◇3「裏返し」
帝王ホテルの一室で僕達は息を付く。
真衣は、これまで通り、maiにも食材を流すそうだ。
レストランのシェフを辞める事はできないが、たまに手伝いに帰ると言う。
「ここの料理長。融通利かないんだもん。新しいレシピを出すのも苦労するのよ。丁度いいんじやない?」
雇い主に睨まれかねない内容だけど、発言したのはフィオだ。その言葉に真衣が子供のように笑っていた。
真衣の本は、自身で父親に返すよう彼女に預けてきた。突然帰るよりは何か口実があった方がいいだろう。
そして真衣は食事の料金をサービスしてくれた上に、今日はもう遅いからとこの部屋を用意してくれた。
ホテルの従業員には、各々の裁量で客にサービスをする事が認められているんだそうだ。
それほど大きくない部屋だけど、さすがは豪華ホテル。明日は学校も休みだし、滅多にない機会だから僕もお言葉に甘えた。
でも、ベッドが一つしかない……。京香と姉弟だと思われたんだろうか。
遅くなったが家に電話する。友達の家で勉強していたら時間を忘れてしまったと苦しい言い訳をする。母はやや不審がっていたが、そんな友達ができたのかと嬉しくもあるだろう。
「ねぇ~、多聞く~ん。まだ~!?」
ベッドで胡坐を掻く京香が甘ったるい声を出す。
「わあ~っ!! 違うよ! テレビの音だよ! 多分って言ったんだよ!」
そのまま通話を切る。
前言撤回だ。これまで築き上げていた真面目な息子像にヒビが入ったかもしれない。母は今父に報告すべきかどうかでパニクっているに違いない。
涙目で京香を睨むが、ケタケタした笑いで返された。だけど、それよりも京香に言っておかなければならない事がある。
「あの、京香さん。さっきの……不思議生物なんだけど」
「ん? ああ、分かってるって。誰にも言わないよ」
京香が軽い調子で手を振る。
「あれを公にしたらどうなるかなんてあたしでも分かるわよ。そりゃ内緒にされてたのはショックだけどさ。さっきのでチャラにしといてあげるわ」
……それなら、許そうかな。
「にしてもあのソムリエ。高級レストランだってのに大した事ないわよね」
適当なワインを出された事をまだ根に持っているのか、京香が語気を荒げる。
「何言ってんの。あのソムリエはお姉さんの舌のレベルを見抜いて、それに相応しいワインを持ってきただけよ」
そうそうできる事じゃない、とフィオは続ける。
フィオにそんな事ができるとは思いもよらなかっただろう。少しあのおじさんが気の毒になる。
むう~とうなる京香としばらく他愛のない話をし、そう言えば弟さんの容態はどう? という話になった。
「あたしの弟。精神的に不安定でね」
京香の弟ミチルは、小さい頃からアニメのヒーローに憧れていて、いつか自分もヒーローになると信じていた。
人々に勇気と幸せを運ぶ正義のヒーロー、ブルーバードマン。全身タイツに青いマスク、青いマントを広げた姿で空を飛ぶ。
今の男の子なら、一度くらいは「ごっこ」をした事があるくらいメジャーなものだ。
ミチルのそれは極まっていて、コスチュームを全て自作したほどだ。それを着てよく街を走り回り、空を飛ぶと言っては危険な事をした。
しかし小学校低学年くらいまでなら可愛いが、大きくなるとだんだん回りの目も冷ややかなものになってくる。そして中学に入る頃にはもうイタイ奴として扱われた。
クラスではいじめに会い、それでも最後は正義が勝つと信じていた。そしてこの世に正義なんてものはないと思い知る頃には学校へ行けなくなっていた。
家にいても学校にいてもひどい熱にうなされ、ついには入院生活を余儀なくされた。
体には何の異常も無い為、親も世間も彼への対応は辛辣だ。今では心を開くのは姉である京香だけだ。
しかし母子家庭である京香の家はその入院費もバカにできたものではない。なんとしてもこの取材を成功させたいと言う。
さすがに少し気の毒になるけど、本の秘密は世間に明かせない。
そうしている内に時間も遅くなり、さっさとシャワーを浴びて毛布を手に部屋を出る。一緒に寝ればいいのに、と言われたが絶対お断りだ。京香の笑いによからぬ事を感じ取った僕はロビーへ向かう。
疲れてもいたけれど、慣れない場所の為簡単に寝つけそうにない。
携帯を取り出し、電子書籍のページを開く。読みにくいので普段あまり使わない。やっぱり本はバッテリー残量も気にせず、いつでも気軽に読める方がいい。でも紙の本では手に入らない物もあるので使っている。僕は前に購入しておいた本のページを開く。
『ハレー・ダビッドとブレンボの銅盤』
魔法学園物なんだけど、この世界では現実世界で言う所の『科学』を『魔法』と称している。魔法の杖と称したスパナやドライバーを使って機械を作ったり直したりする。
やってる事はただの自動車整備士なんだけど、その世界にはない技術の前提で描写がされる。舞台は魔法世界で、街では普通に魔法が使われているんだ。劇中では科学と魔法の設定が逆になっている。そこでは科学がお伽噺だ。
いわゆる劣等生のハレーは、丘に住む変り者のお爺さんに弟子入りし科学使いを目指す、という話だ。
携帯の文字を目で追っている内に、いつの間にか眠ってしまった。
気だるい目覚めの中、のたのたと体を起こしてフィオ達の泊まった部屋へ向かう。あまりよく眠れなかったな。
部屋に入ると小さな少女はベッドに腰掛けていた。眠い目をこすりながら「おはよう」と力なく言う。だが一向に返事が返って来ないのを不審に思って眼鏡をかける。
まだ寝てるのかな? 座ったまま? でも目は開いている。
「フィオ?」
顔を覗き込むが無表情に宙を見たままだ。目の前で手を振り、軽く体を揺すって呼びかける。それでも反応がない。
「フィオ? フィオ?」
何かの病気か? と少し焦って両手で肩を揺さぶる。持っていた毛布を落とし、中から携帯が出てきてフィオの膝の上に落ち、その衝撃で画面が点いた。持ったまま寝てしまって、毛布の中に入ってたのか。
フィオの目がゆっくりと下に動き。膝の上の携帯で止まると、そのまま手にとって画面を凝視する。
なんだ……大丈夫じゃないか、とほっと息を付く。寝起きで、寝ぼけていただけか。それでも読み物には反応するなんて、なんともフィオらしい。
京香は? トイレだろうか。シャワーの音はしないから朝シャワーではないだろう。突然あられもない姿で登場する心配はなさそうだ。
歯を磨きたいんだけど……、とトイレをノックする。
「京香さん。いるの?」
返事がないのでそっとドアを開ける。すんなりと開き、中は明かりも点いていない。散歩か、買い物にでも出かけたのかな。
洗面台の明かりを点け、顔を洗って歯を磨く。少し目が覚めた。
洗面所を出るとフィオがいつもの様子を取り戻していた。
「ボクは何もできない。何の才能もない。でも、夢を見る事ならできる。だから、魔法使いを目指すんだ」
ハレー・ダビッドね。フィオもすっきり目が覚めたようだ。いつものなりきりにむしろ安心する。
「京香さんは?」
「知らないよ」
室内を見回すと、テーブルに五千円札とメモが置いてあるのが目に留まった。メモには一言、『ごめんね』。
タクシー代かな。先に帰るから、悪いけどこれで帰ってねと言う事だろうか。
「……多聞」
ん? とフィオの声に振り返る。
「青い本が無い……」
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