第三章 霧もざわめく

第1話 ハイキング気分のはずだった

 霧に包まれた山の中を登っていく。ただでさえ足下は獣道みたいなのに、視界さえもおぼつかない。

 道の脇に真っ赤なペンキで塗られた『火気注意』のホーロー看板が立っている。タバコに大きなバッテンのイラストが添えられて、リスのイラストが「投げ捨て禁止!」としゃべっている。錆びて剥がれて、尻尾がなくなっている。

 ド派手な登山スタイルの鈴木がずんずん登っていく。その後ろに俺と同じ年くらいの女が続き、ひょろひょろとした若い男が続く。俺はゼーゼー言いながら、遅れないように最後尾をついていく。

「これ、どこまで登るんだ」

 あーくそ、なんでまた山なんだ。

「宮田さん、遅れていますよ。大丈夫ですか」

 振り返った鈴木が、声を張り上げた。

「タバコ吸ってばっかりだから、体力が無くなるんです!」

 心配してくれんのか珍しい、と思ったら、引率の先生よろしく檄を飛ばしてくる。

 俺の存在価値を否定するな。

 うなだれて登る俺と違って、鈴木は周囲に目を配っている。そうは言っても、白い霧に包まれて、何も見えないが。

 首にかけたタオルで汗をぬぐいながら、とにかく足を前に運ぶ。これ絶対また筋肉痛だ。この間のチェーンソー事件でも、すごい筋肉痛になったってのに。

 道の脇にまた『火気注意』の看板。リスが「投げ捨て禁止!」としゃべっている。錆びて剥がれて、尻尾がなくなっている。うるせーな、どんだけ頻繁に注意してくるんだ。山でなくたって吸い殻のポイ捨てとかしねーよ。ただでさえ喫煙者は肩身が狭いんだ。

「おい……」

 俺は息も絶え絶えに声を出した。

「宮田さん、休憩ならさっきしましたよ」

 鈴木が先頭から言う。そうじゃねーよ!

 ここはハイキングコースのある山で、ちょっとした登山をしに、町から人が来る場所のはずだ。どれだけ登るんだ。どんな標高だか知らないが、とっくに頂上についていいんじゃないのか。

「おかしくないか」

 すぐ前を登っていた青年が振り返る。

「おかしいですよね」

 ひょろひょろの青年は、文句は言わないが顔がげっそりしている。彼も相当疲れているようだった。



 道の脇にまた『火気注意』の看板。リスが「投げ捨て禁止!」としゃべっている。錆びて剥がれて、尻尾がなくなっている。

 どうやら――霧の中に閉じ込められたようだ。




 この日、集合はまた町から離れた山のハイキングコースの入り口だった。売店や小さい定食屋が並んでいる。平日とは言えもう少し賑わっているかと思ったが、人が閑散としていた。

「やあ、鈴木。久しぶり」

 待っていたのは、俺と同じくらいの年の割ときれいな女で、隙の無い出で立ちをしている。長い髪をまとめて、オフィスカジュアルと登山スタイルの中間みたいな、動きやすそうだが遊びではない、絶妙な服装だった。

「松下さん、お久しぶりです~! 一緒に仕事できて嬉しいです!」

 鈴木が珍しく尻尾を振っている。

「スカンツとスニーカーかわいいです!」

「ありがとう。鈴木も……また、気合いの入った格好だな」

 白っぽい色のハットをかぶり、白いティーシャツに紺の防水ジャケット、水色のショートパンツをはいた下に、黒に蛍光ピンクの派手な柄のタイツ。足元は真っ赤なトレッキングシューズ。

