第19話 ここはどこ?


《ああ、笹木さん?》


 その声はまぎれもなくまことさんの声だった。


「ねえ! 今、どこに居るの?」半分、混乱してしまっているウチは少し苛立ち気味に訪ねた。

《家にいるよ。笹木さんを待ってるんだけど…… まだ時間かかりそう?》

「ううん、大丈夫、すぐに行くからッ」

 なにがなんだかわからないままに通話を切ったウチは残りのアイスコヒーを一口に飲み干し、すぐに店を出た。

 駆け足気味に彼の住むアパートの方へ向かっている途中で今現在おかれている、なんとなく辻褄が合わないような世界に説明をつけようとした。


    セリナに担がれた。


 朝のセリナの電話はほんとうにいたずらだったのだ。ウチのことを驚かせやろうとつい、冗談のつもりで言ったに違いない。それをウチが真に受けてスマホの電源まで切り、一人で駆けだしてしまったのだ。どう考えてもそれしか説明がつかない。まったくもって情けない話だった。でもこの黒い髪の毛は? まあ、とにかくまことさんのアパートまで行こう。まことさんはセリナとグルだったのかもしれないが、とにかくなにがしかの回答は得られるのだろう。


 そのまま駆け足で歩き続けたウチは何とか見知らぬ住宅街を抜けて、15分くらいでまことさんのアパートについた。二階建ての木造アパートで、敷地内に同じ形の建物が三つ並んでいる。それぞれの棟に、一階に二部屋、二階に二部屋の造りになっていて、12畳のLDKともう一つ、寝室とがある。高校を卒業してすぐに一人暮らしを始めたまことさんは、大学一年生にしてはわりと広めのアパートに住み始めた。『いつまでもひとりで住むとは限らないから』と言っていたが、ウチの両親が結婚する前からの同棲を許すようには思えないと主張したのだけどまことさんは聞く耳を持たなかった。

 玄関には鍵がかかっていた。仕方なしに鞄の中からキーケースをとりだした。一緒には住んではいないが、まことさんから合鍵は預かっていた。

それなのに、キーケースにはまことさんの部屋の合鍵はついていなかった。どこかに落としてしまったのかもしれない。どうしようかと思ったがとりあえずドアチャイムを鳴らそうとしたところで、内側から鍵を解除してまことさんが出てきた。

「どうかした?」

 何事もなかったかのようなまことさんの顔を見て思わず息が詰まった。一度は死んでしまったと思い込んだ自分が馬鹿らしいが、それでも安堵したのか急に泣きたい気持ちになった。大きく深呼吸をして何事もなかったように取り繕った。

「ううん、なんでもないのまことさん。ちょっと鍵が見当たらなくて戸惑ってただけ。」

「鍵って…… このアパートの?」

「うん、そうだけど。」

「なんで笹木さんがアパートの鍵を持ってるんだ?」

「え…… だって当然じゃない……」

「いや、当然じゃない。むしろ持ってたら怖いよ、ストーカーみたいだよ。ま、いいか。とりあえず入りなよ。」

「あ……うん。」とりあえず部屋の中へと招き入れてくれた。

 なぜまことさんがウチが合鍵を持っていることを忘れているのかが気になった。昨日の朝だってまことさんが寝ている間に合鍵で入って食事の用意をし、それに対して『なんだか通い妻だね』と言ったことも覚えているし、ウチもその言葉に妙に恥ずかしくなったことを覚えている。思い違いや、忘れているとは到底考えられなかった。

    それに、何かが間違っているような気がする。まことさんのアパートには昨日も来ているのだけれど、今日は何かが違うような気がする。物の配置というか、なんだか昨日より乱れている気がするし、いつもとは明らかに違うにおいがする。決して不快なにおいではないのだが、どことなく自分とは違う女の気配を感じるのだ。そういえばまことさんもなんだか疲れている様子で昨日あったばかりのはずなのに、一晩で急に老け込んだような気がする。

 いつもの勝手でリビングに行くと壁にまことさんの喪服がかけてあった。

 どうしたの?と、尋ねるより先にまことさんが声を掛けてきた。

「珍しいね。笹木さんが予定の時間に遅刻するなんて、まあ、時間は余裕をもって計画していたから大丈夫だよ。それにしても……」まことさんはウチの服装を上から下までなめまわすように眺めた。ノースリーブシャツとミニスカート姿を眺めながら言った。「いくら平服でって言ってもそれはないんじゃないか。」

 平服? いったい何のことを言っているのかがわからない。それにまことさんが喪服を用意しているということも。大体、予定の時間って何? 今日、何か約束なんかしていただろうか?

 まるで今から誰かの葬式か法事にでも出かける約束をしているみたいだった。不意に嫌な予感がした。全身に鳥肌が立った。

「ねえ、ちょっとそれ、どういうこと?」

「どういうこと? いや、どうもこうも、今日は芹菜の一周忌だろ。」

 セリナの? それに一周忌って? 昨日も一緒に朝まで騒いだはずだし、朝だって電話で話もしたはず。もう、わけがわからなくなってウチはその場に崩れるようにへたり込んでしまった。

    きっと担がれている。きっとそうに違いない。セリナに続き、まことさんまでがグルになってウチのことを騙そうとしている。これはあまりもタチが悪い。

 

「だいじょうぶか?」まことさんが心配そうにウチをダイニングの椅子に座らせ、大き目のマグカップに入った蜂蜜入りのミルクコーヒーを出してくれた。

 ブラック派のまことさんが淹れるにはあまりにも違和感のあるコーヒーだ。そもそもこの部屋にコーヒーに入れるミルクや、ましてや栗の香りのする蜂蜜なんてあるわけがないと思った。両手でコーヒーの入ったマグカップを包み込み、手のひら全体でその暖かさを感じながら部屋を見回してみた。

 結論から言えばここは知らない部屋だった。間取りこそは何も変わってなどいない。だけれども明らかに充実した料理道具やウチの趣味でも、もちろんまことさんの趣味とも違う食器類。

 そして何より決定的なのはダイニングの隅に飾られている一枚の写真。

ウチの見つめる先の一枚の写真にはとても仲の良さそうに、まるで恋人同士のように頬を寄せ合っているまことさんと…… セリナが映っている。

ずっとこんがらがっていた頭の中を整理するため、ミルクたっぷりの甘ったるいコーヒーをもう、二口、三口と口に運んだ。さっき喫茶店で気づいた自分の黒髪、知らない部屋、喪服、セリナの一周忌、生きているまことさん、まことさんとセリナの写真……

決してセリナやまことさんにかつがれているわけじゃない。


ウチは違う世界へと迷い込んだのだ。きっとパラレルワールドとかいうやつだ。

今までいくつもそういった物語を読んだことがある。

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