第5話 幽霊の骨
「訳わかんねーことでもめてるから」
また誰かが隙ついて岩礁に行ったんじゃねーか。
おっさんたちはブツブツと何か言っているが、動こうとしなかった。
俺は、胸ポケットからタバコを取り出して、口にくわえた。ライターの火が明るい。確認もせずにタバコを吸いだした俺に、鈴木は文句を言わない。それどころか、酒瓶を抱えて猛ダッシュした。
俺はくわえたタバコを噛みしめ、後を追う。ガードフェンスを乗り越え、岩場を走る。いや、こんなの走れないから、滑らないよう気をつけながら急いで向かう。潮はどんどん満ちてきて、鈴木のスニーカーは水没し、俺のジーンズは脛まで濡れた。陽は水平線に消え、海の端に少しだけ名残がある。空は紺に変わっている。
さっきの学生たちがまた岩場にいた。あいつら、戻ってきたのか。
「お前ら、さっさと砂浜に戻れ!」
怒鳴ると、泣きべそが一斉にこっちを向いた。このあたりだけ波が不自然に荒れている。
「波にさらわれる」
「何か居る! 足引っ張られた!」
口々に訴えかけてくる。あーやっぱり。そうだよな、そうなるよな。
「今日は高潮だってニュースで言ってたぞ、そのせいだろ」
「でも、絶対なんかいた! 骨みたいなの見えた!」
若者が叫ぶ。それから、訳の分からない金切り声をあげた。
海面から、岩礁から、無数の手が伸びてくる。指が無数のナメクジのようだった。岩にすがりつくように、はいずるように伸びてくる。それから、海面や岩から生えてくる頭。むっくりと起き上がってくる背中。
ぞろぞろとこっちに向かってくる。
「うええええええ!」
思わずデカい声が出た。あぶねータバコ落としそうになった。
うじゃうじゃと這い回る霊の中から、ひとり、倒れた塚の――正しくは、塚を封じていた岩のところに、霊が立ち上がる。
うつむいたまま、月の明かりに浮かび上がっていた。ゆらゆらとした青い光をまとっているように見えた。
やめろ、夏の海だからって怪談はやめろ!
また学生が悲鳴を上げる。目の前で、一人いきなり海の中に引っ張り込まれた。
「鈴木!」
「分かってますよ!」
学生が引っ張り込まれた辺りの水が弾け飛んだ。水柱が上がる。モーゼみたいに水が割れて、海の中にいた学生を押し上げた。東映のロゴのやつみたいな波に持ち上げられ、水に引っ張り込まれた学生は、宙を飛んで戻ってくる。
学生たちは、仲間が岩場にぶつからないように、慌てて受け止めた。
戻ってきた学生は呆然としている。男の一人が叫んだ。
「なんだ今の!」
「だから、高潮だって。早く陸地に戻れ」
「幽霊が!」
女が叫ぶ。
あーもう、めんどくせえ。
「気のせいだって言ってんだろーが!」
怒鳴りつけると、学生たちは崖にはりついて、半べそをかきながら岩場を戻っていく。
俺までびしょ濡れになった。しかも海水だ。最悪だ。
最初に若者が乗っていた岩の上に、白いものが這い上がってくる。カチリカチリと音を立てて。
白い、あれは骨だ。暗い中にもくっきりと見える。肋骨の先がない。骨盤や足がないかわりに、背骨が尻尾のように伸びている。海や岩場から生えた手や人から、もやもやと光が骨に向かって伸びていた。
頭蓋骨が持ち上げられて、黒い眼窩がこっちを向く。空洞が、俺たちを飲み込むように、はっきりと見た。
思わず息をのむ。同時に煙を吸い込んで、タバコがじりじりと音を立てる。
ひときわ高い波が、骨を飲み込んだ。
「おいっ」
あたりの波が荒くなる。岸壁にたたきつけられそうになり、よろけた鈴木を支えながら、俺もなんとか岩場に踏ん張っていた。
「なんだあれ!?」
塚に覆い被さった波が引いていく。
骨だったものは、血肉をまとっていた。筋肉標本のような、筋だらけの顔が相変わらずこっちを見ている。
さらに波が飲み込む。それが引いた後には、そこには女がいた。黒々とした髪と、月明かりに光る白い顔と上半身。そして青銀にかがやく鱗。
人魚だ。
よく見る絵や銅像なんかのように、塚の上に座っていた。
「巨乳!」
鈴木が叫んだ。
「あーはいはい、そうですね。それ俺へのセクハラだからな!」
「宮田さんに言ったんじゃありません! 思わず声が出たんです!」
あーそうですか。
ただし、顔は凶悪だった。魚のような真円の目を持つ。長い長い黒髪の女。
「骨を埋めたって言ってなかったか。海水浴びて生き返ったのか!?」
後ろの崖に貼り付いて、俺は声を上げる。半分でも人型をしたものに、爆発物を投げつけるのは、ためらわれた。
この状況、そうも言っていられねーが。
「骨に水をかけたら元に戻ると思いますか!?」
「人間は戻らねーけど、人間じゃなかったら戻るかも知れねーだろ!」
「それは一理あります」
納得すんな。
「でもあれはきっと、亡霊みたいなものです。人魚の骨に、元地主さんの亡霊が染みついて、生き返ったように見えるだけだと思います。このあたりの霊を吸収して大きくなってる」
気がつくと、立ち上がっていた霊も、辺りを這いずっていた霊もいなくなっている。
「力尽くでゆっくり眠らせてあげるのも供養です!」
「ほんとかよ」
巫女の言うこととは思えねえ。――あ、巫女じゃ無かったか。権禰宜か。
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