パララックス 笹木沙輝 20歳

第17話 視差(パララックス)


視差(パララックス)   笹木紗輝 20歳


 まるで悪い夢を見ているようだった。

 昨日は恋人のまことさんと親友のセリナと三人で遊びに出かけ、まことさんが帰った後、セリナと二人、ちょっとお酒を飲みに言ってガールズトークで盛り上がった。有名イタリアンレストランで働くセリナに教えてもらったおしゃれなショットバーでテンションも上がり、慣れないお酒にすっかり飲まれてしまい、気が付くと明け方近くになっていた。夏休みだからと言ってこんな暮らしをしているようではまともな大人にはなれそうにないなと我ながら悲しく思いもするが、同時に周りの大学生はもっと派手に遊んでいるからと自分自身を慰める。きっと自分たちの世代が大人になって社会をまわしていく頃になるとこの日本も終わりだなと思える。

 頭がズキズキして、もう、今後は一切お酒を飲まないと心に誓ったのはこれで何回目だったろうか……

 酔っぱらって眠りに落ちた時は決まって鮮明な夢を見る。

 今日だって例外ではなかった。ズキズキする頭でさっきまで見ていた夢を思い返してみる。


 そう、それはあの日、まだまことさんと出会ったばかりのころの夢だった。まだお互いの名前も知らない頃。

 中学三年の夏休み、家の近所の市立図書館で勉強をするのが日課だった。

 ウチは地元ではそれなりに有名な進学校を受験するつもりでいた。そしておおよそ同じ境遇の人たちの多くがその図書館を利用していた。夏休みに毎日のようにそこに通えばおのずと見知った顔もある。

 そんな中のひとりに髪の短い色白でおとなしそうな人がいた。その人はいつも勉強するつもりがあるのかないのか、勉強を始めたかと思えばすぐにやめて、受験とは関係のない読書を始めていたり、居眠りばかりをしていた。

 はじめはそんな緊張感のない彼に対して一方的に憤りさえ感じていた。でも、そうこうしているうちにいつの間にか彼のことを目で追うようになっていた。もちろんそれは恋愛感情とかそういう色艶のある話ではなく、ただ単に興味がわいただけのことだった。

 ウチは夢の中でそのころの図書館を歩いていた。その日の図書館は人もまばらで比較的空いていた。そして案の定、図書館の中にテーブルに突っ伏してうたた寝をしているまことさんを見つけた。これは過去に実際にあった出来事だ。その日のことは今でもはっきり覚えている。

 ウチはその時と同様にうつぶせで眠っているまことさんの正面に座った。

 これだけ空いている館内でその時、友達でもない二人が向い合せに座るなんて不自然な行為だ。それでもまことさんはそんなウチに気付くこともなく気持ちよさそうにうたた寝を続けていた。窓から差し込む夏の白い光線はまことさんの短い髪の毛を照らし、地肌までが透けて見えた。なんとなくその姿は仔犬のようにも見えた。

「かわいい。」ウチの小さくつぶやいた声に少し反応したまことさんはゆっくり目を開けた。


 目を覚ましたまことさんは目の前にいるウチに向かってとんでもないことを言った。

『いつか二人は廻りあえる運命だ』だったか…… おおよそそんなことを言ったのだ。

 ウチは思わず赤面してしまいその場にいるのが恥ずかしくなり、それから後も会うのが気まずくて、しばらくはその図書館にはいかなくなってしまった。それからしばらくの間も、そんな突拍子もないことを言ったまことさんのことが気になって仕方がなかった。まだ若かったウチはその時の感情を恋なんだと感じてしまった。

それでも、その気持ちに気付いた時はすでに遅く、夏が終わって再び図書館に通うようになったが、もう、そこでまことさんを見かけることはなかった。

 

でもそれから一年後。運命は廻ってきたのだ。

 受験に失敗して滑り止めの高校に通うようになり、高校近くの駅のホームでまことさんを見かけた。彼はウチの通う高校の近くの高校の制服を着ていた。

 それでも当時、名前も知らない彼にかける言葉もなくしばらくは遠くから眺めているだけだったが、運命の巡り会わせは裏切らなかった。

 偶然の再開、その運命に〝運命とはなんだろう?〟という疑問が生じ、その答えを出してくれそうな本を探しに、高校近くの本屋に行ったとき。去年の夏からすっかり止まってしまったままだった時計の針が再び続きの時間を刻み始め、運命の歯車は再び勢いよくまわりはじめて二人は偶然ながらも知り合いという関係に至った。まことさんはウチのことなど覚えてはいなかったが、もう、そんなことはどうでもいいことだった。二人の距離はどんどんと近づき、しばらくして二人は恋人同士になった。

 今から考えてもあの出会いは運命だったとしか思えない。



なつかしい夢を見てほんの少しだけ幸せな気持ちになりながら目を覚ますと信じられないくらいに体がだるかった。ボサボサの茶髪を振り乱して寝室を出たのはもう午前十時を過ぎた頃だ。抜けないお酒と、何日も前から今日の朝(正確には昼近い)までずっと着けっぱなしだったカラコンのせいで目が激しく充血していた。なるべく今日は一日コンタクトレンズはしたくない。レンズの分厚い黒縁眼鏡をかけてリビングの椅子に座りスマホをいじりだすのは毎朝の日課だった。

 スマホの通話記録には昨夜の深夜一時過ぎにまことさんからの着信がある。ウチはその電話に出ているようだったが、まるで記憶がない。深夜一時過ぎとなるとおそらくもう、かなり出来上がっていたころだろう。まことさんは心配してかけてきたのかもしれないが何かを話した記憶がない。まことさんに電話して聞いてみたかったが、昨日の記憶がないというのを悟られるのは気が引ける。どうしようかとうじうじしている時に手に持っていたスマホに着信があった。

 セリナからだった。本来ならば彼女は今頃仕事をしている時間で、仕事柄今の時間、電話をかけてくるというのは考えにくかった。彼女はお酒にも強いらしく昨日のことが原因で仕事を休んでいるなんてことはもっと考えられない。

心の隅に何か不吉な予感が走った。

《あ、あのね、サキ。今、ちょっといいかな》

「うん、ウチはどうせ夏休みだし、それよりセリナの方こそいいの? 仕事中なんでしょ?」

《う、うん。ちょっとそれどころじゃないみたい。》

「それどころじゃない?」

《あ、あのね。いい。今からとんでもないこと言うからね。ちょっと覚悟してほしいんだけど。》

「カクゴ?」

《じ、実はね。今、警察から電話があって……》


    警察。その言葉を聞いただけで何かそら恐ろしい予感がする。できることならこの先は聞きたくないと思う。



《   さっき、有馬君が遺体で見つかったって……》


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