◇3「黒い貴公子」

「おはようございます。多聞さん」

 フィオは僕の名を呼んで迎えてくれた。彼女に呼んでもらえるのなら、自分の名を好きになれそうだ。

「さっそくなんですけど、この荷物を運んでくださいません? ですわ」

 台車にダンボールが積まれている。確かにこれを小さな女の子に運ばせるわけにはいかない。結構重いが台車を押すくらいなら僕でも大丈夫だ、とアスファルトにもなっていない砂地の通りを台車を押して進んだ。

 開催場所の広場までは百メートル程度。運び終える頃には息が切れたが、彼女の役に立てた事の方が嬉しい。

 広場は中央に噴水があり、その周りを遊歩道が通っている。街灯が立ってベンチもあり、緑もある。ちょっとした公園のようだ。

 この広場を中心に、十字型に通りが走っている。

 広場から西の通りを見るとアーチがあり、そこには「蓮甘商店街」と書かれている。僕が台車を押して来た道だ。

 北側にも似たような通りがあるが、こちらは立ち退きが完了し、建物が取り壊されて新しいのが建設中だ。

 それ以外は高いビルが建っている。いくつかは完成してビジネスビルとして稼働している。

 昔ながらの伝統ある街並みと、近代設備の整ったビルが混在する。なんともアンバランスな景観だけれど、それもあと少しで無くなってしまうんだ。

 僕達は青空の下、立ち並ぶ街灯の間辺りの石畳にビニールシートを敷いてダンボールを降ろし、いくつか開いて中の本を並べる。すぐ近くだけど、蓮甘出張店というわけだ。

 周りも大体同じ、各商店の出店になっている。

 パン屋さん、ブティック、小物屋さん。小さな商店街の祭りだと思ってたけど結構賑やかだ。もしかすると最後かもしれないから、せめて盛大に……という事なのかもしれない。

 昨日の老人、天虫も忙しく動き回っている。今日の祭りは商店街取り壊し反対の署名活動も含まれているそうだ。

 天虫は、蓮甘――フィオのお父さんが亡くなって以来、旧知の仲だった事もあって色々と世話を焼いてくれていて、今ではフィオの親代わり。

 天虫の家も代々この土地に住んでいて由緒正しい。年長者でもあるので町内を取り仕切っている。

 準備をしながらフィオが色々と教えてくれた。

 友達になったとは言え、まだ僕はフィオの事はよく知らない。

 ここに来てまだ浅いと言っていたが、他に身よりはないんだろうか。金髪だし、もしかしたら日本国籍でないのかもしれない。見た目小学生くらいの子が一体どうしているんだろうと気になるが、さすがにそこまで踏み込んで聞く事もできない。

 僕達のスペースは、ビニールシートを敷いて商品を並べただけの簡素な物なので、すぐに用意を終える。

 一息ついていると、年配の人達がせわしなく準備する中、比較的若い女性とフィオよりも小さな子供がやってきた。

 確かまだ始まってないはずなんだけど……、と思っていると横のスペースで準備を始める。

 隣のスペースの人だったのか。母子で店をやっているみたいで、荷物は予め手伝いの人が運んでおいたようだ。

 母親はせっせとスペースに小物を並べ、チョークで可愛らしいイラストの描かれた小さな看板を立てた。小物屋さんらしい。外国の珍しいアクセサリーや、悪く言えばガラクタのような物まで何でも扱っている店みたいだ。母子揃って健康的な肌の色をしている。