 完全に登山スタイルだ。

 さすがに俺も今日はスーツではなく、動きやすい服装で来ている。最初から山の捜索だって聞いていたから。

 松下さんと呼ばれた女は、鈴木をどうどうと落ち着けてから俺に向き直り、にっこりと笑った。

「宮田君は初めましてだな。松下だ。よろしく頼む」

「あ、どうも、よろしく。宮田です」

 キビキビした言葉遣いに、ついタジタジになってしまう。普段接してるのが鈴木だから。そんな俺の態度に気づいたのか、松下さんは笑いながら言う。

「面倒だから、敬語はいらない。こちらもそのつもりでいるから」

「あ、はい。了解っす」

 いらないって言われたところなのに、なんか中途半端な敬語で返事してしまった。

「俺も忘れないでくださいよ~。さかえです。よろしく~。宮田さん、お噂はかねがね」

 松下さんの横にいたひょろひょろの青年が軽く手を上げながら、目尻をさげて、にへ~と笑う。

「……どういう噂なんだ」

「いや~喫煙者なら気になりますよ~。相当びっくりしたんじゃないですか」

 自分が俺みたいになった時を想像したのか、青年は愉快そうに笑った。全然嫌みじゃ無かったので、俺もつい笑った。

「あー、壁に穴開くし最悪だったよ」

 鈴木もこいつみたいに、もっとかわいげがあればいいのに! 思っていたら、横から鈴木は割り込んだ。

「栄、馴れ馴れしい」

「鈴木のくせにうるさい」

 栄は俺にニコニコしてたのから顔が豹変した。鈴木にものすごく嫌そうな顔を向けた。

 俺は若干引きながら二人を見る。なんだなんだ。どういう関係だ。

 鈴木は俺の視線に気づいて、心底嫌そうに言った。

「同期です」

「なんでそんな仲悪そうなんだ」

「わたしが! 松下さんと! コンビを組みたいのに!」

 鈴木は力一杯わめいた。あー、そうですか。めんどくせえ。



 そんな鈴木にも、松下さんの後ろに隠れて舌を出している栄にもまったくとりあわず、松下さんは腰に手を当てて言った。

「さて、自己紹介も終わったところで、仕事にかかろう」

 この人もなんかいい性格してそうだ。

 はい、と鈴木はいい返事をして、手を上げた。松下さんはショルダーバッグから写真をとりだした。

「登山にペットを連れてきた老夫婦の犬が逃げたらしい。今日はその犬を探す」

 もともと今回は、この松下さんと栄の二人で調査をはじめたのだが、俺たちは応援に呼ばれたのだった。山での探索は、人手がいるのだろう。

 依頼のメールにも添付されていたが、松下さんが差し出した写真を改めてみる。

 もっさりした毛並みのずんぐりむっくりした犬で、茶と黒の毛色が混じっている。首輪でもさもさの毛が抑えられてて、なんか変なシルエットになっている。耳は黒くて、ピンと立っている。

 俺も別に犬種に詳しくないが、あんまり見たことない犬だった。

「雑種?」

「ミックス犬と言うんだ。迷子犬を保護してそのまま飼っているらしい。休憩所で外の木にリードを縛っていたが、気づいたらいなくなっていたそうだ。血統書ではないから盗難とはあまり考えられないし、昨日調査したところ、首輪がゆるんでいたのか自分で逃げた様子だった」

「調査で? どうやってわかるんですか? 目撃者?」

「あー俺です。俺が調べたんですよ。俺、地相士なんで」

 栄が横からぬぼーと声をだした。

「地相士?」

「だいたい普通は土地の良し悪しとか、人に与える影響とかを鑑定したりするんですけど、俺たちの業界で地相士ってのは、まあサイコメトリーの一種です。知ってます? 物の記憶を読むんですけど。俺は地面に特化してて」

 あ、そうそう。と栄は手をひらひらさせる。

「前に宮田さんたちがやった不審者調査の後、轢き逃げ犯の捜索は俺たちが請け負ったんですよ。あっという間に解決です」

「あー部長に請け負ったとは聞いてたけど」

 なるほど、そういう方法で見つけるのか。

「だいぶ時間が経っちゃってたんで普通なら難しいんですけど、日時も分かってたし、事故なんて強烈な人の思念が残る事案だったから余裕でした。轢き逃げ犯捕まえるとか、いいことした気分だし、いい仕事でしたよ~」

「気になってから、早く解決したんなら良かった」

「今回も、この犬がいなくなった辺りの記憶を調べて、だいたいどの辺でどうやって逃げたのかは目星がついてますから~」

 なんだそれ。じゃあ、こいつが記憶をたどっていって、そのあたりを探せばいいんだな。なんて楽そうなんだ!

「ではふたりとも、今日はよろしく頼む。16時には引き上げるぞ。わたしは時短勤務だ」

 言って松下さんはザッと踵を返し、トレッキングコースを歩き出した。

「ペット探しか~。定番だな」

 何故か楽しくなった。探偵ものでペット探しは定番だ。鈴木が渋い顔で俺を見る。

「未経験職種のくせに何偉そうなこと言ってるんですか?」

「うるせえ。偉そうなのはお前だ」

 松下さんに向ける態度の三分の一くらいは俺にも敬意を払わねーかな。

 しかし、山の探索は大変そうだが、変なことは起こりそうにない。良かった。

 鈴木と二人じゃないし、松下さんはベテランのはずだ。いやあ、今回は変なことになりそうにない。

 俺は内心ウキウキで、歩き出した三人の後ろについて、トレッキングコースを登りはじめた。

 ――その考えがとても甘かったのは、言うまでもない。

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