◇2「太陽の小公女」
結局、彼女に言われた通りまた来てしまった。
約束されられてしまったので、すっぽかすのも恐ろしい気がしたんだ。
昨日の薦めのままに小公女を読んでいるなら、今日は小公女の気分になってくれているんだろうか……というよりそんな事ってあるのか。ひょっとしたら僕は、からかわれているんじゃないのか?
商店街のアーチを見上げながら昨日の少女を思い出して身震いする。
やっぱり帰ろうか、と躊躇していると目の前の店から若い女性が出てきて笑顔を向けてきた。
商店街に足を踏み入れるかどうか悩んでいたんだけど、この店を値踏みしているようにも見えたかもしれない。
改めて見るとここは花屋だ。店頭には小さな鉢植えが並べられ、店内には茎を伸ばした花が並んでいる。それほど大きくはないが、可愛らしいお店だ。花には詳しくないので、どの花の名前も分からない。
「これからデート? プレゼントする花を選んでたのかな?」
ショートカットの店員は悪戯っぽく言う。小さな店なので他に人はいない。アルバイトだろう。僕より少し年上というくらいだ。
「そ、そんなんじゃ……」
「顔に書いてあるよ」
ええ!? と慌てて顔をこする僕の前に花が差し出される。薄いピンク色の大きな花弁を持った可愛い花だ。
「このコスモスなんてどう? 花言葉は『乙女の純潔』」
へぇ、と差し出された花を見る。
確かにあの可憐な少女のイメージにピッタリだ。……あ、一昨日のね。
「コスモスには黄色いのもあるよ。意味は『野生の美しさ』」
へぇ、昨日のあの子にピッタリかな。
「そして黒みがかった赤いコスモスは……『恋の終わり』」
グサリと胸に何かが突き刺さった。
露骨に愕然とする僕を見て、店員が面白そうに笑う。
「お目当ての子には……、これかな?」
と言ってピンクのコスモスを取り出す。僕の反応を見て、選んでくれたようだ。確かに実際はどうあれ、僕はあの子にピンクのコスモスであってほしいと望んでいる。
「あ、あの……」
店員の気さくな様子に、思い切って聞いてみた。
「この商店街に古本屋さんがありますよね」
「え? うん。……うーん。小さな女の子のいる?」
「知ってるんですか?」
「ええ、そりゃ……ね。有名だもん」
小説のネタを探してこの街に来て古本屋の少女に会い、ネタにならないかと考えている事を話してみる。
「確かに変わり者だから、ネタにするにはいいんじゃない?」
自分は通いのアルバイトだから、大した事は知らないけど……、と前置きして話してくれた。
昔は気のいいお爺さんが一人で細々と開いていたが、一年ほど前に娘が現れた。
奥さんもおらず、歳の離れた……しかも金髪の大きな娘が突然現れたんだから何か訳はありそうだけど、皆深くは詮索していない。
そして数ヶ月前に店主が亡くなり、少女が店主となった。後見人問題で随分揉めているそうだけど、商店街の立ち退きもあって少し立て込んでいるらしい。
気分屋で情緒不安定な所もあるが、父親を亡くしたばかりの小さな女の子を、皆温かく支えているそうだ。
悪い子ではないんだけれど、日によって随分と機嫌が変わるのでこの店員は少し苦手みたいだ。
少し事情を聞き、少女に対する警戒心が和らいでいくのを感じた。
ずっと外国で暮らし、ここへやってきたばかりなのに突然天涯孤独。不安もあるだろう。
きっと寂しさで、本の中に逃避しているんだ。本の主人公になりきる事で、寂しさを紛らわしているのかもしれない。
少しばかり行動が奇異だからといって、彼女を怖いと思ったりするなんて……。
彼女はきっと寂しいんだ。それなら力になってあげないと……とそんなような事を呟いていると、
「じゃ、これ持ってってあげて」
店員はピンクのコスモスを手渡す。財布を出そうとすると、
「いいのよ。どうせ、もうすぐ閉店なんだし」
少し寂しそうに言う。そうか、ここも立ち退きの影響が……。花をくれるという事は移転ではなく廃業するんだろう。
僕は礼を言って花屋を後にした。
花を持って真っ直ぐ通りを歩き、ホウキで掃除しているおばあさんの横を挨拶して通り過ぎ、本屋へ向かう。古びた造りの本屋の入り口を立ち止まる事なく潜った。
