◇7「昔は少年探偵団」
次の日、商店街を訪れた僕は、呆然と立ち尽くす。
商店街の中ほどに位置する店舗の一つがなくなっていた。木造だった建物は綺麗さっぱりと言っていいほどに焼け落ちている。
昨日の連中が報復に来たんだろうか。
ざわざわと人だかりの中、夫婦が寄り添っている。この店の人だろう。
「あ、あの……」
僕は人だかりの中に天虫を見つけて声を掛ける。
「ああ、多聞くんか。ごらんの通り。きっと昨日の連中だよ。神無月が黒幕だろうが、証拠はないだろうな」
恐れていた事が現実になってしまった。
幸い店主たちは夕べは旅行に出ていた為、怪我人は出ていない。大きな旅行鞄を二つ脇に置いている所を見ると、帰ってきたばかりのようだ。留守になったのを狙われたんだ。
神無月だって立ち退かせるのが目的だ。怪我人や死者を出しては問題だろう。だけど、場合によってはそうなったかもしれないんだ……。
僕はとんでもない事に首を突っ込んでしまったのではないだろうか。
奥さんらしき人が「あの子のせいよ。あの子が余計な事をしたばっかりに……」と嘆くのを聞いて胸が痛んだ。
フィオだって商店街の人達の為に頑張ったんだ。そりゃ、やりすぎだとは思うけど。
天虫の話では夜中の内に火が出たようだ。
隣人がすぐに気が付き、火は皆で消し止めた。だから両隣の家屋にはそれほど被害はない。一応消防やら警察が来て後始末は済んだ。
綺麗さっぱり無くなっているのは、危険なので残った壁や柱を打ち崩したからだ。
どうせ取り壊される予定の建物な上に、疑う先が神無月とあっては警察も中々動いてくれない。仕方の無い事だ、と天虫は嘆いた。
むしろこれからの事の方が恐ろしいだろう。これで終わるとは到底考えなれない。次は自分達かもしれないと皆気が気ではないんだ。
「おや、フィオーリ。なんでもないよ。さあ、危ないから家に戻ってなさい」
天虫の声に振り返るとフィオがいた。手を後ろに組んでやや背中を丸め、皆にペコリと頭を下げる。罪悪感があるんだろうか。
街の人も少しよそよそしくはあるものの非難の目を浴びせる事はなく、銘々(めいめい)に散って行く。
被害者夫婦は一旦天虫の所に行くようだ。天虫に促されるように飲み屋に向かい。奥さんがキャリーバッグを二つ共引いて行く。皆自分の家が心配なのか、通りに商店街の人達の姿は見えなくなった。
僕は焼け落ちた家屋の前に立つフィオに、何と声を掛けたらいいものかと逡巡する。
フィオはどこからか眼鏡を取り出してかけた。目が悪かったっけ? でもこれは……、眼鏡に鼻とヒゲのついたいわゆる鼻眼鏡というやつだ。鼻がやや高めで、レンズは瓶の底のように分厚い。
今日は何だ? と思うも、そんな事を気にしている場合でもない。
「フィオはこれからどうするの?」
「ふむ。お茶を飲んで。本を読み。本を売る。いつも通りじゃな」
鼻眼鏡をかけた少女は、可愛らしい声で爺むさい事を言う。でも、僕が聞いたのはそういう事ではなくて……。
「フィオは……、家に一人なんでしょ? 狙われやすいんじゃ……」
フィオは「むむ?」と眉根を寄せて僕を見上げる。
「少年は、これが放火だと分かったのか?」
「え? だって……。そうじゃないの?」
事故にしてはタイミングがよすぎる。
「ふむ。では少年の集めた証拠を検証してみようか」
「証拠? いや、証拠はないけど」
昨日の連中は火炎瓶も持っていた。火を放つ気満々だったんだ。放火するのも厭わないだろう。
それがフィオによって撃退、自慢のバイクや車も全て壊されたんだ。仕返しを企んでいると考えるのが自然だ。
そして今日商店街の一軒が焼けた。奴らか、その仲間が犯人だと考えるのは当然の事と言えた。
「ふむ。状況証拠としては有力だね」
確かに状況証拠でしかない。
「しかし、それにしては不自然な点があるとは思わないかね?」
不自然? と焼けた家を改めて見る。
「出火時、この家には誰もいなかったんでしょ? 火の不始末とは思えないし。家の前で火の点いたタバコを捨てても、ここまで焼けるとは思えないし」
「ふぉっふぉっふぉ。若い者は視野が狭くていかんのぅ」
