◇6「緑の矢」

 授業が終わって学校を飛び出した僕は、家にも帰らずに商店街に直行する。

 フィオは……、街の人達は大丈夫だろうか。

 感謝祭を執り行った広場まで走った所で立ち止まり、息を整えながら商店街の様子を見る。

 よかった。まだ何も起きていないようだ。

 あれから天虫に相談した。信じてもらえるかどうか心配だったけどその必要はなく、天虫も神無月のやり方は知っているようだった。警察に知らせても、いつまでも警備してくれるわけじゃない。引き上げた後で襲いに来るだけだ。襲われてから通報するしかないが、どれだけの被害が出るか分からない。

 商店街を臨時閉鎖すると言い、僕には近づかないよう忠告してくれたが、フィオの昨日の様子では心配だ。僕が来た所で何ができるとも思えないが、フィオを一人にしておけない。

 商店街に足を踏み入れるとほとんどの店が臨時休業している。街の人達は閉じ篭っているのか家を空けているのか、いずれにせよフィオが酷い目に遭っても助けに出られないだろう。

 ガコンと足元に違和感を感じて地面を見る。板の感触だ。地面の補修でもやったんだろうか。

 構わず商店街を進むと蓮甘書店が見えた。やはり開いている。大半の店が雨戸やシャッターで閉じられている中、パチンコの大当たり口のようにその入り口を開けていた。

 今日この商店街を訪れた者はそこに入るしかないわけだけど、今日やって来る予定の者達は商品を買う為に来るのではない。

 襲撃に来る連中も小さな女の子に乱暴するとは思えないが、店はそうもいかない。名作劇場なら小公女の真っ直ぐな眼差しと純粋なまでの誠実さで説き伏せられ、改心して去って行く美談になるんだろうが、はたして現実はそうだろうか。

 とてもじゃないが楽観していられない。あんな小さな子に正論をぶつけられた血気盛んで理屈の通用しない者達が、どんな行動をとるか……。

 当然僕にそれが止められるとは思えない。僕が止めるのはフィオの方だ。

 書店に駆け込み、戸締りをしてフィオを家の奥に押し込んで共に息を潜める。僕にできるのはそれだけだ。

 まだ整わない息で書店に向かって歩くと店の前に袋が積んであるのに気が付いた。なんか……土嚢(どのう)みたいだけど。

 訝しんでいると背後、つまり商店街の入り口の方からエンジンの音が近づいてきた。

 のどかな田舎商店街に似つかわしくない、マフラーを外した豪快なエンジン音。

 振り返ると暴走族の集会のように、派手な車にやたらパイプのような物が伸びたバイク。それらをレザーと鎖だけでできたような服に、極彩鳥のような頭をした若者達が駆っている。

 彼らはレースのスタート前のようにスロットルを吹かして排気煙を立ち上らせる。

 オープンカーやバイクの後部座席、サイドカーの上には思い思いの凶器を持った者が、手持ち無沙汰にそれらを振り回していた。

 その映画のような光景に、僕は真っ青になって立ち竦んだ。彼らとフィオが話し合っている姿が思い浮かばない。

 まさに狼の群れの中に、羽を失ったコマドリを投げ込むようなもんだ。

 フィオを守らなくちゃと思うも、完全に足が竦(すく)んでいた。

 そうこうしていると一斉にスタートを切ったように車両が動き始める。

 奇声と共にエンジン音が高くなり、砂埃が巻き上がる。まるで竜巻が迫ってくるようだ。逃げても無駄、家に隠れても無駄。商店街の建物は、藁(わら)の家のごとく狼の息吹に吹き飛ばされる事だろう。

 黒煙と火の手も見える。エンジンの火ではない。あれは火炎瓶だ。

 隠れてちゃダメだ。フィオを連れて、ここから離れなくては……。

 震える足を無理矢理動かそうとした時、前列のバイクがガクンと前輪を地面に埋める。

 そのまま転倒し、運転者を地面に投げ出した。

 続く車両も次々と落とし穴に落ちたように前輪を取られて転倒し、後続車が玉突きに追突していった。

 補修していた地面が崩れたのか?

