【第2話 恐怖と葛藤。そして――】

人生の中で飛行機に乗った経験は片手で足りるほど。

そんな私は今、都心を見下ろす空の上。

謎の少年と、不思議なローブ、そして手に入れた剣。

そして対峙するは退治すべき敵、【幻獣:アイドロン】。

冬の冷たい夜風が私たちを後押しするように吹き抜ける。

風を機に少年は剣を構え、【幻獣:アイドロン】目掛け猛進する。


続く私も体の力を抜く。

少年曰く、このローブに掛けられている魔術により

空中の移動は自由に出来るそうだ。

いい歳をして、まさかこんな人成らざる業を使う日が来るとは。

一瞬、反転した世界。頭上に構える街並み。

私は力任せに思い切り空を蹴った。


重力に沿った加速を伴い、【幻獣:アイドロン】へと距離をつめる。

普段体感することの無い速度に身体が堪える。

少年が先行し、奴の気を引いてくれている。

脇を締め、剣を寄せる。目測、残り100m。

脳天破壊、貰った。


ぽよんっ。

想像と異なる情けの無い音と共に弾かれた剣先。

驚きが隠しきれず思わず目を見開く。少年も口を開いたまま此方を見ていた。

どういうことか理解するよりも早く反撃の手が迫ることに気づく。

慌てて空を蹴り上空へと離脱し攻撃の手を逃れる。

しっかり加減をし、程よい距離まで上昇する。

呼吸を整えて先の現象への理解を進める。


(攻撃が、弾かれた?)


