第30話 パラディーゾ


楽園(パラディーゾ)  笹木紗輝 20歳


 崖の突端に立ったウチの体は宇宙の星々と一体になった。前に傾き倒れ行く中で崖の脇にあるサボテンが目に入った。

    なんで今の今までこんな大事なことを忘れてしまっていたのだろう。

 いや、忘れてしまっているというよりは知らなかったという方が近いかもしれない。

 ウチたち三人がここに以前訪れて、あの場所にサボテンとタイムカプセルを埋めたという過去が、まるで今の今になって初めて作られた過去のような気がする。

 ウチはあのサボテンのところに歩み寄りたかったが、気付くのが少し遅すぎた。崖の下に向かって傾いていく自分の体はもはや自分の意思ではどうにもすることなんてできない。ただ、重力に従うままに地球の中心部へと向かって落ちていくだけだ。覚悟を決めて目を瞑った。


 目を閉じて、暗闇にのまれた世界の中、全身に強い痺れを感じた。

 それはおそらく左の手首のあたりを中心に始まって、体全体へと広がっている。

「あきらめないで!」

 耳元で強く叫ぶその声に驚いて目を開いた。

 斜めに傾くウチの左の手首を強く掴み、必死に引っ張っているセリナの姿が見えた。

    なんで? と、思うより先に体は落ちてはならないと判断したらしい。

 破れた黒タイツ右足の先からから覗く素足の指で崖の角をしっかりとつかみ、左足で崖を蹴るようにしてセリナのいる丘の方へと体を持っていく。

 いつもの自分の体力を考えればこんなことは到底出来っこない。それはおそらくさっきまで死のうと思っていた自分が土壇場で生きたいと願ったからに違いない。いわゆる火事場の馬鹿力というやつだ。そういうことってある。

 ウチはセリナの上に倒れ込むようにして身を持ち直した。

 ウチよりも小さな体で下敷きになっているセリナは安心してか笑い始めた。

 すぐに起き上がりたかったが、どうも思うように体は動かない。そのままの状態でセリナに聞いた。

「セリナ。どうしてアンタがここにいるの?」

「どうしてじゃないわよ! アタシ一人を置いていきなりいなくなっちゃたりして!」

「ごめんなさい。それは謝るわ。でも、どうしてウチがここにいるってわかったの?」

「アタシはサキの事なら何でも分かるよ。だってアタシ達、親友じゃん。それにね、うん。きっといても信じてもらえないと思う。なんていうか、まるで荒唐無稽な話だから。」

「今のウチは大概の荒唐無稽な話は信じることができるよ、きっと……」

「うん、きっとそうなんだろうね。でも、アタシも上手くは説明なんてできそうにないから。

 ねえ、そろそろ立てる?」

「あ、ごめん。」ウチよりもひとまわり小柄なセリナの上に覆いかぶさったままの体を急いで持ち上げて立ち上がった。体じゅうのあちらこちらに痛みを感じるが、それらを口には出さないようにこらえた。

 立ち上がって、セリナに手を差し出して引っ張り上げた。セリナはウチの姿を上から下までじっくり眺め、深いため息をついた。

 それに呼応して自分自身の姿を改めてみると、黒タイツの膝は穴だらけ、足先からは素足の指先が覗いている。当然靴なんて履いていないし、体中が泥だらけだ。

「なんてカッコウだ……」ウチの替わりにセリナが憐れむような口調で言った。そして今度は表情険しく、ウチをしかりつけるように強い口調で言った。

「サキ、アンタ死のうとしてたでしょ! アンタが死んでどうなるっていうのよ。そんなことして有馬君が戻ってくるわけじゃないんだからねッ!」

 その言葉を聞いて、あらためて愕然とした。ウチはなぜか、勝手にまことさんが死んでいない世界に移動したなんて思い込み、自分が死ねば彼が救われるなんて思っていた。よくよく考えてみれば、自分はまことさんの葬儀に行ったときの服装のままだ。それが何よりも、ここがまことさんがいない世界である証だ。決してまた並行世界を移動したわけなんかじゃなくて、あの(葬儀)あと、セリナを置いてひとりでとびだして、ここまでやって来ただけなのかもしれない。ただ、無我夢中になって記憶があいまいなだけなのかもしれないし、すべてを改めて考えるとこの世界の現実、まことさんを突然失ってしまった現実を否定したいがためにさまざまな妄想を抱きながら逃げていただけなのかもしれない。いい加減、この現実を受け入れて、それに向き合っていかなければならないのかもしれない。

「ここに来た理由ってやっぱりアレなんだよね。」

 セリナが少し離れたサボテンの方を指差した。

「憶えてたの?」ついさっきまですっかり自分があのサボテンの下にタイムカプセルを埋めたことを忘れていたことを恥ずかしく思いながら言った。

「…………………おぼえてたに……決まってるじゃん。忘れたことなんて一度もないんだからねッ!」

きっとセリナも忘れてたに違いない。

 ウチとセリナは二人してサボテンの前に歩みよった。腰のあたりまでの背丈のある大きなハート形のサボテンの上には小さいながらも淡いピンクの花がひとつ咲いていた。

    サボテンの花の〝はなことば〟は『永遠の愛』だ。まことさんは崖から足を滑らせる前にこの花を見ただろうか? まことさんが死んでしまった今、ウチは誰に対しての永遠の愛を手に入れることができるというのだろうか。それを想うと胸が痛くなる。

「ねえ、サキ。なにか穴を掘るものって持ってない?」

 セリナはまるでサボテンの花には興味がない様子で、むしろその下に埋まっている門を掘り起こしたがっているようだ。サボテンは確かセリナの持ってきた〝たからもの〟だ。その下に埋まっているのは確かウチとまことさんのたからもののはずだ。セリナはそれほどまでにウチらの埋めたたからものに興味がるのだろうか。

 そうは言われてもそうそう上手く土を掘り起す道具なんて持っているわけがない。

 何か無いものかとセリナがここまで運んでくれたウチのバッグの中を開けてみた。

 そこには信じられないが、なぜか二本の園芸用スコップが入っていた。もちろんうちはこんなものをバッグに入れた記憶はない。

 無意識のうちに入れたのか、あるいはセリナが入れてここまで持ってきたのか……

 今更考えてもらちが明かない。二人でそのスコップを持ってサボテンの下を掘った。しばらくしてビニールにくるまれたブリキの箱が出てきた。ビニールから少し錆の入ったブリキの缶のふたを開けると中からさらに二つの箱が出てきた。とても小さな箱ともう一回り大きな長方形の箱とがあった。

「ねえ、中には何が入ってるの?」

 セリナが早く中を見たそうにせがむ。たからものの正体は開ける時までの秘密ということにしていた。(もっともセリナのたからものは目印となったこのサボテンで、持ってきた時点でバレバレだったのだが)

 ウチは何をそこに入れたのか覚えてはいなかった。ただ、この長方形のようなものが自分の埋めたたからものだったような気がする。

 ゆっくりとその箱を開けてみた……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る