【第1話 降臨する悪しき元凶、幻獣。】

突然の地響きが空気を振るわせた。

音に反応し、身体が強張り踏み出した一歩を止める。

何が起きたのだろうと思って固まってしまう。

少し遠くから聞こえる複数の悲鳴に気づき顔を上げる。

事故か、爆発か。はたまた何か墜落してきたか。

自然と音の方へと顔を向けた。


光の少ない闇の奥を見つめる。

夜の黒に紛れるように、そこに何かいるように見える。

ビルの群れの隙間。何か動いたような。

距離があるようで見えにくい。

夜も更けているので悲鳴の主たちの安否も心配だ。

私は止まっていた足を音の発生源へと向け歩き出した。


近づくに連れて違和感を覚える。

進行方向から散り散りに逃げてくる人々。

その顔は皆、恐怖に満ちている。

声を張り上げ叫ぶ者、恐れを為して泣いている者。

まるで映画のワンシーンのような光景を目に捉える。


本来なら私も逃げるべきなのだろう。

しかし足は歩みを止めることなく、然るべき流れに逆らう。

この先に何がいるのかは分かっている。

この情景を構成するのに必要なもの。

昔読んだSF漫画や、半年前に見た映画。

人ごみを進む。ビルの角を、折れる。


道に倒れている人々、流れ溜まる血。

散乱した肉片は見ないようにした。

地響きの音が鼓膜に振動して痛いくらいだ。

コンビニの入り口で薄ら見えていたものの正体を眼前に捉える。

ビルの4階程より高い身丈と黒く怪しい色彩。

顔になりうる部分には口と思われる部分から紅白に彩った綺麗に羅列した歯が覗く。

形容するならばまるで巨人のような怪物は、そこに君臨していた。


その非現実な姿に思わず目を奪われる。

決して現実から目を背けた訳ではなく、ただ惹かれた。

乱暴に振り回された腕がビルの窓と壁を破壊する。

硝子とコンクリートの雨が降り注ぐ。

硝子の破片が顔を掠め、生暖かい液体が頬を撫でた。

はっきり分かった。私の求めていたありきたりではない特別。


(あぁ、きっと。)


