第4話 鈴木……?
鈴木は目をぱちくりして、えへ、と舌を出した。いや、かわくねーし。普段なら何かわめいてくるところだ。なんか気持ち悪い。
俺は肩をすくめ、再び電子タバコを吸う。白い蒸気を吐き出した。またいっそう視界が濁ってくる。思わず目をゴシゴシとこすった。
「なんだ……?」
「宮田君? 何かしたか?」
どんどん視界が白くなってくる。鮮やかな山の緑が白い靄に包まれて見えなくなっていく。青空や太陽の明るい光が霞んでいく。
「いや、普通に吸ってただけだ」
確かにこの間は電子タバコで霧が発生したが、今は何もしていない。間近にいたはずの松下さんや栄や鈴木の姿も見えにくくなってきた。
松下さんは立ち上がって、あたりを見まわした。
「これは霧か? 視界が悪いのは困るな。皆、あまり離れないように気をつけて」
下手をすれば遭難だ。熊のいる山で遭難とか冗談じゃねえ。俺は電子タバコから、吸い終わったヒートスティックを外して、携帯灰皿につっこんだ。
「犬を探すどころじゃねーな。鈴木、なんとかしろよ」
「え?」
鈴木がきょとんと見上げてくる。なんだその純粋無垢っぽい目は。
「霧って水だろ。大気中の水分を取りだしてどうのこうのって偉そうに言ってたじゃねーか。このくらいなんとかなるんじゃねーのか」
「え?」
動物みたいにきょときょとと、松下さんと俺を見る。
なんなんだ、覇気がねーな。
「宮田さーん! 松下さーん! ついでに栄ー!」
声が聞こえてきた。このデカい声は聞き間違えようもない。……んだが、どこから聞こえた? なんか、遠くから聞こえてきた気がしたんだが。俺は目の前の鈴木を見る。ぽかんと俺を見ているだけで、しゃべった様子はなかった。
「うるせー」
まだ少し気分が悪そうな栄が顔をしかめる。いや、お前、そこか?
「鈴木……?」
松下さんが、隣に立っている鈴木を見る。
声は霧の向こう。発生源のはずの鈴木は、すぐそこ。なんだ、また木霊の仕業か。さっきから何が起きてんだ。
鈴木以外が顔を見合わせる。と、同時に、霧の中から突然ド派手なタイツが飛び込んできた。白っぽい色のハット、紺の防水ジャケット、水色のショートパンツ。足元は真っ赤なトレッキングシューズ。
松下さんの隣に立っている鈴木と、まったく同じ服装。同じ顔が、同じようにぱちくりと瞬きする。
「ええええええー!」
顔を見合わせ、同時に叫んだ。
耳がキンキンする。うるせえ、うるせえ、うるせえ!
「デカい声出すな!」
いやそんな場合じゃねーんだが。うるさくて驚きがふっとんだ。
鈴木が二人とか。こんなうるせーの二人もいらねえ! なんなんだこれは!
