【第4話 エマリア・フィオナ=バンキエーリ】


夜の粋な空の散歩を終えた私たちは自宅のある郊外のマンションへと向かう。

先に散った空を煌く星屑たちは消え、夜空はまた黒の絵の具に潰された。

遠くに見える街の中心部では人々が忙しなく営む人工灯が目に眩む。

私は謎の異界からの訪問者、少年に支えられながらも一歩、また一歩と歩を進めた。

少し先に見え始めた道の街灯に照らされた白い外壁の壁に思わず目を輝かせる。


「あ、あそこだよ。私の家があるマンション。」


人差し指で指し示し久方ぶりの帰宅に喜ぶ。

少年の介助から離れよたよたと歩くも未だ空中歩行に慣れない。

時々ふらついてしまう。少年はやれやれといった表情で肩をすくめた。

私へと再び近づいて肩を支えながら地上へと降下する。

幸いにも夜も更け人目もなく、郊外の人々の営みは静寂を付していた。

数刻ぶりの地上へと足をつけた私は安堵からか溜息が漏れた。


「おいおっさん、溜息ばっかだと爺くせぇぞ?」


少年は心配か呆れか此方へと声をかける。


「え、あぁごめんね。でもほら。あんなでっかい怪物と戦ったんだ。

生きてるだけでも凄いよ。」


草臥れた笑顔と共に死の恐怖からの開放。

最初こそ自殺願望のようなもので近づいたのが

不思議なことに何故か剣を取り戦うことに…。

身体のあちこちから痛みが走る。最後吹っ飛ばされたときのダメージだろうか。


「さぁ、取り合えず休憩しよう。君も疲れただろう?」


よいしょと掛け声をして立ち上がる。腰の痛みが酷く足取りが鈍い。。

少年は後ろのほうで何か呟いているようだ。

手に持ったままの剣も大した重量にもならない筈だが腕の筋が痛んだ。


(そういえば少年の言う通りならこの剣もマントもあの宝石なんだよなぁ…。)


ふとそんな事を思い出して歩きながら後方の少年へと問う。


「あの、1つ聞いていいかな?」


「……ん、どうした。」


考え事をしていたのか一瞬反応の遅れた少年。

きっと疲れているのだろうと心配になる。


「えっと、この剣とマントなんだけど何とか仕舞えないかな?

この格好で他の住民さんに見られるとちょっと困るというか…。」


「あ、あぁ。【武器格納:ゴルチオ】か。

口誦、もしくは心の中で誦して貰えれば魔力核に戻るぞ。」


「あ、ありがとう。じゃあ…【武器格納:ゴルチオ】」


私がそう唱えた瞬間、纏っていたローブと手に持っていた剣が光の粒子へと変わる。

粒子の群れはは一塊に集合し以前の宝石へと変貌した。

手のひらに収まった石をまじまじと眺めながらも歩を進めることは止めない。

何度見てもこの小さな石があんな風に変わるのかと不思議に思った。


階段で3階まで上がる。息の切れる音が響く。

やはり歳なのか肩で息をする。


「なぁ。なんでここまで飛んでこなかったんだ?

