第28話 芹菜の想い
「相変わらずヒマそうね。よくつぶれないわよね。」
そう言って彼女はアイスカフェラテに蜂蜜をたっぷり入れてストローでかき混ぜる。
よく知るその顔はいくらか皺が増えたものの、若々しく健康的で、それは夏の太陽のようだった。
「芹菜、君の店の方はどうなんだ? ずいぶんと繁盛しているといううわさは聞くけど。」
「そりゃあもう、忙しいったらありゃしないわよ。ホント、女が店なんて経営するもんじゃないわよね。」
「よくいうよ。そんなに繁盛ししていて、同業者のみんなが嫉妬しているよ。この間もテレビで紹介されていたじゃないか。」
「でもね。おかげですっかり婚期を逃しちゃったわ。経営者には休日なんてものはないし、子供を産んで育てるなんて、到底出来っこないから。
そんな奴、誰がもらってくれるっていうのよ。」
「そう、言うなよ。男で、しかもヒマな店を経営しているにもかかわらず結婚できていない俺はどんなふうに言い訳すればいいんだよ。」
「アンタは早くサキのこと忘れなさいよ、そうしないと結婚なんてできないわ。その方が彼女のためになるんだから。」
「忘れようと思って忘れられるくらいなら苦労はないさ。せめて紗輝のことを忘れなくてもいいって言ってくれるような人を見つけるしか……」
「そんな虫のいい話あるわけないでしょ。大体女っていうのは嫉妬深いんだからッ。
そんなツゴウのいい女なんて…… そうね、アタシぐらいしかいないと思うわ。」
「まったく…… 冗談じゃないよな。」
「あら、それは失礼な言い方よね。」
「ああ…… ゴメン。
……で、今日はどうしたんだ? 超多忙を極める人気レストランのオーナーがこんな場末にやってきて。」
「有馬君に会いたかったから…… じゃあ、ダメかしら?」
「そんなわけないだろ。」
「うん、まあ、そんなわけはないんだけどね……
なんかさあ、あのね。アタシ、この話まだ、有馬君にしてないなあっと思って……」
「この話?」
「うん、あのね。サキが亡くなったばかりのころの話。アンタはすっかりふさぎ込んでいて、とても話せる状態じゃなかったし、話したとしても到底信じてもらえないような荒唐無稽な夢の話……」
「……夢?」
「そう、夢。でもね、それは確かに夢なんだけど、なんていうのかな。夢というにはあまりにもリアリティーがありすぎていて、それが果たして本当に夢だったのか自信がないような夢。」
「あまりよくわからないな。」
「アタシも上手くは説明できそうにないんだけどね。その夢の中ではアタシやサキ、それに有馬君がちょとずつ違う人生で…… ある時はアタシとアンタが恋人同士だったり……」
「え……芹菜と?」
「もう、そこはいいから黙って聞いてよ。
でね、サキは死んでいなくて、代わりにアンタが死んでいたりするの。なんていうのかな、並行世界? そこに紛れ込んでしまったような夢。
でもね、アタシはその夢の中で何かをしなきゃって思うんだけど、何をしていいのかがよくわからなくて……
そしたら、最近になって、ここにくれば何をしなきゃいけなかったのかわかるような気がしたの。」
「うん…… で…… 実際に来て見て何か分かった?」
「うん、わかった気がする。」
そう言って芹菜はカウンター席から立ち上がり、レジ台の前へと歩いて行った。そして、そこに置いてあったものを両手でしっかりと持ち上げた。
「ねえ、これ、持って行ってもいいかな?」
「そんなもの、どうするんだ?」
「よくわからないわ。でも、これをどうにかしなきゃならないっていう事だけはわかる気がするの。」
「そうか…… それだったらそれは持って行ったらいいよ。少し前に若い女性がここに持ち込んで、そのまま忘れて行ったものなんだ……」
「ふーん、そうなんだ。で、そのヒト、どんなヒトだったの?」
「それがうまく思い出せないんだよな。思い出そうとすると、なんだか顔全体にもやがかかっているような気がするというか…… でも…… なんだか素敵な女性だった気がするんだよ。」
「ふーん。そうなんだ。素敵な女性ね…… なんだか妬けちゃうね。」
「なんで妬くんだよ。」
「あら、女は嫉妬深いのよ。でもね、このサボテンがあればそのヒトを救えるような気がするのよ。理由はよくわからないけど。」
「理由がわからないのになんで救ってあげようとするんだ?」
「それはそのヒトがアタシにとってとても大事な人だから…… よくわからないけど。」
「……よくわからないな。でも、そうしなきゃならない気がするんなら、そうしなきゃならないんだろう。きっとそれは運命で決まっている事なんだ。」
「うん、きっとそう! じゃあ、行ってくるね。」
芹菜は胸に大きなハート形のサボテンの鉢植えを抱えたまま店の入り口の木の扉を開けて出ていった……
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