剣は間違いなく【幻獣:アイドロン】の頭部を貫いたと思った。

少年が何度も切りつけているのを見ていた反面

脳内の理想図通りに行かなかった事へのショックが半分。

目の前の生き物が常識の通じない生き物だと再認識した恐怖が半分。

恐れと無謀を直感し、背中に悪寒が走った。剣を握る手の力が抜ける。

しかし、あの少年はこの無謀とも取れる挑戦を続けている。


何度も斬撃を繰り返すも、その都度回復される。

敵の攻撃を回避するのも受け流すのも楽ではないはず。

それでも隙を見て何度でも斬りかかる。

彼より幾ばくか大人の私が果たしてここで折れて良いのだろうか。

私だって未知の生物と対峙している今、最初のただの自殺願望のようなものは

消え変わりに生まれた死への恐怖。だがそれは彼も一緒だろう。

それにここで止めなければ更に犠牲者が出る…。

そう思うと剣の柄を強く握り締める。私は覚悟を決め、再び空を蹴った。


少年の妨げにならぬ様、敵の懐へと潜り込む。

昔漫画で見た主人公のように体を捻り剣を振った。

剣はまた無様にも弾かれる。何度も斬りつけるが1㎜とも傷は付かない。

攻撃を受けてないにしても筋肉から悲鳴が上がっているのが分かる。

運動不足ないのが此処へ来て分かってしまった。


【幻獣:アイドロン】はスピードこそ遅いが何分破壊力が恐ろしい。

一撃食らえば明後日筋肉痛では済まない事も重々承知している。

攻撃を続けていれば直に突破口が見えてくると思っていた。

刹那、予想外の方向。下方より【幻獣:アイドロン】の足が急接近してきたのだ。

慌てて剣を盾にして直撃を防ぐも、反動で身体が跳ね返る。

体のバランスが崩れ無様に回転しながら敵前から遠のく。


「え、ちょ、う、ぉおおああぁぁぁ…!?」


「ちょ、おっさん!?」


こちらに気づいた少年が慌てて私の方へと飛んでくる。

私を追い越したかと思うと軌道上に割って入り受け止めてくれた。

停止したことに私も少年も安堵のため息を漏らす。

しかしこの時、何か違和感を覚えた。

一瞬のことですぐには理解できなかったが、この有り得ない状態で

どこか錯乱しているだろうと思考を拭い去った。


「おいおい、大丈夫かよ。」


「うん、何とかね…あぁ、筋肉痛になるなこれは。」


「ったく、いくら戦い慣れてないからってどうしたらそんな事になるんだ。」


「いやぁ、君の戦いを見てて斬撃は通ると思ったんだがねぇ…。

あいつの体、ゴムみたいに良い反発してるね。枕とマットレスにしたいよ。」


「ゴム…?あぁ、ゴムの木の樹液か。なんだ、こっちにも練成魔術あるんじゃんか。」


「練成っていうか科学技術だね…。」


腕から開放され先とは違う違和感を覚えた。

今までの彼の話を聞いてる限りどうやら違う世界の住人らしい。

こちらの知識についてどれだけあるのかも分からない。

…言語が通るのが幸いだな。


「しかしこればかりは妙だとしか言いようが無い。

何故攻撃が通らない。流石に俺もわからん。」


「…ねぇ、この剣ってさ。」


「ん?」


この剣を手にした当初から感じていた違和感。

食玩のようにただ剣を象っている、だけ。

彼の持つ剣のような輝かしき光も未知なる力も感じない。

私のような何事も無い人でもそれは分かる。

ならば問うべき事はただ1つ。


「この剣、ちゃんと攻撃通るのかい?」


私の問いに少年は一瞬息を呑んだ。

きっと彼も分かっていたのだと思っている。

私の所有する剣に、力が通ってないのだと。


「…おっさん、いや主人公【ヒーロー】。

あんたの勘の良さには感服するよ。」


ひとつ大きな溜息を付いた少年は両手を掲げ降参のポーズを取る。

やはり私の目測も、彼の予想も当たってしまったようだ。

先の攻撃ですべて分かる。この剣では彼のように斬撃は出来ない。

それどころか、ダメージすら与えられないのだ。


「…さっき魔力が薄いって言ったろ。」


「あぁ。言ってたね。」


「おっさんは魔力適正こそあるがその武器【剣:スパーダ】への

必要魔力が足りていないんだ。さっきの一撃で把握した。」


「………。」


思わず無言になる。果たしてこの剣で本当に倒せるのか。

少年の期待を裏切るようで申し訳ないがやはり私は所詮ただの人間、おじさんだ。

【幻獣:アイドロン】はこちらに何度も手を伸ばそうとしている。

先ほどから完全に我々を標的にしているが、何時また周囲の破壊を始めるだろう。

先の女性みたいにまだ避難しきれて無い人がいるかもしれない。

だが私の出来ることはもう―――


「私に出来ることなんてもう、無いんじゃないか。」


なんて冗談でも言ってはいけない事を思わず口走ってしまった。

一瞬周りの空気が凍りついた。彼の機嫌を損ねる事を言った自覚はある。

感覚が鋭くなり冷や汗がつぅっと音を立て頬を滑るのさえ身震いしそうだ。

少年は無言のまま俯いたき、朧げに口を開いた。


「……いや、あるぞ。」


「え…。」


少年の口から出た言葉は私の意表を付いた。

優しい声色でそう告げた彼は俯いていた顔を上げた。

月明かりに照らされ、彼の顔を漸く垣間見ることが出来た。

土色の前髪が風に靡く。蒼く輝く双璧の瞳は真っ直ぐ此方を捉えた。

微笑んだ顔が嘗ての娘を思い出させる。


「ひとつだけ、取って置きの奥の手が。」


「………。」


「ただし、俺は前線から離れざるを得ない。

主人公【ヒーロー】、あんた一人で戦うことになる。」


「私…ひとりで?」


復唱するその言葉の意味を考えた。

私たち2人でも敵う事の無いあの怪物に

1人で立ち向かわなければならないのか。

思考より早く武者震いする体が悟る。震えが止まらない。

そんな情けない私の手を優しく少年が取ってくれた。


「大丈夫、俺がついてる。それに…。」


少年は手に込める力を一層強くし痛いほど握り締める。

少し俯いてしまい顔は見れないが悲しい空気を醸し出している。


「俺の見惚れた主人公【ヒーロー】だもの、絶対に負けないさ。」


泣きそうなのを堪えたような笑顔でそう告げられた。

握られた手とその表情に、震えは次第に収まりを見せた。

この子の覚悟を感じ取り、私も次第に覚悟を改める。


「…分かったよ。君を信じると言った手前だ。

その取って置きの奥の手に掛けてみよう。」


彼は一瞬目を見開き驚いた素振りを見せたが

直ぐに先ほどのように自信に満ち溢れた笑顔を見せた。


「…ありがとう。」


そういうと握った手をそのままに何か呪文を唱え始めた。


「契約の紋よ。我が望むは使い手。そして其れは彼の者である。

彼の者の望む力、我の望む力。其れ即ち汝を欲してここに顕現することを認めよ。

今ここに汝を契約の契りとし示さんとする。我の核、魔力、全てを共に。

スクリーベル魔術書、第99章9項【武器融合:アルマ・フージオネ】」


不思議な光が私たちを包む。少年は光に呑まれながら私を見据えている。

徐々に薄らいでいく彼の形象に思わず声を上げそうになる。

しかし少年は其れよりも先に口を開いた。


「信じてるぜ、主人公【ヒーロー】。」

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