プロローグ

「何か、お探しですか?」

 僕にそう声をかけてきたのは可憐な少女。

 ボーイ・ミーツ・ガールの次は、出会い頭にぶつかってパンツが見えてしまったりの展開。

 あるいは地下鉄からの風でスカートが巻き上がった拍子に……とか、ラッキースケベってヤツ? 僕は内気だけど思春期の男子。そう期待してしまう自分もどこかにいたんだけど、この時はそれが本当に叶うなんて思っていなかった。

 彼女に殺されかけるなんて考えもしなかった。

 彼女は清楚で、可憐で、ガサツで、乱暴で、嘘つきで……そして儚い。

 年の頃は十二、三だろうか。背中に大きなリボンの付いたフリフリの服を着て、金髪の巻き髪で碧い目。明らかに日本人ではない。

 大きめのフランス人形が飾ってあるのかと思っていた僕は、突然声をかけられて驚いた。

「あ、いや。僕……その、小説家志望で……、参考になる資料を探しに来たって言うか」

 しどろもどろになって答える僕を見て、女の子はクスリと笑う。

 古びた本屋には少々場違いな少女は、その小さな体を細い足で支えながら歩いてくる。

「小説をお書きになるんですね。どういった資料をお探しですか?」

 無防備に隣に立つ少女に、少し赤くなって書棚に目を戻す。

 書くと言っても、僕はまだ一本も書き上げた事がない。

 何度も書きかけては途中で飽きて別のを書こうとして……、を繰り返している。文章力だってまだまだだ。それに作品には作家の個性が出ると言うけれど、僕は普通も普通。何の変哲もない眼鏡をかけただけの中学生だ。

 僕の経験則から考えられる程度の話じゃ、とてもじゃないけど賞なんて狙えない。

 本は好きで結構読んだけど、それらを混ぜ合わせて新しい物を作れるほどでもない。

 だから取材を兼ねての本屋巡りが、今の僕の趣味となっている。

「これなんか、いかがですか? この土地の伝承なんかを記した本なんですけど」

「へえ、それは興味あるなぁ」

「この土地は竜が奉られていたんです。昔、干ばつしていた土地を竜神様が雨を降らせて救ってくれたんですって」

「へええ」

 と少女が開いてくれた本を覗き込む。

 開かれた本には恐ろしい顔をした竜が、眼下の枯れた田畑に雨を降らせている絵が描かれている。大地では農家の人達が両手を上げて喜んでいた。

 教科書に載っていそうな絵柄だ。

 いつも思うんだけど。この手の話に出てくる神様ってどうして恐い絵なんだろう。

 村人達からすれば有り難いんだから、崇め奉(たてまつ)るのも分かるけど、それは後になってから分かってくる事なんであって、突然村にこんな物が現れたら世界の終わりだろう。

 本当ならもっと畏れおののくではないか?

