第3話 パラノイア 3
その日はもうしばらく部室の隅っこで本を読みながら時間をつぶし、八嶋が帰ろうとするのを待って一緒に学校を出たのはもう夕方の六時を回った頃だった。
東西大寺駅に着くと、ほとんど人気は少なくなっていた。元々地方の小さな駅だ。利用する客はそうはいない。ほとんどが僕たち東西大寺高校の生徒か、近隣の芸文館高校の生徒くらいだが、こんな時間まで残っている生徒はあまりいない。静まり帰った駅のプラットホームに上がり、東方面行きの電車を待つホームで悠々と空いた待合のベンチに八嶋とふたり、並びで座り、電車を待っていた。向かいには線路に車線を挟み、西方面行きの電車の待合席が見える。当然人気はほとんどない。
僕は穏やかになってきた夕方の風を肌に感じながら紅に染まり始めた向かいのホームをただ、ぼんやりと眺めていた。
そこに一人、向かいのプラットホームにやってきた一人の女子生徒に目を奪われた。
芸文館高校の狐色のブレザーの少女は、色白で端正な顔立ち、やや大きめの唇はつややかでスタイルがいい。(と、いうよりは胸がでかい)髪は明らかな茶髪、むしろ金に近いくらいで片編み込みをしている。スカートの丈も短すぎるほどに短く…… 要するにビッチっぽい。
さっそうと、いや、むしろ気取ったかのように歩く様はまるでモデルのようだった。
思わず見とれて目で追っていると、今度はその後ろの方から駆け足で駆けてくる少女、こちらもやはり芸文館の生徒らしくて、小柄で、栗色の髪に猫のように吊った眼と、とがった顎の娘、健康的に日焼けをしたような肌色の少女は色白のビッチに向かって飛び付きながらはしゃいでいた。
「もう! サキったら、アタシを置いてかないでよね!」
元気いっぱいに飛びつく日焼けした娘はキラキラした表情で笑っていた。ビッチな娘の方も何となく嬉しそうな表情で「ん、もう。」とあきれながらも仲良さ気にしていた。
「まーちゃん…… いくらなんでもガン見しすぎだよ。いくらかわいい子だからって……」
八嶋が呆れたように呟く。
「見るくらいなら、タダだろ。あー、ふたりともすげー、かわいーよなー。
なんで、僕は芸文館じゃなくて東西大寺高校を選んだんだろう。もし、あっちの高校に通ってたならあんな子たちと友達になれたかもしれないのになあ。」
「仕方ないでしょ、それがまーちゃんの運命だったんだよ。」
「あー、うんめいかー、せめて運命の赤い糸とかつながってねーかなー。なあ、八嶋、お前、どっちが好み?」
「どっちだって一緒だよ。どうせ高嶺の花なわけだし。で、一応聞いてほしそうだから聞いておくけど、まーちゃんはどっちが好みなの?」
「いやー、どっちも好みなんだよなあ。二人ともタイプは全然違うけど、どっちもどストライクだな。」
「はあー、残念だけどどっちもまーちゃんの運命の人ではないよ。たとえおんなじ高校に通ってたとしても、ぼくたちみたいなのがあんなかわいい子と友達になんてなってるわけないよ。ぼくたちとあの子たちじゃ、所詮、住む世界が違うんだから。」
「はー、そうだよな。所詮住む世界が違うか……」
言いながら向かいのホームの女子二人組に目をやった。と、その瞬間、一瞬ではあったものの二人のうちの色白の方、ビッチっぽい方の子と目があったような気がした。
「なあ、八嶋、さっき、あの子、僕のことみてなかったか?」
「まーちゃん…… 健気だね……」
「言うなよ、せめて妄想くらいいいじゃないか。」
「 スケベ……」
「まったくだ。」
それはまるで伏線…… そう感じるほどに僕はその晩、とても恥ずかしい夢を見た……
やわらかいベットの中で目を覚ました。開けっぱなしのカーテンからは日が煌々と差し込んでいて、それがもう、早朝でないことが解る。
まどろみの中で寝返りを打つ…… ふと、腕の内側にスベスベしたなにかを感じる……
僕がゆっくりと焦点を合わせ、目の前にある存在に気付いた時に、僕の心臓はそのまま止まりそうなほどの慟哭を憶えた。
僕の目の前で…… 僕の布団のシーツにくるまった美少女が僕の胸で眠っているのだ。
まるで眠った子猫のような穏やかな表情、小さなとがった顎に小さな黒子を観察できる。
窓から差し込む光に照らされる彼女の肌はすべすべしていて健康的な日焼けをしているように感じる……
そうだ、僕はこの子を知っている…… そうだ、たしか昨日、向かいのホームにいた元気な子だ…… いや、似てはいるが明らかに昨日見かけた少女よりは大人びている。どのみち、いくら考えてもその子が何故僕の布団の中で眠っているのかが思い出せない。
それによく見れば、そもそもがこの部屋は僕の部屋なんかじゃない。知らない部屋だ……
それに……
それに僕の腕の中で眠っている美少女が衣服の一枚も身にまとっていないという事が、それに触れる僕の全身の肌で感じることができる…… それは同時に僕自身、衣服の一枚も身につけていないという事でもある……
そのことに気付いてしまった僕は(思春期なのだからしょうがない)下半身の一部に血流がたぎるのを感じた。すっかり大きくなって堅くなってしまった僕の体の一部は不可効力において彼女の太腿の内側にその先端が触れてしまった。そしていよいよ硬さは絶頂を極める……
そしてバツの悪いことに彼女はそこで目を開けた……
この状況で言い訳なんてできるはずもない。いや、それどころか僕には身に覚えもないことだ。いったい何を、どう説明すればいいかもわからなく、僕の顔は下半身並に硬直した。
だが、目を開けた彼女はそれほど驚くこともなくにこやかに笑って見せた。
