第三幕




 電話越しに放たれたその言葉を聞き、始め、何の事を言ってるのか理解できなかった。

 今一度、胸に言葉がつかえる。


「――え? ……光……見えるだろ? ……大将?」

『んん……。四方の山に、これと言った変化はないのう』

「ちょっと待て、本気で? いやでもっ……」


 舌がうまく回らない。


「見えて……ない? ――嘘だろ?」


 言っている意味は理解できる。

 だが現実に、今目に見えてる光景と、発言されたのその内容とが、まるで噛み合ってくれない。

 まさか大将が、この状況下で、西の山そのものを見てないとはとても思えないのだ。


 言葉が頭の中で空回りする。

 考えがまとまらない。


「――わ、わかった! ちょっと待ってくれ、一旦切る」


 弾かれるように思い立った仁也が、焦った動作で携帯の通話を切り、内蔵されている動画撮影モードを立ち上げる。


 それを目の前に掲げた時――

 ここに来ての最大の怖気が、腰から首筋まで氷の塊で撫で上げられたのかという様な寒気が、仁也を襲った。


 果たして、画面には何も映っていなかった。


 自分の肉眼に、はっきりと曳光えいこうする物体が飛び込んでいるというのに、手に掲げたその携帯電話のカメラレンズ越しの光景は、暗く静かな山々だけが映し出されている。


 声を失くした仁也がただ立ちすくむ。

 山の中腹では一つとなった光が次第と明滅し始め、やがて溶けいくように薄くなって消えた。


 数分の後、携帯のムービー撮影時間の限界が迫り、勝手にモードが終了された。

 呆然と力無く首を傾け、撮影したその動画をもう一度確認するも、ただ只管ひたすらに暗い山を映し続け、やがて終わるのだった。

 何度繰り返し見ようが、そこには一切の変化などない。


 ゆっくりとその場に腰を落とした仁也が、また携帯を耳にかざす。


「そのな、大将……明日もう一度話そう」

『ん……。明日はこっちが出向く』


 必要以上に言葉を用いない大将はそう短く言ったきりだ。



 しばらく一人で整理する必要があると、仁也は気持ちを落ち着かせた。


 あんなまばゆい光を大将は見えていないと言った。

 その言葉を疑っても仕方がない。――というよりも、そんな嘘をつく理由がない。

 手元の撮影された動画と照らし合わせても、つまりあれは自分にだけ見えていたという事に他ならない。

 あれだけ目立つ光が町の間で騒ぎになっていなかったのも、そう仮定すれば納得がいく。


 ならば駿はどうだろうか。

 そう思い出し、連絡をしてみるもまだ応答がない。


 仁也は深い溜め息を吐くしかなかった。

 駿という人間の性格を考慮すれば、彼の言質げんちにどれほどの説得力が残っていよう。

 良くも悪くも駿は未来に生きてるような人間だ。

 過去にこだわらないというレベルではなく、常に頭の中が更新されて生きていると言えばいいか。

 彼の記憶というものは、毎回インパクトの強い何かしらに影響されてその形を徐々に変えていくのだ。――本人の無自覚に。

 あれの言を真に受けて、馬鹿をみた経験は一度や二度では済まされない。


 そう考えれば考える程、学習が足りなかった自身を情けなく思う仁也。


 しかし、昨日と一昨日のあれは、本当に偶然だったのかという疑念も残る。

 特に昨日などは駿からの着信で目を覚まさなかったら、自分はあの赤い光を見逃していたのではなかろうか。

 タイミングが合いすぎている気がする。

 いや単純に、奇跡的な偶然だろうか。


 その事もともかく、明日もう一度集まって確認するべきだろう。



 夜のとばりはしんと世界を覆っている。

 その中に、気の早い夏の虫達の音色が遠く聞こえた気がした。

 生ぬるい夜風が頬に触れていくが、仁也はまだ動く気になれなかった。


 身体がうずく――


 やはり、これまでと同じだ。

 体内の血管という血管を流れるそれが、沸騰ふっとうしているのかと思わせるほど内側から熱を持っている。

 組んだ両腕の内、両の掌が自然とそれぞれの二の腕を強く握り込んでいる。

 掴まれている上腕の筋肉が厚く張っている感触がある。自分のものとは思えない握力が上腕部を握りつぶそうとし、それを堅く隆起した二頭筋と三頭筋が押し止めているかのようだ。