「あら、いらっしゃいませ。いらしてくださったんですね」
どんな出迎えをされても、しっかり彼女と向き合おうという心構えをして来たが、思いの他普通の対応に安心する。
「あ、あの……。これ」
手に持ったコスモスを差し出す。心臓が早鐘を打つが、相手が外国人っぽいので幾分か気が楽だ。きっと外国では普通だ、と自分に言い聞かせられる。
「まあ、ありがとうございます」
少女は花を受け取り、匂いを嗅ぐ。そしてキョロキョロと辺りを見回し、
「でもここには生ける物がありませんね。……そうだ、押し花にしてもいいですか?」
背中の大きなリボンの中から本を取り出す。
どこにしまっているんだ? と思いながら曖昧に頷いた。
本に花を挟んでそっと閉じると嬉しそうに微笑む。喜んでもらえたようで僕の胸も躍った。
「それで、今日は何をご覧になりますか?」
「うーん。今主人公のキャラクターを決めかねてて。参考になる物を探してるんだ」
君の事だけどね。
「それなら自伝小説とかはどうですか? こちらの棚です」
と言って案内する少女について行く。昨日の少女と同じ人間とは思えない。本当に今小公女になりきっているんだろうか……。暗示にかかりやすい体質なのかな。
彼女が順に紹介してくれる本の話もほとんど耳に入っていない。本を取り出しては笑顔で解説してくれる少女の姿に見入ってしまう。
こうしていると、本当に純真無垢な女の子にしか見えない。
気が付くと少女は僕の顔を見て少し小首を傾げている。何か質問して、その答えを待っているようだ。
「あ……、うん。そうだね」
赤くなりながら適当に相槌を打って、少女の手にしている本を見る。
『岸辺誠一の漫画道』
若くして少年誌で漫画家デビューし、長きに渡って人気作の連載を続け、未だ根強いファンを持つ稀代の超漫画家、岸辺誠一が後世の為にそのノウハウを記した本。
単なる手引書ではなく、自伝のようにその半生を描いている。
その卓越した技術は漫画だけでなく、映画、小説、ゲームにも通用すると名だたるクリエイター達も絶賛。
彼が考案したというわけではないんだけど、序章から少しずつ主人公のモチベーションを上げていくストーリー構成、「絶対に下がってはいけない、常に上がり続けるんだ」に徹底した拘りは王道を越えた黄金道と言われ、特徴的な表現手法となっている。
僕も雑誌のインタビュー記事や、テレビ、ラジオにゲスト出演している所は見た事がある。
どんな状況でもサインを断った事もない。違反キップのサインですら、快く応じていると言い。いや、それはそうでしょう。むしろちゃんとサインしましょう――と司会の人に突っ込まれて笑いを誘ってたりもした。
「わたしも読んだ事ありますけど、キャラクター作りの参考になると思うんです……あっ、作家さんならもうご存じですよね」
「あはは、そうだね」
それは読んだ事ないけど……。それにまだ作家と呼ばれるのにも抵抗あるかな。
小さな少女は並ぶ本を見上げ、呟くように言う。
「本って、なんだと思いますか?」
「え?」
いきなり難しい事聞いてくるな。もちろん、文字を記した紙を束ねて綴(と)じた物と言いたいのではないだろう。
「色んな人の、想いが詰まった物……かな」
少女は目を輝かせて僕を見る。
「そうですね。そこにはたくさんの人の想いがあり、人生がある。そしてそれは永遠に残るんです」
「そうだね。色んな人の人生を疑似体験できたり、普段の自分とは違う自分になれたりして……」
この少女の事を言ったわけではないが、少し共感を得られる方がいいのかな、なんて思いで言ってみる。
「わたしは本は宇宙だと思います。それこそ星の数だけ本は存在しますから。世界全ての本を読んでみたいと思うんですけど、多分無理ですからね。でも無理だからこそ、沢山の本を読んでみたいんです」
宇宙か。そうかもしれない。
僕も、本に救われたんだ。今更だけど僕には友達がいない。学校帰りにこんな所……というのは失礼だけど、見つけたばかりの古本屋さんに入り浸っているんだから、そりゃそうだよね。