 どうも僕には恐い顔した竜の下で喜ぶ人の姿がちぐはぐに見えてならない。

 もっとも今風の可愛らしい竜が描かれているのもどうかと思うが……。

 まあこういう場合、何かを示唆(しさ)しているのがほとんどで、本当に竜が出たわけではないんだから、何か意味があるんだろう。

 そう思ってパラパラとページをめくってみるが、大した事は書かれていない。

「なんか……、もっと物語になってる方がいいかな。それなら、作者の解釈を踏まえて参考にできると思うんだよね」

 ちょっと偉そうだろうか。平たく言えば「これじゃよく分からないから既に話として完成している方がいい」というだけだ。

「ここはちっぽけな街ですから、あまりこれを題材にした物はないかもしれませんわ」

「そうなんだ。じゃあむしろ題材にするのにはいいのかな。珍しくて」

「そうですね。わたしも土地の神様が有名になってくれれば嬉しいですわ」

 少女の屈託のない笑顔に僕も思わずニヤけてしまう。

 でもどう使えばいいのかさっぱり分からない。昔の世界観を書けるほど熟達してないし、今風にアレンジするにしてもなぁ……、と手を顎に当てて思案する。

「やっぱりまずは沢山本を読まないと……。まだ色々読んでみたい段階かな」

「本がお好きなんですか?」

「え? うん、まあ」

「わたしもです。本はいいですよね。色々な人の人生を擬似体験させてくれます」

「あ、うん。それ分かる!」

 少女の言葉に、人見知りである事も忘れて話し始める。

「実在の人も架空の人も。そこには一つの人生があり世界がある。本の中にはそれこそ無限の可能性が秘められているんだ」

 僕は少女が持っている本に目を留める。

「それは……『小公女ソアラ』だね」

「ええ。わたしこのシリーズが好きで、今読んでるんです」

 僕も読んだ事はある。女の子向けの話だから全巻読破はしてないけど、暴力的な描写もないし、皆暖かくていい人だから読んでいて悪い気はしない。でも、やっぱり男の子としては少し物足りない。

「わたし、このお話好きなんです。これを読んでると、なんか自分がソアラになったような気がしてくるんです」

「はは、そうかもね」

 いつも明るく前向きな太陽のような少女。どんな逆境においても優しく清い心を失わない。

 誰にでも優しく、等しい愛を。まさに目の前の少女を形容するに相応しい。

「全巻揃ってるの? 次は何章読むのかな?」

「いえ、次はこれを読もうと思って。『メアリ・グリード海賊記』。まだ読んでない物が流れてきたものですから」

「ああ。それ、僕も読んだ事があるよ。面白いよね。実在の女海賊をモデルにした架空戦記」

「ええ。弓を使うというアメリカン・コミックのような脚色に賛否両論あったようですけど。わたしはこの主人公メアリがとても好きです。少しガサツですけど、自分に正直に、真っ直ぐに生きている様に憧れますわ。わたしもこんな女性になりたいです」

「ええー? それはないんじゃない?」

 少女の姿を少し眺めて苦笑いする。

 ガサツで粗暴なメアリ・グリードとは似ても似つかない可憐な少女だ。

 いや、だからこそ憧れるのかな。自分と対照的だからこそ、本の中の主人公に自分を擬似投影するんだ。

 僕は少女の屈託のない笑顔に、だらしなく顔を緩ませる。

 初めて会ったというのに、すっかり心を開いてしまった。こんな気持ちは初めてだ。

「あの。明日も来ていいかな? ここ、結構いい本が揃ってるみたいだし、じっくり見たいんだ」

 そして、君と話したい。

「ええ。お待ちしていますわ」

 無防備とも言える少女の笑顔に、舞い上がって書店を後にした。

 そして翌日。

 学校が終わると家に飛んで帰り、柄にもなく身だしなみを整え、セットした髪を鏡でチェックする。

 本の話題もいいけれど、僕はあの少女の事をもっとよく知りたい。元々小説のネタを探していたんだ。いっそあの子をモデルにした話を書こうか。それなら取材と言ってあの子の事を色々と聞けるかもしれない。

 なんて事に思いを馳せながら、鼻歌交じりに書店に向かう。

 そして古びた書棚の奥に、少女は昨日と同じように座っていた……、と思うんだけど少し姿勢が崩れている。何してるんだろう?

 眼鏡をかけ直しながら近づいてよく見ると、少女は難しい顔をして本を開き、乱暴に足を立てている。

 機嫌が悪いというのを通り越している。僕は何があったのかと恐る恐る話しかける。

「あ、あの……。どうしたの? 大丈夫?」

 何かあったのなら。力になりたい。僕でよければ……。

 しかし少女は目だけを動かして僕を睨みつけ、心底面倒くさそうに口を開いた。

「ああ? 見てわかんねぇのか? 今忙しいんだよ!」

 女の子の立てた足の隙間から、それは見えていた。

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