第15話 たった一つの冴えたやり方
目を開いた。
もう、心は決まった。
「決まったようだね。そろそろ行くかい?」
「ああ。」俺はテーブルの上に置かれたアイスコーヒーを一気に飲み干した。「最後に一つだけ、あんたは一体何者なんだ?」
「さあ? 私は一体なんなんだろう? それは私にもわからない。人間なのか、神なのかそれさえもわからない。まあ、そんなことはどうだっていいことではないか。私は未来を知る占い師だ。おそらくはそれ以上でもなく、それ以下でもない。」
「そうか……」
それだけ言って、俺は立ち上がった。占い師と名乗ったその男に背を向け、決して振り返らないように出口に向かった。きっとこの男に悪意はないのだろうがまるですべてを知ったようなその男を憎らしいと思った。まるで世界の運命を手のひらで転がす神か悪魔のような態度。神だろうが悪魔だろうがどっちだっていい。いずれにしてもそんな超越的な存在に対しては反発したいというのが俺の考え方だ。そんなもののせいで芹菜や紗輝が殺されてたまるものか。
そして俺はさっき入って来たばかりの木のドアを開けて店を出た。
俺が思い描く世界。それは芹菜が生きている世界、そして、紗輝が生きている世界。
どちらか片方だけが生きている世界など選べるはずがない。
そしてその世界がどんな世界であれ、そのためにはどうすればいいのか、なんとなくではあるが考えがあった。
扉を開けた俺を真っ白い光が包み込む。俺が望んだ世界が一体どうなるのかはわからない。だが、もし、それが可能だというのならば、そのほかのすべてを犠牲にしたってかまわない。
視界を包み込む光が穏やかになり、視力をとりも戻した時、あたりはすっかり暗くなっていて、周りの住宅のほとんどの電気が消えてあたりはしんと静まり返っていた。後ろを振り向くとそこにはただの空き地があり喫茶店の入り口などどこにもない。
今、おかれている状況を判断するためにポケットからスマホをとりだし、日付を確認する。
2015.8.20 AM0:25
その時間を見て確信する。やはりまた、時間を少し遡っている。
芹菜から連絡があり、紗輝の遺体が見つかったというのが8月20日の早朝なので、おそらく紗輝はまだ生きている時間だと考えて間違いないだろう。さっきの男の言うことはやはりまがいではなかった。俺にもう一度やり直すチャンスを与えてくれたのだろう。
俺は足早に住宅街を抜けて、自宅アパートに舞い戻った。たしか本来ならば俺はこの時間に寝ていたはずだ。だが、今ここにいることから寝てなどはいないのは明白だ。元々が眠っていて記憶がなかったのだからこうして深夜に外出していたとしても何の矛盾などありえないとでもいうのだろう。案の定、アパートの中は昨日の夜のままだった。ノートパソコンは開かれたままで、その横には宛名書きまでされた茶色い封筒がある。
パソコンを開き、その中にある〝小説〟と書かれたフォルダを丸ごと削除した。こんなもののせいで誰かが死ななければならないというのならば、こんなものなんて存在しなければいいのだ。
パソコンの横に置かれた茶色い封筒を掴み、アパートを飛び出した。「どこかに行ってこれを燃やしてしまおう。そうすればこの小説なんてこの世から一切消えてしまうのだろう。」呟いて、どこかひとけのない場所に行こうと考えた。どこがいいだろうか……
その時、ふと思いつく場所があった。神道山…… たしか地元にある江戸時代におきた新興宗教の総本山に指定されている神聖な山だ。
……しかしいったいなぜ紗輝はそんなところへ行ったのだろう? 警察の話では自殺かもしれないと言っていたが、どう考えても紗輝が自殺するような理由など思い付かなかった。ともかく俺は急いでその場所へ行ってみようと思い立った。
急いで山道を駆け上がった。そこは初めて訪れた場所のようなのだが、なぜだかなつかしいような感じがした。以前ここに来たことがあるような気がしたが、どうしてもそれがいつのことだったかが思い出せなかった。デ・ジャ・ヴなのか、単に忘れてしまった過去なのか、それがとても重要なことのような気もする。
不安と恐怖とをかなぐり捨てながら、無心を取り繕うように山道を駆け上がり、間もなく頂上にたどり着いた。山頂には開けた場所があり、そこが神聖な場所であるかのような祭壇があった。その祭壇から東の方向、おそらくはそちらから御来光が拝めるのであろう、その先は半径5メートルほどの扇形に出っ張った丘があり、その下は切り立った崖になっている。
つまりはそこから紗輝は飛び降りたというのだった。この場所で間違いない。おそらく紗輝はこの突端部分から落ちた(飛び降りた)のだろう。
吸い寄せられるように突端部分に向かい、崖から下を見るとそのまま吸い込まれそうな錯覚に陥る。すり足で二歩ほど後ずさり、岩肌の上に尻をついて座りこんだ。