「 もう、マコトったら、朝からこんなに元気にしちゃって…… なんなら今からもう一回する?」
もう、一回…… すなわち、前回があったという事なのか……
それが記憶にも身に覚えもないというのは幸か不幸か…… むしろ名前も知らないこの女性が僕の名前が有馬真言(ありま まこと)だと知っていて、マコトと呼んだことだ。僕のことをそう呼ぶ奴は周りにはいない……
そら恐ろしくなった僕は何も言えず、ただ首を横に振った。
「そっか、それは残念……」
シーツからするりと抜けだしたその女性は一糸まとわぬ姿でベットの横に立ち上がった。
思わず見てはいけないとシーツに顔をうずめてやり過ごす。もし、見たことで難癖つけられては困る…… とは言いながらも興味がないわけではない。窓から差し込む日の光のおかげで夏用の薄手の白いシーツを透かしてうっすらと体の輪郭は見て取れる…… あまり胸は大きくない。とはいえそれが不服だと思っていないことは自分の下半身にだってよくわかっている。
彼女はベットの周りに散乱している服を拾い集めながら服を一枚、一枚身につけていった。
相変わらずシーツにくるまったままの僕に対して彼女は「マコトもそろそろ起きないとだめだよ。」と言い残して部屋を出て行った。
僕は恐る恐るシーツから体を出して改めて周りを見渡した。たしかに知らない部屋だ。それでも見れば見るほどそこは自分の部屋だと思えてくる。本棚に並ぶ数々の本、棚に並ぶジャズのCD、壁にかかっているチャップリンのポスター。そのどれもが自分の趣味と相違ない。これは一体どうしたものかと考えながらベットの周りに散乱している衣類(男物なのでおそらく自分のものだろう)を一枚一枚身につけながら、自分の体が幾分たくましくなっているのがわかった。
これらの状況から考えられることは一つ。
僕は夢を見ているのだろう。駅でたまたま見かけて、おそらく一目ぼれしてしまった彼女とラブラブ生活を営む、恐ろしくイタイ夢だ。
……に、してもリアルな夢を見るものだ。
ベットのある部屋から出ると小さめなリビングダイニングがあり、キッチンにはエプロンをつけた彼女がいる。おそらく朝食を作ってくれているのだ。 ああ、なんて幸せな夢なんだ。そんな彼女を横目で眺めながら洗面台の方へ向かった。鏡に映る自分の姿は明らかに少し大人びていた。われながらゆえのクオリティーの高さに感動してしまう。
トイレに行き、用を足しながら思った。 ヤベ! こういう時って目が覚めておねしょしてたとかオチがあるヤツじゃないのか? そうはいってもいまさらあふれ出る尿意を止められはしない。すまない、俺の布団。いい年してこんなことしてしまう自分をどうか許してほしい…… と、本来ならこのあたりで夢から覚めるのだが、どういうわけか今日はなかなか目が覚めない。……ま、いいか。せっかくの幸せな夢だ。なるべく長く堪能できるなら堪能したいものだ。
ダイニングに戻ってテーブルを見ると朝食が用意されていた。二人がけのテーブルの片方には当然のように彼女が座り、ニコニコしながら僕の様子を見ている。僕も当然のように向かいの椅子に腰かける。コーヒーはブラック。当然のように彼女は僕の好みを知っている…… そりゃ当たり前だよな、これは僕の妄想が生み出した夢なんだから。ちなみに彼女はミルクたっぷりのコーヒーにさらに蜂蜜を入れている。よく見ると栗の蜂蜜だ。僕はそれまで栗の華の蜂蜜なんて知らなかったのでちょっと驚いてしまったが冷静になって考えると、単に僕が妄想しているだけで実際にはそんなものはないのかもしれないという事に至った。
朝食に用意されていたのはマフィンの上に半熟の卵とマヨネーズっぽいソースがかかったオープンサンドのようなものだった。しかも食べるとこれがめちゃくちゃにウマイ! 特にソースから香る独特の風味と塩気がたまらなくウマイ。
「……このソース、すげえうまいなあ。」思わず声に出てしまった。
彼女は相変わらずニコニコと目を細めながら言った。
「マコトはエッグベネディクトのオランデーズソースはべジマイトたっぷりがいいっていつも言ってるもんね。」
エッグベネディクト? ベジマイト? 初めて聞く名前だった。でもそこは何事もなかったように「ああ、そうなんだ。」とだけ答えておいた。
数分の間にこんなにうまい朝食をつくる彼女は何をどう考えたって完璧すぎて、自分の妄想に改めてあきれる。本当にこんな未来が訪れたらいいのになあなんて思いながら窓の外を眺めた。窓の淵に大きめの植木鉢に植えられたハート型のサボテンがそんな僕たち二人を祝福してくれていた……
と、そこでようやく目が覚めた。いつもの部屋のいつものベットの上だった。時計の針は昼どころかまだ午前六時を指していた。眠りたりない感もあるが、もう眠りたくはなかった。他の夢を見てしまうよりはこのままさっきの夢の余韻に浸っていたかった。……と、そこではっと我に返って布団を手で探ってみた…… だいじょうぶ、濡れてなんかいない。いい歳したおねしょは回避できたようだ。
それともう一つ、気になることがあった。スマホを手に取ってグーグルで検索を掛けた。〝栗 蜂蜜〟確かに存在していた。続けて検索〝エッグベネディクト〟〝ベジマイト〟どちらも存在していた。僕が知らなかっただけでそれなりに有名なものだった。おそらくどこかでなんとなく耳に入ってはいたのだろうが、すっかり忘れていた名前というだけでたまたまそれが夢に出てきたのだろう。そう、解釈することにした。
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