第33話 もう一つの物語の終わり
笹木さんはその箱の中には古ぼけた黒縁の眼鏡が入っていた。おそらく随分前に使っていたものだろう。これを埋めた当時の彼女はいつもコンタクトレンズ(しかもカラー付き)を使っていた。笹木さんはそれを懐かしのそうにながめてから、レンズを拭くと、かけているノンフレームの眼鏡を外して、黒縁の眼鏡をかけて俺の方を見た。
「どう?」
古いタイプのレンズは度がきついせいもあるのか黒目がちな大きな目を一層大きく見せたというのもあるが、笹木さんは息を呑むほどに美しく見えた。そしてそのすがたにふと、あの思い出の姿を重ね合せた。
「ああ、その眼鏡、たしか笹木さんと初めて出会った時にかけていたヤツだね。」
「初めて会った時?」
「そう、たしか中学生のころ、夏休みに市立図書館でよく一緒になっていたころ。」
「……え、有馬君、おぼえていたの? あのときのこと。」
「憶えていたも何も……」そこまで言いかけて自信を無くした。そんなことなど覚えていなかった。たしかに中学生時代に市立図書館にはよく通っていたが、そこで笹木さんがいたことなんてまるで覚えてなどいなかったはずだ。出会ったのは高校生になってから同じクラスになって初めてであったはずだった。でも、今の笹木さんの言葉ぶりでは少なくとも笹木さんは俺がいたことを覚えていたようだ。 それにしてもなぜ俺は今頃になってあの時図書館で笹木さんと出会っていたことを思いだしたのかがわからなかった。
ひょっとするとさっき見た夢。あの夢の中で俺は笹木さんと恋人同士になっていた。実はあれが並行世界とつながっていて、今の俺の記憶はあの並行世界の自分から受け継いだものなのかもしれない…… なんてまるで荒唐無稽な話だ。
「憶えていたも何も…… 忘れたことなんてなかったよ……」
それは当然嘘だったが、並行世界だなんだというようなことを言い出すよりはマシだろう。思いつきで取り繕った言葉でその場を乗り切った。
笹木さんはそれで納得した様子だったが本心はわからない。箱の中にもう一つ、何か紙切れのようなものを見つけた。おそらくは自分あてに書いたメッセージか何かだったのだろう。それを開いて見るなり再び俺の方を見つめていた。その紙切れに何と書いてあったのかを俺は尋ねたが笹木さんは教えてくれなかった。
ただ、
「うん、みつけた。最高のたからもの。」
ただ、それだけを呟いた。
「ねえ、有馬君の埋めたたからものってなんだったの?」
笹木さんに聞かれて、俺はしぶしぶとその小さな箱を手に取った。この箱の中に何が入っているかは当然覚えている。だが、今ここで笹木さんの前で開いて見せるにははばかるほど、それは少しばかり恥ずかしものだった。
小さな箱の中にはさらに小さな箱が入っている。ベロア生地の箱で、誰がどう見たってその箱だけで中身がなんなのかが容易に想像できそうなものだ。
「それって、もしかして……」
覗き込む笹木さんに「ああ。」とだけ答え、小さなボックスから指輪をとりだした。豪華な宝石のついた立派な指輪などではなく、ホワイトゴールドのリングに小さなアメジストとルビーが埋め込まれただけのシンプルな指輪だ。
「大したものは買えなかったからな。当時はまだ高校生だったし。」言い訳がましく(事実言い訳なのだが)呟いて続ける。「芹菜が突然、『未来の自分に渡すプレゼントを埋める』なんて言い出したものだから。夏休みに喫茶店でアルバイトをしていて、しかもそのアルバイト代を前借して買ったんだ。その時マスターはダメだと言うと思っていたのに、意外とあっさり前借をOKしてくれたのを覚えているよ。理由は聞かれなかったけど、まるで俺の考えていることを全部見透かしているようだった。」
「案外知っていたのかもしれないわよ。たとえば夢か何かで未来の有馬君の姿を見ていたとか…… それで、いつかアルバイト代を前借する日がやってくるのを予想していたとか。」
「笹木さんって案外ロマンチストなんだね。そんなことを言うタイプだとは思ってなかったかな。」
「……そういうことって、あると思う。」
「……あるのかもしれないな。」
「ねえ、その指輪見せてくれる?」
「ああ。」
笹木さんは指輪を取り上げて眺めた。
「アメジストとルビー、これって有馬君と芹菜の誕生石だよね。それに……」指輪の内側を眺めてそこに〝S&M〟と刻まれているのを発見した。
「〝セリナ&マコト〟?」
「ああ、いつかこれを掘り起こして、その時にプロポーズしよう。なんて当時考えていたんだ。」
「婚約指輪と言うよりは、結婚指輪みたいなデザインね。」
「二つあるわけじゃないんだけどね。それでも当時のアルバイト代三か月分といったところだ。
でもまいったな。結局永遠に渡すことが出来なくなってしまった……」
思わず感傷に浸ってしまい、しばらく黙っていた。笹木さんもそれを察してか、沈黙を続けていたが、ゆっくりと口を開いた。
「……あ…… あのね。」
「……」
「……その指輪…… 贈る人がいないっていうのなら、ウチがもらってもいいかな。」
「……え。」
「い、いや、ほら、さ、ウチもイニシャルが〝S〟なわけだし…… ごめん。へんなこといっちゃった…… 忘れて……」
笹木さんは白いほほを赤らめてそっぽを向いてしまった。俺はその指輪を自分の指にあてがってみた。たしかに結婚指輪みたいだ。薬指には無理だが、小指になら何とか入りそうだった。
ためしに通してみるとぴったりと収まった。
まるで結婚指輪みたいなデザインのこの指輪が〝片方だけ〟なのはむしろこうなることを予見しているかのようにも思える。俺だけが身につける指輪だったのだ。その指輪を月明かりに透かして眺めてみた。
笹木さんも俺の指にはめられた指輪を眺めながら月を仰いだ。
「ねえ、笹木さん……」
「……」
「もう少しだけ待って…… この指輪は俺が身につけておくためのものだから。
笹木さんにはそのうち、別のものを用意するから…… その時にこの指輪も一緒にもらってくれないかな。
きっとこれをもらってくれるのは笹木さん以外にはいないと思うから……」
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