妹ママの甘い罠

 リビングの向こうでは美奈子さんが台所で夕食の準備をしていた。

 俺が久しぶりに帰ってくるということで俺の好きなハンバーグを用意してくれている。美奈子さんのハンバーグはトマトソースで味付けされており、モチモチのモッツァレラチーズが乗せられていて凄く美味しいのだ。


「良い香りがしますね。何か手伝うことありますか?」


「今は特にないわね~。まぁテレビでも見てゆっくりしてて」


 どうやら台所に俺がいても邪魔にしかならないらしい。

 お言葉に甘えてソファーに腰かけるとテレビをつけた雛姫も俺の隣り合わせに密着するように座った。肩を寄せるようにしてくるので二の腕の柔らかな感触がする。美奈子さんがいるにもかかわらずこんなに密着してくる雛姫に俺は平静を装いつつも内心ではヒヤヒヤしていた。


 俺は特にやることもなかったので、テレビをつけてみた。

 特に何かを見たいわけではない。適当にチャンネルをかえていく。画面の中では芸能人が内輪話で盛り上がっていたり、ニュース番組で政治家の茶番を特集していたり、いつも同じメンツでクイズを競い合ったりしていた。


 そして俺は某人気タレントが主演を演じているドラマで思わずチャンネルを止めた。知らないドラマだったが、俳優の演技が気になったのだ。それは恐ろしいくらいの大根役者だった。感情のこもらない棒読みの台詞、気持ちの伝わらない表情、ぎこちない動き。本来なら恋人と言い争う緊迫したシーンなのに、その演技のせいで全てが嘘っぽく見えた。ただでさえ作り物の物語なのに、嘘っぽさが際立っていた。


 いくらなんでも演技が酷すぎる。こんなものを見せられるくらいなら幼稚園児のお遊戯の方が微笑ましい分だけ何百倍もマシだろう。どうして誰も止めなかったのだろう。それとも世の中の人々はあの程度の演技が普通とでも思っているのだろうか?

 もしかしたら世間の人々は下手くそな演技に慣れすぎて感覚が馬鹿になっているのかもしれない。それともこの演技を下手だと思う俺の感覚の方がおかしいのだろうか?


 つい先日に雛姫と一緒に見た映画の七冠の人と比べると百万倍下手くそだった。ただ、顔は人気タレントの方が1.1倍くらいはイケメンかもしれない。それは誤差の範囲だし好みの問題だから何とでもなるのだ。だが、演技力は誤差ではすまなかった。何ともならない演技力だった。


 目の力と頬の筋肉を動かすだけで微妙な感情を表現してみせた七冠の俳優と比べると雲泥の差だった。恋人に「私以外の女と会ってきたんでしょ?」と問い詰められた嘘の下手なくせに浮気性の男みたいに演技の端々からボロがでていた。 


 なんという酷さだ。

 俺は画面を見つめながら愕然としていた。俺はまるで日本のどこかで起きた大災害の中継を視聴するような表情で俺はそれを見ていた。無理もない。大災害レベルの演技だったのだ。


「は~い。ご飯出来たから座ってね~」


 どうやら美奈子さんに呼ばれるまで俺はその大災害に釘付けになっていたらしい。時計を見れば俺がソファーに座ってから三十分も経過していた。その間、俺はこのドラマをずっと見続けていたことになる。なるほど、下手くそな演技だと思ったが実は優秀な俳優だったのだ。俺は三十分もこのドラマの視聴率に貢献してしまっていたのだから。




 美奈子さんの料理が並べられた食卓はなんだか宝箱みたいだった。

 ハンバーグとサラダにジャガイモの冷製スープ。何でもないごく普通の夕食がこうして三人分用意されているだけなのに、その光景にはとても尊い輝きがあった。お金だけでは決して買う事のできない幸せを象徴するような食卓だった。


 親父と母さんと俺がここで暮らしていた時も、今みたい三人分の食事が用意されていた。家族で食卓を囲むという何気ない日常にこそ幸せが隠れている。日常こそが幸せだなんて、あまりにも使い古されたフレーズだがそれだけ普遍的な事実である証拠なのだ。


「なんか良いなぁ、こういうの」


 思わず漏れた俺のしみじみとした言葉に雛姫はフフッと笑った。


「そーだよー。食卓は家族で囲んでこそなんだよ」


「そうよ~。最近はいつも雛姫と二人だけだもの。和樹くんがいてくれるだけで食卓がいつもよりずいぶんと賑やかに見えるわね~」


 三人で食卓を囲んで美奈子さんの料理を味わいながら俺は二人に近況を話した。大学の単位は順調に取れていること、就職活動は概ね順調なこと、天馬荘の生活にもそろそろ慣れてきたこと。