私は分かっていたのだろう。恐怖の源へ歩を進める。

ありきたりな死に方を嫌がったのだ。

なら、今目の前で起こっている非現実的現象。

これに殺されるなら、私はきっと満足するのかもしれない。

こちらに気づいた怪物からゆっくりと伸ばされた手。

長く短かった人生の幕を1人静かに降ろそうか。




「やっと見つけたぜ、俺だけの主人公【ヒーロー】!」




虚空を切って届いた声。

目の前に現れる人影と、切り裂かれた怪物の手。

黒い塵のようなものが宙に舞い散る。

この世のものとは思えない悲鳴のような重低音が都心中に響く。

仰け反った怪物の後ろから雲に隠れていた月が顔を見せていた。


月明かりに照らされ、私の命を拾った人物が輪郭を描く。

風に揺らめくマントは艶のある生地に映える真朱色。

肩に光る銀の装甲からは勇ましさを伺える。

右手に構えた鋭い光を放つ剣はまるで物語の聖剣のよう。

ひと括りにされた長い髪は流れてきた年月を彷彿させる。

黒い軍帽のようなもので顔も隠れ性別の判断は出来ない。

ただ私よりも若いことだけは分かった。


「おい、無事かおっさん。」


先の人物は振り返って私に手を伸ばした。

伸ばされた手を素直に受け取り、抜けてしまった足腰を立たせる。

立ち上がって初めて分かったが身長は私より頭ひとつ小さいくらい。

帽子の鍔で顔が見えないが、一人称で声変わり前の男の子だと思った。

少年は私の頬に手を伸ばし、確かめるように滴る血を指で拭った。


「良かった、頬以外に怪我は無さそうだな。時間が無いから手短に話すぞ。」


少年は何かを取り出し、指に拭った血を擦った。

その何かに向かって短く呪文のようなものを唱え、私に差し出す。

思わず両手で受け皿を作り、中に落とされた物を眺めた。

掌に収まるほどの大きさの、宝石の埋め込まれた箱のようなもの。

鈍い光を帯びた彩度の低い石だ。だが見た所擦った筈の血は、見当たらない。


「急な話で悪いが、今からおっさんにはアレを倒してもらう。」


「……………………え?」


耳を疑った。今なんと言った。

あの人を喰らう怪物を、私に倒せと言ったのか。

驚愕のあまり言葉は飲み込まれ、目は瞬きを忘れた。


「今この世界はあの怪物、【幻獣:アイドロン】の脅威に襲われている。

あれはまだ未覚醒。倒すなら今しかないんだ。」


「えっと、あの。私、普通の人間でしかもおじさんなんだけど…。」


思わず怪物の方に目を移す。

切られた掌は空中に散った塵が集まり回復していく。

攻撃が、通ってないのだ。


「関係ないな。大丈夫、俺の見惚れた主人公【ヒーロー】だ。

今渡したそれはおっさんの武器になる魔力の核だ。

意思を強く持て。そして願え。戦う力を。」


「え、あの魔力?核?何のことだい。それに君は一体…。」


「俺は、ただの主人公被れだよ。さぁ行くぞ!」


「え、あ、ちょっとぉ!?」


私が声掛けるよりも早く少年は先陣を切って敵に向かって行った。

人とは思えない跳躍力であっという間に怪物、【幻獣:アイドロン】の

眼前にまで到達し、剣を大きく振りかぶった。


「はぁぁぁ!!!!」


空を切る音と共に切り裂かれた頭。

しかし先ほど同様黒い塵が宙舞ったかと思うと瞬く間に回復してしまった。

私は渡された宝石を握り締めてただ目の前で起こっている現実を眺める。

本当に漫画や映画の世界が目の前で繰り広げられているのだ。


彼は何度も斬撃を繰り返す。その度に【幻獣:アイドロン】は回復する。

恐らくあの黒い塵のようなもので構成され、不死身のようなものなのか。

それとも彼の武器が相性が悪いって言うのだったか。

あまりゲームの類は嗜まないが会社の同僚に教えてもらったことはある。

そんな客観的なことを考え戦況を見守ってた。

ふと、【幻獣:アイドロン】が少年ではなく別のところを向いたように見えた。


思わずその視線の先に顔を向けた。小さな泣き声が聞こえたような気がした。

通り向かいのビルの隙間。人影が伺えた。

考えるよりも先に体が動いた。先に聞こえていた泣き声が徐々に大きくなる。

中央分離帯の植物を掻き分け、残り僅かな距離を走りきる。


そこに居たのは幼子を抱えた若い母親だった。

先の怪物に襲われて無いところを見ると、逃げ隠れていたのだろう。

私は大丈夫かと声を掛けようとしたその時、背後に気配を感じた。


「おっさん!後ろ!!」


少年の声が上空から響く。

後方へ振り返り気配の正体を確かめる。

黒く開かれた大きな手が私の方へと伸ばされていた。

先に経験した、死の気配。直感する。捕まれば死ぬのだと。

私だけではない、後ろに居る母子も死ぬのだ。

少年は遠く、彼の剣が【幻獣:アイドロン】を捉えるよりも速く私は捕まる。


ふと走馬灯のように、昔の情景が浮かぶ。

あれは長女が生まれ、妻の腕のなかで元気に産声を上げていた。

私はあの時幸せだった。


…消させない、この幸せは。

私は願った。無意識に。途端、手に握っていた箱は光を放つ。

眩いばかりの光に思わず目を閉じてしまった。

衝撃に備え、身構えるが不自然な程何も起こらなかった

薄っすら目を開ける。目の前にある筈の腕は消滅していた。

先の悲鳴に似た重低音が再度、より強く響いていた。

私は機を逃すまいと後ろの母親に手を伸ばし立ち上がらせる。


「怪物は怯んでる、今のうちに大通りから逃げなさい!」


「は、はい!」


大通りに出ると少年が地上に降りてきた。

私は母親に道を示し、お辞儀をして立ち去る後姿を見送った。

