第3話 復元
再び轟音が鳴り響く。コンクリートの壁が吹き飛ぶのと同時、俺は壁にぶち抜いた穴の中に小林を押し込み、飛び込んだ。高口がすぐに滑り込んでくる。
「っざけんな!」
男が叫ぶ声が聞こえた。さっきまで余裕こいてたくせに。
駆けてくるのが見える。数歩の距離しかねえ。すぐ追いつかれる。さっきの変な技を使われたら終わりだ。俺は小林を背負い上げて、瓦礫の山を飛び退く。
「おい!」
タバコを噛みしめ、穴の横に立っている高口に声をかける。男が迫ってくる。ごとり、と壁の破片が動いた。男ががなった。
「逃げられんねー」
ぞ! と続いたはずの声は、シャットアウトされた。目の前から路地の光景が消える。
大穴が空いたはずの壁は、元通りになっていた。
何だ今のは。唖然としていると、高口がさっさと歩き出す。
真っ暗だ。どうやら俺が立ち尽くしているのは廊下のようだった。たまたま物がなかったのが幸いした。何事も無かったかのように、何も壊れていない。
「宮田さん早く」
目が慣れてきた。廊下の向こうは、カフェだった。
高口は並んでいるテーブルや椅子をすり抜け、入り口の方へと向かっているようだった。警報とか監視カメラとかないのを祈るしかねえ。
ガラス戸の鍵を開ける。スライド式のドアは開いたが、その向こうにしっかりシャッターが降りていた。これじゃ出られねえ。高口はシャッターをガシャガシャ鳴らしながら、上から下まで確認するように触っている。
「宮田さん、シャッター壊してください」
「はあ?」
「いいから早くしないと、すぐ追いつかれますよ」
確かに、あっちは物を壊すのも人を怪我させるのもまったく頓着ないようだった。外を回り込んで来ているはずだ。向こうからこのシャッターを破壊されたら、今度は店の中に追い詰められる。
一か八か、タバコの煙をシャッターに向けて吐き出す。またすさまじい音を立てて、シャッターがひしゃげて、一部に穴が空いた。
小林を担いだまま、メリメリになった穴を広げて外に出る。高口が顔を出した途端、角を曲がって男が駆けてきた。
「急げ!」
高口が外に出ると、みるみるうちに、逆再生みたいにシャッターが戻った。ひしゃげたのも、メリメリに破れた跡も、焦げた跡もない。
何だ今のは、と思ってる暇も無い。俺はとにかく走った。
「纏いて来たれ」
後ろから声がする。また何かの術か!
思わず振り返ると、高口が、路上駐輪の自転車を無造作に持ち上げていた。おいおい、意外と大雑把だな!
後ろから風圧がはじけて、空間が歪むのが見えた。見えない何かが、高口の投げた自転車にぶち当たり、自転車が四散した。破片が飛んでくる。思わず首を引っ込めたが、飛び散ったサドルも、ペダルも、俺に飛んできたハンドルも、空中で止まった。
また逆再生みたいに、元いた空間に戻る。自転車は吹き飛ぶ前の形に戻り、ちょうどそこに駆けてきていた男の脳天に落っこちた。
「ってえ!」
自転車の下でもがく声がわめいた。
「逃げるな!」
逃げるわ!
居酒屋がごちゃごちゃに並ぶあたりを、右に左に曲がって、なんとか距離を稼ぐ。
逃げるにしても、人の多いところに出ていいものか分からない。俺たちが人気の少ないところに来たから襲ってきたのか、そんなの気にしない奴なのか。
だが小林が重いし、酔ってるせいですぐ息があがって、走れなくなった。タバコくわえたままなのも息しにくい。よれよれと歩きながら、後ろをついてくる高口を見る。
「なんださっきの」
「呪文が聞こえましたから、きっと魔道士です」
「はあ?」
思わず声が出た。
「なんだそれ、ファンタジーか?」
「自覚ないかも知れないですけど、宮田さんも充分にファンタジーの住民ですよ」
マジか。
「でもあんなの、たいしたことないです。栄さんみたいな非戦闘員を、夜に襲うことしかできない程度でしょう。宮田さんの方がよほど破壊力があります」
そんなものか、と思ったが。あいつは確かに壁を破壊できなかった。偉そうに呪文とか唱えてたのに。
だがこっちは小林を抱えてるし、俺は能力に制限がある。タバコがないとダメだ。
「何者なんだあいつは」
「会社の人ではないと思いますが。どうせうちの会社には入社できなかったような、チンピラですよ」
能力者なんて、そんなにゴロゴロしているとは思えないんだが。確かに、名刺を見ていたあの様子を見ると、会社の人間でないのは確かだろう。
「でも、宮田さんみたいな能力って珍しいんですよね。だから会社では噂になってましたけど、別に外で大きな事件を解決したとかいう訳じゃ無いんで、外部の人間がそうそう知ってるとは思えません」
