1幕「虹色の少女」

◇1「カリブの女海賊」

「ああん? 何見てんだよガキ」

 僕の記憶の中にある可憐な少女は、凄くご機嫌斜めのようだ。斜めを通り越して横倒し? いや、そのままひっくり返ってまた立った。一見同じ外見でも中身は全く正反対。僕の目の前にいる少女は今、昨日とは別物になっていた。

「あ、いや。別に……、そんな……、僕は」

 何が起きたのか分からず固まっていた僕は、あたふたと弁解するように手を振る。

「何、人のパンツじろじろ見てんだ?」

「あ、いや」

 じゃあ、足を下ろしてよ……と言いたいが二の句が継げない。

「何だお前? 冷やかしか?」

 なに? これ。双子!? 双子の姉妹が交代で店番やってるのかな? 明日また来た方がいいのかな?

 ひょんと風を切る音と、木に何かを打ちつけるような衝撃音。そして「びぃぃん」とバネのような音を立てて僕の顔の横で振動している黒い棒は……、矢!?

 少女はこちらに向かって、矢を放った形に弓を構えていた。

 横を見ると、矢は本棚の木の衝立部分に突き刺さっていた。

「あ、あ、あ……」

 危ないじゃないか。と言いたいけれど言葉が出ない。

「ガキ……。昨日も何も買わずに帰りやがって……舐めてんのか?」

 やっぱり昨日の子なの!? 一体何がどうなってるんだ……。

 ぎりっと音を立てて、少女は次の矢をつがえる。

 僕は震える手で後ろの本棚から一冊の本を取り出し、

「あ、あの……。こ、これください」

 消え入りそうな声で言う。

 ん? 少女は片方の眉を上げる。

「買うのか? ならさっさと金払え」

 あうう……、と体をまさぐって財布を捜していると、

「ごめんください」

 入り口の方から人が入ってくる。スーツを着た初老の男性。男は店の中ほどまで入ってくると鞄から何やら書類を取り出す。

「立ち退きの件で来ました。今日こそ、この書類にサインしてもらいますよ」

 男性は令状のように書類を見せる。弁護士か何かかな。

「あなたのお父上が亡くなって時期早々で申し訳ないのですが、こちらも仕事ですのでね。早急に後見人を決めて頂かなくてはなりません」

 立ち退き……。

 そう。それが僕がここを訪れた切っ掛けでもある。

 僕の住んでいる所からは電車で数駅、要は隣町だ。

 伝統ある商店街がその歴史を閉じ、新たな新開拓地になるというのをニュースでやっていたんだ。失われる伝統というのに興味がわいて、何か取材の足しになればいいなと思って、それでこの古本屋さんを見つけた。

「商店街にも後見人になってもよいと言ってくれている人はいるのですよ。むしろ彼らにこれ以上面倒をかけない為にも……」

 ひょんと風を切る音と共に男の手から紙が消える。

 矢で射飛ばしたようだ。

 続けて二本、頭のすぐ傍を矢が通り抜けた男は、悲鳴を上げて飛び出して行った。

 呆然と口を開けてその姿を見送る。

「おい! 早く金出せよ」

 少女は、矢をつがえて僕に向けながら言う。これだけ見れば会計ではなく強盗だ。

 至近距離で矢を向けられ、反射的にホールドアップする。

「あ、あ、あ、危ないよ! 本にキズが付く」

 少女は片眉を上げる。

「チッチッ。あたいは本屋の店主だよ。本にキズつけるわけないだろうが」

 冷や汗を流しながら、本棚に刺さった矢を見る。あれは衝立を狙って射たと言うんだろうか? だとすると相当な腕前という事になるけれど……。

 少女の構える弓を見る。

 金属板を組み合わせた本格的な複合弓。子供のお手製ではない、本物だ。小さいながらも強力で、弦を引くには結構な力がいるはずだ。それをこんな子が!?

「自分の身より本の心配かい? 面白いねあんた」

 少女はふっと笑って構えを解く。

「あ、あの……」

 ガタガタと震えながらポケットから財布を取り出す。

「本を盾にしないなんて、気に入ったよ。いいよ、それあげる」

 口の端を上げて笑う。とても子供とは思えないような表情だ。だけど……ガサツで粗暴、でも妙にサバサバした所もある。ロビン・フッドも真っ青な弓の使い手。

 そんなキャラクターの話を極最近したような……。

「メアリ・グリード?」

「ん? ああ、あたいが今読んでる本?」

 とカウンターに置いてある本を手に取る。……そう。昨日この子が読んでみたいと言っていた、女海賊の冒険譚。

「あたいこの話好きなんだ。これ読んでると、なんか自分がメアリ・グリードになったような気がするんだよね」

 なんか昨日も似たような事言っていたような……。

「自分の信念を貫いて生きているうちにいつしか海賊と呼ばれ、けど決して人を殺さず弱きを助け強きを挫く彼女の生き方は、多くの人に称賛されたんだ。あたいもこんな女性になれたらなぁって思って読んでるとね。ない? そんな事」

「う、うん。そうだね。……あるよ」

 僕も探偵小説を読んだ後は、主人公と同じ名探偵になったような気がして、しばらくの間何かにつけて推理してみたり、くだらない事を事件だと言って追ってみたりした事はある。

 でもこの子のそれは限度を越えているな。というより常軌を逸している。

「ところで、ガキんちょはそういう本が好きなのか?」

 ガキんちょ? と思いつつ手に持った本を見る。これは……、

『ブルース・リー列伝』

 本棚から適当に抜いたんだった。正直、僕の趣味ではない。

「あたいも読んだ事あるよ。面白いよね」

 そうなんだ。その時はどうなったんだろうね。

 じゃあ、僕はこれで……とさっさと逃げ出そうとすると目の前に矢が突き立った。

 固まったまま、首だけギリギリと回して矢を射た少女を見る。

「明日も来るんだよな?」

「ええ!?」

「じっくり見たいんだろ? まだ全然見てないじゃないか」

「いやー。でも、じっくり見られないって言うか……」

「ん? そうか? どうして?」

 君が怖くて……、とは口が裂けても言えず、引きつった愛想笑いを浮かべる。

 少女は、カウンターを乗り越え、僕の襟首を掴んでずいっと顔を寄せる。

「あんた……、あたいの事、悪い女だと思ってるんだろう?」

 唇が触れそうなほどに近づく少女の顔にドキリとする。幼いはずの少女に妖艶なものを見たような気がした。

「そ、そんな事は……そうだ。小公女の本を見たいかな。その話を聞かせてもらえると、嬉しかったりして……」

「そう? じゃ、あたいもまた読み返しておこうかな」

 じゃ、そういうわけで……、と警戒する小動物のように、少女に背を向けないようにしながら引けた腰で恐る恐る外に出る。

 完全に少女の視界から消えたのを見計らって、一気に駆け出した。

 見たものを理解できず、頭の中が真っ白になったまま翌日を迎える。

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