とにかく騒ぎになる前に取り戻さなくては。

 今思えば、昨日の京香は単に僕をからかっていたのではなく、意図して部屋から追い出すよう仕向けたのかもしれない。

 まだ中学生とは言え僕は立派な男の子。あんな事をすれば外で寝ると言い出す事は容易に予想できたんだろう。

 気さくで、どこか子供っぽい所があるだけに油断していた。結局は京香も私利私欲の為に本を欲しがる大人だと言う事か、と唇を噛む。

 ホテルの外に出ると、正面に奇妙なバイク? が停めてあった。

 白いソレは見た目バイクのようなんだけど、なんと言うか……、早い話が手描きしたような雑なフォルムで、色も「白い」というより「無着色」だ。

「まさか……。京香さんが本から出したのか?」

 そう言えば昨日雑談の中でバイクが欲しいって言ってたっけ。さっそく本を使って出し、それで逃げようとしたものの、走り出しそうにない物が出てきたのでタクシーかなんかで帰ったのかな。

 追いかけようにもどこへ行ったのかも分からない。

「大丈夫。ボクがなんとかしてあげるよ」

 フィオは背中からスパナを取り出す。

「この魔法の杖で!」

 いつも持ってるの? 青い本といい、フィオのリボンの中は四次元に繋がっているのではないだろうか。

 フィオはバイクに取り付くようにトンカンと作業を始めた。スパナだけでどうやって改造しているんだ? と思う間もなくバイクはどんどん形を変えていく。

「できたー!」

 オイルで汚れた顔を拭きながらフィオが元気よく言う。オイルが使われているようには見えないんだけど。

 雰囲気はあまり変わっていないが形は少し整えられ、フニャフニャだったタイヤも一応ちゃんとした円になり、さっきよりは遥かに走りそうには見える。

「でも僕バイクなんて乗れないよ」

「大丈夫。これの動力は君の足だ」

 よく見るとペダルが付いている。自転車なの?

「さあ! レッツゴー!」

 とフィオは僕の携帯をハンドルにはめ込んだ。バイク……自転車は電源が入ったように計器が点灯する。

「ついでに充電もやってくれる優れもの」

 フィオが自慢するように言う。

「でも、どうやって後を追うの? どこへ行ったのかも分からないのに」

「大丈夫。抜かりはないよ」

 フィオは携帯画面をポチポチといじる。

「しもべの星にアクセス。目標補足」

 しもべの星? 人工衛星の事かな? 衛星をハッキングしたの? そんな事できるのか? と思いつつ、ここにいても仕方ないので自転車にまたがる。フィオが後ろに乗って僕に掴まった。

 でも車で一時間くらいかかったんだ。自転車で帰るにしてもどのくらいかかるんだ? しかも二人乗りで。

 ペダルを漕ぐと、すうっと体が後ろに引っ張られる。

「わっ!」

 か、軽い。電動自転車のように足にほとんど力が要らない。それでいてなんだこのスピードは……。

 自転車の速度には違いないが、まるで全力疾走しているくらいの速度が難なく出せる。

 携帯ナビの指示通りに進んでいると、景色が見慣れた物に変わっていく。商店街の方角か。でもナビが示す行く先は少し外れている。

 ここは……、病院? 京香の弟が入院しているという病院だ。もしかして今見舞いに来ているのかな。

 肉眼でも病院を確認する。……でもなんだ? アレは。

 病院の上に何かがふよふよと飛んでいる。まるでスーパーの屋上から伸びている宣伝バルーンのようなそれは、よく見ると飛行機の形をしている。丸っこくパンパンに膨れ上がった飛行機の風船だ。それが二つ、いや三つ病院の上を漂っている。アレは……。

「お姉さんね。あの絵柄は」

 そうだ。このバイク、もとい自転車の雰囲気に似ている。京香が本から出しているのか?

 僕達は、病院の中に入り、屋上まで急ぐ。あ、病院内だから走らないよ。

 屋上のドアを開けると、干されたシーツの向こうから京香の声が聞こえた。

「おっかしーな。なんでうまくいかないのかしら」

 シーツを掻き分けると、そこには本を広げた京香と、男の子がいた。死人のように青い顔をして、目に隈を作った中学生くらいの男の子。これが京香の弟ミチルだろう。

 京香は僕達に気付くと驚いたようだったが、すぐにバツの悪い顔で舌を出す。

「あら。見つかっちゃった?」

「そりゃ、こんな変な物が空を飛んでたらね」

 僕は屋上を散歩するような足取りで近づく。

 空を飛ぶのが夢だと言っていた弟の為に、飛行機を出そうとしていたのか。入院生活で気が滅入っているだろうから、元気付けようとしたのかな。

 当のミチルはきょとんとしている。手品を見せられているとして喜べばいいのか、でもうまくいってないみたいだから成功するまで待っていればいいのか、という感じだ。

 僕は今出てきたばかりの飛行機風船を捕まえる。プールなんかで掴まって浮かぶ、ビニール製の飛行機くらいの大きさだ。しがみ付く事はできるがそれで宙に浮けるとは思えない。