そんな僕には読書くらいしか趣味がなかった。本の中の主人公は僕とは真逆で、元気で力強く、仲間もたくさんいた。そんな本を読んでいると僕にもできるような気がして勇気をもらえたんだ。
でも現実には中々うまくいかなくて……。いつしか僕もそんな物語を書けるようになりたいと思うようになったんだ。
同じ様な人に勇気を与えてあげられるような、そんな作品が書けるようになりたい。
「どんな本がお好きなんですか?」
少女が屈託のない調子で聞いてくるが、僕は彼女の方を見ていなかった。無限に広がる宇宙。夜空を眺めるように、ぼんやりと本棚を見上げる。
僕にとって本は師匠であり、友人であり、親も同然。どれが好きかなんて言われても答えようがない。
駄作と言われる作品でも、作者はそれを愛しているし、広い世の中にはファンだっているだろう。僕はどんな作品からもその思いを汲み取りたいと思っているから、好みに合わない事を嫌い……好きではない事に直結させていない。
でも……親も同然と言えるなら、こういう事でもあると思う。
「自由帳……」
僕の言葉に少女はキョトンとして首を傾げる。
「まだ何にも書いてない真っ白な本。……僕は作家志望だから、これから何でも書き込める、何も書いてない白い本が一番好きだ」
どんな人間でも、自分の子は愛する。それと同じだ。自分の作品が好きと言うなら、それを書き込める本が一番好きだという事だ。
僕は少女の笑い声に我に返る。
「あ、いや。……ごめん」
変な人だと思われただろうか。本を探しに本屋に来て、どんな本が好きかと聞かれて、白い本だなんて……。そりゃ対応に困るよね。
火が点いたように赤くなる僕に、少女は笑いながら言う。
「わたし、あなたとお友達になりたくなりました」
「え?」
予想外の返答にドギマギしてしまう。
「ここに来てまだ日が浅くて、友達がいないものですから。あなたの創作のお手伝いがしたいです。ダメですか?」
やはり日本人ではないんだろうか。でも友達なんて……、そりゃ願ってもないけど。いいんだろうか。そんなに簡単に……と思うも、
「そ、そ、そ、そりゃもう。ぼ、ぼ、ぼ、僕でよければ……」
と答えてしまう。
「わたし、フィオーリです。蓮甘(はすあま) フィオーリ」
フィオーリっていうんだ。外国人なのかな。日が浅いって言ってたけど、外国で暮らしてたのかな。
「僕は……多聞(たもん)。小林(こばやし) 多聞です。よろしく、フィオーリさん」
テンパって小さな女の子に畏まってしまう。
「フィオでいいですわよ。多聞さん」
少女はにっこりと微笑んで言う。
「じゃあ、フ、フィ……、フィオ」
顔色を窺いながら、恐る恐る言う。確かメアリ・グリードを愛称で呼んでいいのは恋人と彼女よりも強い男だけなんだ。それ以外の人間がうっかり呼んでしまうと矢が飛んでくる。
「ご、ごめん。自由帳だなんて。本屋さんにあるわけないよね……」
赤くなった顔を冷ますように頬を撫でる。
「いえ、ありますわよ」
え? と手を止める僕に、フィオは背中から本を取り出した。
さっき押し花に使ったやつだ……と思いながらその青い本を見る。
結構分厚い。表紙にも背表紙にも何も書かれていない。年季が入っているように古びているが、作りはしっかりしているようだ。
フィオはパラパラと開いて見せる。ほとんどのページに何か絵が描かれているが、それは後から描き入れたものだ。確かに元は白い本だったんだろう。
「人には見せないんですけど。お友達には特別です。この書店に代々伝わる本で、描いた物が飛び出してくる不思議な本なんですよ」
屈託のない笑顔で言われると思わず信じてしまうそうになる。
代々というのは本当のようで、各ページの絵の質が随分違う。前の方のページはまるで鳥獣戯画だ。いわゆる家宝というやつかな。
フィオはカウンターに本を置いて、ペンを取り出すと、新しいページに何やら描き込み始めた。
描いたのは、マスコットキャラのような星型に目と口、小さな手足の付いた体を持ったキャラクターだ。シンプルで可愛らしい絵だけど……、大事な本にいいのかな?