若い者って……、と自分より小さな少女見ると、てくてくと焼け跡から離れ始める。
「こうして全体を視野に入れると、見えなかった物が見えてくるもんじゃて」
見えなかった物って言っても……、僕にはいつもの商店街の光景だ。それが一軒無くなっている。
「あそこに何があったのかは覚えとるのか?」
そう言えば……、商店街だから何かの店なんだろうけど。さすがに覚えていない。
「パン屋さんじゃ。若いモンにはべぇかりぃと言ったほうがいいかの?」
フィオは歯を見せていやらしく笑う。今日は老人のキャラか。……何だろう。
「少年は、火を点けようと思ったらどの家にするね?」
え? 僕に放火魔の心理なんて分からないけれど……。
「そりゃ、誰もいない家にするかな」
「それは少年の気持ちじゃろう? あいつらにその優しい気持ちはあると思うかの?」
それは……、そうかも。白昼堂々と火炎瓶をチラつかせていたんだ。もちろん少し火を点けて脅かすくらいのつもりだったのではないかと思っている。
「ふむ、それも一理あるの。しかしそれなら今度は本当に火を点けた事が信じられん。留守とは言え、隣人に怪我人が出ていてもおかしくなかったのだ。もっとも若いモンは皆考え無しだと言ってしまえばそれまでじゃがの」
また歯を見せて笑う。
「留守宅を狙ったとして、連中はどうやって留守だと分ったのかの?」
それは……、夫婦が出かけるのを見てたから? でもそれなら目撃者がいるか。パンクな髪型をした男が様子を窺っていたらさすがに目立つ。
かと言って、あいつらが真面目な格好をしてスパイみたいに偵察してたなんてのも無理がある。
昨日、襲撃の後こってり絞られたはずだ。そんなに直ぐ計画を立てて行動に移せるとも思えない。
「じゃあ、やっぱりランダムに選んだのかな?」
「ふぉっふぉっ。商店街の真ん中の家をかね?」
確かにそれも不自然か。それに怪我人を出したくないなら軒先に火を点けるだけでいいんだ。すぐ気が付いて消されるだろうけれど、不安を煽る効果は十分のはずだ。
大々的な襲撃が失敗したから、今度はこっそり火を点けた、という事は考えられるけど、それにしては被害が大きい。
だけど、神無月が昨日の連中を雇ったように、別の刺客を寄こしたという事もあり得る。もっと放火のプロみたいな。
「最初に駆けつけた隣人は『爆発音を聞いた』と言っとった」
と言ってフィオは焼け落ちた現場をひょこひょこと歩く。危ないよ、と注意しながらも僕もついて行く。
炭化した木材は、踏むと割れて崩れるが、中にはまだ硬い物が混ざっていて足場としてはかなり不安定だ。僕は何度も足を挫きそうになりながら、よたよたと歩く。
黄色いテープなんかは張ってないけど入ってはいけないはずだ。大人に見つかったら叱られる。
「爆発って事は時限爆弾か何か?」
フィオはくんくんと散乱した破片の匂いを嗅いでいる。
「ガソリンなどの燃焼促進剤の形跡は無いな」
鼻眼鏡の鼻を動かして匂いを嗅ぐフィオに、僕は何の真似をしているのか思い当たった。
『鼻のウィリー』か。
海外の少年探偵団物の続編。犬並みに鼻の利くウィリーが街に来た事が切っ掛けで結成された探偵団。少年少女の織り成すドタバタミステリー物なんだけど、そのウィリーが歳をとって爺さんになってからの話。
ふとした事件を切っ掛けに昔を思い出して解決に乗り出すんだけど、昔同様扱うのが小さな事件だし、気のいい爺さんの為か犯人をただ挙げるだけでなく根本的な問題解決を旨とする。だから犯人を見逃す事も多い。
少年時代の経験が基になっているのか薬剤師、栄養士、建築士などの資格も持っていて多才な人だ。
そのウィリーになりきっているんだろうが、本当に鼻も利くようになるもんだろうか。
「ガスが本来無臭なのは知っているかね?」
「漏れた時に分るように後から臭いを付けてあるんでしょ? 知ってるよ」
「ガソリンも本来無色透明で、後から色が付けられているのだよ」
「へぇ」
それは知らなかった。
「火災現場ではガソリンは燃えてしまうが、残存物に吸収されている物が残ったりする。その色成分で製造販売元まで分ったりするんじゃ」
