第23話 予定調和?

「セリナこそ、どうしてここに?」

 それは死んでしまっているはずのあなたが何故ここに? という意味じゃない。ウチは今いる世界がさっきまでいたはずの、セリナのいなくなった世界ではないことを確信していた。

 ウチの向かいの席に腰かけたセリナは大きなサングラスを外すと振り返り、店の端から端にはなれたマスターの方に向かって大きな声で叫んだ。

「マスター! 久しぶりに例のやつ、チョーダイ!」

 静かなピアノのジャズはセリナの声で完全にかき消された。

「で。」こちらに向き直ったセリナは「今、ちょうどこっちに帰ってきたトコなのよ!」

「帰ってきたとこ?」   まさか、天国からなんて言い出しわけではないだろう。

「そう。最上芹菜、ただいまフランス留学から帰ってまいりました!」

 はっとしてスマホを開き、日付を確認した。2014.8.20とある。

 瞬間的に今の状況が理解できた。こんな異常な事態ですら、こう何度も起きればいまさら迷うこともなく答えにたどり着ける。

 ウチは元の世界に戻ったんじゃなく、もっと以前の時間にタイムリープしている。それはあの日、まことさんが死んでしまったという電話を受けるよりも一年前。セリナがフランス留学から帰って来た日だ。今まですっかり気が付かないでいたが、この日も八月二〇日だったのだ。それは、その日付がまるで何か運命を決める符号のように思えてならない。

「そ、そうだったわね。おかえり。セリナ。」

 ウチは動揺を隠すように、なるべく平常を保つように心掛けながら言葉を返した。

「で、サキはなんでこんなトコにいるわけ?」

「え……あ、うん。さっきまでまことさんのところに行ってて……」慎重に言葉を選びながら言った。今が2014年なら、まことさんが死んでいるわけがない。ウチがさっきまでその場所にいても何らおかしいことなんてないはずだ。

「ふーん、そう……」セリナはなにか納得がいかない様子だった。「で、マコトはどうしてるの?」

「え…… それは…… たぶん、家にいると思うんだけど……」

 いやな予感がした。それはセリナが〝有馬君〟ではなく〝マコト〟と呼んでいる事だった。そしてその予感はすぐにその言葉の意味をはっきりとさせた。

「なによ、マコトったら、それならサキと一緒に彼女の迎えに来ればいいのに…… これじゃあまるでアタシのいないトコでサキと密会してて、アタシが来るもんだから急いで追い返したところを運悪く、アタシと鉢合わせしちゃったみたいじゃない……

 あ! もしかして図星だったりする? アタシがいない間に二人はそういうカンケ―になっていて……」

「ち、ちがうちがう。そんなことない。ぜんぜんそんなことないから。」


    理解するのは簡単だ。ここはウチが知っていた世界ではなく、セリナとまことさんが恋人同士だった世界。つまりは一年後にセリナが死んでしまう世界の2014年なのだということらしい。

 それはつまり、ウチとまことさんとが恋人同士ではない世界だということだ。

「でもね。」セリナは少し落ち着いた口調で、それでいて打ち明けるかのように言った。

「アタシはね。実はアタシがいないあいだにサキとマコトがそういうことになっても仕方ないかなって思ってたんだよ。ううん。少し違うかな。正確には〝そうなればいいのに〟って思っていた。」

「   え。」

「だってね。そうでしょ。サキはずっと前からマコトのことが好きだったんじゃない?

 たぶんね、マコトもサキのことが好きだったんだよ。アタシはそれを知っててマコトに言い寄ったの。だからずっと心のどこかでサキに対して引け目を感じてたんだよ。

 実はそれもあってアタシはマコトを一人残して留学したトコもあるんだよ。

 でも、もう時間切れ。アタシが帰って来たからにはもう、マコトはアタシのもの。絶対にだれにも渡さないからね! 

 いい、サキ! 欲しいものがあるなら、そのためには多少の犠牲を払うことだって必要なのよ。それがたとえ、友達を一人失うことになるようなことであっても、欲しいものを得る為ならそれは時として仕方のないことなんじゃないかとアタシは思ってるわけ。」

「   もう、セリナったら。なに好き勝手なこと言ってくれちゃってるのよ。

 別にウチはま…… 有馬君のことが好きだとか、そんなことないんだからねッ。

 ひとりで勝手に想像して、暴走しないでよ。」

「……うん。ゴメン。変なコト言っちゃたね。

 でもね、サキ。真剣に考えてほしいんだけど……」

「なに。」

「サキは友達と恋人、ドッチが大切?」

「きめられるわけないじゃない。その二つは並べてどっちが、っていうものじゃないわ。」

「そう、そうなんだけどね。たとえばサキの恋人とアタシ。二人のうちどちらかしか助けられないとしたらドッチを助ける?」

「……やっぱり決められないわ。もしかしたらそのことが原因でどちらも救えないかもしれない。けれども多分ウチはそのどちらも選べられないのだと思う……

 セリナは…… セリナだったらどっちを助ける? ウチと…… 有馬君と……」

「そんなの決まってんじゃん!」

「え……」

「ドッチも助ける!」

「なによ、それ。それじゃあ答えになってないわ。」

「アタシだって多分ドッチも選べないと思うから、どうにかしてドッチも助ける。多分この世界に本当に不可能なんてことないと思うから、どうにかしてドッチも助けて見せる。」

「その答えはずるいよ。そもそもこの質問って〝どちらかしか選べない〟っていうのが前提でしょ。それに世の中にはどうしたって不可能なことはあるんだからッ。」


    いいながら、それでも本当にどちらも助けてしまいそうなのがセリナだ。いつでも、どんな不可能だって可能にしてきたような彼女だった。さっきまで見ていた世界、セリナが死んでしまっている世界なんてやっぱりありえない。それが正直な気持ちだった。


「……あのね。アタシ。マコトと一緒に住もうと思って。」

「……うん。」

「あ、おどろかない?」

「え…… うん、なんとなくそうなんだろうと思ってたから。その荷物、今からまことさんの部屋まで持っていくんでしょ。」

「うん、そう。向こうでの荷物まとめて、そのままマコトの部屋に持ち込もうかと思って…… 実は両親とマコトとはもう、話してあるんだけど…… もしかしてマコトから聞いてた?

