第34話 パラソル


傘(パラソル)    有馬真言 15歳


 夢の中ではよく訪れる場所だ。入口の木の扉を開けると向かって左側にはボックス席が二つ、その日は誰も座っていない。

向かって右側には木のカウンターがあり、カウンターの向こう側ではマスターがグラスを磨いている。その向かいのカウンター席には二十代前半の男性が座っている。どちらの人物の顔ももやがかかっているようでうまく顔が識別できないが、夢の中ではそれに違和感を感じることなんてない。


 左のボックス席へと向かいテーブルに腰を掛ける。そこには、さも当然のことのように古池さんが座っていて、まるで似合わないカラフルなジェラートを口に運んでいた。

 今までも、夢の中で何度もこの場所に訪れてはいたが、ここで古池先輩と出会ったことはなかったと思う。だがしかし、どういうわけか僕にとって、ここに古池先輩がいるということが特別不思議には思わなかった。むしろ、ここで以前にもあったような気もするが、やはりそんなこともないような気がする。

 こういう感情、なんていうんだっけ―――。 そう、デジャヴだ。


「ねえ、古池先輩。デジャヴってどうして起こるんでしょうか?」


 僕は古池先輩にそう尋ねた。僕はいつだってそうしてきたはずだ。わからないことがあればいつものように古池先輩に尋ねていた。それは真実を知りたいとかではなく、ただ単に惰性で尋ねる癖がついているだけだ。帰ってくる言葉を真に受けているわけではない。ただひとつの可能性を聞いているだけに過ぎない。


「ああ、有馬君。デジャヴっていうのはね、その原因というのははっきりとわかっているわけではないんだよ。ただね、これは可能性の一つとして言うんだけどね。

 それはやっぱり、君自身が経験したことがあるということじゃないだろうか。」

「つまり、過去に経験があるにもかかわらず、憶えていないということですか?」

「少し違うかな。なにも過去とは限らないよ。未来かもしれないし……」

「未来?」

「そう、未来。未来の自分が経験したことを覚えているということ。」

「以前言っていた運命というやつ?」

「それもあるだろうね。でも、もっと多いのが並行世界にいる未来の君の記憶。」

「並行世界の僕?」

「宇宙には並行する世界がいくつも存在する。これはわかるね?」

「ええ、たぶん。」

「それら並行世界の時間軸というものはすべてが同じだとは限らない。たとえば隣の並行世界では今よりも五年未来にいるかもしれないし、その隣には二十年未来の世界だって存在するかもしれない。それら並行世界が同時多発的に存在していて、やはりれらすべてはどこかでつながっている。

 それらが互いに干渉しあい、運命を形造ってているんじゃないかと思うんだよ。」

「つまり、デジャヴは並行世界の僕が経験したことの記憶の一部……」

「ご名答。加えて言えば、未来予知や占いというものは並行世界の自分が経験した未来の出来事の記憶の一部…… ただしこの世界とその並行世界がまったく同じだとは限らないから―――」

「当たるも八卦―――。」

「そう言うことだ。有馬君。ボクはね、タイムマシーンなんて人間に作れっこないって思ってるんだよ。どうあがいたところで物質が光の速度を超えるなんてできっこないさ。ただね、物質じゃなければ光の速度を越えられるとは思うよ。」

「えっと、つまり―――。」

「思考だよ。思考、思念といったものならば光の速度を超え、並行世界への壁すらも超えることができるんじゃないだろうか。」

「解らない話ではないかな、世界にはたくさんの並行世界がある。オーケー。それで納得しておこう。でもなんですね、それら並行世界のさらに向こう側には神様のような存在がいて、いくつもの並行世界を見比べているような存在があるかもしれないって気がするんですよね。」

「そりゃあ、いるだろうよ。」

「ああ、古池先輩って、神様の存在とか信じないタイプかと思ってましたけど。」

「神様ね。いるんじゃないだろうか。並行世界のずっと向こうにいて、それら世界の未来を運命付けている神様のような存在が。」

「ああ、こうした会話すらもどこかで聞かれているんだろうか?

 だったら神様、聞いていますか? お願いですからこの世界の僕の未来の運命、どうかハッピーエンドにしてもらえないでしょうか……」


 ―――なんて、ばかなことを言っている夢うつつの世界を切り裂く目覚まし時計の音が鳴り響く。そして再び僕は現実世界へと引き戻された。






「ヤバい、遅刻だ。」

 慌てて服を着替えて家を飛び出した。

 かろうじて学校に間に合うためのぎりぎりの電車にはぎりぎり間に合ったが、梅雨時期だというのに傘を持って出るのを忘れた。

 揺れる電車の窓から降り出した雨を眺める。しばらくすると、いよいよ本降りになってきたようだ。せめて電車に乗ってからというのが救いだったと考えていいだろう。電車に乗る前に振りだしていたならきっとびしょ濡れになっていた。

 学校最寄りの東西大寺駅に降り立ったときにはすっかり雨模様。学校の始業時間まで残り七分と言ったところで、さすがにこの時間に駅構内をうろついている生徒はほとんどいない。

 今からダッシュで行けばギリギリ始業時間に間に合う。しかしあいにくの雨模様で傘を買いに寄っている暇など無ければ、たとえ傘を持っていたとしても、それを差しながら走ったところで間に合うとは言い難い。

「ま、どのみち遅刻だ。焦る必要もないか……」

 のんびりと歩きながら駅構内の売店に寄った。地方の小さな駅のある売店はおばちゃんが一人で切り盛りしている小さなものがただ一つあるだけだ。「傘を……」と声を掛けようとする前に売店大場ちゃんは申し訳なさそうな顔で両手を合わせた。突然の雨で小さな売店に売られている傘はすでに完売していたようだ。

「万策尽きたか……」どうせ誰もいない駅構内で聞こえるような声で呟く。

 万策尽きるどころか初めから策など講じていない。ただ、傘を持って出るのを忘れただけだ。

 さて、どうしようかとあたりを見回したところで、思いがけず真後ろに立っていた女子生徒と目が合ってしまう。茶色のブレザーの制服は隣の芸文館高校の制服だ。しかも、僕はこの女子生徒を知っている。

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