 まだ薄ら寒い夜気の中で、座っているだけで汗が大量に流れ出る。

 「ふーっ、ふーっ」というような獣の息遣いに似た音を聞いた気がした。そしてそれを自分が出していると気付くのに、そう時間は掛からなかった。


 いつ来るのかと、仁也は内側からほとばしる何か形容もできない激しい衝動――それに苦心して耐えながら、次に起こるだろう怪奇を待ち構えていた。


 もう一つの異変――

 それは一昨日よりも昨日、まるで揺さぶるように強くなっていたのを感じる。

 10分、20分と時間が経過しただろうか。

 待ち望んですらいたその感覚が、遂に仁也を襲った。


 耳鳴りと一緒くたに、頭の中にあのノイズが流れ込む。

 そしてその後ろに、何者かの声が確かに紛れていた。

 ぐっと奥歯を噛み締めて、必死にそのノイズの向こうの言葉に意識を集中する。

 「満たせ……」という短い言葉が繰り返されているように聞こえるが、その声に被せるようにいくつもの言葉が連なっている気がして、なんとも不明瞭なのである。

 脳の内部で、どんどんそれは大きく鳴りわたる。

 鉄鍋で砂利を混ぜ返すような、渦巻く潮騒しおさいのような、そんな音だけが脳を満たしていく。

 その激しい雑音に意識を持っていかれないよう、できるだけの抵抗を試みた。

 屋根の上、仁也は頭を抱えてうずくまっていた。



 その時だった――



 自分の頭の中で、それまでとは一線を画したまるで別な声を拾ったのだ。


 幾つもの声が撹拌かくはんされたように混合し重複したそんな混沌の中で、その声は異彩を放っていた。

 一度その声に意識が傾くと、その他の雑音がふるいをかけたように散り落ちて、頭の中に残るのはそれだけとなった。


 声が言う――〈めろ〉と。


〈間に  なくなる前に  〉

〈あと  を   さえ げば  〉

〈奴等に    し   をゆるすな〉


 ノイズが短く刺し込むように、部分部分で声が欠けて聞き取れないが、それまでのと比べれば雲泥の差がある声。

 その声は、これまでのどこか不明瞭でくらく尖ったそれらとは様子がかけ離れていた。

 その声には毅然とした響きがあった。

 意志ある者の明瞭な声音を持っていた。

 知性や理性といったものが言葉の芯にはっきりと感じられた。


〈最後 夜  は執り行 せるな〉

〈何と ても  の  を   させ  な  ない〉

〈北の山へ  して    な》


 そして再び声が言う――〈止めろ〉と。



 気が付くと、頭の中を満たしていたノイズが跡も残さずに消えていた。



 辺りには、相変わらずの静寂が降りている。

 仁也は身体を何度かぐらつかせたものの、最後はしっかりとした足取りで立ち上がる。

 額に浮いた汗を袖で拭って、大池を越えた向こう側――連座する山峰の一部へと視線を飛ばした。

 山岸から降り注ぐ水の飛沫ひまつが霧となり、得も言えぬ迫力をかもしだしているようなその箇所をにらんだ。


「最後の夜……北の山……」


 はっきりと脳裏に刻まれたその言葉の意味するところは、容易く理解できる気がした。



















 明けた日曜日の朝――


 居ても立ってもおれず、浅い眠りから覚めるや玄関を出た軒先にて待機する仁也。

 昨晩のあれは間違いなく、これまで経験した事のなかったものだ。

 事が進展したとは言い難いが、何がしかの特異点――岐路のようなものに感じられて仕方なかった。


「何してるんです? 兄さん」


 後ろから掛かった声に振り向くと、まだ寝間着姿の由希が不思議そうに首を傾げていた。


「由希か、おはよう。……お前こそどうした? そんな恰好で、おまけにそんな物を持って」 


 由希は右手に小皿、左手に中身の入った牛乳パックをそれぞれ持って立っていた。


「ちょっと気になった事があったので。――それで、兄さんは?」

「なに、朝の体操でもしようかなと」

「体操? いつものトレーニングじゃなく? ……そんな習慣ありましたっけ」

「まあ、気分だ気分。そういう日もあるさ」

「そうですか」


「お前の方は? 気になる事って?」

「それが昨日の晩なんですが……あ、そうそう。兄さん、昨日夜中に屋根の上に登ってたでしょう?」


 怪訝に言葉を連ねていた由希が、今さっき思い出したという風に詰問調で仁也に迫った。


「なんだお前、起きてたのか」

「起こされたんです。知らないでしょうけどね、屋根からの物音って、天井を越して結構響くんです。はじめ、何事かと思いましたよ」

「へえ」

「何ですか、その気のない返事は。というか、危ないじゃないですか――そんな事したら!」

「悪い悪い。その、なんだ……夜風に当たりたくなってな」

「それで何で屋根まで登るんです? ベランダに出れば、それで済む話じゃないですか」

「あれだな、ワンランク上ってやつを目指したくなったんだ」

「またそうやって話を誤魔化すんですから」


 いつもの澄まし顔でわざとらしい溜息を吐くのだった。


「で、お前のそれは?」


 由希が持ったままのその二つを指して仁也が問うた。


「それが……兄さんが屋根に登ってたその時だと思うんですけど、実は窓の外に変なものを見まして――」


 そこまで由希が口にした時、自身の鋭く息を呑む音をこらえられなかった。飄々ひょうひょうとしていたそれまでの彼の表情が瞬く間に強張っていた。

 その様に、向かいの由希自身も目を丸くする。


「み、見たのか!? お前も昨日のあれを見たのか――由希?!」


 思わず力が入り、由希の細い肩を鷲掴むよう引き寄せていた。


「え、ええ……」


 驚きを隠せない由希が、それでもその問い掛けに頷く。

 まじまじとその妹の瞳を見つめ返した後、ふいに仁也はその肩を放した。

 由希は、何とも言えない、呆気に取られた顔だ。


「やっぱり、兄さんも見ていたんですね」

「ああ、その……いや、何と言うか……」


「ほんと変ですよね。あんな夜中に子犬がうちの庭に迷い込むなんて」

「――こ、子犬ぅ?」


 途端、それまで神妙だった面持ちが吹き飛んでいた仁也。


「え? なに? ……子犬がどうしたって?」

「ですから昨日の夜中、そこの庭に小さい子犬が居たでしょう。きっと生垣の隙間から入ってきたんですよ」

「待ってくれ、お前が昨日見た変なものって、……その子犬?」

「そうですよ」

「ばぁかお前……犬が庭に迷い込んきたから何だってんだ……」


 傾くような体勢で、がっくしと肩を落としていた。

 とんだ懸念であった。


「何ですかその言い様は。だって変でしょう? あんな夜中に、あんな幼い子犬が一人でなんて」

「どうせ寝ぼけて、猫と見間違えたんだろう」

「違いますよ。確かに暗くてよくは見えませんでしたが、白茶けた毛並みのまだほんの小さな子犬でした。なんか奇妙だったので、はっきりと覚えてます」

「ほおん」

「もう! 本当なんですからね! まるで鳴き声一つあげずに、じっとそこに座ってはこちらを見上げてたんですよ?! 変じゃないですか!」

「あー、そうね、そら変だね」

「真面目に聞いてくださいってば!」


「それでその小皿とミルクか。エサでもあげるつもりか」

「もしご近所さんのどこかから逃げ出してきたんだったら、捕まえておいてあげないと。――まだこの辺にいるかもと思って」

「人間用のミルクは腹下すって言うぞ。それに、昨日の夜の話なら、もうここらにはいないだろ」

「そうでしょうか……」

 