 僕はさっきの地面の感触を思い出す。いや『落とし穴のようなもの』じゃない、あれは落とし穴だ。

 穴を掘って板を乗せ、その上を砂でカモフラージュした、単純な落とし穴だ。

 人が乗ったくらいでは何ともないが、車両が通ると板が割れて落ちる。

 一体誰がこんな……、と思っていると背後から何かを引き絞るような音、そして風を切る音がした。

 その音に乗って飛んで行くのは矢。先端に燃える火の玉が付いた火矢だ。

 火矢は真っ直ぐに穴に落ちたバイクに向かって飛んで行き、カツンと金属音を立てると爆発した。

 映画のスタントマンのように、周囲の人間が飛ぶ。

 唖然としていると次、また次と火矢が飛んで車両を爆破していく。あんなので車やバイクが爆発するものなんだろうか。矢を放っているのは……、アレしかいない。

 まるで人形のように人が飛ぶが、怪我人はいても死者は出ていないようだ。そう言えばメアリ・グリードは人を殺さないのが信条だったな……。

 上を見ると弓矢を持ったフィオが書店の屋根から顔を出した。足を立てて、これ以上ないというドヤ顔で商店街の入り口を見据えている。

 フィオはまた燃える矢をつがえ、そして放つ。

 爆煙が上がるが、その中を数台のバイクが突破する。つかえた車をジャンプ台に、炎の中を飛び、左右からも数台回り込んで来た。

 フィオのやる事も映画や漫画のようだけど、あいつらも負けていない。

 フィオは飛び降り、一回転して着地すると、土嚢に身を隠して矢を射る。

 矢は走るバイクのタイヤをパンクさせて転倒させる。

 地面に叩きつけられて激しく転倒する彼らは、なぜヘルメットの着用が義務付けられているのかを思い知った事だろう。

 走ってくるバイクは全て倒されたが、それでも何人かはこっちに転がってきて、そのうちの一人、極彩色の鳥の羽のような頭をした男が、呻きながらもゆっくりと起き上がる。

 鳥頭は落ちていた武器を拾い上げるが、フィオの矢に弾き飛ばされた。

 何が起きたのかよく分からないというように辺りを見回したが、僕の方に走ってくる。

 そう、僕はフィオと鳥頭の間にいた。フィオが容赦なく僕ごしに矢を射るので動けなかったんだ。

 鳥頭は走って来ると、土嚢に向かって僕の体を盾にするように掴んだ。

「おい! そこにいる奴! 出て来い!」

 と土嚢に身を隠すフィオに怒鳴る。

 鳥頭は飛び出しナイフを取り出した。僕は人質になってしまったようだ。

 フィオは躊躇(ちゅうちょ)なくひょこと顔を出したが、当然鳥頭は訝しげだ。

「なんだガキ! どっか行け! そこにいる奴! 出て来い」

 他にもいると思っているんだろう。それはそうだろうが、土嚢の裏にはフィオしかいない。

「おい! こいつの耳を切り落すぞ!」

 それはイヤだな。

「あたいが代わるよ。ソイツを放しな」

 フィオが弓矢を持ったまま立ち上がる。鳥頭も本物の弓を持っている事で「まさか本当にコイツが!?」と動揺しているようだ。

「おい! そいつを捨てろ!」

 動揺しながらも武装を解除するように言うが、メアリ・グリードは絶対に武器を手放さない。

「お前こそソイツを放せ」

 小さな弓使いは弦を引き絞って構える。

「へっ、撃てんのかよ?」

 鳥頭はナイフの刃を僕の頬に当てる。彼は遥かに僕よりも背が高いので、僕の陰には隠れていない。