と見ていると、本が薄く光を放ち始める。
何だ? と見ていると、マスコットキャラが徐々にその形を浮かび上がらせ、立体物となって本から飛び出した。
「うわっ!」
と驚いて尻餅を付く。
驚愕して固まる僕の周りを、マスコットキャラはてくてくと歩いた。
手品? 奇術? マジック? 科学? とパニックになる僕にフィオは、
「可愛いでしょう? ホシローって名前にしようかしら。星だから」
と無邪気に笑う。
ホシローは近寄り、「よろしく」と言わんばかりに僕の腕をペシペシと叩く。
本物だ。幻ではない。
そう言えば、パラパラと見た絵には鬼みたいな物や麒麟みたいな物もあった。もしかしたらそういう伝説上の生き物も、この本から出したんだろうか。
そんな物が現実に存在する事にも驚きだが、
「ど、どうして僕に!?」
「あら。お友達ですもの」
疑う事を知らない笑顔で言う。
「いや、でも人には見せない方がいいんじゃ……」
きっと大騒ぎになる。
「ええ。お父様にも、お友達にしか教えちゃいけないと言われました」
あくまで笑顔で言う。
僕を信用してくれている、というのは嬉しいが、正直心配でもある。この子なら誰とでもアッサリ友達になりそうだ……。
「と、とにかく……ちゃんと仕舞っといた方がいいよ」
歩き回る不思議生物も手にとってフィオに渡す。縫い包みのような感触で、機械が入っている感じはない。
ホシローはフィオの懐に入る。仕掛けがあるようには見えないが、正直まだ信じられない。下手に突っ込んで、後で種明かしをされて、恥ずかしくて真っ赤になっている僕を想像してしまう。
幻を頭から振り払うように話題を戻そうと考えると、カウンターに置いてある本が目に留まった。
「もしかして、今読んでる本?」
「ええ、これから読もうと思ってますの」
タイトルを見る。
『捕まえてごらん』
「へぇー、映画にもなってるやつだよね。確か……」
語ろうとすると、入り口から人が入って来た。お客さんかな?
「フィオーリ。明日の商店街祭りの配置表を持って来たよ」
入ってきたのは老人。客ではなく知っている人らしい。
「蓮甘商店街、町内会会長、利根川 天虫(とねがわ あまむ)さんです。商店街の飲み屋さんもやっておられます」
フィオが僕に紹介するように言う。
「蓮甘商店街? 蓮甘って」
この書店の名前……フィオの名前だよね。
「この商店街は、フィオーリのご先祖が創立したからね。明日はこの商店街の感謝祭なんだ。広場で露店なんかをやるんだよ。よかったら君も来るといい」
気の良さそうな老人は初対面の僕にも気さくに説明してくれる。
「時にフィオーリ。蓮甘書店はいつも通り、本のバザーでいいのかい? 手伝いの人をやろうか?」
「いえ、大丈夫ですよ。多聞さん、もしよかったらお手伝いして頂けませんか?」
「ぼ、僕?」
明日は土曜日か。僕の学校は休みだけど。
「い、いいよ。もちろん」
フィオとお近づきになれるチャンスを、逃すはずないじゃないか。
「おや、お友達だったのかい? そりゃよかった。フィオーリと仲良くしてやっておくれ」
「は、はい」
そりゃもう、と思わず姿勢を正してしまう。
「では明日。よろしくお願いします。天虫さん」
「フィオーリ、何度も言ってるだろう。ワシを名前で呼ぶのはやめてくれないか。ワシはその名は好きじゃない。親はなんでまた『虫』なんて字を名前に入れたんだかね」
「わたしは天虫さんの名前好きですよ」
天虫は力なく笑う。フィオの言葉も嫌味にしか聞こえないようだ。
その気持ちは分からないでもない。僕も自分の名前はあまり好きではない。多きを聞く、由来は考えるまでもないが、変な名前だと同級生にからかわれる事など日常だ。
作家らしい名前と言えばそうだから、大人になって作家デビューすれば気にならないかもしれない。でも辛い少年時代である事も事実だ。この天虫は、僕以上に辛い経験があるのだろう。
こうしてまた明日この街に来る口実を得た僕は書店を後にし、翌日訪れる事になる。
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