ガソリンを撒かず爆弾だけの放火というのも不自然だ。時間差で着火する為の時限装置かと思ったんだけれど……。
「燃焼の度合いから見て、火元はこの辺りだね」
フィオは家の奥に位置する場所に屈(かが)み込む。厨房のあった場所だろう。シンクやコンロなどが残っている。
厨房から火が出たのなら事故の可能性もある。だが火災の原因の大半は放火による物だ。保険金狙いの擬装放火というケースも多い。
その場合事故を装うから、火が出ても不自然じゃない場所に火を点けるんだ。推理小説なんかでは、よく家庭にあるようなもので時限装置を作ったりする。
だが今回はその可能性はない。立ち退きに抵抗している店主が火を点けたりはしない。
「警察の検分は済んでいる。適当な調査とは言え放火の物的証拠はなかったという事。死傷者の出ない現場では警察はそれほど動かない。検分は保険会社の雇った民間企業がやる事じゃからな」
「でも、爆発してるのに?」
「爆発は爆弾とは限らないぞよ?」
「確かにガスでも爆発事故は起こすけど」
ガスの元栓を開けて、ロウソクなんかで火を点けておくと、充満したガスが時間差で着火、爆発、火災。簡単な時限装置のでき上がりだ。
「しかしガス爆発でここまで燃えるもんかの?」
フィオが火元だと言った辺りの壁の残骸は、かなり長い間燃えたように焼け焦げている。僕から見ても爆発だけの跡ではない。
爆発音で人がすぐ集まって、割とすぐ消し止められたはずなんだ。二階も完全に燃え落ちて、隣家の壁まで焦がしているけど、パン屋の燃え方の割には隣家の被害が少ない。
という事は爆発の前に、かなり中で燃えていたという事か。
「ここはパン屋さんだ。ガソリンスタンドにガソリンがあるように、ここには何がある?」
そりゃ、コンロもガスもあるけど。
「ここのコロッケパンは絶品じゃったよ」
「そうか。揚げたパンも作る。油があったはずだよね。それが燃えて?」
「しかし油は火の気があれば簡単に燃えるというわけではない。温度が上がって初めて燃える。だが逆に言えば温度が上がれば火の気がなくとも発火する。まあ、普通は火の気無しにそこまで温度は上がらんからな」
そう。天ぷらを作ってる際に、少し電話に、来客に、トイレに離れている間に火災になる事も多い。
「でも火をつけたまま旅行に出るなんて……」
まずない。火が出るまでには時間があったはず。
フィオは残骸をどけて炭化した壁を並べ始め、簡単な燃焼分布図のようなものを作ってみせた。
やはりコンロの周りがもっとも焼けている。発火点だ。だが火元はすこしズレているような気がするが、再現がうまくいってないのかな?
「ところでこのパン屋さんでパンを買った事はあるかね?」
「いや……、ないよ」
「コロッケパンも美味しかったが、他にもドーナツや揚げ物が多かったな。ところで多聞くん。料理はするかね?」
「いや……、全然」
「ふむ。揚げ物をする時には何が残る?」
「残る? ……油じゃないの?」
「油だけかね? 天ぷら揚げた後の油はどうかの? 多聞くん、うどんはキライかね?」
「うどん? ああ、天カスね」
「うむ。揚げ物の後は『揚げカス』が残るもんじゃ。それはどうする?」
「コロッケ揚げた後のカスなんて使えないし、捨てるんじゃない?」
「どこに?」
「そりゃゴミ箱」
「ゴミ箱はどこに置いてあるのかの?」
「そりゃ、厨房ではゴミは頻繁に出るから、すぐ近く……あっ! もしかして」
「うむ。ここにゴミ箱がおいてあった可能性は高い」
「ゴミ箱に捨ててあった揚げカスに火が点いたの? でも火元は?」
「火のない所に煙は立たず。火の気がない所で火事は起きずかの?」
そんな事はない。実際太陽の光で発火する事もあるんだ。火の気がなくても熱が上がれば物質は燃え出す。
僕は携帯で『揚げカス 発火』で検索する。するとすぐに揚げカス自然発火の記事が出てきた。
「さすがは我が相棒」
悪い気はしないけど色気の無い言い方だ……。
