第11話 その日

    目が覚めた。


 俺はいつもの寝室のベットの上で目が覚めた。今、見た夢を思い出しながら遠い記憶をたどった。たとえ夢の中でも、芹菜と言葉を交わせたことが幸せだった。今もう一度眠りに落ちると夢の続きが見られるのだろうか…… そうしたいのもやまやまだが、時計の時間は朝の七時半を回っている。もう、起きて仕事に行かなければならない。もう、芹菜のいない生活に戻らなければならなかった。

 まったく。忘れたい忘れたいと願いながらも、やはり心の奥では忘れたくないと思っているに違いなかった。 

 それにしてもさっきの夢…… 自分が東西大寺の制服を着ていたなんて、とんだオチが付いたものだ。それに相変わらずのリアリティーのある夢。こんな夢をいつまでも見ていればいつか夢と現実の違いがつかなくなってしまいそうだ。

 ……いや、むしろ夢の中で芹菜と過ごせるのならばいっそ夢と現実の境なんてなくなってしまって、夢の中で生活を続けてもいいんだ…… なんて思っているようではだめなのかもしれない。

 重い体を起こし、俺は寝室を出てリビングの方に向かった。


 リビングにはいい香りが漂っていた。

 ふと、キッチンの方を見ればそこに笹木さんが立っていて、朝食を作ってくれていた。

「あ、おはよう。まことさん。せっかくの休みなんだからもう少し寝ていればいいのに。」

「今日はまだ月曜だよ。店の定休日は火曜日、今日は休みなんかじゃないよ。」

「……もう、まことさんったら、寝ぼけているのね、ウチら大学生は夏休みだからずっと休みなんだけどね。」

    夏休みか…… そういえば笹木さんはまだ大学生だったな…… と、笹木さんの方を見ながら何かしらの違和感を感じる。

「……あれ? 笹木さん、髪、黒く染めてたのもう、やめちゃったの? もしかして就職、内定とれたの?」

「……もう、いつまで寝ぼけているの? いい加減目を覚ましなさいよ。」

「……そういえば、笹木さん。どうやってこの部屋入ったの?」

「どうやってて…… 合鍵使って入ったのよ。」

「……ああ、そういえばこの間もそんなこと言ってたっけ…… い、いや、だからなんで合鍵持ってるの?」

「いい加減怒るわよ。恋人が合鍵持っててなにがおかしいの? それにこの部屋の合鍵造ってウチに渡してくれたのまことさんだよ。」


    何がなんなのかがまるで理解が追い付かない。いったい何が起きているのか……

 考えていてもわかりそうにはなかった……

「ああ、きっとまだ、寝ぼけているんだな、俺…… 顔、洗ってくるわ……」

 洗面台に向かって顔を洗い、鏡に映る自分の顔をよく、見つめてみた。

 自分の知る顔よりも明らかに若い…… そうか、きっとこれはまだ夢を見ているに違いない。夢から覚めたつもりで、俺はまだ、夢の中にいるんだ。おそらくこのまま眠り続けて朝、目が覚めるときっと遅刻するような時間になっているんだろう。それは社会人として失格だ。

 鏡の前で両ほほをパンパンとたたいてみる。   痛い。夢からは覚めない。

 もう一度、さっきよりも強くたたいてみる。   とても痛い。夢からは覚めない。

 つねって、ひねって、ねじってみたが、赤く染まってヒリヒリとしたばかりで夢からは覚めなかった。

 あきらめてリビングに戻り、笹木さんと向かい合って座り、用意された朝食を前にした。

 焼き鮭、みそ汁、漬物、海苔と白ごはん。芹菜の作る洋風の朝食とは違うがどれもとてもうまそうな香りが立ち込めていた。

「ねえ、まことさん。目は覚めた?」

「ああ…… うん、たぶん。」

 俺はとりあえず少しでも早く落ち着きたい。そんな思いで味噌汁に口をつけた。   思っていたよりうまい。プロだった芹菜と比べるというのは失礼な話だが、それと比べて遜色のない出来栄えだった。今となっては料理の世界に身を置く自分だが、笹木さんがいかに料理上手であるかが理解できる。

「ああ、こうしているとなんか俺達夫婦みたいだよな。」

 なんの気なしに言った言葉だったが、笹木さんは白い肌をみるみるうちに紅潮させてしまった。

「も、もう… まことさんたらッ……」

 笹木さんがそんな態度をとるのは意外だった。今まで長い間、恋人の友人だとしか見ていなかったというのにあからさまに恥ずかしがられると、むしろこっちの方が気まずくなる。

「あ…… まことさん、これ……」テレをごまかすように、話題をすり替えるように笹木さんが一枚のはがきを差し出してきた。「今朝、ここに来たときポストに差さってたのとってきたの。」

 はがきを受け取り、目をやると大きく《同窓会の案内》と書かれていた。日付は2016.1.12 成人式の後 と書いてある。

 

 いったん目をつむり……

 目を開けた。


 ようやく今、自分の置かれている状況が理解できそうだった。

 スマホを開き日付を確認する。2015.8.19。つい、昨日までが2017年だったことをはっきりと覚えているし、さっき鏡の前で自分の顔を若いと感じたことも、笹木さんの髪が黒く染められていないこともすべてに納得がいった。俺は今、一年前の夢を見ているのだ。

 そして、2015.8.19 が何の日なのかもはっきりとわかる。


 最上芹菜がこの世にいた最後の日だ。

 

 明日、2015.8.20 最上芹菜は約20年の短い生涯を終える……

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