「乗るつもりだったの?」

 京香は、「あっ」という顔をする。

「深く考えてなかった」

 そうだろうね。ミチルを乗せて空の旅に招待するのに飛行機出してどうするんだ。滑走路も何も無いのに。

「そんなうまくいかないか……」

 がっくりと肩を落とす京香にフィオが近づくと、彼女は一瞬本を渡すまいとする素振りを見せた。でも弟を見やり、やがて観念したように本を返す。本を盗んだ事は許せないけど、病気の弟の為だと言うのなら少し同情の余地がある。

 夢と幻想の世界に魅入られ、そして裏切られた弟に、それは夢ではなかった、現実に存在したんだと見せてやりたかった気持ちは分かる気がする。

 そしてフィオにも京香の想いが分かったろだろう。

 フィオは本を開くと、なにやら描き込み始めた。澄み切った青空の下で、本にペンを走らせる音だけが響く。

 何をするつもりだ? 皆が見守る中、本が光を放ち始め、餅のように丸い膨らみが現れる。

 どんどん膨らみ、屋上一面を覆いつくすほとの大きさになったそれは、巨大な気球。

 下からだとよく分からないが、布をつぎはぎしたようなカラフルな、ハレー・ダビッドの劇中にも登場した気球のようだ。

 魔法で空を飛ぶのが当たり前の世界で、空を飛べないハレーが科学技術を再現するエピソードだ。魔法が効かない場所でピンチに陥ったクラスメートを、ハレーが気球で助けに来る場面は見せ場なんだ。ややこしいけど劇中ではハレーが魔法使いだからね。

「どうなってんの?」

 京香は自分が描いた物とあまりに違うのが納得のいかない様子だったけれど、先に籠に乗り込んだフィオに手招きされて後に続き、ミチルも乗り込んだ。

 大丈夫なんだろうか、と僕も恐る恐る乗り込む。籠は結構狭い。四人も乗ったらギュウギュウ詰めだ。

「飛ぶの? 火が点いてないけど……」

 気球は膨らんだままだ。形だけのハリボテだろうか。

「だったら火を点けて」

 フィオが指を鳴らすと、バーナーが火を吹いた。

 ぐらり、と籠が揺れる。本当に飛ぶの!? と籠にしがみ付く。形だけかと油断していた。僕はあまり高い所が得意じゃない……。

「9と4分の3滑走路から、離陸するよ」

 ミチルは驚いたようにフィオを見る。

「ハレー・ダビッド?」

 フィオは片目を閉じ、スパナを回転させながら取り出すと、ビシッと決めた。劇中でもお馴染みのポーズだ。

 ミチルの顔が、生気が戻ったように明るくなる。

 ミチルもブルーバートマンになりきっていじめに遭ったんだったな。明らかに異界の地で「自分と同じ人種に会った」という顔だ。

「わぁ……」

 京香の感嘆の声に、何気に下を見る。そして絶句した。

 た、高いぞ!?

 少し浮き上がるくらいだと思っていたのに、もう今いた病院の場所も分からないくらいに高い。

 僕は籠に背を付けるようにして座り込む。何も考えない事にした。この籠は浮いてなんかない。地面についている、と必死で自分に言い聞かせる。

 だが、ミチルは呆けたように遠くを見ていた。その目はどこまでも真っ直ぐで、純粋な、子供の目だった。

「こんな世界があったなんて……」

 ミチルが呟くように言う。

「日本に地平線の見える所はないって言うけど、それは間違いだね。荒野の地平線だって地面は平らじゃない。ここもビルが建ってデコボコしているけど、空から見れば小さなオウトツなんだ……」

 ミチルの目から、一筋の涙が落ちる。

「僕が飛べなかったのは、知らない内に僕の了見が狭くなっていたからなのかもしれない……」

 了見で、空は飛べないと思うけどね。

「君が心から信じている限り、夢は終わらない」

 フィオがハレーの台詞を言うと、ミチルはぼんやりとした顔でフィオを見る。

「君は、いじめられたりしないの?」

「ボクがいじめられるのは劣等生だからだよ。劣等生は人の役に立たないからだ。なら、役に立てるようになればいい」

 ミチルは微かに笑うと、また広い世界に目を向ける。

「そうか……。そうだったんだ。僕はただヒーローの格好や台詞を真似していただけだ。それは正義の味方じゃない。真似するのはそこじゃなかったんだ。すべき事は正義の為に人の役に立つ所だったんだね。なのに僕は、いじめられて、正義の味方が来てくれる事を期待して、勝手に裏切られたと思って絶望したんだ」

