第四章 怒りの溟海

第1話 呪いの海水浴場

 いつの間に夏になったんだ。

 立ってるだけで汗だくで暑い。蝉の声が頭に突き刺さるようだ。

 夕方近く、海水浴場最寄りの駅は、人でごった返していた。平日じゃねーかと思ったが、夏休みだった。呪われろ。社会人になってこちら、夏休みなんてとったこともないので、すっかり忘れていた。


「宮田さん、遅いですよ! 暑くて干上がりそうです。コーラおごってください!」

 顔をしかめつつ改札を出るなり、鈴木が手を突き出してきた。

 茶色の長い髪を後ろでひとまとめにして、丈が長めのカットソーにショートパンツにスニーカーというラフな格好をしている。肩から小ぶりなボストンバックを下げていた。重そうだ。

 社用車で会社から二人で来てもいいのだが、車がくさいとこの女がうるさいので、こういうことになっている。しかしここからは、依頼人の町長が車で迎えに来てくれることになっているので、どうせ車だ。ざまーみろ。

「うるせーな。集合時間の5分前じゃねーか。大体、一年目の後輩にたかるなよ。お前が俺におごれよコーラ」

「おっさんのくせに何言ってるんですか。あっ宮田さん、タバコ臭いから風上に来ないでくださいっていつも言ってるじゃないですか」

 相変わらず失礼な女だ。

「その大荷物は何なんだ」

 ボストンバッグを指さすと、鈴木は、待ってました、とばかりにジッパーを開ける。取りだした緑色の大きな瓶には、白い紙が巻かれて、太い筆で銘が入っていた。

「獺祭磨き二割三分です!」

 鈴木は日本酒の瓶を大事そうに抱えて俺に見せた。鼻息が荒い。

「こだわりと技術により23%にまで精米した米を使用した純米大吟醸です! 雑味がなくフルーティーな香りで、とにかくおいしいのです!」

 んなことどうでもいい。

「てめーは、なんで仕事にそんなもん持って来てんだ。御神酒なのか」

「わたし、酔拳が使えるのです」

 鈴木は目を爛々と輝かせて言った。

「はあ? 空手だろうが」

「それが、実のところ最近、アルコール含有量の多い液体が一番操りやすいのだということに気が付きまして。このたび仕事で試してみようと言うことになったのです! 部長と能力開発課からそのように言われまして。血中アルコール濃度を高めてですね」

 なんだそれ聞いてねーよ。

「今頃そんなの気づくのか。おまえ、子供の頃から水が操れたんだろうが」

「三十三まで能力に気づかなかった宮田さんに言われたくありませんね」

「うるせえ。じゃあスピリッツでも持ってこいよ」

「日本酒が好みです」

 知らねーよ。

「そんな高い酒、経費で落ちるのか?」

「実家からくすねてきたので、問題ありません!」

 問題ねーのかそれ。

「お前、海辺で飲酒とか知らねーからな。海に落ちても助けねーからな」

「溺れませんし! 泳げないんですか?」

「そういうことじゃねえし、泳げるわ」

 うるさい鈴木の相手をしていると、駅のロータリーに白いセダンが入ってきた。聞いていた通りの車種と、運転席のおっさん。どうやらお迎えが来たようだ。




 迎えに来たのは、この海辺の町の町長だった。車を走らせ、海岸線を離れ、田んぼを抜ける。

 やがて広い田んぼの後ろ、山ぎわに家がいくつか建っているあたりに着いた。その中でもひときわ大きな家の前にやってきた。武家屋敷みたいな門がそびえたってて、塀の終わりが見えない。連れて来られたのは、町会議所とか、商工会議所とかではない。町長の自宅だった。門に「久野くの」と大理石の表札がデカデカと光っている。

「遠いところわざわざすみませんね」

 町長が言ってる間に、門が自動で開く。おお、田園風景に油断したが、すごい設備だ。

 これが個人宅かというくらい、庭も家もとんでもなく広い。

 古い日本家屋だが、クーラーがガンガンに効いていて天国だった。通された応接室は洋風になっていて、ソファはふかふかだった。家政婦さんと思われる女性が、冷たい麦茶を出してくれる。