 まさに毒気を抜かれたというていで、腑に落ちないでいる様子の妹を押し遣って家の中へ戻るのだった。













 大将は特に変わった様子を見せずやって来た。ただ、その手に最新式らしいハンディカメラをたずさえていた。

 そんな彼を自室へと通し、さっそく事の顛末てんまつを話して聞かせる。


「間違いなく、白い光だった。昨日、大将から聞かされた――あの『四獣』っていう概念に一致してるとしか思えないぐらいに」

「んん」

「いや、分かってる。幻覚の類なんじゃないかって事は、俺も半分くらいは承知している。なんせ携帯で撮った映像には、何一つ映ってないんだもんな。……そりゃ正直、自分で自分の目を疑ってる」


 ベッドに座ったまま天井を仰ぐように、仁也は何とも言えない胸の内をもらした。

 そんな仁也に向けて、座布団にどっかりと腰を付けた大将が手に持つビデオカメラを差し出した。


「実はのう、昨日これを西の“白虎山”に向けてまわしておいた」

「なんか高そうなやつだな」

「夜間撮影用に光度調節がついとるらしいナイトビデオレコーダーつうのんだ」

「そんな便利なのがあんのか」


「……んでだ、まあ一度見て欲しい」


 ビデオの内臓メモリーに撮影されたデータが一つある。

 その録画を再生させると、ディスプレイには随分と明るく見える岩峰の風景が映し出された。

 動画内に日付と時刻が記されている。それは確かに今日の日付で0時00分と表示されている。


「こんなに明るく映るもんなんだ。これは“白虎山”でいいんだよな」

「ん、映像倍増管がどうの書いてあったのう。昨日の仁也どんの話を元に、山の腹んとこでピント合わせて撮影したんだのう。したら――」

「うん?」


 動画時間で0時04分を過ぎた辺りか、岩ばかりを映していた山のその斜面に小さな黒い影が過ぎったのだ。


「なんだ、今の影……?」


 しばらく画面を眺めていると、また白けた色合いの山肌に、黒い点のようなものがどこからともなく現れる。

 よく見遣れば、その小さな影は二つあった。

 たどたどしく撮影されているので、映像はまるで鮮明ではない上にブレている。しかし、その影が四足歩行で走り回っているぐらいの事は分別できた。


「野生の、猪か何かかな」


 二つの小さな黒い影は猛スピードで山の斜面を駆けている。仁也の記憶の中では、これ程の速度を出して走るのは猪ぐらいのものだ。


 そんな感慨しか抱いていなかった仁也は、次の瞬間、画面で起こった光景に愕然とした。


 二つの影がそれぞれ左右から肉薄し、勢いを殺さずにぶつかり合った。

 そして弾かれたように散ったと思いきや、またお互い喰らいつくように追突し合い――そして、一つの影となって斜面を転がっていく。

 仁也はその動きに、否応なく見覚えがあった。


 息継ぎを忘れ、その光景を食い入るよう見つめる。


 ぶつかり合い――

 せめぎ合い――

 しのぎ合っている――

 この二つの黒い影は、戦っている。互いの命を削りあって、殺し合いを演じているのだ。


 やがて、画面内では横たわったように動かなくなった一体の影と、その傍でまるで立ち上がったように長くなった影。


 その影が何をしているのか考えると肝がうすら冷えてくる。

 それが、まるで勝利を喜んでいるように思えるからだ。

 今そこで打ち倒した相手の亡骸を前にし、腕を天に掲げて――まるで勝利の雄叫びでも上げているようではないか。


 無論、粒の浮いた粗いその画面上では、そう見えるというだけの話だ。

 だが仁也の中で、奇妙な光が最後に明滅し始めるのとその画面の光景とが被り合う。


 撮影された動画を見終わった仁也に、言葉はなかった。

 その様子をっと細い目で捉えていた大将は、無言でただカメラを受け取る。


「周りに寸法を比べれるもんがないんで、あの生き物の正確な大きさかはわからん。けんど、山の横っ腹をあんな一瞬で駆け抜けるなんて相当だろうのう」

「……確かに、尋常じゃないよな」

「まあ、わしに言えるのはこんだけだな」


 そう言って胡坐をかいたその両膝に両手を乗せ、黙りこくってしまう大将。

 それはまるで自分にはもう言い分がないが、仁也にはまだあるのではないかと示唆するようなものだった。

 しかし、仁也は言葉を選ぶように、すぐには口を開かなかった。


 しばらくしてから、おもむろに大将の方へと向き直った仁也。


「――声が、聞こえるんだ」


 神妙にそう切り出す。


「あの奇妙な光を見た後、必ず酷いノイズのようなものが頭に走るんだ。まるで砂利の詰まった鉄なべを勢いよく掻き回すみたいな音だ。その奥に声があって……なんて言うかさ、砂嵐のわずかな隙間に何かが映り込むように、ノイズに混じって声が聞こえるんだ」

「声って事は、人のだな。何て言ってるかはわかるんか?」

「最初に光を見た時は、ただ短く『満たせ』って聞こえてきた。その次の日には、ノイズが大きくなって……けどはっきりと聞いた――『己の欲望を満たせ』って」

「また奇妙な話だのう」


「そして今回は、それとはまた別の声を聞いたんだ。その声を聞いた途端、それまでのノイズが嘘のように無くなってさ。ほら、ピントがあったと言うか――ラジオの周波数合わせみたいな。それで、その声が『止めろ』って言うんだよ」

