パラノーマル 有馬真 38歳
第27話 パラノーマル
怪奇現象(パラノーマル) 有馬真言 39歳
負け越しの決まったペナントレースの消化試合のようなものだった。
私は20年前に恋人を失った。いつもそばに寄り添い、支えになってくれていた。
彼女はある日、突然私の前から姿を消した。
前日までいつもと変わらない様子だったにもかかわらず、その日の深夜、彼女はひとりでとある山奥に行った。そしてその山奥の崖から落ちて命を無くしてしまった。
警察の話では、現場には足を滑らせたという形跡もなく、自殺ではないかと疑われたが、遺書もなく、理由も不明で全ては謎のままに終わった。
それからというもの私は生きる気力を失い、作家になるという夢もあきらめ、大学もやめて家に引きこもっていた。
そんな私を支えてくれたのは彼女の友人だった最上芹菜だった。
芹菜は引きこもっていた私に生きる意味を説き、仕事も紹介してくれた。芹菜は料理人で、彼女の紹介で私は料理の仕事を始めた。元々が理屈っぽい性格だった私にとって料理の世界はそれなりに適性があったようだった。
そんなある日、とある出版社から連絡があった。私の応募した小説が佳作ではあるが受賞することになったというのだ。
私はそんなことは絶対ありえないと思った。
確かに当時の私は作家になることを目指していて、途中までではあるが小説を書いたことがあった。だがしかし、どうしても結末を書くことが出来なくて断念した。いつも応援してくれていた彼女には断念したこと告げられず、仕方なしに白紙のコピー用紙をダブルクリップで止めて封筒に入れて封をして、それを二人でポストに投函した。
何も書かれていない白紙の原稿が受賞するなんてありえない。
しかし、出版社の話ではそれは当時私が使っていたペンネームで書かれていたもので、デビューもしていないそのペンネームを知るものはありえない。
私は出版社の人に原稿の元のデータを誤って消してしまったと嘘をつき、あらためてその原稿を確認した。その内容は間違いなく自分が書きかけていたあの物語で、自分が書けなかったはずの結末までがちゃんと書かれてあった。
考えられる回答はひとつだけだった。私のパソコンのデータを見た彼女がその続きを書いて、私のペンネームを使って投稿したのだろう。彼女はもともと読書家で私なんかよりももっとずっとセンスがあった。
今となっては真実を確かめるすべはない。彼女はもう、この世を去ってしまったのだから。
私としてはその作品を世に残したいと思った。それは私の作品ではないが、彼女のデビュー作であり、遺作だ。
その小説はやがて活字となって店頭に並んだ。
数年後、私はその印税を元手に、田舎で小さな飲食店を経営することにした。
それ以来、私は作家になることさえ忘れ、ささやかな生活を営むことになった。
しかし、いつまでたっても心が満たされることはなかった。
たとえ幾年月重ねても彼女のことを忘れることはできなかった。
作家になることを忘れ、淡々と流れる時間を眺めながら歳を重ねていくことに、心の安らぎなどはなかった。
ただ、日々が過ぎていくだけ。それは負け越しの決まったペナントレースの消化試合のようなものだった。
もし、あの時に戻れることができたなら。
もし、やり直すことができたのなら。
それを考えない日なんて一日たりともない。
もし、やり直すことができたなら彼女を失わずに済んだのかもしれないし、作家になることをあきらめてなどいなかったのだろう。
それが叶うというのなら、どんな犠牲を払っても構わない。
そう、思っていた。
その日も私は自分の経営する喫茶店でひとり、カウンター席の内側に置いたスツールに腰かけ、ただ、入り口の木の扉を見つめていた。
田舎の住宅街にたたずむ小さな喫茶店にはお客さんのひとりもいない状態、そんなことはざらにある。
こうして入口の扉を眺めていると、ふいに当時の恋人の紗輝がその扉を開けて入ってくるような気がしていた。この扉の外が過去の世界、あるいは別の世界、紗輝が死なずに済んだかもしれない世界とつながっていて、あの頃の紗輝が現れるんじゃないか。そんなことを考えて過ごすことがあった。
その時、入り口の扉が静かに開いて、一人の女性が入ってきた。
よく知った顔だ。私は注文を聞くこともなく彼女の前にアイスのカフェラテを出し、栗の花の蜂蜜を添えた。
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