身体キツいなら歩く必要なかっただろう。」


後ろから少年の中性的な声が響く。

声色に不安めいた感情を纏っているように感じた。

私はその問いに反応し足を止め、うーんと一瞬考えた素振りを見せて再び歩き出す。


「だって、こっちの方が健康的じゃない…かな。」


頬を人差し指で掻きながら照れながら答えた。

彼は呆れたように肩を竦めて首の後ろを擦った。

そして辿り着いた一番奥の307号室の扉の前。私の部屋。

鍵を取り出し、差し込み開ける。開いた扉の先には見慣れた環境が広がった。


「さぁ上がって。何もない所だけどお茶くらいは出すよ。」


招かれて少年も家に上がる。私が靴を脱ぐのを見て首を傾げた。

不思議そうに思いながら靴を脱ぐしぐさをしていた。

私は先行し廊下を歩き台所で冷蔵庫を確認する。


作り置いてあった麦茶を出してコップを取りに食器棚へ向かう。

新しく買って使っていなかったガラスコップを2つ取り出す。

時に一向にこちらに来る様子のない少年。

何か困ったことでもあったのだろうかと廊下側を覗く。


そこには纏っていたマントや携えていた剣も無く

身を守っていた外套や頑強そうな装甲、深くかぶっていた帽子も消え

先刻の戦いで垣間見た端麗な顔が伏していた。

先ほどからどこか意識が朧げなのが不安だ。思わず声を掛ける。


「大丈夫かい、何か困ってる?」


「悪い、大丈夫だ。今行く。」


「そうかい?何かあったら言ってくれて大丈夫だからね。」


「ああ。」


少年は何事も無いようにロングブーツに手を掛けながら

身体のバランスを取って器用に脱いでいる。

内心ハラハラしながらも相応な年齢な子だし大丈夫だろうと台所で準備を続ける。

戸棚で茶菓子を探していると然程間を空けず短い悲鳴と共に重い落下音が聞こえた。

慌てて音のした方へと向かう。


どうも少年がバランスを崩したらしい。

僅かに悲痛の声が漏れている。腕にも力が入ってないようだ。


「だ、だだだ大丈夫かい!?」


「…ん、大丈夫だ。ブーツに足引っ掛けただけだ…。」


身体を支える為に慌てて近づく。

少年の肩を支えてリビングへと向かい椅子へと座らせる。

やはり先刻の戦いの疲労が出ているのだろう。

椅子に腰掛けてからも伏せた顔は上がらない。

どこか痛めたのかと一人慌てふためいてしまう。

―――その時だった。


大きな腹音が部屋中に響いた。

同時に少年は力なくテーブルへと突っ伏した。


「……腹減ったぁ~…。」


蚊細い声が聞こえた気がした。


「……えっと、大丈夫?」


「あ、あぁ…申し訳ないが何か食べ物を貰えないだろうか…。

先の戦いで魔力を消費しすぎたみたいで力が…。」


力のない言葉で丁寧にそう告げた少年。


「そ、それは大変だ。ちょっと待っててね、すぐ用意するから。」


若干の困惑を隠しきれないまま台所へと向かう。

といっても私は殆ど自炊はしないし先に買った夕食も何処かで無くしてしまったようで、今冷蔵庫の中には少しの調味料とつまみになる物が少しあるだけ。

あとは…昨日炊いた米がある位か。

せめて何かあればと乾物などを保管している戸棚の扉を開ける。


保管庫内は虚しいまでに物が存在しない。

しかし取り合えずめぼしい物がないかと見渡す。

すると奥のほうに、茶漬け用の素があるのが見える。

今出来るのはこれ位しかできないかとそれを手に取った。


リビングの彼は机に突っ伏したまま。

私はケルトに水を注ぎ、電源をいれた。

幸いにも私の分もあったので2人分の器を用意する。

お湯が出来上がるまでの沸騰音だけが響く。


「…なぁ、なんで俺なんかを家にあげた?」


突然聞こえた少年の声。

振り向くといつの間にか姿勢を正して此方を向いて座っている。

その目は凛として此方を見据えている。

確かに彼の言う通り見ず知らずの少年を家に上げるとは

世間一般的に見たら確かにいろんな意味で駄目だなと。


「んー…。だってほら、さっき一緒に戦ったんだし。

君だって疲れているだろう?何もない家だけど少しは休めるだろうと思って。」


「ふーん…。そっか。」


そう簡単に返事をして頬杖をついて窓の外を見つめてしまった。

どうも彼の心境が分かりにくい。まぁそもそも私と同じ人間であるかどうかも

いまいち分かりきっていないのだ。

そもそも今此処に至るまで彼の名前も知らない。

…ご飯の後にでも聞いてみようかな。


その時ケルトが沸騰終了の音を立てた。

私はご飯を器に盛る。保温してなかったから多少冷めているが

お湯の温かさで何とかなってくれるだろうと願う。

お茶漬けの素をご飯に振り、出来たお湯を注ぐ。

お湯がお茶の緑に染まり、心地よい香りが食欲をそそった。


「…へぇ~、不思議なものだな。」


いつの間にか少年がカウンターからこちらを見ている。

お湯を注ぐだけの簡易料理だったが流石に作業工程を覗かれるのは少し恥ずかしかった。まじまじと不思議そうに小首を傾げてお茶碗を覗き込んだ。


「ごめんね、今冷蔵庫何も入ってなくて。簡単なものしか出来なくて。」


「あ、いや。こっちこそ勝手に覗いたりして悪い。続けてくれ。」


「いやいや。さぁ座って。今そっちに運ぶから。」


少年はすぐさま椅子に座りなおして姿勢を正した。

お盆の上、熱を持った陶器のお茶碗が2つ、箸が2組。

先に用意してあったお茶を注いだコップと、念のためスプーンをつけた。