「ご依頼は、海難事故の原因調査でしたね」

 俺は印刷しておいた依頼メールを鞄から取り出した。

 横で鈴木が麦茶を一気飲みしている。氷がカラカラと音を立てたが、まあしゃべってないから静かな方だ。

「ここ数日で、五件ほど水難事故がありましてね」

 ハゲかかった額の汗を拭きながら、町長は言った。

「沖に流されたり、溺れたりする人が多くて」

「潮の流れが変わったとかそういうのじゃないですよね。離岸流とか」

 近頃、岸が目の前に見えるのに、戻ってこられないなんていう海難事故みたいなのをよく聞く。

 町長は大げさにため息をついて言った。

「そういうことなら、あなたたちに依頼なんかしませんよ」

 ですよね~。

「ライフセーバーも普段より多く手配して、危ない辺りは立ち入り禁止の看板立てて、縄を張って、対処はしているんですよ。日中は地元の者で、交代で見張って。それでもねえ。先日、夜に海辺に近づいた観光客が大騒ぎして大変だったんですよ。何かに海に引きずり込まれそうになったとか、おぼれかかったとかすぐSNSで拡散しちゃうし。すぐ宿の口コミサイトに書いたりするし。宿関係ないのに」

「それは、宿は災難でしたね」

「しかも広まったら広まったで、今度は、肝試しとか怖い物見たさで若い人が来たりしてるんですよ。どうなってるんですかね。今のところは大きな被害は出ていませんけど、被害が拡大したらほんと困るんだから、夜に危ない場所に近づくのやめてほしいんですよ。今はおかしなお祭り騒ぎみたいになってますけど、実際に大きな事故が起きちゃったりして、人が来なくなったら、町にとって打撃ですからねえ」

 そりゃあ、SNSで広まったのなら、来るだろう。夏休みで暇してる学生も多いだろうし。

「せっかくだから、町おこしに使えるようなネタなら良かったんだけどねえ」

 はあ、と町長は大きくため息をついた。

「夜間の警備員とかは手配しているんですか?」

「毎日そこまでできませんよ。町の人間で、できるだけ目を配るようにはしているんですけどね。地元の者も、祟りだと騒ぐもので、困っているんですよ」

 心霊現象だとか怪談ネタだとか、神社の由緒とかと似たようなもので、人集めにはなるんだろうが。実害さえなければ。野次馬が来れば当然、騒動も起きる。

 鈴木は麦茶を飲み干すと、町長をじっと見て言った。

「祟りと騒ぐということは、祟りを起こすようなものに心当たりがあるんですね?」

「いやあ、そういう噂って、どこにでもあるじゃないですか。ほんとかどうか関係ないでしょ。海で身を投げた人の霊とか、落ち武者が殺されたところだとか、沈没した船だとか。ねえ。夏ですし」

「よその人ならともかく、町の人が怖がるって、具体的な事案があったからじゃ無いんですか? 例えば、身を投げて霊になったかもしれない人に心当たりがあるとか」

 鈴木にしては鋭い指摘だ。

「何にも心当たりがなくたって、海難事故が続いたら、何かあるのかな~とか思うじゃないですか。被害があるのも、夜ばっかりですからねえ。やっぱり怖いし、あぶないですから」

 町長はすっとぼけた。嘘くさい。

 そういう事故が不安なら、海水浴場を閉鎖してはと思うのだが、それはやはりよそ者の考えか。やっぱり地元としてはせっかくの稼ぎ時だし、難しいだろう。ジョーズみたいに、サメが出たという訳でもないし。俺たちの仕事にもならない。

 しかし何かあるのを隠して、被害が拡大するのは良くない。

 鈴木は、胡乱な目で町長を見た。怪しいのは確かだが、とりあえず依頼人をそういう目で見るのやめろ。

「分かりました。とりあえず、現場に行ってみます」

 鈴木が何か言い出す前に、俺は口早に言った。町長はまた頭を拭きながら、はいはい、と頷く。

「こういう依頼、町で会議通すと時間かかるし夏終わるし、議事録とかめんどくさいから、わたしのポケットマネーなんですよ」

 町長は言った。そうだったのか。だから町長宅なのか。

「そういうわけで、手短に素早く片付けてください」

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