 それほど特別な話をしたわけではなかったが美奈子さんと雛姫はまるで異国での冒険活劇に耳を傾けるみたいにして、とても面白そうに聞いてくれた。その反応には無理がなく俺に対する好意があった。二人の反応はそれほど話好きというわけでもない俺を饒舌にさせた。気が付けば俺は出っ歯がトレードマークの某大物芸能人みたいに気持ち良くおしゃべりをしている自分がいた。


 俺は大学に入ってから一度だけ先輩に連れられてキャバクラに行ったことがある。知らない女の子とお話をするのは楽しくないわけではなかったが、彼女たちの反応は少し不自然で寄せられる好意は作り物の違和感があった。それなりに楽しんだのは事実だが、もう一度行きたいとは思わなかった。


 こういう環境が家庭にあれば、きっとお金を払ってまでわざわざああいう場所に行く男なんていないに違いない。きっと、あそこは寂しさを紛らわすための場所なのだ。自然な会話を好きな人といつでもできる幸せな人間には必要のない場所なのだろう。実際、こうして二人と他愛ない話をしている今の方があの時よりとは比べ物にならないほど楽しいのだ。


 美奈子さんの手料理も絶品だった。

 料理は自分で作るようになってからその手間と苦労が分かるようになった。料理は愛情とはよく言うが決して間違いではない。手間を惜しまない、というのは愛なのだ。


 ハンバーグにかけられたトマトソースには隠し味に梅干しが少々混ぜられている。トマトの甘さと梅干の酸っぱさが合わさって絶妙な甘酸っぱい旨みを引き出すのだ。


 ハンバーグには肉と玉ねぎの他に細かく刻んだ長芋が加えられている。長芋はハンバーグのつなぎとしても優秀でフワフワな食感を生み出すのだ。そのハンバーグの上にとろっとろのモッツァレラチーズが加えられている。これで美味しくないわけがない。


 料理は技術である。それも間違ってはいない。

 だが技術があっても、それを丁寧に手間暇惜しまず駆使するには愛がなくてはできないのだ。そういう優しい気持ちで作られた料理はやはり特別なのだ。


「ごちそうさまでした」と俺は手を合わせた。


「お粗末さまでした~」と美奈子さんが言った。


 お粗末だなんてとんでもない、と思ったが挨拶みたいなものなのでわざわざ否定はしない。その代わりに笑顔を返す。とても美味しい夕食に満足しながら、やはり美奈子さんは素敵な人だと改めて思う。


 俺は今でも美奈子さんとの距離感が掴めず少し苦手だ。だが、それは単純に苦手なわけではなく好きだから苦手なのだ。


 もし美奈子さんと先に出会ったのが親父ではなく俺だったら、年の差に関係なく俺は美奈子さんのことを好きになっていたかもしれない。そういう確信があった。俺には雛姫がいるから悩まなくて済んでいるが、もしそうでなければ俺は美奈子さんへの恋心を抱いたまま懊悩していた可能性がある。場合によっては、ゲーテが描いた若きヴェルテルみたいに悩み苦しみ自殺していたかもしれない。




 米粒一つ残さずに美奈子さんの手料理を食べ終えた俺は食器を台所へ持って行こうとした。


「お皿は後で私が片付けるからそのままにしておいて」


「いえ、後片付けは俺がやりますよ。雛姫、皿洗い手伝ってくれる?」


「もちろんだよ」


 雛姫は快諾して食器を持って俺の後ろについてきた。

 子犬のように付いてきた雛姫と隣り合わせになってお皿を洗う。俺が食器を洗って、雛姫がそれを濯いで乾燥機の中へと並べていった。三人分の食器を片付けるのにそう時間はかからなかった。食器を洗い終えて濡れた両手をタオルで拭いた。


 そして俺が台所から出ようとすると、後ろから雛姫が腰に抱きついてきた。


「へへっ、なんだかお兄ちゃんと新婚夫婦になったみたいな気分だよ」


「ははは」


 俺は気の利いた返事ができずに笑ってごまかした。全く雛姫の言った通りだった。俺も新婚夫婦みたいだな、と思っていたのだ。


「あらあら、仲が良いわね。ママも和樹くんと仲良くしたいな~」


「ママは駄目です~。だって雛姫のお兄ちゃんだもん」


 訳の分からない理屈で雛姫は美奈子さんの言葉を拒否した。

 美奈子さんはしょんぼりと項垂れるが、俺はちょっと安心した。

 もしも雛姫が『いいでしょー。ママも混ざっちゃう?』なんて言おうものなら、美奈子さんはノリノリで俺の身体に引っ付いてくるだろう。雛姫に密着された今の状況に美奈子さんが加わったらきっと俺の頭がどうかしてしまう。


