第22話 未定調和?


ウチはセリナの墓前でひどく泣いた。セリナの墓前に立つと彼女の死が突然に現実味を帯びてきた。その時にはすでに自分のせいで彼女を死なせてしまったのかどうかはもう、大きな問題ではなかった。ただ、そこにセリナがもういないという現実だった。やはり彼女のいない世界など耐えられそうにはなかった。まことさんと出会うずっと前からセリナはウチのことを支え続けてくれていたのだ。内気で自分に自信の持てないウチにいろんなことを教えてくれた。引っ張っていってくれた。助けてくれた。

それなのに、ウチから彼女には何一つしてやれてなどいなかった。

もし、彼女のことが救えるというのなら自分なんてどうなったっていい。

ウチが望むのはこんな世界なんかじゃない。ウチが望むのはセリナが生きていて、まことさんが生きている世界だ。それさえ叶えば、あとはどうだっていいというのに世界は無情にも望まぬ方向へと廻り続ける。

 

 法事が終わり、ウチとまことさんはセリナの法事の後片付けを済ませ、二人でまことさんのアパートに戻った。

 本来ならばその場で解散する予定ではあったらしいが、ウチの私服がまことさんのアパートに置いてあるので、それをとりによらなくてはならなかった。

 アパートについたころ、すっかり日も暮れてしまっていた。ウチはまことさんのアパートのキッチンでコーヒーを淹れてテーブルについた。ウチの知っているキッチンとはものの配置が少し違っていて戸惑った。それはおそらくセリナにとって使いやすいと思う配置だったのだろう……

「服、ありがとうね。助かったわ。あ…… またクリーニングに出して持ってくるから。」

 ウチは脱いだセリナの喪服を紙袋に入れて持ち帰ろうとしていた。

「いや…… もう、持って来てくれなくてもいいんだけど…… ここに置いていても着る人もいなしさ。」

 ウチにそう話しかけるまことさんはとてもさみしそうだった。

「あ…… ごめん。」

「謝ることじゃないんだけどね…… そろそろあいつの持ち物もちゃんと整理しなくちゃいけないんだけどな…… なんか…… きっかけがなくて……」

 甘いミルクコーヒーを飲みながら窓の外を眺め、まことさんとの記憶を浮かべた。この部屋で彼と二人で過ごしている時はいつも幸せに包まれていたような気がする。

でも、今はこうして二人でいるにもかかわらず、あたりはまるで重たい鉛で囲まれた部屋のように静まり返っていた。

 そして、視線を向けた窓の淵にはハート形のサボテンが置かれてあった。それは自分の知っている世界ではない事の証明であるかのように誇らしげに大きく育っていた。

    たしか、ウチとまことさんが恋人同士だった世界にも、これと同じようなサボテンが同じところに置かれていた。

「そういえば、ウチもサボテン育ててたっけな……」

 思わず小さな声で呟いてしまった。

 それは高校一年生の時にまことさんと再会を果たした記念に買ったもので、今、この部屋にあるサボテンとは比べ物にならないほどに小さなサボテン。おそらく今いる世界でウチとまことさんがあの日財布を拾ったという事実がないのであれば、ウチの部屋に帰ったところであのサボテンは存在していないのだろう。もし、あったとして、それは当然、ハート形のような奇跡的な成長を遂げてなどはいなかった。それはまるでウチとまことさんとの愛が、セリナとまことさんとの間では比べ物にならないほどの大きさだったのではないかということの暗喩に思えて、そのことに少し嫉妬した。そしてそのサボテンをじっと見つめる視線にまことさんは気づいたのだろう。

「ああ、そのサボテン。芹菜がこの部屋に来たとき持ってきたんだ。どこかの喫茶店でもらったとか言ってた。」

「……ふーん。そうなんだ。……立派なサボテンだね。」

 少し、悔しさをかみしめながらに言った。

「世話不足で萎れてるけどな。」

 その萎れているという状況。それはまことさんの気持ちの表れなのだろう。セリナとの、その偉大な愛を失って、この世界のまことさんの心は萎れているのだ。

 だったら、今のウチ…… この世界のうちに何ができるのだろう? それは萎れてしまったまことさんの心を、この立派なサボテンを癒してあげることなのではないのだろうか。

 そう、考えてウチはそのサボテンを持ち帰ることにした。まことさんもそれには賛成をしてくれたようだった。

 コーヒーを飲み干した後、サボテンの鉢植えを抱えてウチはまことさんのアパートを後にした。


 あたりはすっかり日が暮れていた。まことさんのアパートから駅までの田舎の夜道は人通りもほとんどなく、しんと静まりかえっている。それでも、夜間の女性の独り歩きを心配する必要はないほどにのどかである。駅について時刻表を確認すると、どうやら電車は通過した直後で次の電車の到着には一時間近くかかりそうだった。