大丈夫だ。人の落ちた様子はない。もしかするとこれから紗輝がここにやってくるのかもしれないが、ここで待ってさえいれば紗輝が飛び降りることを阻止できるはずだ。
気持ちを落ち着けて、もう一度あたりを見回してみる。さっきまではこの突端の崖を呪われた場所のように感じていたが、こうしてみれば悪くない景色だった。いつしか消えていた恐怖心のせいか自然と立ち上がることができた。その崖の突端に立ち上がって遠くまで広がる夜空には数えきれない星が瞬いていた。遠くに行けば行くほどに星空と夜の街のまばらな街灯とがひとつになっていく。まるで壮大な宇宙の中に自分一人だけが漂っているみたいだった。
空に漂う二つの星が流れた。
この景色を紗輝と二人で見たいと思った。
「ここなら大丈夫だろう。」言って、脇に抱えた茶封筒に火をつけた。乾いたコピー用紙は青と赤の炎を上げてよく燃えた。これですっかりあの小説の存在は消えたのだろう。静まり返ったあたりには燃えカスとなった封筒だけが取り残された。足で二、三度踏みつけると燃えカスは風に乗って散りぢりに飛んで消えて行った。
安心した俺はスマホをとりだし、時間を見るとすでに午前1:30を回っていた。紗輝の声が聞きたくて、時間もかまわずコールした。四回、五回、コールが鳴り続けるがつながらなかった。八回、九回鳴った時点で不安がよぎった。もしかしてここではなかったのか、すでに俺は紗輝のことが救えなかったとでもいうのだろうか。胸の奥が締め付けられ、息が苦しくなったところで受話器がとられた。一瞬安堵したが「もしもし? 有馬君?」電話の向こうの声が芹菜だと気づいて再び不安がよぎった。
「さ、紗輝は?」
「あ、ゴメン。今ちょっとトイレ行ってる。」
「こんな時間に何してるんだ?」
「あの後ね、あの後、映画みて帰りの途中で気分変わっちゃって二人で飲みに行こうって話になったわけ。で、こうしてこんな時間まで二人でダラダラやってるってわけ。
ひょっとしてサキが浮気してんじゃないかって心配でもした?」
「い、いや、そんなことはないよ。」
「そりゃそうよ。紗輝はずっと有馬君に首ったけなんだから。ねえ、よかったら今からこっち来ない?」
「ああ、それもいいかな。」
「うん、きっとサキ、喜ぶから。」
「ああ、とにかく二人とも無事なんだな。」
「んあ? 何言ってんの、そんなの当り前じゃない。」
紗輝と芹菜とがいるショットバーは幸いここからそう遠くない。今から急いで山を下りれば三十分もたたないうちに到着できそうだった。『紗輝には秘密にしておいて。突然言って驚かせたいから』と言って電話を切った。
どうやら紗輝はここへ来ないらしい。それがどういう理由かはわからない。ただ、二人が無事であるというならそれで構わない。万が一、このあと一人で紗輝がここへ来ようとするつもりだったのなら難癖つけて朝までずっと一緒にいればいいだけのことだ。とにかく紗輝のところに向かい、片時も目を離さないようにすればいいことだ。もしかするとすでにふたりともが死なない世界にたどり着いたのかもしれない。
いそいで山を下りようとして振り向いた時、頂上の広場の祭壇の隅の茂みのところに違和感のあるものを感じた。
それは日本の山の頂上、それも神聖とされる祭壇のそばにあるのはあまりにも滑稽で目立っていた。
立派に育ったサボテンだ。橡林の中のその異様なサボテンは身の丈一メートルくらいに育っていて大きなハート形をしていた。
それをみるなり「ふっ。」と、鼻で笑った。
どうしてこんな大切なことを今の今まで忘れていたのだろう。ここには以前、たしかに来ていたんじゃないか。
なつかしさのあまりそちらの方へ向きを変えて歩き出そうとした。その時。足元にあった小さな丸い石を強く踏み込んだみたいだった。丸い石は突端の岩とこすれて俺は足を滑らせてしまった。バランスを崩して後ろ向きに一歩、二歩とよろける。三歩 。後ろに足を運んだ時にそれは地面を失った。いったい何の気の緩みだかまるで吸い寄せられるようにして崖の突端から後ろ向きに足を踏み外した。次の瞬間には体は完全な無重力を経験し、はるか広がる宇宙空間へと投げ出された。頭の中でさっき芹菜と交わした言葉がこだまする。
「今からこっち来ない?」
それは今から思えば俺の知る世界で死の世界へと旅立った芹菜と紗輝のもとに来いとの誘いの言葉のようにも感じられた。
いいや、そうではない。これは自分の望んだ世界だったのだ。芹菜も紗輝も死なない世界を望むなら、誰かが替わりに死ななければならなかたのだろう。それが俺というわけだ。
それならそれでいい。どうせ芹菜や紗輝のいない世界で生きていくのは過酷なのだ。それならばいっそ自分の命など惜しいとさえ思わない。
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