 しばらくソファーに座って三人で寛いでいると、パッヘルベルのカノンのメロディーがお風呂が沸いたことを軽やかに知らせた。


「お風呂湧いたみたいだから、和樹くんから入ってくれる?」


「ええ、それならお先に入らせてもらおうかな」


 俺はそう言って部屋を出ると寝巻と下着を取りに二階の自室へと戻った。


 久しぶりに入った実家の部屋はすっきりと片付いた物置みたいになっていた。一人暮らしを始める時に不要なものを捨てて、必需品はアパートへと持っていってしまったのであまり私物が残っていないのだ。


 勉強机の上には何も置かれておらず、引き出しの中にもほぼ物は入っていない。高校時代までは漫画やライトノベルで一杯だった本棚も今では空っぽになっている。それらは引っ越す前に殆ど古本屋に売ってしまったのだ。漫画やライトノベルを読まなくなったわけではないのだが、今ではよほど好きなシリーズだけを電子書籍で購入しているくらいだ。電子書籍だとどこでも読めてかさばらないから便利なのだ。


 ちなみに思春期にはお世話になったエロ本は引っ越す前に全て燃やした。美奈子さんと雛姫だけが住むことになる家にいつまでも放置しておくわけにはいかなかったからだ。


 俺は受験が終わった後、エロ本の処理という馬鹿らしくも深刻な悩みを共有する仲の良い高校のエロ友達を募って四人でバーベキューをしたのだ。エロ本はお世話になった敬意と感謝を込めながら薪の火種としてくべた。エロ本で焼いた肉は青春の味がした。考えてみれば俺にとって高校生活における最後の思い出はエロ本で焼いたバーベキューなのだ。馬鹿だなぁ、とは思うが俺はそういう馬鹿な自分が嫌いではない。


 タンスの中には引っ越し先に持っていかなかった服だけが残されていた。下着も残っているはずなので俺は抽斗を引いてみたら見事に白のブリーフしか見つからなかった。


 マジか、と俺は思わず呟いた。色付きのボクサーブリーフは今でも好んで穿いているが、こんなコテコテの白のブリーフは人を背後に立たせない超凄腕スナイパーくらいしか似合わないだろう。


 しかし他に着替えもないので今日の所は我慢するしかない。

 俺は白のブリーフと高校時代に使っていた寝巻を手に取って風呂場へと向かう。


 アパートの狭い風呂に慣れてしまうと実家のお風呂は広いことに気が付く。石鹸類が見事に女性ものに入れ替わっていること以外は以前と特に変わりはない。手足を伸ばして洗えるスペースがあることに感動しつつバラの香るボディーソープで身体を洗う。


 ラブコメ漫画だったら『お兄ちゃん、背中洗ってあげるね~』とバスタオル一枚巻いた雛姫がお風呂場に登場するところだったが、もちろんそんなイベントはない。あいつらはどうしてあんなにも簡単に女の子とお風呂に入れるのだろう? 一度、ご教授願いたいものだ。