「夫婦が旅行に出かけたのは営業日の夕方。閉店直後のはず。急いで出かけた可能性が高い。まだ熱い揚げカスの横に、まだ冷めていない油を置いて」
「揚げカスの熱が篭って燃え上がって、まだ熱かった油を熱したのかな」
それが更に燃えた。そして火事に……。
フィオは焦げた塊を手に取りくんくんと匂いを嗅ぐ。
「揚げカスが火元なのは間違いない」
「最初から分ってたの?」
まだるっこしい。
「ワシだけ勝手に納得しても進まんじゃろう。君自身に辿り着いてもらわねばならんのだ。のぅワトソンくん」
それはホームズでしょ。
「でも、それで爆発までする?」
「燃焼が進んで部屋の酸素が減少する。火の手が上がる先に小窓があったらどうかの?」
「ガラス戸なら割れるかな」
「そこで新鮮な空気が一気に流れ込む」
それは知っている。バックドラフト現象だ。
「そう。男ばっかりのむさい職場に突然若くて可愛い女の子が入社したりすると、皆仕事が手につかなくなって大変な事になる、あの現象だ」
「いや、違うよ!」
確かに状況は似てるかもしれないけど。
バックドラフト現象は、火災現場で起こる爆発現象だ。密閉された空間で火災が起きた時、室内の酸素が減少して火の勢いが一時的に弱まる。でもそれは酸素が無くて燻(くすぶ)るだけで、火種はなくならない。室内は結構な高温になっているんだ。そこに新鮮な空気が流れ込む事で一気に燃焼、爆発する。
「バックドラフトとまではいかなくても空気が流れ込んだ可能性は高い。そしてここはパン屋、小麦粉もある。風で小麦粉が散ったら?」
「そうか。粉塵爆発」
そのどちらかか、あるいは両方かも。あくまで可能性の話だけど、有り得ない事ではないという事が重要だ。そうすればもっと広い範囲で物が見えてくる。
「面白い! 実に興味深い!」
「他人の不幸を喜ぶもんじゃないよ」
「興味深いのは、最大の疑問が残っている事だ」
「何?」
「ここは老舗だ。店主がそんな初歩的なミスを犯すかの?」
「そうだね……。でもミスは誰だってあるし」
「帰って来た夫婦の荷物を見たかね?」
「ええと……、かなり大き目のキャリーバッグが二個くらい?」
二人の旅行なんだから普通? 奥さんが二つ共引いていったけど、確かに一泊の旅行にしては大仰な気がする。
「キャリーバックとは言えかなり大きい。それを奥さんは二つ共引いていった。つまりそれほど重くはない」
「それが、どうかしたの?」
フィオはやれやれと首を振る。
「いかんなぁ。そんな事ではオンナゴコロを掴めないぞ」
フィオは歯を見せて僕を見る。
「あれは多分服だよ。女性の財産のほとんどは服さね」
ニシシ……、と笑うフィオはいつも同じ服着てるじゃないか。汚れていないから着替えてるんだと思うけど。
「商品、厨房を管理していたのは奥さんだ。だからスイーツみたいなパンも多く。旦那とはしばしば意見が対立していた」
「そうなの?」
「本屋に勤める可愛いお嬢さんからの情報だ」
さすがの僕も少し呆れ顔になる。
「そしてベテランらしからぬ不注意による火事。その時奥さんはたまたま大事な物は持って出ていた。そこから導き出される答えは何だね?」
まさか……。
「奥さんが犯――」
「おっと。むやみに人を疑うものではないよ少年」
フィオは僕の口に人差し指を当てる。
「全て憶測、証拠は何もない。それに、それを暴いてどうなる?」
そりゃ、奥さんは放火犯って事になるけど……。でもこのままじゃ、フィオのせいになっちゃうじゃないか。
「その為に君がいるんじゃろう? 何の為にここまで推理についてきてもらったと思うね」
フィオは声を落とし、ひそひそと僕に耳打ちする。誰もいないんだからそんな必要はないんだけど、耳に当たる息がくすぐったくて、されるがままにしていた。
「でも、僕にそんな事……」
「あの夫婦はワシのせいだと思っとるから。ワシではダメなんじゃよ。それにワシにはやる事がある」
フィオは僕の背中を叩く。
「頼りにしとるよ、小林 多聞くん」
と歯を見せて笑った。
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