「ふん、お前もな」

 フィオは不敵に笑う。僕を刺せるのかと聞いているんだけれど、僕を掴む鳥頭の手からは焦りを含んだ力が伝わってくる。

 要はかなり興奮していて、本当に何をするか分からない。僕の頬を冷たい汗が流れた。

 フィオはギラリと光る鋭利な矢尻をこちらに向けたまま動かない。メアリ・グリードとは言え、傷付けずに倒すのは難しいだろう。

 対して鳥頭もまさか本当に撃つまいと思っているようだけど、目の前にいるのは小さな子供。さっきの攻撃が本当にこの子供の仕業なら撃つかもしれない。

 子供過ぎるが故に逆に油断できないようだ。子供である事を免罪符に好き勝手やってきた彼らには、ある意味それが分かるんだ。

 そうこうしている内に後から追い付いて来た数人が加わり、気の抜けない状況になる。皆武器を持っていない為、傷付けずに倒すのは難しい。

 彼らは僕を人質にフィオを取り囲むように遠巻きに囲い始める。一斉に襲い掛かられたらまずい、と不良共を見回す。

「あれ?」

 その端っこの比較的若い男の顔に見覚えがあった。その男、いや男の子は僕と目が合って一瞬驚き、そして目を逸らす。

「タカシ?」

 男の子はギクッとしたように体を硬直させる。やはりそうだ。小学生の頃、一緒に遊んだ事もある、僕の同級生だ。静電気を溜めた下敷きで逆立てたような髪をしているが間違いない。中学が別になり、それ以来会っていない。特別仲がよかったという程ではないけれど、友達のいない今となっては数少ない“友達だった”者の一人だ。

 あれからどういう経緯を辿ったのかは分からないが、今はこういう連中とつるんでいるのか。

 でもこの状況、再会を喜ぶ雰囲気でもない。

 ……と思っていると、その切迫した空気の間に和やかな声が割って入る。

「あらあら、どうしたのこんな道の真ん中で」

 振り返るとおばあさんが普通に道を歩いてくる。よく通りを掃除しているおばあさんだ。

 不良グループは露骨になんだこのババアは、という顔をし、リーダー格の鳥頭が「おい、追っ払え」と誰に言うでもなく指示する。

 その声にタカシが動き、おばあさんを誘導しようとするが、

「おや、サトルじゃないの。まあまあこんなに大きくなって」

 いや、違うよ……とタカシが言いつつもおばあさんの耳には届いていない。足腰も弱いようで強引に押し退ける事もできないようだ。

 さしもの不良グループも、こんなおばあさんに手荒な真似はできないようだ。

 皆がそっちに気を取られていると、フィオが口を開く。

「おい」

 フィオは僕の方を見て言った。

「月夜の晩にタコと踊った事はあるか?」

 僕も鳥頭も一瞬「?」の顔になったが、僕は直ぐに「あっ」となった。

 風を切る音と共に、矢が放たれる。

 それは真っ直ぐ、僕の半開きの口に向かって飛び、がっちりと歯で食い止められた。

 金属を歯で噛む嫌な感触の中、僕はその反動で大きく首を仰け反らせる。

 僕に咥えられた矢尻を軸に回転した矢は、その尻で鳥頭の顔面を打った。

「!?」

 意表を突いた攻撃に鳥頭がたじろぐ。

 顔を押さえてよろよろと後ずさる鳥頭はフィオが続けて放った矢に、ブーツを射抜かれてバランスを崩して倒れた。そのまま地面で頭を打ち、頭上にヒヨコでも飛んでいるかのように頭を回すとばたりと倒れる。