「んん……」

「切羽詰った感じで『止めろ』とか、『間に合わない』とかみたいな事をまくくし立てるんだよ。『最後の夜は執り行わせるな』って、まるで警告するみたいなさ」

「最後の夜つうのんは、……今夜か?」

「俺もそうとしか思えない。執り行うって事は、何かの儀式みたいなもんじゃないかって考えてて……そしたらさっきの映像だ。つまりさ、あれと同じ事が起こってたんじゃないかなって。東から始まって、南、西ときて、最後は北でぐるりと一周だ。勿論これは予想でしかないんだが、こういうのってさ、セオリーから言えば円の中心に必ず何かが起こるって気がするだろ?」

「中心……大池か。――“龍神池”」

「ご大層な名前だとは思ってたんだよ。――いや別に、如何いかにもな龍神様が復活だ何だって思ってるわけじゃないんだ。でもな、昔は洪水とかの事を龍にたとえたって話聞くだろ? 案外さ、シャレになんないんじゃないかって……」

「んんん……」


 仁也は足を崩して姿勢を変えた。詰まっていたものが吐き出され、幾分心持ちが軽くなった気がした。


「大将はお池のほとりにある護森ごもり神社の跡取りだろ? そういう逸話ってないのか?」

「聞いた事あるだけでも、お池が氾濫はんらんしたってのは無いのう。水位が上がった下がったはあるらしいが、致命的な災害があったとは聞かんな」

「今の神主って大将の親御さん? 何か話、聞けないかな。というか実際、なんか大将んとこがカギとか握ってんじゃないか。この事態を祈祷とかで鎮められたりして」


 半分は冗談のつもりで、仁也は何がしかの神道パワーを期待してそんな事を口走っていた。


「多分、期待しとる様な事は何も聞けんだろうし、わしの両親が不思議な術を使えたりなんかもせんぞ。そもそも、うちの家系が代々の宮司ぐうじをやっとったわけじゃないしのう」

「そうなのか?」

「わしん所はひい爺さまの代に、戦禍でやしろが崩れ、前の神主一家が蒸発しちまったから、その後釜に入っただけらしい」

「後釜って、それいいのか?」

「まあ、問題は無いのう。だいたい宮司なんてもんは、昔は村の者にくじ引きさせて決めとったそうだしのう」

「いや、ダメだろ。そういうのって限られた人間しか継げないだろ」

「そんな事はない。まつられとる神様も、割とどうでもええんじゃろうし」

「そんなんだから外来の仏教に遅れを取ったと思うんだが」


「神道ってのんは、他宗教とは考え方がちと異なってな。改宗や入信してなるもんじゃなくて、この日本に生まれさえすればもれなく神道宗教者なんだそうな。逆に言えば、どんだけ他宗教の神様を崇めていても、根っこがこの日本という土地にあれば、その人らも実は神道の子なんだのう。そも仏教に遅れと取ったとは言うが、実際は仏教の有用な部分を神道が取り込んだにすぎん。明治時代の神仏分離の廃仏毀釈きしゃくまで、二つはほぼ一緒に民衆に享受されていて、それらの違いなど、当時の人間はまるで気にしとらんかった。それにキリストやブッダが元々八百万やおよろずの中におるって話まで作られとるしな」

