第2話 パラノイア 2

「だから並行世界があるんじゃないのか?」と   

いつの間にか部室にやってきていた古池先輩が言った。古池先輩は二つ年上の三年生で、このコンピューター研究部の部長である。まばたきをほとんどしない切れ長の目はとても冷徹な印象を与え、少しばかりめくれ上がった唇がどことなく不快感を与える。なんでも頭はすごくいいらしいのだが、アタマ良すぎてかなりイタイ。平たく言うと中二病全開で、彼、いわく、秘密結社の研究員らしいし、『通り名』とか『隠し名』とか、とにかくいろいろな別の名前を持っている。必要以上にかかわりあわない方がいいタイプの人だ。

「古池先輩、いつからいたんですか。」

「かなり前からだな。つい、先程までは周りの空間を凍結していたから目視することができなかっただけに過ぎない。」

    要するに、つい、さっき来たという事だろう。

「で、並行世界ですか?」

「ああ、そうだ。過去にタイムリープしたとは言ってもそれは無限に広がる並行世界の一つ、今いる世界とは時間軸のズレた別の世界に〝移動〟しているだけに過ぎない。だから移動先の世界の自分が殺されれば、その世界の自分は確かにいなくなるんだよ。でも、だからと言って自分のもといた世界の自分が死ぬわけじゃないから、自分が消えることもあり得ない。いくらその世界をめちゃくちゃにしたとしても、元の世界に戻ればそれは元の通り。なに一つ変わってなんかいないだろう。」

「うーん。そこまではよく聞く話なんですけどね先輩。僕が時々思うのは、別世界でめちゃくちゃをしたとして、元の世界は元通り。それは解ります。でも、そうやって並行世界との相違が簡単に起こせるのなら、並行世界なんて言ってもきっと全然おんなじ様な未来へは向って行かないですよ。それこそ自分がいなくなった世界には自分の子供もいないわけで、さらにその子供も孫もいないわけでしょ。そんなことしていたら並行世界なんて言ってもきっと全然違う世界になるんじゃないですか。」

「ところが、それほどまでには大きな違いはでないさ。なんせ世界には〝運命〟があるからね。」

「運命?」

「ここに一本の糸があるとしよう。この糸が運命だとしよう。そして糸とは突き詰めるところ細い繊維の集合体だ。この繊維一つ一つが並行世界だ。

 繊維の一本一本は独立した存在であり、それらがお互いに絡み合って糸になる。お互いに別々でありながらお互いが決して遠くかけ離れないようにもつれ合っている。

そして、この糸の一端が過去で、残りの一端が未来だ。これが複合世界。

この複合世界の繊維の一本のある一点、それが今、私たちのいる現在となるわけだが……

この時点で私たちが何かとんでもないことをやらかしたとすれば、まあ、せいぜいこの糸の繊維一本を引っ張るようなもんだろう。互いに絡まってできた糸はほどけることもなく一緒に揺れるに過ぎない。

アカシックレコード。と言えば分りやすいかな。世界にはあらかじめ、ある程度きめられた筋書きがあって、その筋書きを大きくは外れることができない。もちろん多少世界は変えられるさ。この世界でやったことを並行世界に行ってやらなかったとする。それによって発生する影響は他の何かが作用して結局おんなじ様な結果をもたらすという事さ。」

「うーん。」

だんだんついていくのが難しくなっていた。そういえば八嶋はさっきから何も発言していないようだが、どうしているんだ? 目線を反らし、八嶋を見るともう、完全によそを見ている。お手上げ状態なのかもしれない。まあいい。ここは八嶋は置いていくことにしよう。

「つまりね。」古池先輩は続けた。「いま、ここでこうしてかわした会話が、後の世界において重要なことになるなら、今ここで話さなかったとしてもきっとほかの誰かが君にこの話をするってことなんだよ。」

「あー、つまりは…… つまりは並行世界にタイムリープしたとしても自分は殺せないってことですよね。並行世界の自分が死ぬくらい大きいことはそのアカシックレコードに反する行為だから、何らかの障害が発生して自分に対する殺人は未遂に終わる…… そんな感じですかね……」

「おやおや、君は意外と自己評価が高い人間なのですね。」

「え?」

「だってそうだろう。150億年の宇宙の歴史の中で君一人生きようが死のうが、大した問題じゃあないよ。代替えくらいいくらでもあるさ。たとえ君が将来偉大な人物になるとしても、その行う偉業を誰かほかの人が実行すればいいだけのことだ。この宇宙の運命に自分が必ず必要なんて考えはいくらなんでもおこがましいんじゃないのかな。」


    結局のところ過去にタイムリープしたら未来を変えられるんだろうか? 聞いているうちになんだかわからなくなってきてしまったが、まあ、どうだっていい。

 そもそもタイムリープなんて不可能なんだから、まじめに考えるだけ無駄ってことだ。


「ところで古池先輩は   」随分長い間沈黙していた八嶋が質問した。「このネットの書き込みは本当だと思いますか?」

「これはこれは…… まさかこんなことを本気で信じているのか?」

「   やっぱりありえない話なんですかね。」

「まあ、常識的に言えばね。だが、ありえない   なんてことではない。そもそも科学にありえないことなんてもの自体がありえない。この宇宙に存在するダークマターとダークエネルギー。それらのすべてを解明しない限り、どんなことだって起こりうる。不確定性理論というものが存在する限り、ありえないことはありない。

 まあ、この書き込みの〝過去の自分に若返った〟ということを無理やりに説明するというのなら、並行世界の、そして時間軸の違う世界に存在する自分の体に乗り移った。という事になるのだろう。もちろん並行世界が概念的にこの世界とどれくらい離れているのかというのかは3,4次元に住む我々には想像もつかないが、あるいは5,6次元的に考えれば案外、すぐ近くなのかもしれない。ましてや並行世界の自分ともなれば、ほんのわずかなズレみたいなことが生じれば十分起こり得るとも考えられる。

 ただ、こんなバカげた理論を証明する科学はありえない。が、同時に否定できる科学もあり得ないよ。」

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