隣の少年は何故か【幻獣:アイドロン】ではなく、こちらばかりに視線を飛ばしてくる。


「…えっと、どうしたんだい。というか何が起きたんだい、私。」


「簡単に言うなら覚醒した、詳しく言うなら中途半端に、だな。」


「覚醒?中途半端?」


「あぁ、顕現したのが外套と武器の【剣:スパーダ】だけ。装甲もないし魔力反応も少ないんだよ。」


指し示された後方に目をやると、先ほどまであったはずのトレンチコートが無くなり

変わりに少年と似たローブのようなものに成り代わっている。

そしていつの間にか手に握られている剣。しかしおかしい。

まるで未着色の食玩のようにただ剣をかたどっているだけであった。


「いつの間に剣なんて…。」


「さっきの光った時に、渡してた魔力核がおっさんに適合したんだ。

そして今最もふさわしい形に変化した。その証拠に、ほら。」


指差された鍔の部分には先ほどの宝石が埋め込まれていた。

しかし先ほどよりも輝きを帯びているようだった。

心なしか彩度も取り戻されたのか薄い色味が付いたように見えた。


「ただこの剣の色は…なんだ。俺の知ってる中で

こんな色の【剣:スパーダ】の所有者はいなかったはずだが。」


「す、すぱーだ?」


「【剣:スパーダ】っていうのは【武器人:アルマ・ジェンテ】の分類で…ってあぶねぇ!!」


大きな破壊音と共に身体が重力に逆らう。

ビルの頭を見下ろしながら先ほど自分の居た場所に

大きなクレーターが出来ているのを確認する。

少年が私を抱えて空へと逃げ飛んだのだ。


怪物は先の光で受けたダメージが回復し、腕が復活している。

しかもあの破壊力。直撃していたらと思うとゾッとする。

近くのビルの屋上へと足を着ける。

少年はふぅと息を吐きながらこちらに再び目をやる。


「大丈夫かおっさん。」


「あ、あぁ。なんとかね。」


「兎に角外套だけ顕現されてるだけでも幸いだな。外套には

【跳躍・浮遊・空中歩行魔術】が付与されているし、多少のダメージならカバーできる。ちょっとその場で思いっきりとんでみ。」


よく分からない単語が多く聞こえたがひとつ確かに聞き取れた。

魔術、だと。

この世界には存在しないと思われている幻想の一種。

まさかそんなものありえないと思いながらも

少年に言われた通りに足に力を込めて全力でジャンプする。


急に空が近くなった。

見下ろす街並みのネオン灯はまるで夜景写真のようだった。

本当に、空高く飛び上がっているのだ。

そのことを認識した瞬間、突然襲ってきたのは

―――恐怖だった。


「う、うわぁぁぁぁ高いぃぃぃぃ!!??」


声を大にして叫ぶ。落下したら即死は免れない。

思わず目を瞑り、衝撃に備え、死を覚悟する。

しかし体は重力に従うことなく空中に留まり続ける。


「………あれ?」


目を開けると先ほどと変わらない光景が広がっていた。

本当に浮遊、しているのだ。


「盛大に飛んだな、さすがは主人公【ヒーロー】

勢いの良さは大事だよなぁ!!」


いつの間にか隣に来ていた少年が腕を組んで楽しそうにこちらを眺めている。

私は情けなく口を開閉させながら言い切れない思いを伝えようとする。

少年はこちらを見て口元を緩めて歯を僅かにチラつかせている。

年のせいも相まって腰から嫌な音がした気がした。


「大丈夫大丈夫、俺の魔術は一応一品物だ。

間違っても落ちはしないから。」


「い、いやそれでも空を人単体で飛ぶっていうのは…」


「あー…やっぱりこっちの世界って魔術の類ってないんだな。」


「………こっちの世界?」


「そう、こっちの世界。まぁ詳しい話はアレを倒してからだ。」


そういって指差す先の【幻獣:アイドロン】はこちらを探しているように

首を左右に振りながらこちらを探してる様子だ。

建物の破壊、人々への攻撃を止めている。

被害を最小限に抑えるためにはやはり少年の言う通り今倒すしかない。

しかし―――。


「問題ない、今飛べてる時点で適正はある。

まっすぐあいつに突っ込んでって叩っ切ればすぐ終わるさ。」


「……さっき君が何度切りつけても駄目だったじゃないか。」


「まぁ、それもそうなんだが…。」


少年は指で頬を掻きながら視線を明後日にずらしたように見えた。

やはり攻撃が通ってないのは事実のようだ。

私が攻撃したところで、果たして何に成るのだろうか。


「実は俺もあいつのことは詳しく知らないんだ。」


「え、でも名前を…」


「あれは俺の魔法の師の著書に、って今話すことじゃないんだよコレも。」


後頭部に手を回して掻き毟っている。複雑そうな心境が見て取れる。

難しいことは考えず、アレを倒すことだけを考えようと思った。

この子も恐らく何か事情があるのだろう。

ただ分かるのはこの子が敵じゃないという事だけだ。


「…分かった、今は君を信じてみる。

私のような草臥れたおじさんで良かったら手を貸すよ。」


「お、話が早くて助かる。では共さっそく同戦線といこうか!」


少年は右手で待ち惚けしていた剣を構えなおし、軽快に業の切れを確かめた。

私も抱えていた不恰好な剣を見よう見真似に情けなく構える。

先ほどから気にしてはいなかったが私の細腕でも構えることの出来ほどの重量だ。

私も少年のように剣を振るも、肩が思うように上がらず骨の軋む音に身悶える。


「か、肩がぁぁ…」


「あー…大見得切ったけど、なんか早速不安だわ。」



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