「ドッペルゲンガーか!?」
「ええええ、わたし死ぬんですかあ!?」
霧の中から現れた方の鈴木がわめいた。同時、松下さんの横にいた鈴木は、突然こっちに向けて駆けだしてきた。
いやいやなんなんだ! そういえばこいつ空手の段持ちだった。いきなり殴りかかってきたりとかされたら――と思ってたら、俺の横をすり抜けて、霧の中に突っ込んでいく。霧の中、つまり道の無い山の中に。
「おい、鈴木どこ行く! ……いや、うん? 鈴木?」
思わず後ろ姿に叫んでから、首をかしげる。
霧の中から現れた方の鈴木を振り返った。一体何なんだ。今のは何なんだ。
唖然とした視線を一斉に受けて、鈴木は思い切り顔をしかめた。
「くっさ。宮田さん、タバコ吸いましたね! 火気注意ですよ!」
「うるせえ。ちゃんと許可取ったわ。電子タバコだし」
「あっ。てことは、この霧も宮田さんの仕業ですか? わたしを迷子にしようって言う嫌がらせですか!」
――――ああ、うん、鈴木だ。
「なんでそんなことすんだよ、ちげーよ。だいたい霧くらいお前なんとかできるだろうが」
さっきと同じようなことを言うと、鈴木は、はたと騒ぐのをやめた。
「そう言えば」
気づいてなかったのか。
鈴木は口を閉ざした。唇の端を右に左に歪めて、難しい顔をする。
「これ、水じゃないです」
「そんなわけあるか。だったらなんなんだ。煙か?」
万が一にも山火事だったら大事だが、煙ならさすがに臭いでわかる。この靄は目に刺激もない。
「なんかわからないけど、急に視界が悪くなったから、びっくりしましたよー。よかった、合流できて」
「よく戻って来られたな」
俺たちのやりとりを見ていた松下さんは、ホッと息をついて言った。
「松下さんが力を使った気配があったので、それをたどってなんとか」
なんだそれ、そんなことできるのか。全然わからなかったが。
「力を使ったって、いつの間に」
「まあ、派手な能力じゃないから。知らなかったら分からないよ」
「何の能力なんだ?」
「コンクラーと言ったりする。いわゆる……」
松下さんが言いさした時、また霧の向こうから物音が聞こえた。
ガサガサと草木を揺らす音。ドッペルゲンガー鈴木が去って行った方向だった。つまり、俺の後ろ。
俺はあわてて、「火気注意」のリスの看板の木から離れた。
「なんかいるのか。犬か。さっきのドッペルゲンガーの仕業か」
それとも、まさか。
思ったと同時、地面を這うような、低いうなり声が聞こえた。全員が、びくりと肩を震わせる。
――――熊か!
草をかき分けるような、枝を折るような音が聞こえる。重い足音が近づいてくる。まわりが霧で白くもやって何も見えない。獣の臭いのようなものがするかと思ったが、何も分からない。
「熊よけの鈴は!?」
「いやあれ威嚇の声だと思うんで、鈴はもう遅いっす。向こうはもうこっちの存在に気づいているし、刺激するだけですよ」
栄が立ち上がりながら言った。
なんだそりゃ。なんのために持ってきたんだ。やっぱ最初から装着しとくべきだったんじゃねーのか。犬が逃げるかもって言ってたけども、もう犬探せんのかこの状況。
「一応、わたしが予防線は張っておくから。速やかに立ち去ろう。走らないほうがいい」
何をどうするのか分からないが、松下さんが静かに言う。歩き出すその後ろをついて行こうと思ったが、何か、行ってはいけない気がしてくる。動かない俺たちを振り返り、松下さんは、ゆっくりと言った。
「君たちは、ついてきて問題ない。行こう」
なんだろう、この違和感。
「宮田さん、何ビビってるんですか? 行きますよ!」
声がデカいわ。小走りに松下さんについていく鈴木の背中に悪態をつきながら、俺も慌てて歩き出した。この視界の中、熊のいる山をひとりでうろつくような狂気も豪毅も持ち合わせてねーし。四の五の言っている場合でもねえ。
動物のうなり声はそれ以上近づいてこなかった。
だが霧のようなものは、まったく晴れないし、得体の知れない人影と、熊と、鈴木のドッペルゲンガーがこの山にいる。そもそも犬はどこにいった。栄の様子だとサイコメトリーもうまくいかないようだったし。
視界が悪くて、足元を見て転ばないようにするので精一杯だ。
体力がないのと、気を張っていたせいで、またすぐに息がきれてきた。汗がたれる。バッグからタオルを取り出して、汗を拭ってから首に巻く。
「火気注意!」と書かれた赤い看板が、白い霧の中に見えた。やけに目立つ。リスの絵の尻尾が錆びて剥がれてなくなっていた。さっきドッペルゲンガー鈴木に遭遇した場所でも、似たような看板を見たな。等間隔で設置されているんだろうか。
「なあ……」
俺は重苦しい空気に耐えかねて、先を行く背中に声をかけた。
「なあ、犬はどうするんだ?」
「一応わたしが探っている」
「そうなのか」
力を使ってる気配とか全然わかんねーな。俺はぐれたら終わりだな。
俺たちは、ひたすら道を進んだ。
――――そして、冒頭に戻る。
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