リビングで待つ彼の前に食事の給仕をする。

少年は初めてお茶漬けを見る様な不思議そうな目で見ていた。

向かいの席に自分の分も用意してお盆をカウンターに戻す。

そして自身も椅子に腰掛ける。腰から嫌な音がしたのは聞かないことにした。


「じゃあ、頂こうか。」


いただきますと手を合わせて、箸を取る。

器を何とか手にとって息を吹きかける。

ふと目をやった向かいの席。少年は微動だにせずただ器を見つめていた。


「…ええと、もしかして苦手かい。お茶漬け。」


器を下ろして向かいの客人へと問う。

しかし少年は突然として慌てふためく。


「あ、えっと。その、なんでもない…。」


激しい身振り手振りと何か困ったような表情が強く印象に残る。

まるで普段受けている扱いと違うような。

箸とスプーンを見て少し悩んだようだがスプーンを手に取り

お茶碗の茶漬けへと潜らせた。


「熱いから気をつけてね。」


「あ、あぁ…。わかった。」


立ち上がる湯気と熱気に混じるお茶の馥郁に誘われたのか。

先の忠告もなかったかのように口に含んだ。

驚いたようにあちちっと短く悲鳴をだして口を手で押さえた。

まるで娘の小さいころのようだなぁと思いほのぼのと眺める。


少年はスプーンに乗せた茶漬けを冷ます。

湯気は少しずつ薄らぎ食べごろを迎えたようだ。

彼は慎重に口へとスプーンを運んだ。


口に含んだ瞬間、急に晴天のように表情が輝いた。

よほど空腹だったのか彼は熱い熱いと言いながら皿の中を食い進める。

少しの具に幸福を覚え、お茶の香りに会心の笑みを浮かべる。

空っぽになったお皿と幸福感にだけ満たされた少年だけが残された。

私も自分の皿の中身を平らげ手を合わせて食への感謝を示す。


「ご馳走様でした。」


「ふぅー…食った食った、初めて食べたけどすげぇ旨かった!

ありがとう!えっと、ごちそうさま!!」


食器を提げる為に空いたお皿を重ねる。

少年は不思議そうにこちらを見ている。


「…えっと、どうしたんだい?」


「あ、いやいや。ただ珍しいなぁと思って。

食器下げるんだろう?せめてもの礼だ、手伝うぜ。」


少年は私から食器を半分を受け持つと流し台へと運ぶ。

私も流し台の方へと既に水洗いを始めていた。

まるで家事に慣れた主婦のような佇まいだった。

昔、子供の頃に見た母の姿が重なった。


隣に並び綺麗に洗われたお皿を丁寧に拭いていく。

クロスは水面を取り払い元の美しい姿へと変身させる。

食器棚に片付けて少年と再びリビングの机へと向かう。

元の席へと腰掛けると眼前の少年も後から続く。

行儀よく椅子へと腰掛けた少年は少し眉間に皺がよっていた。


「…そういえば1つ、一番大事な話をし損ねていた。」


「…えっと、なにかな。」


「ほら、自己紹介だよ。名前まだ言ってなかっただろう?」


テーブルへ肘をつきにっこりと可愛らしい笑顔を見せた。

その年の少年ならば愛想がいいなんて言葉がとても映える素敵な笑顔。

しかしそんな笑顔に一瞬違和感を覚えた。

先の戦いといい、この少年はどこか妙だと考えてしまう。

少年は姿勢を正して凛とした顔を作り息を吸い込んだ。


「まずは俺が名乗るのが礼儀だな。俺の名前はエマリア・フィオナ=バンキエーリ。

この惑星とは別の星【反地球:ア・テーラ】という魔術と魔法の発展した世界から諸事情によりあの【幻獣:アイロドン】を倒すためにこの星に出向した者だ。…一人称が俺で分かりにくいがまぁしがない田舎娘だ、どうか多めに見て頂きたい。」


「エマリア君か、さっきは助けてくれてありがとう。私は・・・え?」


「ん、どうした?」


今彼は何と言った。

最後の一言、それは私の思考を全て否定したそんな言葉のようだった。

・・・いや、実際そうではないだろうか。


「え、君・・・お、女の子??」


「お、おう。そうだけど…。一応胸もあるんだが。」


「・・・・・・えっと。」


戦闘中感じた違和感、家での母との記憶の透過。

中性的だなと思っていた声は普通に彼の、いや彼女のものだったのだ。

とにかく成すべき事が1つ確かにあった。私は机に手を突き頭を下げた。


「申し訳ありませんでした。」


「え、ちょ、どうしたんだよおっさん。」


「…君のことずっと男だと思っていました。」


少年の表情は見えないが年の功なのか場の空気の感覚でなんとなく分かる。

困惑と戸惑いと、若干の呆れと言ったところだろう。

しかし罵詈雑言での非難を覚悟したが少しの笑い声が聞こえたかと思うと


「なぁんだそんなことかよ。別に気にしてないって。

そもそもそういう風に見られる見た目をわざとしてたんだから

おっさんが気にすることではないさ。」


けらけらと愉快そうに口角を上げて笑っている。

若い子の反応に素直に便乗出来ず呆けている私へ手を差し出す。


「どうやら【幻獣:アイドロン】や【反地球:ア・テーラ】なんかよりも

もっと大事な話し合いがあるようだな。」


年相応の快活とした女の子らしい笑顔の隙間、八重歯が垣間見えた。


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アラフォーヒーローストーリア @utuiiy

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