「……会社の人間じゃねーが、内部の人間も関わってるかもってことか?」
高口は口をつぐんだ。もさもさの髪をかき上げる。
「可能性は否定できません」
栄は無事なのか、なんで狙われてんだ。訳が分からねえ。
――それに、そうだ。こいつ。
「壁とか自転車はお前の仕業か」
もさもさの前髪が俺を見る。相変わらずだがなんとなく、きょとんとしているのは分かった。
「宮田さん知らないんでしたっけ。ぼく、あらかじめ念をこめて触っておいたものは、修復できるんですよ」
なんだその便利な能力は。
「だから、実験で爆破しまくっても元に戻せますよ。ただし、人間はダメです」
高口が言うと、すげーマッドサイエンティスト感が増す。今は白衣じゃねーからマシか。
「だから医者なのか?」
「そういうわけでもないんですけど」
前に松下さんが言っていた。生きている物に働きかけるのはひどく疲れると。松下さんの場合は精神に影響をあたえるものだったが、こいつの場合は物の仕組みを組み替えるようなことなんだろう。
細胞が、生き物が、自分の行動理念や自然に従って動いている限り、それをねじ曲げる他者の力を受け入れることは無いのかも知れない。たとえ、傷を治そうとするものでも。
うう、と肩の上で小林が呻いた。
俺は慌てて背負っていた小林を見る。もぞもぞと頭が動いた。気がついたか。
足を止めて、小林をすぐ近くの道の脇に下ろした。居酒屋の入り口の真横だったが、気にしてもいられない。
あの訳の分からない男は追ってきているのかも分からないし、止まっている余裕はないかもしれないが。――そもそも狙われてるのは栄だ。
「頭痛え」
「おい、大丈夫か。打ったのか」
「飲み過ぎた……」
「うるせえ」
思わずデカい声がでた。居酒屋を出て行く人たちが、俺たちを見てクスクス笑う。
ほんとに飲み過ぎただけなんだろうな。怪我してねえんだろうな。事故みたいに、平気だと思ったら後で死んでたとかなったらシャレにならねえ。
小林はうつむいて、口に手を当てて、もごもご言う。
「吐きそう」
「後にしろよ」
「後にできるか。うう、出る。お前が振り回すから」
横から高口が口を挟んだ。
「頭は本当に打ってませんか? 吐き気はそのせいかもしれません」
「多分打ってねーと思うわ。コブとかもねーし」
頭を抱えて、小林はうめく。
「何が起きてるんだ? なんか吹っ飛んだのは覚えてるんだが。体がふわっと。酔ってたせいか?」
「いや」
何をどこまで話せばいいものやら。
「俺もよくわかんねーけど、なんか変な奴に追われてて」
いいながら、内ポケットから出したスマホを操作する。
どうする、警察か。だがこんな状況に普通の人間が駆けつけて大丈夫なのか。
会社の人間に連絡するべきか。栄の他は、部長と鈴木しか知らねえが。この時間、終電も終わった。こんな夜中に、連絡していいものか。
――迷ってる暇は無い。
「はい?」
少しかすれた不機嫌な声が聞こえる。やっぱ寝てたのか。この健康優良児め。
「おい、悪いが出てきてくれねーか」
「はい? こんな時間になに言ってるんですか? 今日は栄の奴と合コンでは? まさか良からぬ事を企んで」
「いいから、手を貸してくれ!」
思わず声を荒げた。
鈴木の文句に付き合ってる場合じゃねえ。鈴木は沈黙した。口の端を右に左に歪めている姿が想像できる。そして、低い声で言った。
「今どこですか?」
「あー、ここは……」
言いかけた時だった。
「飄の風よ」
声が聞こえた。俺はスマホを握ったまま、小林を突き飛ばした。
唐突に高口が立ち上がって、俺たちの前に立ちはだかる。片腕をかかげた。そこに、空気が襲いかかってくる。
見えない何かが渦のように駆け、鋭く切り裂いていった。
「やっぱり、たいしたことない」
血をポタポタと垂らしながら、高口はうそぶいた。無事な方の手でくしゃくしゃと前髪をかき混ぜる。
「お前、なにやってんだ! 人間はダメだって言ってただろうが!」
「ぼく自身ならなんとかなります」
ほんとなんだろうな。もしそうだとしても、怪我したってことに違いはねえだろうが。もさもさの前髪でわかりにくいが、口元が歪んでいるのは分かる。相当に痛いはずだ。
俺は短くなったタバコをくわえる。もう人間だからってためらってる場合じゃねえ。
煙草を吸う。じりじりと音がして、さらに短くなる。熱い。
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