 秘密にしといてっていっといたんだケドな……」

「ううん。有馬君は何も言ってないよ。ウチは時々、未来のことが予想できるんだよ。実は……」

「……サキならホントにできそうだな。じゃあ、質問! アタシはこれから幸せになれるかな?」

「……」

「……どうしたの? アタシ、なんか変なコト言った?」

「……言ったよ、もう。……決まってるじゃない。セリナはこれから先もずっと幸せになれるに決まってるじゃない。そんなわかりきった質問をすること自体が変なコトだよ。」


 それからしばらく二人で話に花が咲いた。セリナの留学先での出来事。それにその間に起きた日本での出来事。これにはとても気を遣った。この世界での出来事はおそらくウチはセリナ以上に何も知らない。ただ、おそらくその間の出来事は自分が知っている世界とおよそ同じであろうと仮定して話した。ただ、ウチとまことさんとのことはなるべく話さないようにした。おそらくそれは自分の知っている事とは全く違っているのだろうということぐらいはわかっている。

しばらくは話し込んでいたが、女同士の話というのはいつまでたっても尽きることはない。あの時もそうだった。まことさんが崖から落ちてしまう前の夜、ウチとセリナは朝方まで酒を飲んで話し込んでいた。それを思い出すとなんだか急に怖くなった。ウチは『あまり有馬君を待たせちゃ悪いわ。早くセリナの顔を見せてあげなくちゃ』と言って店を出ることにした。


 二人で並んで狭い喫茶店の中を歩き、レジの前に立った。セリナはその時、レジ台の上に置いてあるものを見て歓声を上げた。

「カワイイ! これ、なんかすごくカワイイね!」

 それは、小さな植木鉢にいっぱいに大きくなったまん丸いサボテンだった。それを見てまっさきに思ったのは、さっき(そう、言っていいのかどうかはわからないけれど、自分の感覚だけで言うならたしかにさっきだ)まことさんの部屋からもらってきて、この喫茶店に入るやいなや消えてしまった立派な、あのハート形のサボテンではない。それはずっと以前から自分が育てていて、あの世界(まことさんがウチの恋人の世界)のまことさんの部屋に持ち込んでいたあの小さな丸いサボテンだ。

 このレジ台に置かれてあるサボテンはウチの知っているサボテンよりも明らかに大きくて、小さな鉢植えからあふれ出そうになっているが、その小さな鉢はウチのサボテンとまるで同じものだった。別に特別珍しいものなんかじゃなく、どこにでもありふれたテラコッタの鉢植えだったのだけれど、どことなくそれが自分の鉢のように思えてならなかった。理由なんてないが、そういう事ってよくあることだ。でも、だからと言ってそれお自分のものだとここで主張するのもおかしなことで、ウチは黙って見ているだけだったが、セリナは、

「ねえ! マスター! このサボテン、アタシにチョウダイ! アタシ、なんだかこれがすごく気に入っちゃったの!」

 相変わらずの自由奔放な言葉にマスターは二つ返事でそれに応じた。セリナは喜び、「じゃあこれで! サボテンもらっちゃったし、おつりはいいから!」

 そう言って千円札を一枚置いた。慌てておつりを出そうとするマスターの前にすうっと手のひらを広げ、「いい!」と一言。その気迫でマスターはおつりを出す手を止めた。

 続けてウチがお金を出そうと財布を広げたところで、今度はマスターはウチに向かって微笑みながら、「だいじょうぶ、もう、二人分もらったから。」と言いながら、セリナから受け取った千円札を広げて見せた。もうこれでウチは何も言えそうになかった。せめてセリナに、と、思い、財布の中を覗いた時にあるものを発見した。

 そのあるものは、たしかにさっきまで自分が観ていた、あの、セリナのいなくなってしまった世界での出来事が夢や幻なんかじゃないと確信できるものだった。そして、なぜ、自分が今、この場所にいて、この時間のセリナとこうして逢っているのかが理解できた。

 今、ここでこうしてセリナといることは初めから決まっていた出来事、


〝予定調和〟


に他ならない。今から自分が何をしなければならないのかがはっきりとわかる。だからうちはそのとおりに行動する。それが運命と言える行動なんだ。

 ウチは財布からその運命をとりだしセリナの方へすっと向けた。

「じゃあ、ウチからセリナにはこれを。」

「うん? なに、コレ?」

「検診ギフトカードよ。」

「だから、それってなんなの?」

「これで、病院に行って無料で検診が受けられるの。コーヒーおごってもらったし、お礼にこれあげるわ。」

「ええ、いらないよ。アタシ、元気だけが取り柄なんだから。」

「セリナ、ずっと外国行ってたんでしょ。変な病気とかもらってたりしたら困るでしょ。」

「ええー、ヒドイよ。アタシをまるで病原菌みたいに、」

「なんだっていいのよ。これがウチのおせっかいなんだから。」

 ウチはセリナの手に無理やりに検診ギフトカードを握らせた。

「う、うん、わかった、アリガト。」

 しぶしぶに財布にそれをしまい。セリナが先に店を出て、すぐに続いてウチも店を出た。

 外に出るなり、真夏の太陽は激しく照りつけた。目眩を感じるほどの日差しに一瞬でを瞑っった。

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