「……宗教戦争でも引き起こしそうな話だ」


「そんだもんで、わしに期待されても困る」

「そりゃそうか。つっても、俺らでどうこう出来るレベルの話じゃなくなってる気がするんだがな」

「とは言え、町の人間にどうやって説明すればええのか」

「まさにそこだよ。そもそも推論ばかりで何の証拠もないし……。下手すりゃ俺が精神病院送りだ」

「意外と、仁也どんの脳を調べて貰ったらあっさり解決せんかのう」

「やめてくれぇ」


 仁也が情けない声を上げる。

 先程の仁也の冗談のお返しのつもりか、しかし表情がまるで動かない大将はそれが真意なのかどうか判別できないのだった。


 するとそんな折、部屋の扉からノックの音に続いて由希の声が聞こえる。


「兄さん、駿くんが来てますよ」

「なに? 駿のアホが来てるって?」

「ええ」


 面倒臭げに立ち上がった仁也が部屋の扉を開けると、まさにそこにアホの顔があった。


「もうここに」

「――いよう!!」


 アホの顔はひどい事になっていた。擦り傷やら引っかき傷やらの跡が痛々しく、いったい昨夜何をしでかしたのやら。

 だがその割には、いつもの能天気な笑みを浮かべている。


「聞けよ仁也ぁー、マジうちの姉貴キチガイだし!!」


 ぼやきながら部屋に入ってきては、思い切り飛び乗るようにベッドに腰掛けた駿。

 同時に傷が痛んだのか、絆創膏ばんそうこうだらけの顔をしかめている。顔が痛むなら意味なく無理な動作をしなければいいものを。


「3人で集まって、また悪だくみですか?」


 廊下に立ったままの由希が部屋を見渡して、困ったように目をつむった。


「馬鹿言え、世界を救おうとしてるトコなんだよ」

「はいはい。じゃ、お茶でも入れてきましょう」

「いいってば、そんな気ぃ使わなくて」

「俺、コーラかジュース!」

「緑茶があったら嬉しいのう」

「おいこらてめぇ等。――あ、俺はミルクと砂糖たっぷりのコーヒーな」

「かしこまりました」


 若干おどけているのか、うやうやしく頭を下げた由希が扉を丁寧に閉めていった。

 そんな光景を眺めていた駿が、いきなり大きな声を出す。


「あーあっ! お前がうらやましいぜ仁也! 俺もあんな暴力姉貴じゃなくて由希みたいな出来た妹が欲しかったし!」

「あれはあれで……恐ろしいぞ」


 さり気ない日常にネチネチと嫌味と皮肉をない混ぜられる心労を言って聞かせようかとも思ったが、妹の地獄耳が恐ろしいので止しておく。


「いや、マジでさ、ウチのあの姉貴――あれほんと頭おかしいわ」

「どうせお前がいらんちょっかいを掛けたんだろうに」


「……あれ? そう言えば、俺って何でお前ん家に来たんだっけ?」


 ベッドから移動して、今度は椅子に後ろ向きに座る駿。足をぶらつかせてキィキィと音を鳴らしながら心底不思議そうな目を仁也に向けた。


「思い出せないなら、もう帰ればいいと思うぞ」


 駿からのその視線をまじまじと見つめ返しながら、ほとんど本音に近い言葉を吐く。


「いや! なんか重大な事があった気がする!」


 がしゃんとやかましく、その椅子を弾き飛ばして立ち上がる駿。椅子は机にブチ当たってひっくり返っていた。

 心の底から「出ていけぇ!」と言い渡したくなる衝動を仁也はかぶりを振って紛らわした。

 一応、あの光の話を聞き出すもっともな機会だ。


「そうだ! えーと、なんつーか、すっげーいい事に関係してた気がする!」


 眉間を指でつまむようにして、駿が必死に記憶を探っている。


「なんだったかな……なんかすっげー事で……俺がかなりやっべー事になるって気が……こう、なんつーか俺がモテモテで……女子にキャーキャー言われるような……――あ! 思い出した! UFOだ!!」


 時すでに遅しか、駿の頭の中ではUFOより女子にキャーキャーの方が上に来てる。本格的に彼の記憶をどこまで信じていいのか分からなくなってきた。


「はあ……。じゃあともかく駿、お前が夜中に見たその奇妙な光の事を話してみろ。なるべく詳しく」

「えーと、だからさぁ、夜に奇妙な光を見たんだよ! 絶対にあれってUFOだったぜ!!」

「ちゃんと光を見たその状況を話せ。一から順を追って」

「だからよぉ! えーと確か……そうだ! 夜中にバッと何かが光ったんだ!」

「何が、どこで光った?」

「えーっと……たぶん空だな!」

「空?」 

「夜中だからはっきり分かったぜ! そんでさ、デッカイ光がさ、チカチカって感じで眩しくってさー。したら、こうフラフラと落ちってったんだよ!」

「落ちていった……?」


 この時点で既に、仁也は呻くように額を押さえていた。


「おう――そうだ! 山の方へ落ちてったんだ! 山! 南の山! “スザクザン”だな! ぜってぇあれUFOだぜ。マジに」

「わかった。もういい」


 俯いている仁也がそれだけの言葉を掠れるように絞り出す。

 そんな仁也に代わって、今度は大将が切り出した。


「のう駿坊、最近なんかおもろい映画でも見たか?」

「映画? ……ああ! 見たぜ、すっげーおもしろいヤツ! 一昨日にさ、ネットで落としたんだけどよー! 大将も見るか?」

「いや、いらん。そんで、その映画ってのんはSF物か?」

「そうそう! 本物の映像とCGが区別がつかないくらいすっげーんだよ!」

「ん――」


 それだけで、仁也と大将はほぼ理解していた。

 そしてあまりの馬鹿馬鹿しさに、二人して掛ける言葉すらなくなっていた。


「っだよー、お前ら。人が話してんのにその反応はさー。まるで俺が嘘ついてるみたいじゃねーか」

「まるでじゃなく……明らかにお前の思い違いなんだよ――このボケナス!」

「んな事ねーっての! ぜってぇー見たし! UFO!!」


 かたくなに、自分を疑わない駿であった。


「じゃあ訊くがな、そもそも駿、なんでお前夜更けに外なんかに出て空を眺めてたんだ? だいたい夜は早くに寝ちまうだろ。精神どころか、生活リズムまで小学生なんだから」

「夜中に外なんか出るわけねーだろ。フツーに部屋で寝てるっつーの。何言ってんだ仁也?」


 あっさりと、そう白状する。


「……今の発言、間違いないな?」

「間違いねーよ。だから何だよ」

「なら一昨日、どうやってそのUFOとやらの光が“南側”の山へと落ちていった場面を見れたんだ――このタコ?! てめえの部屋には、窓は北と東側にしかないだろうが!」


「……あれ?」


 その矛盾点を指摘され、はたと怪訝な顔を浮かべた駿。


「おお、マジだ。俺の部屋からじゃーさー、南側って見えねーじゃん。どーゆー事だよ?」


 すばらしく真正直に、すばらしく素面しらふで、駿はその疑問を仁也へと投げ掛ける。


「解説してやろう、この脳みそハッピーセット。お前はな駿、金曜日の学校では奇妙な光を見たとは言ってたが、それをUFOだなんだとは騒ぎ立ててなかったんだよ。騒ぎ出したのはその夜、日付をまたいでからだ。その間におそらく件のすっげーおもしろいSF映画を見たんだろうな。で、いつものように早寝したお前は、夢を見た訳だ。すっげーおもしろい映画だったお陰で、お前は夢の中でもSF三昧ざんまいだ。そしてはっと目が覚めて、俺にメッセを寄越した」


「……んあ?」

「――寝ぼけてたんだよボケェ! 思い返せばお前が寝ぼけて電話してきたこと何度かあったわ! 迂闊うかつだったわ――真に受けた俺が! そしてUFOを見たと思い込んだお前は俺達を呼びつけた。そこで俺が奇妙な光の話をしたもんだから、さらにその記憶が変に改変され――“スザクザン”だの南の山がどうのだのと付け加えられていった次第だこのっ……もうやだコイツ……」