 ミチルは籠を掴む手に力を込める。しばらく何かを考え込んでいたが、姉さん……と呟いて京香に向き直る。

「僕、学校へ行くよ。家にも帰る」

 京香が耳を疑うように目を見開く。

「またいじめられるかもしれないけど、正義の味方がいじめから逃げたんじゃ話にならないよね。だから僕戦ってみる。まずいじめという悪と戦うヒーローになる」

 京香が涙を浮かべて口元を覆う。

「君のおかげだよ。ありがとう」

 ミチルはフィオの手をしっかりと握る。僕だって握った事ないのに。

「そして、ついに見つけた。運命の人を。君となら、どんな逆境でも乗り越えられるような気がする」

 それはよかった……って、ええっ!?

 驚きの声を上げたかったが、口がパクパクと動いただけだった。

 京香は僕とミチルに交互に視線を送る。そして僕を見て片目を閉じ、顔の前で手の平を立てる。

 ごめんねってどういう事!? ミチルにフィオをあげてねって事!? いや僕のものでもないけどさ。

 ここは男の子として「ちょっと待ったぁ!」と割り込むべき場面なんだろうけれど、僕は腰を抜かしたまま籠にしがみ付いているのが精一杯だった。

 フィオはバーナーの火力を調節する。下降しているのかな?

「病院の屋上は降りるには狭すぎるから、商店街の広場に降りるよ」

 気球にはプロペラも付いていて、少しなら制御ができるみたいだ。

「大丈夫なの? 結構騒ぎになってるみいただけど……」

 京香が下を見て言う。そりゃそうだろうけど、僕はしゃがみ込んだまま身動きできない。下から見れば、この気球には三人しか乗っていないように見えるだろう。

 というより勝手に気球なんて飛ばしていいのかな? 飛行機だって飛ばすのには予め申請しなくてはいけないんだ。空には空の交通ルールがある。

 結構大きな物だから警察の目にも触れたはずだ。降りた途端に逮捕、みたいな事にならなければいいけれど……と心配したが、現実は想像よりも遥かに恐ろしかった。

 ごっ、と突風が吹き、籠が揺れる。

「きゃっ!」

 京香とミチルがバランスを崩し、籠から身を投げ出す。

「ビル風が強いね」

 フィオがしれっと言うが、落ち着いている場合じゃないでしょ! 大変だ! 二人が落ちた!

 だが直後に水飛沫を上げる音が聞こえる。広場の噴水か。いつのまにか地面に近い所まで降りていたらしい。

「多聞も早く降りて」

 何を言っているんだろうこの子は。僕は体が硬直してしまって動かせないんだ。地面が近いと分かっていても硬直が解けない。

 だが僕のそんな思いとは関係なく、籠……というより気球全体が光を帯び始めた。光の粒子が立ち昇り、儚い物のように色が薄くなっていく。

 ま、まさか……。

「エネルギー切れ」

 フィオの言葉に覚悟を決める間もなく僕の体は落下した。

「でっ」

 下は水かと思ったら、腰を芝生に打ちつけた。その痛みを意識するよりも早く僕の上にフィオが降ってきた。

「ぶぎゃっ!」

 潰れた蛙のような声が口から漏れる。

 落ちた拍子にフィオの背から青い本が飛び出した。大事な本を……、僕は呻きながらも本に手を伸ばす。

 本に手が届く前に大人の大きな手が本を拾い上げる。

 あ、どうもスミマセン……と顔を上げた僕はそのまま固まってしまう。

 本を拾い上げたのはサングラスをかけた男。童顔の男をボディガードのように取り巻いている黒服の一人だ。

 親切に本を拾ってくれたとは思えないが、子供から取り上げようというほど高価そうな本でもない。

 やはり単に拾ってくれたのか……、と恐る恐る体を起こすが、黒服はそのまま後ろに本を投げる。

 あ……、と言う間もなく本は弧を描いて飛び、背後にいたもう一人の黒服が受け止める。そしてそれを横に立つ、小さな黒服を着た童顔の男に手渡した。

「やれやれ、随分と手こずらせてくれたな」

 リオンは本のページをパラパラとめくる。目的のページを、恐らくは白紙のページを見つけたのか、手を止めるとペンを取り出した。

 そして目にも止まらぬ速さでペンを走らせる。

 明らかに描き慣れている。何度も何度も描いた事のある絵をいつものように描いた、というくらい動きに迷いがない。

 僅か数秒で絵を完成させると、念願かなったというように目を閉じて不敵に笑う。

 この世の全てを支配すると言って憚(はばか)らない童顔の男、リオンは一呼吸の沈黙の後、カッと目を見開いた。

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