パラケルスス 有馬真 15歳

第8話 錬金術師(パラケルスス) 有馬真言 15歳


錬金術師(パラケルスス)  有馬 真言  15歳


「なあ、八嶋。今からいうこと、絶対笑うなよ!」

「無理だよ。まーちゃんがそういうことをいう時は絶対に笑える自信があるから。」

「……じゃあ、やめとく。」

「ああああ、待ってよ。なるべく我慢するから教えてよ。ホントは言いたくてしょうがないんでしょ。」

 部活帰りの夕方の駅のホームにはほとんど誰もいない。こちら側のホームには僕と八嶋だけ。

 そして向かい側のホームには例の…… 白と黒との芸文館の美人二人組がいるだけだった。

 こうして何度かお目にはかかるものの、相変わらずの美貌は向かいのホームまでのわずか数メートルの距離を数キロメートルにも感じさせる。

「実はさ、八嶋…… あの、向かいのホームいる美人の黒の方、この間夢に出てきたんだよ。それがまた夢の中であの子は僕の恋人でさ、僕たちは二人で……」

「くくくくくくくくくくく……… く、苦しいよまーちゃん。なにそれ。ただの夢でしょ? イタイよ、ぼくなんかよりはるかにイタイ妄想してるじゃん。」

「……わかってるよ、わかってるんだけど。なんていうか、あまりにも夢が鮮明過ぎて、夢というか、なんか現実だったような気がするんだ。それに夢の中で僕の知らない言葉を言っていて、あとで調べてみたら本当に実在する事みたいなんだよ。」

「まあ、そうゆう事ってよくあることだよ。どっかで聞いたことをなんとなく覚えていただけのことであって……」

「僕も最初はそう思ったんだけど、なんかそれだけじゃないような気がしてさ……」

「……要するに恋しちゃった?」

「い、いや、そういうわけじゃないんだけど……」

 と、そう言いかけたところで不意に向かいのホームの美人二人組の白い方、要するに夢に出てこなかった方の子とぴったりと視線がぶつかった。その時間はわずか1秒にも満たなかっただろうけど、それは途方もなく長く、息の詰まる感じがした。彼女はその直後、すぐに視線を逸らした。心なしかほほを赤らめたような気がした。

「あ、今、もしかしてあの白の子。僕のこと見てた?」

「まーちゃん。自分、どんだけ自意識高いっていうんだよ。まーちゃんがあまりにもじろじろ見るから怒ってるだけだよ。」

「まあ……、そうだよな。」


 次の日の朝、八嶋の誘いでいつもより少し早い電車で学校に向かい、始業前にコンピューター研究部の部室に寄っていた。八嶋がどうしても朝のうちにやっときたいことがあるとのことだった。パソコンもロクに扱えない僕にとって何の作業をしているのか皆目わからなかったので、部屋の隅っこで読書をしていた。   なんで、僕が朝から付き合う必要があったんだろう? いや、それを言うならむしろ僕がこのコンピ研に所属している理由事態、特にはない。ただ、馴れ合いで部員の頭数確保のために入部しているに過ぎない。それを考えてしまうと、ますます自分の置かれている立場が不安定なものに感じる。そもそも僕の憧れていた青春というやつはおそらくあのホームの向かいにいるような彼女たちと明るく楽しいハッピーライフを送ることだったような気さえする。考えれば考えるほどに何故、僕がこの学校を志望校に選んだのかが不思議でならない。

「おわった    」

 本のページを開いたままボーとしていた僕に八嶋が声を掛けてきたことに気付かずにいた。

「まーちゃん?」

「んぁ? お、終わった?」

「どうしたの? ぼーとしちゃって。」

「い、いや、別に……」

「さてはまたあの芸文館の美人さんのことでも考えてたんじゃないの?」

「や、いやいやいやいや、そういうわけじゃないんだけどね。

 でも、なんていうのかな、昨日、僕のことを見ていたあの白いこの方   」

「いや、見てないって、気のせいだよ。」

「いちいちツッコまなくていいから    あの子さ、どっかであったことある気がするんだけどな。」

「じゃあ、どっかであったことあるんじゃない?」

「でもさ、あんなかわいい子、一度でもあったことがあったら絶対覚えてるだろ。それにさ、なんかあの子とは過去に    何か大事な思い出があったような気がするんだよな。

 でも、それがなんなのかなんて全然思い出せないんだよ。でも、そんな大事なことならなおさら忘れるわけもないだろうしさ。やっぱりただの思い過ごしなのかな。」

「ただの思い過ごしだよ。」

 八嶋は冷たくあしらうように言い放った。そしてわずかな沈黙の後……


「   あるいは、それは〝未定調和〟というものなのかもしれない。」


 不意に僕のものでも、八嶋のものでもない声が響いた…… そこにはいつのまにか、古池先輩が立っていた。

「せ、先輩、いつからいたんですか。」

「しばらく前からだな。空間を凍結していたので視認できなかっただけだろう。」

    いよいよもって、古池先輩ならできそうな気がしてきた。

「み、未定調和? 予定調和ではなくて?」

「ああ、未定調和だ。無論これはわたしが勝手に創った言葉なんだが……

 つまりは大事なことなのに覚えていない出来事さ。それは未だ決まっていない過去の出来事なのさ。」

「未だ決まっていない過去? 完全にロジカルの破綻した言葉ですね。」

「そうかな? そもそも過去の出来事が存在して、その結果の未来があると考えるのは早計なんじゃないかな。記憶にないというのなら、それは単に〝まだ起きていない過去の出来事〟あるいは〝未だ決まっていない過去の出来事〟なのかもしれない。」