 どこかで時間をつぶそう。そう思ってまっさきに思い付いたのが今朝、訪れたあの喫茶店だった。たしか駅からだとすぐのはずだ。どういうわけか今日一日中、その喫茶店のことが気がかりでしょうがなかった。あれほどに駅から近くにあるにもかかわらず、今まで何度も通ったこの道にあんな喫茶店があるなんて気づきもしなかった。それはここが自分の知る2015年から一年過ぎた未来だったとしても、あの喫茶店が出来て二年以内の店だとはどうしても思えなかった。それはいうなればずっとそこにあったにも関わらず、その存在に気付くことが不可能だったのか、あるいは後になって、ずっとそこに存在し続けていたことになっているのかも知れないという感覚がしてならなかった。

 そして、ウチはあそこに立ち寄らなければならないことにことになっている。初めからそういうことになっていた。   と、いうことにされてしまったのではないかという感覚。

 自分自身で何を言っているのかはわからないが、言ってしまえばそれは   


〝未定調和〟


 とでも表現すればしっくりくるかもしれない。

 そして数分後、ウチはそう、決められていたことになっていたようにその喫茶店に訪れた。

 そこには当然のようにお客さんはひとりもいない。まるで店内に入ったウチが誤って紛れ込んでしまった、間違った客のようだった。静かに流れるピアノジャズの音楽が誰もいない店内にはちょうど程よいくらいに小さな音で流れていた。

 ウチは朝と同じ、入って左手のボックス席に座り、手に持っていた立派なハート形のサボテンをテーブルの隅の方に置いた。アイスコーヒーを注文し、ショルダーバックを手に店内中央の白い扉、Lavatoryと書かれた扉を開けて中に入った途端、一瞬目眩がして足元がふらついた。壁に手をついて深呼吸をし、自分のほほをパンパンと二回打って顔を上げた。きっと疲れているのだろう。そう思って鏡の中を覗きこんだ。

 と、そこに映る自分の姿。その姿にまったく違和感を感じなかった。

まったく違和感を感じなかったことに強い違和感を感じた。

   そういえば自分はさっきまで黒髪になってはいなかっただろうか? にもかかわらず鏡に映っている自分の髪の毛がいつもの見慣れた茶髪に戻っている。当然眼鏡だってしていないが、視力はしっかりしている。鏡の中に映る自分の眼球は使い慣れたエメラルドグリーンのカラーコンタクトがはめられている。

はたしてこれは、いったいどういうことなのだろう? 

それはいくら考えたところで到底理解できそうなことではなかった。今日の朝、起きてからというもの、何一つとして理解できそうなことなんて何もない。まるで鏡の国のアリスのように別世界にでも紛れ込んでいるような感じだ。

どうせ考えても仕方ないのなら考えても無駄なのだ。そう自分に言い聞かせてトイレを出た。

元いたボックス席にはアイスコーヒーが置かれていた。ストローを差して、ミルクもシロップも入れずに一気に吸い込んだ。ほのかな苦みと冷たい液体とが全身を巡るようで、そのおかげかいくらか頭の中がすっきりした。一口でグラスの半分を飲み干したようだった。

すっきりした頭でテーブルの上を見回した時にさっき置いたはずのサボテンがないことに気が付いた。

それはまるで夢か幻かのごとく、すっかりと消えてしまっていた。

それだけではない。窓の外に見える景色。

さっきまでは確かにすっかりと日がくれた夜だったはずだ。

にも、かかわらず、窓の外には煌々と真夏の太陽が輝いている。


   夢か、幻。

そうか、そういうことなのかもしれない。ウチは今朝この喫茶店を訪れてトイレに入って目眩を起こした。その瞬間からさっきに至るまで一日分の夢を見ていたに違いない。そう考えれば消えたサボテンも、自分の髪の毛が茶髪に戻っていることにだって説明がつく。


   これですべてが解決…… な、わけがない。それらがもし、夢、幻の世界なら、まことさんはこの世界にはいないのではないか? まことさんが崖から落ちて命を失ったという現実をやはり受け止めなければならないのか?


そして、その時、喫茶店の入り口のドアが静かに開いた。


静かな店内に入ってきたその女性は小柄で、白いノースリーブの開襟シャツに黒のサブリナパンツ。開放的に露出した肌はまるでバカンス帰りのように健康的に日焼けしている。そして長いこげ茶の髪の毛を束ねて、頭のてっぺんに巻き込んで載せていて、そのちいさな顔にはおよそ大きすぎるほどのサングラスをかけている。そして小さな店内に大きなスーツケースを転がしながら入ってきた。ウチはその姿にいつか見た古い映画のオードリーヘップバーンを思い出した。

澄ました表情で店内を見回した彼女はこちらの方を見るなり、真一文字に結ばれた口元をくっとVの字に曲げながらこちらに向かって歩いていた。大きなサングラスで見えないものの、その奥に隠れる目も、同じようにVの字に吊り上っているのであろうことは想像にたやすい。

「サキ! どうしてここにいるの!」

 まるで奇跡的な再会のようにその女、セリナがウチのもとまで駆け寄ってきた。ウチはそれが奇跡なんかではなく、あらかじめこうなることが決められていたんだという感覚を持ってセリナにほほ笑み返した。

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