 母子がよろしくね、と挨拶するのを愛想笑いで答える。

 話しかけられても応対に困ってしまうかな、と意味もなく周囲に視線を泳がせていると若い女性が写真を撮りながら歩いて来るのが見えた。感じからして商店街の人ではないな。

 その女性は僕達に気がつくと珍しそうに話しかけてきた。

「あら、かわいい売り子さんね」

 セミロングの髪をした二十代前半くらいの結構な美人さんだ。

 カジュアルな服装には似合わない、本格的なカメラを首から下げている。写真には詳しくないけど、一眼レフというやつだろうか。

 だがその高そうなカメラよりも、その後ろにある二つの丸い大きな物の方が目立つ。

「あたし、フリーの雑誌記者やってるんだけど。この街の事取材してるんだ」

 と言って名刺を取り出して見せる。

 手を放されたカメラは重力に従ってぶら下がるが、大きくて柔らかいクッションに押し返されて跳ねた。

 差し出された名刺には『泉澤 京香』と書かれていた。京香は名刺を渡す事無くしまう。まあ、僕らみたいな子供に渡しても仕方ない。怪しい者でない証明に見せただけだろう。

「ねえ、写真撮らせてもらっていい? 一応町内会には許可をもらってるよ」

「ええ、どうぞ」

 フィオは快く承諾する。

「取材料は頂きませんけど、何か買ってくだされば嬉しい……ですわ」

「あら、お上手ね」

 京香は並べられた本を見回し、手頃そうな物を見繕う。百円コーナーから、どうせなら趣味に近い物を選ぼうとしているんだろうか。

「お姉さん。今ならいい物があるんですけど」

 フィオは一冊の本を取り出す。

『乳トレ バストを維持したまま痩せる本』

 ダイエット本のようだ。女性に勧めるには良い本なんだろうけど。僕は京香の胸を見れずに顔を赤くして縮こまってしまう。

「胸の重さだと思って油断していたらとんでもない。実は隠れ内臓脂肪なんです」

「え? そうなの?」

 京香の顔が少し引きつる。

「もしも……もしもですよ? お姉さんが五十五キロよりも重かったら要注意です」

「そ、そう……。まあそんなにないんだけど……、もらっとこうかしら。……一応ね」

 見た目スレンダーな美人だけど、胸だけで二キロはありそうだ……。

「三千円、ですわ」

「……高いわね。ここ古本屋さんでしょ?」

 フィオは耳打ちするように少し声を潜める。

「今はまだ準備中ですけど、始まったらすぐ売れてしまいます。これ一冊しかありませんもの。お姉さんはラッキー、ですわ」

 そ……そうね、と京香は財布から札を取り出す。

 そんな事をしていると拡声器の声が広場に響き渡る。この声は町内会会長の天虫だ。これから開催するような事をアナウンスしている。

 待っていた人も、何が始まるのかと通りかがりに見ていた人も広場に入ってきた。

 思ったより人はいるようだけど、僕達のスペースは少し怪しい感じがするのかあまり人は来ない。

 京香は行き交う人々を風景を含めて撮りながら、人の流れに消えて行く。

 僕達のスペースには書店の名前を書いたものすら用意していない。そもそも行き交う人達はここが出店に見えているんだろうか。客寄せとかやった方がいいのかな? でも僕にそんな力はない。

 不安になるが、フィオは特に気にした様子もなくニコニコしている。

 まあ、ここでの売れ行きがどうであれ商店街の運命は変わらないんだから、今更商売もないのかもしれない。

 少し肩の力を抜いた所で、広場の一角がざわざわとしだす。

 何だろうと目をやると、人が割れて黒い服を着た一団が歩いてくるのが見えた。

 黒いスーツにサングラスをした連中はいかにも怪しい。「誰に断ってここで商売してんだ?」と言ってくる人達だろうか。

 商店街の人達も客達も、黙ってその一団が通り過ぎるのを固唾を呑んで見ている。

「やあ、これは神無月の旦那。視察ですかな?」

 天虫が手を捏ねながら一団に近づく。

 話しかけているのは黒服の中心にいる……男? サングラスはしていないが一際小さいスーツに身を包んだ、かなり童顔な男。というより、本当に子供が混ざっているようにしか見えない。

 天虫の対応から、その男が一番偉いんだろうという事は分かる。

「あれは神無月 リオンさん、ですわ。神無月はこの土地を買って新たなビジネス街を作ろうとしている財閥です。若いけれど神無月のご子息で、ここの買い上げを任されている人です」

 という事は、要するにこいつが商店街を潰そうとしている張本人か。

 商店街の人達もなるだけ触らないように、と避けている様子だ。天虫が気を遣うように応対しているが、いかにも傲岸不遜な様子で、天虫の方を見もしない。

「なんだろう。商店街を潰す目的なら、嫌がらせにでも来たのかな」

「そうですね。一般のお客さんもいる中で滅多な事はしないと思いますけど」

 フィオの言う通り、黒い一団は偉そうにしながらも、特に何をするでもなく広場を徘徊し始める。

 客達もその只ならぬ雰囲気に圧倒されるように距離を置き、広場全体の空気も重くなり始めた。

「なんか……、やりにくいな」

 もちろん連中どころか、周りの客にすら聞こえないように呟く。

「皆ヘタに騒いで目を付けられないように気を遣ってるん……ですわ」

 活気を奪っていく事でじわじわと追い詰める作戦か。姑息な事をする。

「でも今日はお祭りです。暗い話はヤメにして、景気良く行こうじゃありませんか」

 フィオは立ち上がり、よく通る声で行き交う人達に呼びかける。

「さあさ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい。御用とお急ぎの無い方、西のお姉さん、東のお兄さん。聞いて驚き見てびっくり、見て損は無いよ。見なかったら一生の不覚! 今日を限りの実演だよ。今見逃したら次に見るのはハレー彗星が先か、金環日食が先か?」

 小さな女の子の流暢な売り口上に、道行く人々がなんだなんだと足を止める。

「子々孫々に語り継ぐ前代未聞、空前絶後、天下無敵、驚天動地の不思議だね。こんなの見た事ないでしょう! よそじゃなかなか見られません! さあさあ、寄った寄った」

 人だかりができた所で、フィオは懐から星の形をした縫い包みを取り出す。

 地面に置くと、それはヒョコヒョコと歩き始めた。

 おおーっ、人々が感嘆の声を上げる。

 星の形をした縫い包み、ホシローは売り場スペースの真ん中まで歩くと軽く手を振ってみたりと、愛想を振りまいている。

「タネも仕掛けもありません! ってんなわきゃあない。タネの仕掛けも大アリでぇ。タネが知りたきゃ、自分の目で確かめねぇ」

 フィオは積んであったダンボールから、同じような星の頭をした縫い包みを取り出し、ズラッと並べた。ホシローそっくりに、精巧に作られているが、手縫いのただの縫い包みだ。