    やばい。相変わらず何を言っているのかがわからない。

「では、ここに過去から未来へと続く一本の線があるとしよう。

〝現在〟という概念はこの線のある一点に過ぎない。そしてそれと同時に過去や未来の存在がこの線上には同時に存在していることになる。そしてこの線上にはいくつかの決して変えられない結び目のようなものがいくつか存在する。その結び目の一つ一つが運命と呼ばれるものだ。そしてこの線一本が世界であり、並行世界というのは別の隣り合う線のことだ。

この線上にある運命と呼ばれている結び目以外は何も決まっていないいわば〝未定〟状態にあるわけだ。

そして現在。ここで起きる出来事が決まった未来、すなわち運命に矛盾(パラドクス)しないような出来事しか起きないのが予定調和だ。

だがしかし、過去の未定部分に関して言えば、現在行う行動に矛盾が起きないように、未だ決定を行っていない〝あそび〟の部分が現在の行動によって後から創られる過去、それが未定調和だ。

   つまりは、有馬君がこれから行う行動によって、その空白部分の過去が後に作られるようになるかもしれない。きっとそんな時、君は自然に『ああ、そういえばそんなことがあったな』なんて言いながら思い出すことになるんだろうね。」

「でもですよ、古池先輩。」全然納得のいかない僕は先輩に食ってかかった。「過去の出来事をこれからの未来で作ったとあっては、実際にあった過去の出来事はどうなるんですか?

 ありもしなかった過去が、あったことになってしまったらそのためになかったことにされてしまう過去もあるってことですよね。その場合記憶の中にある過去の記憶って……」

「それは世界が矛盾しない程度に書き換えられてしまうのかもしれないな。あるいは過去や現在や未来。それらは同時多発的に存在していて、お互いに干渉しながら矛盾のないようにお互いが干渉しあいながら存在しているのかもしれない。」

「………」やはりついていけなくなってきた。

「ともあれ、人間の記憶なんてものはとてもいい加減なものだからね。そんなことなんてどうとででもなることなのかもしれない。

 ただ、これだけは言っておくよ。並行世界や運命と言ったものは必ず存在する。

 これは物理学的にもほとんど証明できるといってもいい。量子論やラプラスの悪魔と言ったものは聞いたことがあるだろう?」

「うーん、まあ、聞いたことくらいはあるんですけど…… やっぱり何の事だか……」

「   たとえば。

 たとえばこの世界のすべての出来事を把握しているほどの知識と計算力のある人間がいたとしよう。その人間が投げられたさいころを見たならば、さいころの材質、それに投げられた角度や転がる地面の反発係数、風、そう言った事柄全部を一瞬のうちに計算して、さいころの目を予測できるだろ?」

「   予測…… できるんですか?」

「できるさ、有馬君。君にだってある程度はできるはずだよ。

 ……そうだね、例えば詰まった木材でできた直径50cmのさいころがあったとしよう。これを無風状態の高さ一メートルのところで6を上の状態にしてそっと手を離す…… 落下した地面が砂場だった場合、さいころの目は何が出ると思う?」

「……そ、それは…… どう考えてもさいころは地面で弾むなんてことはないだろうから、そのまま6が出る…… で、いいんですよね。」

「ご名答。」

「いや、別に褒められることじゃ……」

「そんなことないさ、君は確かにさいころの角度や反発係数を計算したうえでその結果を予想したんだ。それと同じでいろいろな状態を正確に計算することができるとするならば、未来の出来事を予測することが可能というわけだ。

 さらに言うなら、さいころを振る人の筋力やその時の精神状態、立ち位置なども正確に把握するならばさいころは投げられる前から結果が出ているといってもいいんじゃないだろうか?」

「うーん…… 予想外なことは起きない?ですかね。」

「起きないだろうね。何せ正確に計算出来たら、というわけだから。

 それに計算外のことが起きたとしてもそれは大きな視野で見れば些細な誤差で放っておいても自然に元のさやに納まることになるだろう。

 では、今からさいころを6回投げたとして1は果たして何回出るだろう?」

「まあ、普通に考えるなら六分の一で1回、でもそんなことは確実じゃないと思う。1回だったり2回だったり、やってみないとわからないかな。」

「すばらしい。有馬君は実に優秀だ。たしかに確率論は確率論であって正確な答えではない。 1回や2回、3回、どれが出るかの誤差が大きくて予想といえるものではないかもしれないが、それが6000回、60000回投げた時の出目の確立ならば限りなく六分の一に近い数字の結果が出るだろう。

 つまりはちょっとくらいの予想外が起きたところで大きな運命としてはほとんど変わらない結果が待っているってことだよ。すなわち過去にタイムリープして過去改変を起こしたところで大きな運命からは逃れられないってことさ。」

「バタフライエフェクトはない。と?」

「そう、蝶が羽ばたいたくらいで変わる運命なんて大したレベルじゃない。運命に抗うなんて到底無理ってことさ。」

と    そこで時間ぴったりかのごとく始業のチャイムが鳴った。僕と八嶋は慌てて教室の方に向かった。

僕は古池先輩の持論に対してはあまり納得がいっていなかった。大体無駄とわかっていてもあえてそれに立ち向かうのが男だ。くらいのことは言ってやりたかったけれど、そんなことを言ったらきっと古池先輩はバカにするのだろう。

ともあれ、一体何の話をしていてあんな話になったんだろう? 結局古池先輩が何を言いたかったのかはまるで解らないままだ。

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