 ありったけの罵倒を浴びせようとしたものの、口を半開きに本気で眉根を寄せて首をかしいでる駿にほとほと情けなくなる仁也。

 本人はこれで嘘をついてる自覚症状が一切ないのだから、本当にもう手が付けられない。


「んん、駿坊の頭の構造なら、十分にあり得る話だ。けど仁也どん、なら駿坊が初めに見た奇妙な光とやらは全く関係ないんだろうかの?」

「大方、また別に何かに影響されたてたんだろうよ。映画でなけりゃ、ゲームか漫画か。なんたってその時のこの馬鹿のメインの話は、”奇妙な光”でなく”予知夢”の方だったんだから。それも朝食のメニューがどうだの。……ああ、くそ――ほんと馬鹿らしいわっ」

「なるほどのう」


 大将が駿を見遣って、もあらんという風に頷く。

 そんな駿といえば、未だにどういう話か全く理解していないご様子だ。


「ほんとこいつ、俺よりよっぽど脳に異常があるだろ……」


 仁也が疲れた顔で漏らす。大将も表情の薄いその面に、どこか徒労感を覚えている。

 結局の所、駿の寝ぼけ方のタイミングが神懸かっていたという話。つまりは、この怪奇現象を目撃しているのは仁也一人という話に立ち返る。

 幻覚に幻聴――なるほど確かに、仁也の脳を精密検査して腫瘍の一つでも見つかれば片づく話なのかもしれなかった。


 それからして、部屋の扉からノックの音が響く。

 ドアを開けてやると、由希が両手で飲み物の乗ったトレイを重そうに抱えて立っている。


「ん? お前今どうやってノックした?」

「な、なんの事ですか――」


 上擦った声の由希が目線を逸らした。

 大方、足で蹴りでもしたのだろうが――そういう普段行儀良く上品ぶってる妹のちょっとした隙を見つけるのが得意な仁也だ。


「人様の前ではしたない」

「兄さんには言われたくありません!」


 突きつけるように差し出されたトレイを受け取った仁也からそっぽを向くように身をひるがえした由希だったが、何かに気付いたようにまた仁也の方に向き直った。


「そうそう、さっきおじいちゃんから電話がありましたよ」

「じじいから?」

「今日、昼までに町役場までこないと、兄さんだけ来月の御小遣い無しだそうです」

「――あの死に損ない! ふざけんな!」


 特に自分には関係ないからか、そうとだけ言い残して涼しい顔で去っていく由希。


 部屋に戻ってきた仁也が床にトレイを置いて渋い顔をしている。

 皆お構いなく、床に座るように囲んで各々勝手に自分の飲み物を手に取り口を付ける。


「権力をかさに着やがって、あの老害め。それどころじゃないってのに」

「金は貸してやんねーぞ」

「あ? 前借ばかりしてるお前に貸せる余裕なんてないだろうが」

「仁也どんの爺さん、善三さんだったかのう」

「そうだけど、大将は顔知ってったっけ?」

「有名な人だからの」

「まあ、たぶん悪い意味でだな」

「もしかしたら町の古い話や言い伝え、善三さんの方がよく知ってるんじゃないかのう」

「あのじじいが? 何でまた?」

「仁也どんは知らんのか。この町が発展する前、まだ小さな山村さんそんだった頃、その長を務めたのが代々仁也どんの家――つまり楠見家だったそうな」

「……マジかそりゃ」

「なあなあ、さっきから何の話してんだよ?」

「聞いた話、町の北東、広い森の真っ只中に武家屋敷が在るそうだが」

「ああ、在るな。かなりでかい屋敷だよ」

「なあって、俺も混ぜろよ?」

「代々、楠見の当主はそこに住むって話だのう。そこになら昔の事を記した代物があってもおかしくはないし、仮に無くても何かしら善三さんなら知っとるだろ」

「そりゃ、驚いた。灯台元暗しってやつか」

「なあ、ちょっとマジでさ」


「ようし、取り敢えずの目標は定まったか。実際の所、今夜をどうするのかすら決まってないもんな。“止める”たってな」

「どっちみち今のわしらに何ができるでもなし。情報を集めるのが良策だ」

「……な、なあって……」


 話が煮詰まった二人は手元の残りを飲み干し、さっそく意気揚々と立ち上がる。

 昼までにはまだ時間があるが、ともかく町役場まで善三に会いに行かねばならなかった。


「おい、何してんだよ――駿? ほら行くぞ」


 口を半開きにしょぼくれた様に座ったままの駿へ、仁也が見下ろすよう声を掛けた。


「……え? 俺も、行っていいのか?」


 まるで捨てられた子犬のような目をした駿が、おそるおそると仁也を見上げる。


「当たり前だろ。何言ってんだ」


 そう言った仁也が、言葉づかいも爽やかにニッとした笑みを広げる。


「じ、じ、仁也ぁーっ!!」

「場所は町役場だ。道分かるか?」

「お、おう! 任せろよ、俺が一番乗りだぜっ!」


 そう言うが早いか、普段の能天気面に戻った駿が足音を立てて駆け出していく。後から仁也と大将も歩いて続くが、駿は真っ先に玄関から外へと抜けていた。


 それを見送るようゆっくりと支度する二人。

 由希に出かける事を告げ、遅くなるようなら連絡すると取り決めた。


「ところで駿坊も連れて、よかったのか?」

「絶対あのじじいの事だ、俺に何かしらの雑用を押し付けるつもりだろうからな。駿のバカには身代わりなってもらう」

「ん、そういう事か」


 その時の仁也は大層悪い顔をしていたそうな。

















 町役場は池の東側、田んぼの最中にぽつんとある。

 庁舎と広いグラウンドのような庭があって、年の恒例行事などそこで開かれる事が多い。


 その町役場には、既に数人が集まっていた。だいたいこの時期に集まるという事は夏祭りの準備に他ならない。

