第21話 どこかであったことのある……


 それからまた、まことさんと電車に乗り、セリナのお墓のある郊外の駅に向かった。三回忌の法要はお墓参りの後、その近くの催事場で行うことになっていた。

 駅は郊外ののどかな場所で本来ならば利用客は少ない場所だが、夏休みということもあり、その近くにある遊園地に向かう家族連れで田舎の狭い駅はごった返していた。ウキウキしながらはしゃぐ子供たちに紛れて、暑い日差しの中を喪服姿で歩くウチたち二人は少し浮いた感じもするが、周りは誰一人として、そんな様子を気にしてはいない。

 ポトリ。と、目の前に黒い布張りのいかにも安そうな財布が落ちた。「あ」と、それを拾い上げたまことさんは落とし主が誰かわからなくてあたりを見回した。

「たぶんあの人じゃないかな。」

 ウチは少し前を歩いている二十代後半と思しき男性の後姿を指差した。

 まことさんは小走りに駆けていきその人を呼び止めた。振り返った男性の顔を見て「あ。」と声を出した。立ち止まっている二人のところに後から追いついたウチは財布の落とし主らしき男性の顔を見てどこかで出会った覚えがあると感じたが、まことさんはその人が誰なのかはっきりとわかる知りあいのようだった。

 申し訳なさそうに財布を受け取る様子から落とし主で間違いがなさそうだった。

「先生。ご無沙汰してます。」まことさんの言葉を聞いて初めは学校の教師かと思った。黒縁眼鏡のいかにも優しそうな男性で教師と言われれば教師に見えなくはなかった。

 男性はまことさんの喪服を見て、「そうか、今日は最上さんの一周忌か。」と言った。

「先生、その節はお世話になりました。」

 まことさんの言葉でそれが誰なのかはっきりした。セリナが入院していた時の担当医で間違いないだろう。ウチの知る世界ではセリナは昨日まで元気に生きていて、当然入院しているセリナを知らない。この世界でのウチがその人と病院で会ったことがあるのかどうかはわかりはしない。ウチは少し離れた場所で様子をうかがうようにしていた。

 少しの間まことさんとその医師とは会話を交わした後、医師は「ちゃんと立ち直らなきゃだめだよ。それが彼女の供養になるんだから。」と言っていた。まことさんは頭を下げて挨拶をしていた。

「それにしても助かったよ。財布、よく落とすんだよね。」言いながら布の財布を開きながら、その医師は「拾ってもらったんだし、お礼をしなくちゃね。」といったところで手が止まった。財布を開いたものの、その財布の中に現金がまるで入っていないことに気付いていかにもしまった。というような表情をした。

 その瞬間にウチの記憶の中で符号が一致した。   そうだ。この人はずっと昔に本屋で財布を落とした人だ。たまたまその場所に居合わせたウチとまことさんが彼を追いかけて財布を届けたのを覚えている。それがきっかけでウチとまことさんは交際することになったのだ。

 偶然の一致。そういえば簡単なことなのだけれども、ウチとまことさんの出会いのきっかけになった人がセリナの主治医で、そのセリナの一周忌の日にこうして再開する。

 それはまるで運命の歯車が初めからそう、仕組まれていると思えた。

「……じゃあ、替わりにこれを。」

 医師は財布から何かのチケットのようなものをとりだした。

「なんですかそれ?」

 まことさんの問いに医師は少し得意気な表情を見せて言った。

「検診ギフトカード…… って、知ってる?」

「検診ギフトカード?」

「そう、何かお礼をしたいんだけどね。あいにく今日はこれしか持ってないから……

 これはね。提携している医療機関で検診を受けられるカードだ。うちの病院も提携しててね。あなたの大切な人に健康の贈り物を……っていうのがキャッチコピーなんだけどね。こんなもので申し訳ないけど…… お礼として受け取ってもらえないかな?」

「い、いえ、先生。そんな、お気遣いなんかしなくても結構ですよ。」

「そう言われてもね。ぼくとしても何かお礼でもしなきゃ気が済まないんだ。助けると思って受け取ってくれないかな。」

「ああ、じゃあ、笹木さん……」

 まことさんが医師から検診ギフトカードというものを受け取ってウチの方に差し出した……

 仕方なしに受け取ったウチはそのチケットを手にとってまじまじと見つめた。ただその薄っぺらいただの紙切れ。それをじっと見つめながら、

「それがあれば、もしかしたら最上さんを救えたかもしれない。」

「え?」まことさんがつぶやいた。

「いやね、例えばの話。そういったものをふいに誰かから送られたりすることで、普段検診などを受けていないような人とかがさ、病院に訪れるきっかけになったくれればって思うんだよ。そうすることによって病気の早期発見につながるんじゃないかという想いがそのカードには込められているんだ。」

まるでうちのここをを読み取ったかのように医師は言った。ウチはひとまずそれを受け取ったウチはそれをカバンに押し込み、その医師の方を見つめた。

「あ…… あの…… もしかしてずっと以前、東西大寺にある本屋さんでも、財布を落としたことがありませんでしたか?」

 ウチには自信があった。間違いなくあの時、財布の落とし主はこの医師だった。

 しかし、医師は記憶を探るようなそぶりを見せたもののうまくその出来事を思い出せなかったようだった。

「まことさん。覚えていない? あの時財布を届けたのもまことさんだった……」

「……うーん、覚えてないなあ。」

 その言葉でふと、思い至った。   あの出来事はこの世界では起きていない。つまりはそういうことだ。この世界ではあの出来事が起きなかったから、自分はまことさんと恋人同士になっていなかったんだ。そのことに気付いた。

そう考えれば今、こうしてこの医師の財布を拾うという出来事が順序を違えて発生したんだという考えに至った。それだからウチはまことさんとは恋人同士になれなかった。そのことを残念に思うも、そのせいでセリナが死ぬ運命になったのだとも考えられた。そしてそれは同時にまことさんが死なない世界の発生であるとも考えられた。

「あ…… すいません。ウチの思い違いでした。なんか…… お騒がせしてすいませんでした。」

 そういって、その場はごまかすことにした。


世界は何がどうあっても何かが不幸であると同時に、なにかが幸福であるという因果を示しているものだった。すべてが幸福…… もし、そういう世界があるというのならば、自分はどんなことをしてでも手に入れたい。……しかしそれは儚い夢なのだと…… そう、諦めるしかないことも、同時に心のどこかで感じていた。

医師はできることならセリナの墓参りに顔を出したいと思うが、今から大切な予定があるためそこに行けないことを深く詫び、その日の夕方、時間をとってセリナの墓を訪れると言ってその場を立ち去った。


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