 久しぶりの実家のお風呂につい長風呂になってしまった俺がリビングに戻ると、雛姫はソファーに寝転がりながらテレビを見ていた。


「あれ、美奈子さんはどこに行ったの?」


 美奈子さんの姿が見当たらず俺が雛姫にそう尋ねると、雛姫はむくりと起き上がった。


「ママならスーパーに買い物へ行ったよ~」


「あれ、こんな時間に?」


 俺はそう言って時計を見ると針はもうすぐ九時を回ろうとしていた。


「こんな時間だからじゃないかな。生鮮食品は今からが本格的な割引時間なんだよ。お肉とかお魚とかお弁当とか、とっても安くなるんだから」


「なるほど…… 美奈子さんってああ見えてしっかりしているよね」


「専業主婦だからね。ママは安くて美味しいものが大好きなんだよ」


「そっか」


 本当に理想的な奥さんだと思う。

 こんな素敵な女性と再婚した親父を羨ましがるべきなのか、こんな素敵な女性と離れて単身赴任しなければならない親父を憐れむべきなのか判断に迷うところだ。


「ねぇ、お兄ちゃん。ママは今出て行ったばかりだから一、二時間くらい帰ってこないよ。お兄ちゃんさえよければ私の部屋に行かない。妹ママが膝枕してあげるよ~」


「ま、マジか……」


「うん。マジマジ」


 コケティッシュな笑みを浮かべて雛姫はコクコクと頷いた。

 魅力的な提案に俺は心が揺らいだ。


「マジかぁー。マジでちゅか~」


 正直、今日はそんなつもりではなかったのだ。

 美奈子さんもいるはずだったから、夕食を食べたあとは自分の部屋で大人しく眠るつもりだったのだ。しかし雛姫の膝枕に甘えるのはあの日の勝負以来だし、あの時は明石涼子もいた。だが、今は二人きりだ。美奈子さんも暫くは帰ってこない。


「じ、じゃあ、お言葉に甘えて」


「ふふ、甘えるのは言葉だけじゃなくて良いんだよ」


 雛姫は俺の頭をなでなでしてそう言った。

 頭を撫でられた瞬間、俺は雛姫のお兄ちゃんであることを止めた。

 どうやら自分の頭には女性だけが押せる赤ちゃんスイッチが付いているみたいだった。


 スイッチON。TURN ME ON.


「じゃあ、ボクちゃん。私の部屋に来る?」


「うん、いく~~~~~~~~~~~」


 ボクちゃんは元気いっぱいにそういった。

 雛姫ママは向かい合う形でボクの両手を取るとアンヨの要領で二階の部屋へと連れて行っていってくれた。俺はわざとヨチヨチ歩きで歩いた。


「は~い、お部屋につきまちたよ~。よくできまちた。アンヨお上手でちたね~」


 雛姫ママにギュっと抱きしめられて頭を撫でてもらったボクは、そのまま手をとってベッドに寝かされた。シーツからはママの香りがしてとても心が穏やかになった。安心する香りだ。ボクは雛姫ママのベッドに寝転んでシーツの匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。


 成人男性が同じことをしたら完全な変態だが、今のボクは赤ちゃんなので何一つ悪いことなどなかった。ママの香りに安心するのは赤ちゃんなら当たり前。赤ちゃんがママもおっぱいを飲んでもセクハラにはならないと同じだ。


「じゃあボクちゃんは~、ママのお膝でおねんねしよっか」


 ボクちゃんは素直に雛姫ママの膝に頭をのせると目を瞑った。

 なんて心地のいい膝枕だろう。温かくて柔らかくて、何度頭をのせても飽きない癒しだ。春のそよ風に吹かれながら草木の上で暖かな木漏れ日のもとでゆったりと眠っているような気分になる。いつもこの枕があったら幸せなのに……


 しばらくすると耳の辺りがさわさわとした。

 どうやら、雛姫ママは耳かきをするつもりらしい。

 フワフワした綿の部分…… 梵天の感触がした。


「は~い、ボクちゃんには今から耳かきをしてあげますからね~」


 雛姫ママはそういって梵天でボクの耳をサワサワと刺激した。

 うずうずとした気持ち良さが耳から全身に広がってゾクゾクっとした快感が溢れてきた。耳を優しく触られるとこんなにも気持ちがいいんだ…… 全身が蕩けるような感覚に身をゆだねる。


 ボクは雛姫ママにされるがまま耳かきをされていた。

 硬い棒の部分でカリカリっと外耳道の壁を刺激されるととても気持ちが良い。カリカリ、カリカリっと擦られると耳のむず痒さが解消されてウズウズとした感覚が広がっていく。


「ボクちゃん、気持ちいですか~」


「うん、ママー。とても気持ちいいでちゅよ~」


 ボクはうっとりとした感覚に夢見心地になりながらそう返事をした。

 雛姫ママは、そう、と言って優しく二度、三度と頭を撫でると耳かきを再開した。


 しばらくして左耳が終わると右耳の掃除が始まる。

 頭の向きをかえると雛姫ママのお臍と向かい合う形になった。顔に感じる空気の温かさが変化して雛姫ママの体温を一層に感じた。ボクは雛姫ママのお腹に鼻先を当てて、甘えるようにして顔を揺らした。


「だ~め。耳かきの途中で顔を揺らしちゃダメですよ~」


 叱られてしまった。

 なんだろう。普通なら叱られるのは嫌なことのはずなのに、雛姫ママに優しく叱られると胸の奥の方からジワジワとした快楽に似た喜びが沸き起こった。ボクはもう一度叱られたい衝動に駆られたが、耳かきの途中で動くのはやはり危ないと思って我慢する。