 そこには仮設テントが張られ、床机しょうぎ板の並んだ休憩所のような場所まである。

 大人達に混じって数名の子供や、同じ学校の見知った顔なども見受けられる。おそらく彼らも駆り出されたのだろう。田舎ならではの強制的な連帯力だった。


 先に着いている筈の駿を探すが、何故だが影も見えない。

 2人して手分けして探そうかとしていた時、人垣の向こう側から声が掛かる。


「おう、随分と早う来てからに。おまけに人手まで連れてくるとは、いきなり殊勝になったもんだ」


 杖を突いた身なりの良い老人が、仁也たちのもとへと歩み寄った。

 しわだらけの顔の中で眼だけがぎょろりと大きい。いかにも偏屈へんくつそうな顔をした老人だった。


「うるせぇ、さっさとお迎えされろじじい」

「ぬかすな。あと何十年かは生きてやるわい」

「――あと何十年も生きるつもりかよ?!」


 この見た目よりもやたらと元気な老人が楠見善三。――仁也の祖父である。

 歳のせいもあるのか、仁也と同じ血統とは思えない程痩せていて小さかった。


「おお、護森神社ん所のせがれか」

「ご無沙汰しとります」

「お前さんもまた大きくなったもんだ。前会うた時は、まだ中学校に上がる前だったか?」


 どうやら大将とは面識があったらしく、善三はさも懐かしそうに目を細めていた。


「んでさ、じじい、ちょっと話があんだけど」

「なんだ? 手伝いに来たからって別に小遣いは値上げせんぞ」

「それはどうでも――いや、正直聞き捨てならないが、今はともかく、ちょっと町の昔の事で聞きたい話があんだって」

「昔の話? なんでお前がそんなもん聞きたがる?」

「あーっとだな……、授業の課題だ課題。調べてレポート提出しなきゃなんだよ」


 仁也の咄嗟とっさの嘘が出る。

 しかし、一から説明していては埒が明かない。ここはその方が都合が良いだろうと大将も合わせるように頷いた。


「ほう、学校の宿題か。ほんならまあ、手伝ってやらんでもないが。……しかし、なんでまたわしに訊いてきた?」

「そりゃ、じじいが長生きしてっからだろ。あとうちの家が昔、代々ここで村長をやってたって小耳に挟んでさ」

「随分とまた、古い話を仕入れてきたもんだ。そんなもんは明治維新よりも昔の話、戸籍仕法が始まって村民一同の新しい代表が選ばれるまでのかびの生えた古臭い話だ」

「そうなのか」

「……まあ、ええわ。町の歴史なら公民館に分かり易い資料があるが、確か屋敷の蔵のどこかにも古い書物が幾つかあったか。後で見せてやる」


 そんな折だった。

 話をしていた仁也達の元へ薄汚れた作業着姿の集団が出し抜けに近付いてきた。


「おや善三さん、そちらが例のお孫さんですか?」

「ほお、こりゃあたまげたな」


 白い作業着は泥で汚れていて、顔中も日焼けで真っ黒だ。肉体労働に従事しているらしく、全員が幅のある屈強な体付きだ。

 そんな一団が仁也達を取り囲む。


「うむ、力だけは有り余っとるでな。たっぷりこき使ってやってくれ」


 善三が杖で小突くように、仁也の見上げるような体躯を指し示した。


「いやあ、よかった。梶木さんところが腰いわしちゃって、人手をどう調達しようか考えあぐねてたんですよ」

「にしても立派なお孫さんだ。ほんとに高校生?」

「何かスポーツやってるの? うちのトコ、社会人ラグビーがけっこう強いんだけど、興味ある?」


 陽気に笑いながら無遠慮に仁也のその体をべたべたと触ってくる男達。

 確かに恰幅かっぷくの良い大人達に囲まれた中にあって見劣りしないどころか際立ってさえいる体格の仁也だったが、いきなりやってきた彼らに虚をかれてたじろいでいる。


「なんで俺、囲まれてるんですかね……」

「お前が逃げんようにな」

「なにさせる気だよ、じじい?!」

「なに、営林所の人間と一緒に祭り用のやぐらの木材を調達する仕事だ」

「素人にきこりの真似事やらせんのかよ」

「心配するでないわ。お前はただ、木材を山道に止めたトラックまで運べばええ」

「聞いただけで大変な重労働なんだが?」

「気張っていけや」

「――クソじじいめが!」


 そんな仁也の怒声もまるで聞こえてないかのように、作業着の男達と何か段取りでも話し始めた善三。

 どうやら、仁也にだけ特別過酷な仕事が用意されていたようだ。これでは、駿が居たとしても代わりになりそうにない。

 無駄にたくましいその肉体が災いの元となった。


「大将も手伝ってくれるよな?」

「すまん仁也どん、山道は膝がのう」

「この前言って話……本当だったのかよ……」


 係の人間が出てきたらしく、その誘導に従って周りの人垣が整列していく。

 そんな中を泥臭い一団にほぼ連れ去られるように、その場を後にする仁也だった。















 大型バンの後部座席に押し遣られて、片道30分もなく目的の山道へついた。窓から見えていたのは鬱蒼とした森の風景。

 そこは四通ヶ岳東の山道で、実は仁也が始めてあの奇妙な光を目撃した場所、すなわち東側の最も背の高い山――“青竜山”の中腹だ。

 偶然だと思いたい仁也だったが、奇妙な縁を感じずにはいられない。


 山道の端、ぽっかりと開けた土肌の空き地に2tトラックやその他のライトバンなどが止まっている。

 その傍に伐採用のか、機材や道具などが固まって置いてあった。


 そして、どうしてかそこに営林所の人間に紛れて善三の姿も。


「なんだじじい、付いて来たのか」

「お前が逃げ出さんようにな」

