第5話 パラライズ2
朝日が昇り、カーテンのないアパートの部屋が明るく照らされて目が覚めた。頬にはまだ乾ききっていない涙の跡があった。
元の通り、誰もいない部屋でひとりでコーヒーを淹れ、ブラックのまま口にした。
差し込む窓の淵には今でもサボテンがいる。
あの時、小さな鉢植えからあふれんばかりに成長していたサボテンはすぐに大きめの鉢へと植え替えられた。植え替えられたサボテンはみるみるうちに成長し、まんまるだったサボテンは枝分かれして不細工なハート形になった。芹菜は『これこそが愛の奇跡だ!』と言っていた。
今ではそんなサボテンを見るのが少し辛い。
8月18日。
金曜の夜とあって、最上階レストランは予約でいっぱいだった。あと片付けが終わりその日の仕事が終了したのは深夜12時を回り、8月19日になっていた。スマホのメールを確認すると笹木さんから仕事が終わったら連絡してほしいとのラインが入っていた。着信時間は午後11時10分。もう一時間も過ぎていた。とりあえず返信を入れておくことにした。
遅くなった。今、終わったところ。
おつかれさま(汗をかいている何かよくわからないキャラクターのスタンプがついている)
続けて、 今、マジックパンにいるからちょっと寄ってください
こちらの返信後、一分もたたないくらいで二つ続けて送ってきた。マジックパンというのは俺の働くレストランのすぐ近くにあるショットバーだ。
歩いて三分くらい、疲れた気分を切り替えるほどの時間もないくらいの所、市街地の中央を走る河川沿いの雑居ビルの二階にあるバーにたどり着き店内に入った。薄暗い店内はカウンター席が東向きの三段の階段状になっていて、まるで映画館のようにその先の一面のガラス張りの夜景を眺める形になっている。職場の近くという事もあり、すでに馴染みの店で、髭を生やしたマスターが前列のバーカウンターの奥の方に笹木さんが待っていることを教えてくれた。
言われた通り向かったが笹木さんの姿が見当たらなかった。
「ちょっと、有馬君。どこ見てんのよ。」
知らない人に声を掛けられて思わず唖然としてしまった。
「……もしかして、笹木さん?」
「もしかしてじゃないわよ。」
いつもならすぐに見つかるはずだった。笹木さんは初めて出会った高校一年生のころから明らかに校則違反としか言いようのない茶髪(というよりはむしろ金)で、しかもそれを生まれつきだと言い張っていた。校則自体ゆるい学校ではあったし、笹木さんは校内で成績トップの優秀な生徒で素行もよかった(?)のでそれが許されていた。しかも美人と言って、あまりあるほどの美形でどこにいたって目立つ存在で捜すという言葉さえ必要のない人……だった。
「どうしたのその髪? 法事のために染めたの?」言いながら彼女の隣に腰かけた。
「うん、まあ、それもあるけど就職活動よ。」
ここの所お互い忙しくて、連絡こそは取りあっていたものの直接会うのは久しぶりだ。
「就活って…… 卒業まであと一年以上あるじゃないか。それで内定はもらえたの?」
「そう簡単にもらえるわけないでしょ…… それに……ひどいものよ。まるで今まで生きてきた二十年余りを全否定されている気分よ。」
わざとらしいくらいに黒々と染め上げられたストレートヘアーを眺めながらまるで日本人形みたいだと感じた。この機に及んでこの弱気な発言。それ以上突っ込んだ話は避けることにした。
到着早々にスコッチウイスキーのロックを注文した俺は、とりあえず彼女の白ワインとグラスを合わせた。いつの間にかこうして、酒を飲みながら大人に変わっていく自分たちが何か滑稽なものに感じる時がある。
「もしかして、ずっと待ってた?」
「いいのよ、ウチはどうせ学生なんだし、明日も休みだから…… と、いうよりは大学生なんて毎日休みみたいなものよ。」
「でも、一時間もひとりだと退屈しただろう?」
「そんなこともないわ。むしろ一人にしておいてほしいのに入れ替わりいろんな人が声かけてきて落ち着いてなんていられなかったくらい。」
よくも嫌味なくそんなことが言えるものだ。だが、それも仕方がないだろう。俺だって初めて彼女に会った時はそれなりに胸躍らせたこともあった。もう、それは過去の話だけど……
むしろ途中からは恋人の親友としての長い付き合いだ。
「で、明後日のことだよね。」
「うん、セリナの一周忌。」
「もう、一年もたつんだな。」
「どう? 少しは気持ち、切り替えられるようになった?」
「ああ、おかげさまで大分よくなった。」
「で、例のものは順調に出来上がってる?」
今、俺が書いている途中の物語のことだ。彼女には包み隠さず、すべて話してある。
「とりあえず…… もうじき完成しそうだよ。」
「そう…… そしたらちゃんと未来に向き直れそう?」
「ん…… どうだろう。なんかだんだん自信を無くしてきたかも。」
「どうかした?」
「忘れようとは思っているんだけどね…… そう、簡単に割り切れるもんじゃないよ。」
「忘れようと思ってる それは嘘ね。有馬は忘れたくないと思っている。セリナのこと、忘れないために物語を書いているんだと思うわ。」
「そうなのかもしれないな。でも、どっちにしろアイツのこと、常に考えながらやってるもんだからつい、あの頃のアイツのことを夢に見てしまう…… 昨日だってそうだ。いつも同じ夢。一緒に暮らし始めた時の事をいやというほど夢に見る…… あの頃は何一つ欠けることなく幸せでいられたのに……
俺はあの頃から一歩も進めない人間になってしまっているのかもしれない。どうにかしてあの日からやり直したいと思っているのかもしれない。」
「……なんだかフロイトの言う〝退行〟みたいね。」
「……なるほど、退行か…… 過度のストレス、失敗を感じた時にその失敗が起こる以前の幼児期などに退行して幼児行動をとったりするというやつだな。そもそも退行は〝失敗〟の発生以前に立ち戻って、そこからやり直しをしようとする心理だったか……
つまりは俺は夢の中で芹菜を失う前からやり直そうとしている……と、いう事なのか?」
「あるいはやり直したいという気持ちが有馬君に繰り返し同じ夢を見させているのかもしれない……」
「まったく。俺は全然乗り越えてないのかな……」
「変わらなくちゃだめよ。」
「……そう……なんだよな。でも、笹木さんは変わりすぎだよ。」
「?」
「……その髪。」
「ああ、もう。言わないでよ。自分でも違和感ありまくりなんだから。」
「……でも、似合ってるよ。少なくとも笹木さんの性格からすればその色の方が自然に感じるかも。前の金髪の方が無理してた感じがするよ。」
「うん、きっと無理してたんだと思う…… ああいう目立つ格好をすることでウチは自分自身の本音をいつもごまかしていたのかもしれない。ごまかして、誰にも本音を悟られないように取り繕っていた…… でもね、セリナはまるでお見通しだったみたいだけれど……」
そんな会話を交わしつつ、俺達は店を出て、それぞれの家に帰った。明後日の芹菜の一周忌の日は笹木さんが朝、俺の家まで来るという話になった。
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