「一個千円だぁ。でも本日に限り、特別二つで千五百円にしといてやらぁ、後で騙されたと分かっても、勉強代だと思えば安い安い!」

 一つくれ! オレは二つ、と次々に名乗りを上げる観客に、僕は呆然と立ち尽くす。

 こ、これって……と固まっていると、

「待て!」

 と少し甲高い声が広場に響いた。

 人々が後ろを振り返り、道を空けると、そこに立っているのは小さなスーツに身を包んだ童顔の男。

「くだらない詐欺商法だな。オレの敷地となる場所で汚らわしい商売をするんじゃない」

「待ってました。リオンの旦那! では皆さんに仕掛けを解説してやってくださいませ!」

 フィオは慌てふためく様子もなく、リオンを迎え入れる。大丈夫なんだろうか。

 リオンはふん、と鼻を鳴らすと僕を指差す。

「簡単だ。古典的な手法だよ。ソイツが糸で操っているんだ」

 ぼ、僕? と指されてドキリとしたが、傍から見たら「見破られた」みたいなリアクションに見えたかもしれない。

「では旦那。その子を手に取ってとくとご覧あれ!」

 リオンは不敵に笑うとツカツカと歩み寄り、ひったくるようにホシローをつかみ上げる。

 ホシローを片手で持ち上げ、もう一方の手でホシローの周り、上下左右の空間をまさぐる。糸が付いていないか確認しているんだろう。

 一通り空間を撫で回した所で、表情が怪訝なものに変わる。

 今度は人形を強くつかみ、仕掛けが入ってないか確認するようにマッサージする。その間ホシローは動かずに大人しくしていた。

 リオンは顔を強張らせて固まり、地面に手を突くとペタペタと触り始める。

 糸を張ってないか、地面に仕掛けは無いか、一通り調べると引きつった顔を上げてフィオを見据える。

 言葉の出ないリオンに畳み掛けるように、フィオが声を張り上げる。

「さあさ、買ってくださいとは言わねぇ。でも売ってくださいと言われりゃ、売ってやらない事もねぇ。さあどうするどうする。本日限りだよ!」

 丸めた新聞紙で地面を叩いての述べ口上に人が殺到する。

 こうして、最もサクラになり得ない人物のお墨付きをもらったホシロー人形は飛ぶように売れる。

「さあ本日限定。三百個で売り切れだよー」

 そんなに作ったのか……。

「仕掛けは、今夜開設されるホームページにて公開! 付属の説明書をよく見てね。乞うご期待! QRコードも付いてるよー」

 僕はただ顔を引きつらせていたが、人の喧騒を強い声が遮る。

「待て!」

 皆が静まると、リオンはニヤリと笑い、ホシローを投げ捨てる。

「仕掛けは分からんが、動くのはこれ一つだけだろう。形が少し違うぞ。そうだな……、それを動かしてみろ!」

 リオンが地面に並べられたうちの一つを指差し、フィオがピタリと動きを止める。

 ま、まずい……。この展開は。

 客達も動向を見るように動きを止めるが、フィオは静止画のように固まったままだ。

「どうした、できないのか?」

 フランス人形のように固まっていた顔は、ギリッと動くとリオンを見据え「にひっ」と下卑た笑いを浮かべる。

 フィオは両手をひらひらと動かし、客達にスペースを空けるように促す。

「では旦那のご所望通り、この人形を動かしてみましょうぞ」

 できるの!?

 フィオは人形を、賭場でサイコロを振る壷振りのように動かす。まるでリオンとサシで勝負しているかのようだ。そして真ん中に人形を置き、上から覗き込むように語り掛ける。

「ホシロー二号。おっきの時間ですよー。さあ、起きてー」

 だが当然のごとくホシロー人形はピクリとも動かない。リオンは黙って見つめ、観客達にも緊張した空気が漂うが、僕は気が気ではない。一応手伝いである以上僕も売り手側の人間なんだ。インチキがバレたら、僕もどんな目に合わされるか分からない。

「困ったですわねー。あ、そこのお嬢ちゃん。呼んで起こしてあげてくれるかな?」

 フィオは人だかりの中にいる小さな女の子に声をかける。隣のスペースの女の子だ。

 指名された女の子は、てくてくと人形の前まで歩き、リオンが場所を譲る。

「ホシロー、起きてー。さあ、お嬢ちゃんも一緒に」

 女の子はフィオに合わせて「起きてー」と呼びかける。

 しばらく呼びかけが続き、少し痛ましい空気が流れ始めた頃、ホシロー人形の頭がピク……と動いた。

 その場にいる全員が息を呑む。

 ホシロー人形は、ピョコっと起き上がり、元気よく跳ねた。

 女の子は驚いて尻餅をつき、観客が感嘆の声をあげる。

 フィオは跳ねる人形をつかみ上げると、

「さあさ、この人形から持ってっていいよー」

 と高く持ち上げる。

 客達が声を上げて殺到し、僕はリオンと同じく呆然と立ち尽くしていた。

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