「くそっ、言ってろ」

「ここからは徒歩で登って、やぐらに適した木を探すそうだ」

「なんで? 木なんてそこら中にあんだろ。すぐ近くのを伐りゃあいい」

「ばかたれ、最近は森林保護だなんだで勝手には伐れぬ。そもそも、祭りの櫓は土地の神様に捧げる物、そこらの木でいいわけあるまいに」

「面倒臭ぇな」


 諦めるより他ないと腹をくくった仁也が、手隙てすきに辺りを見回し始めた。

 空き地の奥に、車では通れないだろう舗装されていない獣道が続いてる。そこから向かうのだろうか。

 まだ作業着姿の男達は道具の整理などをしていて動く気配はない。


 両手を頭の後ろで組みながら、そんな風景を眺める。

 町中ならともかく、四通ヶ岳の山中では電波すら入らない秘境っぷりだ。大将や駿に状況の報告すらできなかった。


 すると太々てしい表情は変わらず、そのぎょろりとした目を仁也に向ける善三。


「最近はどうしとる? 幸枝の奴が心配しとったぞ」

「まあ、普通だよ」

「和志はどうだ? そっちには顔を出しとるのか?」

「……誰だか知らねえな」


「ふん、相変わらずか。まったく……」


 善三は苦い溜め息を漏らして、それ以上を口にする事はなかった。


 楠見和志かずし――善三の一人息子であり、そして勿論、仁也の実父である。

 だがその彼について仁也が言葉を費やす事は久しくもうなかった。

 仁也の中で、それに関連した事柄はみな触れるつもりのない物として閉じ込めてしまっていた。

 その理由を少なからず善三は知っている。それ故に必要以上に追求する事もしなかった。



 その時だった。――

 山の木々の向こうより、長く尾を曳く叫び声のようなものを聞いた。


 声は「おぉーい」と呼びかけるように何度も繰り返されており、その事に気付いた空き地の全員が手を止め何事かと振り仰いだ。

 山の中へと続く獣道、そこから続けざまに「おおーい」「大変だぁー」という様な声が響いてくる。

 しばらく見遣れば、同じ白い作業着に防護メットを被った二人の男が、その山道を転げるように降りてきたのだった。


「ありゃあ、先に下見に行ってた竹原さんと椎名さんじゃ……」

「タケさん達? ――何? 一体どうしたの? あんなに慌てて」


 二人が斜面の勢いに任せて、この空き地まで一息に走り込んでくる。


「おおい、みんなっ!!」

「た、大変だっ!!」


 そう呼吸を切らしながら大声で喚く二人の作業員。

 口々に「なんだ」「どうした」と声を掛けながら、その仲間を取り囲むように集まる一群。

 仁也たちも怪訝な顔をして、そこに向かった。


 駆け込んできた男達の表情がおかしい。

 全力で走ってきて汗をだらだらと掻いているというのに、まるで凍え切ったかのように引きった顔をしている。


 そして、その二人の男はとんでもない発言をする。


「死体だ! 死体――人間の死体が!!」

「――ええっ!?」


 瞬く間にその場が騒然となる。


「まさかなあ」

「そんな馬鹿な……。ほんとにそれ、人間のだったか?」


 その言葉が到底信じられず、数人が茶化すようにそう口にした。


「間違いないっ!! 衣服やリュックが転がってて……そしたら、人の手や足がっ……――ああ、なんてこった……!!」

「どう、どうしたって?」

「――バラバラなんだよ!! 散らばってたんだよ!! 人の腕とか指とか、足とか……あ、頭とかがっ?!」

「う、嘘だ……」

「そんなっ……」


「――それも! 一人じゃないんだよ! 頭が、二つ三つは……!!」

「ふ、二つ三つって……」


 全員がその場で凍りついたように言葉を失くした。

 まるで事態を飲み込めず、見開いたお互いの眼でお互いを見合わせている。


 いち早く我に返ったのは善三だった。


「ともかく警察へ連絡だ!」


 そのだみ声をさらに荒げてまくくし立てる。


「あと消防団にも! それから、害獣の類かどうかまだはっきりせんが、何にせよ町内放送で注意は呼びかけた方がええ。みなを山に近付けんようにさせんと。放送所にも誰かを向かわせねば。あとは……そうだな、一応は儂がその場所を確認しておく。警察が来たとき直ぐに案内できるようにお前さんはここに残って、もう一人は儂と共に来い」


 善三がさっき駆け下りてきたばかりの二人を杖で示した。


「おい! じじい、俺も一緒に行く……」

「あほうが! 子供が何言うとるか!」

「こんな時だけガキ扱いかよ!」

「木島さん、こ奴を送り返しとくれ。それから役場にも知らせを」

「わ、わかりましたっ」


 営林所の人間で一番年上であろう白髪しらが頭で小太りの男に仁也を任せて、善三は杖を突いて歩き出していた。

 その後にまだ息を整え切れてない一人が続いて声を掛ける。


「熊でしょうかね、善三さん?」

「ふむ。山中の餌が豊富になってくるこの時期に、あえて人を襲うとも思えんが」

「それに、ひぐまじゃあるまいし……あんな風には……」

「何にせよ、一度その現場を見てみんと」


 にわかに慌ただしくなったその場で、仁也は心配気な視線を善三に向けるように立ち尽くしていた。

 だが木島と呼ばれた高齢の男性に急かされて、再びバンの後部座席へと追いやられる。

 まるでとんぼ返りに、また車窓からは生い茂る木々の蒼々とした景色が流れ込んでくる。



 仁也の胸中で、嫌な感触がわだかまっていた。








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