 いつだったか『幸福の形は少ないが、不幸の形は無数にある』みたいな内容を何かの本で読んだことがあるが、こうして『赤ちゃんプレイで義妹ママに耳かきをしてもらう』という凄く特殊な幸せを堪能していると、ふと幸せの形だって無数にあるのではないだろうかという気がしてきた。


 多分、不幸の方が強烈でインパクトがあるからカウントしやすいだけなのだ。幸福の形だって目を凝らして注意深くカウントすれば無数にあるに違いない。妹ママに叱られるという幸せなんて、そうそう誰もが味わえるものではない。


 そんな事を考えながら、しばらく雛姫ママの耳かきを堪能していたがどうやら耳かきが終わったようだ。


「はい、お疲れさま~。どうでちゅか、気持ち良かったでちゅか~?」


「ばぶぅ、気持ち良かったでちゅ~」


「そう、ならママがもっと気持ち良くしてあげよっかな」


 雛姫ママは身体をずらし膝枕をしていた俺の頭を普通の枕へと移動させた。そして横向きにボクを寝かせると雛姫ママは背中に密着する形で一緒に寝転がった。


「あ~む」


 ゾクゾクっとした快感が全身を襲った。耳をカプっと甘噛みされたのだ。くすぐったいような気持ち良さが耳を中心に広がった。


「あ~む、レロレロ、ちゅっ、レロレロ」


 雛姫ママは甘噛みするだけでなく耳をペロペロと舐め始めた。

 耳の外から中まで、舌で耳を弄ぶように舐めると、今度は慈しむように耳たぶを齧った。


 ヤバい、これヤバい。

 脳みそが蕩けそうになる快感ってこういうことなのかと実感する。気持ち良さは耳だけにとどまらない。くすぐった気持ちいい感覚が全身に伝わる。しかも耳を舐めるその音がかなりエッチなのだ。


「ねぇ、気持ちいい? お・に・い・ち・ゃ・ん」


 お兄ちゃんと呼ばれて俺は赤ちゃんから雛姫の兄に戻った。

 自分の意志で戻ったわけではなく、雛姫の言葉に強制的に戻された。


「ねぇ、雛姫がお兄ちゃんを好きなこと知っているでしょ? 私、待ったよ。もう18歳だよ。お兄ちゃんが望むなら今みたいなこと、毎日してあげる。ね、素敵でしょ?」


 雛姫はそう言って再び耳を舐め始めた。


 俺は頭を痺れさせながら雛姫の言葉を聞いていた。

 だが、聞いているだけだ。あまりの出来事に理解の方が追い付いていない。耳を舐められるのが気持ち良すぎて何も考えられないのだ。


「ふふ、お兄ちゃん赤ちゃんが大好きなおっぱいだよ」


 雛姫は横向きになっている俺の顔の前にくると、おっぱいを押し付けるみたいにしてギュって抱いた。俺は抵抗せずにそのまま素直に抱かれた。あまりの気持ち良さに脳が溶ける感覚を味わっていた。


「そっかそっか。赤ちゃんだもんね、何も言えないかな。でもね、お兄ちゃん。今日こそははっきりさせてもらうよ」


 雛姫はそういうと一旦俺を身体から離して、俺の目を見つめた。

 それは官能的で攻撃的なゾクッとするような瞳だった。

 獲物にとどめを刺す肉食獣の妖しい目つきだった。


「ごめんね、お兄ちゃん」


 そして突然謝った雛姫は、獲物が罠にかかったのを見届けた猟師のようにニヤリと笑った。


「今よ、ママ!」


 雛姫がそう叫んだ。

 その瞬間、ガバッとひとりでに押入れが開いた。


 いや、そうではない。押入れの中に人がいたのだ。日本中の誰もが知ってるあのネコ型ロボットみたいに、あろうことか押入れの中には美奈子さんが隠れていたのだ。


「えっ、えっ? な、なにこれ? スーパーに行ったはずじゃ」


 唐突な美奈子さんの登場に俺の混乱は極限に達した。

 俺はアホみたいな顔をしたまま雛姫と美奈子さんを交互に見た。

 俺は完璧に美人局で嵌められた哀れな男と同じ状況に陥っていた。


 普段は穏やかなはずの美奈子さんの顔からは明らかに怒りの色が見てとれた。美奈子さんはまるでホラー映画の幽霊のようにゆっくりと近づいてくる。助けを求めるように雛姫をみると、雛姫は機嫌よさそうにニコニコしていた。


 そうだった、雛姫も美奈子さんとグルなのだ。


 絶体絶命、四面楚歌。俺は今、どうやら人生の崖っぷちに立たされていた。




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