 他の連中はリーダーがやられたのを見てたじろぐ。その時、パトカーのサイレンが聞こえ、それを合図にするように皆ほうほうの体で逃げ出す。

 タカシもおばあさんを気遣っていたが、商店街に隠れるようにして立ち去った。

 僕はガタガタと歯を鳴らしながら立ち竦む。歯の間で矢尻から金属の味がした。

「よくやったな、ガキんちょ」

 フィオは僕の顔から矢を引き抜いた。

 なんて事をするんだ……、と文句を言う事もできない。

『月夜の晩にタコと踊った事はあるか?』

 メアリ・グリードはその台詞の後に、人質になった恋人の胸を射抜いたんだ。

 実際には仮死状態にしただけで後で生き返るんだけど、劇中でも一か八かの賭けだった、運が良かったと言われていたっけ。

 僕は死線を彷徨わなかっただけマシなのかもしれない。

 でも、僕が気付くのが遅かったら……と青くなる僕の顔を見てフィオは、

「信じてたよ。男じゃん」

 と笑う。信用されていたんだ。それはいい事なのかな、と少し気分が高揚して思わず後姿に声を掛ける。

「フィオ……」

 少女は「フィオ?」と言わんばかりの訝しげな顔で振り向く。

 しまった! メアリ・グリードを愛称で呼んでいいのは恋人と強い男だけだ。

 フィオは冷や汗を流す僕を見たまましばらく考え込むように固まっていたが、やがて少し頬を赤くしてそっぽを向いてしまった。

 なんだろう? 取り敢えず射殺される事はないようだけど……。

 やがて警察もやってきて、隠れていた街の人も恐る恐る顔を出す。

「フィオーリ。怪我はなかったかい?」

 天虫がフィオを気遣うが、メアリ・グリードになったフィオは素っ気ない。

 街の人達は口々に「何て事をしてくれたんだ」と焦りの色を見せる。

 どんな報復が返ってくるのか、と気が気ではないのかもしれないが、あの連中の装備から、襲われていればどうなっていたか分からない。

 気絶していた何人かは警官に連れて行かれたが、さすがにフィオの事を挙げる者はいないだろう。奴らがフィオの事を突き出そうとしても誰も信じないだろうし、彼らが小さな女の子にやられました等と言うはずもない。

 だが商店街に被害がない分彼らの釈放も早いかもしれない。だから街の人達は心配しているんだ。

 しかし心を込めた説得が通用する相手にも見えなかったし、どうする事が正しかったのかなんて僕には分からない。

 ただ僕に言えるのは……、

「あ、あの……。次は何の本読むの?」

 ん? とフィオは振り返る。

「メアリ・グリードの三章。今また最初から読み返してるんだ」

「いやー、別の……もっと色んな本を読んだ方が……。ほら、同じのよりも新しい方がいいでしょ」

「ん? そうか? じゃ、ソアラもしばらく封印するか」

「いや、それはどんどん読んで」

「なんだよ。言う事がコロコロ変わる奴だな」

 フィオはぶつくさ言いながら書店に戻る。

「じゃ、前から読んでみたかったコレにするか」

 棚から一冊の本を取り出す。文庫本のようだ。背表紙の感じからミステリー、ホラー物をよく発刊しているレーベルのようだ。

『江戸の山賊呪い村』

 話すなかれ聞くなかれ。他里の者に漏らしてはならない秘密のある村。

 山賊に襲われ、非業の死を遂げた女の怨霊が人に取り憑き、村人を巨大な包丁で無差別に切り刻む。そんな呪いの言い伝えがある村に肝試し感覚で訪れた主人公達は、世にも恐ろしい目に遭う事になる。

 一人、また一人と殺されていくメンバー。言い伝えの通り、大きな刃物で惨殺されるんだ。

 でも、結局犯人は主人公自身というオチの話で、最後の一人を殺す時に正体を明かすんだけど、その時の描写が何とも恐いと評判になった。

 殺人の動機の裏には、何とも悲しく切ない真実が……って、

「それはダメだ!! 絶対ダメ!!」

「ああ? なんでよ?」

「それは……」

 またいい加減な事を言っては本当に殺されかねない。

「それは僕が買うから! 読みたかったんだよなーこれ」

「そうか。じゃ、しょうがないな」

「今日はドタバタした事だし、なるべく穏やかな本にしようよ」

 僕はフィオを宥めるように書店に押し入れた。

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